天皇機関説に対する誤解
「天皇主権と国民主権」について右翼も左翼も誤解をしているということを述べましたが、
ご多分に漏れず、憲法無効論の南出喜久治弁護士も誤解していました。
南出氏の著書『占領憲法の正体』から引用してみましょう。
「八月革命説」を唱えた宮沢俊義に対する批判です。
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帝国憲法の性質について「天皇主権説」を否定して「天皇機関説」を主張してきた者が、
占領憲法の有効性を導くために、帝国憲法が天皇主権であったと牽強付会の強弁をなし、
天皇から国民へと「主権委譲」されたとも説明するのである。
一体、天皇機関説という天皇主権否定説から、
どうして一足飛びに「国民主権」なのかという点において、余りにも著しい論理の飛躍がある。
(139頁)
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完全に誤解していますね。
もう一度、説明しますと、美濃部達吉は主権について3つの意味があると述べました。
@誰にも支配されない最高権
A統治権
A国家内における最高機関の地位
天皇機関説論争で問題になったのはAです。
美濃部も宮沢もAのところで、天皇主権説と争いましたが、
君主主権か国民主権かというBの部分では、
共通して日本が君主主権であること、すなわち天皇主権を認めています。
憲法学者であったら誰でも読んでいる美濃部達吉の『憲法講話』を
南出氏は読んだことがないのでしょう。
さらに南出氏がこのことを理解していない記述が続きます。
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無効論による革命有効説への批判は、もっぱら政治的な意味におけるそれであって、
法的な意味での批判ではないと反論する見解がある。
しかし、この見解も次の二点において矛盾がある。
第一に、帝国憲法は法的な意味においての「天皇主権」ではないことから、
この無効論批判、その前提を欠いているという点である。
天皇機関説が法的な意味における通説であり、天皇主権は否定されていた。
天皇は、統治権の総覧者という「国家機関」なのである。
それゆえ、天皇主権説は、帝国憲法下では通用せず、
それこそ政治的な意味しか持ち得なかった。
ところが、この見解は、占領憲法制定の消息を
「主権の委譲」という政治的現象として捉えるのではなく、
実際には、これまで法的な意味としては通用していなかった
天皇主権説という亡霊に依拠して、法的現象としての
「主権の委譲」を主張することになる。あくまで政治的な意味に留まるとしながらも、
これを根拠なく飛躍させて、法的な意味としての「主権の委譲」であると詭弁を弄するのである。
つまり、この「主権の委譲」という「革命」を主張したのは、
天皇主権説を否定していた天皇機関説の学者(宮沢俊義ら)とその弟子たちであって、
そもそも「主権」概念そのものを否定していたのに、突然に天皇主権説に鞍替えし、
その主権が国民に委譲されたなどと主張して完全に変節したのである。
絵に描いたような論理破綻の典型例である。
(140-141頁)
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完全にAとBを混同しています。
法的な意味、すなわち法学をまったく理解できていないのです。
宮沢らは主権概念を否定していたなどと南出氏は書いていますが、
上記のように美濃部は主権の意味を3つに分類し、丁寧に説明しています。
天皇機関説(統治権)の話はAで、君主主権や国民主権の話はBであると。
この南出氏による「八月革命説」批判は、
戦前からの通説及び八月革命説をまったく理解できていないので、
大学生の答案としても完全に落第点です。
八月革命説を批判することは意味のあることですが、
その前提となる基礎知識がまったく欠落した批判など相手にされないだけではなく、
相手から馬鹿にされて終わるでしょう。