八月革命説も憲法無効論?



八月革命説と憲法無効論は、論理構造がまったく同じです。

結論が違うだけ。

八月革命説と憲法無効論は、

どちらも帝国憲法から見た日本国憲法は無効であると考えます。

ただし、それは「帝国憲法から見た場合」のことなのであって、

「日本国憲法から見た場合」は、日本国憲法が無効なのではなく、

帝国憲法のほうが無効(効力を失った)となり、

日本国憲法は前の憲法と法的に断絶した新しい憲法という結論になるのです。

憲法改正に無効要因があった場合、改正された憲法が無効となるのではなく、

新旧憲法に法的な断絶が起こると、私がこれまで繰り返し説明しているのはそのことです。

そうでなければ、世界中で無効な憲法だらけになってしまうということです。

例えば、ロシアは永久に有効な憲法を持てなくなってしまいます。

フランスの現行憲法(第五共和国憲法)も、第四共和国憲法の改正時に、

憲法裁判所から違憲判決を受けています。

しかし、憲法は法体系の最上位なので、憲法を制する法理はないのです。

宮沢俊義も帝国憲法体制から見た日本国憲法は

無効であるという考えになるので、「無効論」になります。

正確に言えば、宮沢は「帝国憲法改正無効論」であり、

憲法改正が無効であるからこそ

法的に断絶した日本国憲法は有効(合法)であるという結論を導きました。

無効論と八月革命説は最後の結論以外はまったく同じなので、

無効要素を述べれば述べるほど、八月革命説を補強することになってしまい、

結論部分の争いになれば、憲法無効論は圧倒的に不利となります。

要するに、法学論として憲法の無効理論というのは存在しないのです。

主権国家が憲法として運用しているものを、無効か有効かと論じれば、

当然のことながら有効論が圧倒的に有利となります。

その場合の有効論における日本国憲法の法的根拠・正当性は何か?

となった場合、帝国憲法と断絶した国民主権の憲法なんて言う解釈になれば(通説です)、

悲惨極まりないということです。

だから、保守派の有効論者は、それぞれ忸怩たる思いはあるだろうけど、

新旧憲法「連続」説を採っているのです。

何も日本国憲法万歳と言っているわけではありません。

本気で無効論を述べるのであれば、思いつきのような感情論ではなく、

緻密に練り上げられた法学理論を展開しなければ、

新旧憲法断絶説による手痛いしっぺ返しが待っているということです。

しっぺ返しどころか国体断絶です。




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