不当と不法の違い
憲法無効論者は「不当」と「不法」を混同していると思います。
不当なものは不法であると。
もちろんそのとおりではありますが、不当と不法は当初一致していても、
途中で別々の道を歩むことがあります。
日本国憲法がまさにそれです。
主権回復後、独立国家が憲法として運用した以上、「不法」は解消されます。
残ったのは「不当」のみ。
不当なものは認めたくない、というのが憲法無効論者の趣旨です。
GHQの言論弾圧云々という主張は、「不当」だと言っているだけなのです。
不当であったことを否定するつもりはありませんが、
それだけで国家が運用している憲法を破棄することなどできませんよ、と指摘しています。
法的根拠のない憲法破棄もまた「不法」なのです。
「不法」な憲法破棄を法治国家が行うことはあり得ませんし、
仮にまかり間違って行ったとしても、そんなことが認められるなら、
左翼勢力に政権を奪還されたときにどんな不法な憲法破棄、
革命憲法制定をやられても「不法」という部分では文句は言えないでしょう。
過去の不当を忘れずに問題意識を持ち続けることも意義があるかと思いますが、
これから将来にわたって国体を護持していくためには、
左右いずれの立場からも法的根拠のない憲法破棄など絶対にあってはならず、
国家の連続性を守ることこそが、国体を守ることにつながるのです。
「GHQ憎し」が前に出すぎて、本当に大切なことが抜け落ちることになってはいけないと思います。
法に則って国家を運営する、その法の連続性を大事にすることが、
特に歴史と伝統ある日本という国でどれだけ重要なことかご理解いただきたいものです。
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