憲法無効で戦後の法秩序はどうなるか
日本国憲法が無効である場合、
この憲法を前提につくられた戦後の法秩序や判例はどうなるのか、という問題があります。
これについて旧来の憲法無効論からはあまり明快な回答は示されていないのですが、
南出喜久治弁護士がつくった「新無効論」では一つの提案が示されました。
しかし、その提案が恐ろしく常識外れの杜撰なものなのです。
簡単に説明しますと、日本国憲法は「憲法」としては無効であるが、
「講和条約」としては有効であるというのです。
これを聞いただけでは普通は???です。
南出氏は無効理論の転換と説明しています。
この論理を説明します。
帝国憲法76条には次のような規定があります。
「法律規則命令又ハ何等ノ名称ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ総テ遵由ノ効力ヲ有ス」
(法律・規則・命令又は何らかの名称を用いていても、この憲法に矛盾しない現行の法令は、総て遵由の効力を有している)
この規定により日本国憲法は「憲法」という名称がついていても憲法ではない。
帝国憲法に矛盾しない限度で、憲法の下位に位置する「講和条約」としては有効であると。
帝国憲法の改正手続きによってできたものを講和条約だなんてすでに無茶苦茶ですが、
百歩以上譲って、講和条約として認めるとしましょう。
講和条約はあくまで条約であって、国内法として立法しなければ国内での強制力はありません。
しかし、現実に日本国憲法は強制力をもって運用されています。
これについて新無効論ではどう説明しているのかというと、
条約を国内法として整備していないが、慣習法的に運用しているというのです。
今の日本国憲法は明文化による強制力はないが、日本人が慣習法的に勝手に運用しているのだと。
日本は文明国であり、法治国家です。
その日本でこんな運用がなされていると。
こんな論理が先進主要国の国家機関で真面目に論じられることがあるでしょうか。
これだけでも驚きますが、実はここからこの論理は大矛盾に陥ります。
日本国憲法は憲法ではなく、憲法の下位法として慣習法的に運用しているというのですが、
仮に慣習法的運用ではなく立法すればどうなるか。
参議院は帝国憲法76条にしたがい即刻無効です。
帝国憲法の条規に矛盾するする法律は無効となります。
よって、参議院を通過して成立した法律はすべて無効となります。
立法化すれば即刻無効である参議院が、慣習法的に運用すればなぜ有効なのか、
新無効論者からまともな理屈を聞いたことがありません。
結局、戦後の法秩序の安定性はなんら確保されていないのです。
何度も言いますが、こんな論理がまともな国家で、まともな大人によって論じられることはありません。
一般社会ではこういうのを「妄想」と呼ぶのです。
昭和21年の時点で、日本国憲法は憲法ではなく講和条約だったなどと
当時の人は誰一人として考えていなかった。
当時の人がまったく考えていなかったことを、
現代人が「あれは憲法ではなく講和条約だったのですよ」というのはどういうことか。
これは現代人の価値観で歴史を修正することです。
日本国憲法がわが国の憲法であったことは好むと好まざるにかかわらず歴史の一部を形成しています。
その歴史の一部であった事実を消し去り、現代人にとって都合のいい解釈をやろうとしているのです。
今までこれをやってきたのがマルクス主義史観です。
新無効論も理論ばかりを追求しすぎて、現実を置き去りにしているのです。
これまでの左翼を見ていたらわかるように、
理論ばかりを追求すれば、理論が先鋭化し、必ず内ゲバが発生します。
そして、南出氏は何を言っているか。
保守派の改憲論者に対して国賊だと罵り、社民党と共産党と組んででも改憲を阻止すると述べています。
一方、八月革命説である既存の憲法学界からは相手にされない。
議論の対象は左翼ではなく、保守派の改憲派となるのです。
まさに左翼の内ゲバの構図そのままです。
大日本帝国憲法を崇拝しているので、一見、保守派に見えるのだけど、論理構造は完全に革新左翼の理性主義です。
そこが最大の問題ではないでしょうか。
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