国家の連続性という重大さ



憲法学界の通説では、昭和21年の憲法の改正は違法であり

無効であることは認めている(法的革命で手続き上は合法として説明)。

しかしそれは「憲法改正」としては無効であっても、「憲法制定」としては有効であると考えます。

結果、合法であると。

そして、戦前と戦後で国家は断絶したと主張します。

これに対して改正憲法説では、帝国憲法の改正は、

違法性はあったものの、改正の限界は超えておらず、

帝国憲法の改正として日本国憲法は有効であり、憲法は連続していると考えます。

したがって、国家は連続しているということです。

国家は断絶したのか、断絶していないのか、

現行憲法は有効なのか、無効なのか。

これらを言葉遊びで現実世界では意味がないということを言う人もいますが、

現実はそんなことはありません。

なぜ私が改正憲法説により国家の連続性を強調するのかということを説明します。

まず近代国家とは「国家イコール憲法」です。

近代国家とは憲法を法体系の頂点とする法治国家であることを意味します。

日本は西洋列強国と対抗するために

明治に大日本帝国憲法を制定し、近代国家となりました。

それは国がはじまって以来の絶え間ない歴史と伝統を背景にしてつくられた近代国家でした。

ところが、大東亜戦争に敗北し、GHQに占領され、

憲法改正により帝国憲法から日本国憲法に変わりました。

そして、天皇主権の憲法(欽定憲法)が、国民主権の憲法に改正されたということは、

改正でありながら憲法がまったく別物になったということで、

これはもはや改正と呼ぶことはできず、

便宜上改正手続きはとったものの国民主権という新たな理念に基づく新憲法が制定されたのだ、

と憲法学界では考えられてきました。

帝国憲法と日本国憲法は法的に断絶したのだと。

先ほど述べたように、近代国家イコール憲法です。

憲法が法的に断絶したということは、国家が断絶したと考えるのです。

歴史と伝統を背景にした明治以来の近代国家は滅亡し、

戦後から国民主権の新たな国家が誕生したということです。

これが戦後民主主義であり、いわゆる戦後体制、または戦後レジームです。

憲法学界では今上陛下は1・5代天皇だという見解があります。

戦前と戦後は国家が断絶しているので、現在の今上陛下は第125代天皇なのではなく、

戦後からはじまった新たな天皇制の第2代天皇なのだと。

昭和天皇は帝国憲法時代にご即位されているので、0・5扱いとなり、

実質1・5代だというセンセーショナルな表現です。

皇室の祭祀が疎かな扱いを受けたり、皇室の伝統が破壊されたりするのは、

こういった考え方が蔓延しているからです。

今回の譲位特例法で出てきた上皇后なんて言葉は歴史的にない?

関係ないです。

なんたって、歴史ある日本国家は帝国憲法の消滅と共に滅亡し、

戦後から新しい国家が生まれたのですから。

上皇后でもなんでも作ればいいのです。

女系天皇もOK。

これが憲法学の通説なのです。

戦後体制の根幹は、戦前戦後の国家の断絶にあるのです。

例えば、学校の教科書には

「敗戦により憲法が天皇主権から国民主権に変わった」と書かれています。

国家の断絶が堂々と教科書に書かれているのです。

なぜ教科書はそのようなことを書くことができるのか。

憲法学界の通説だからです。

学術的な論拠を求めるということは、教科書を正常化させる上で非常に意味があります。

学会なんてどうでもいい、言葉遊びに過ぎない、という主張は、

教科書なんてどうでもいいと言っていることになります。

繰り返しますが、戦後体制からの脱却とは、

戦前戦後で断絶された歴史ある国家の連続性を取り戻すことです。

保守界隈の人たちは、反日自虐史観問題、国防問題には関心の高い人が多いようですが、

従軍慰安婦強制連行や南京大虐殺は「あったのか、なかったのか」という

単なる事実関係の話なので、本来は保守とは関係ありません。

国防だったら北朝鮮でも真剣に考えています。

本当の保守とは歴史の連続性こそ最も大事に考えることではないでしょうか。







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