学問における客観的公平性の意味



今回は学問の客観的公平性について説明します。

法学論としては、憲法無効論というのは「主観的」かつ「独善的」です。

一方の改正憲法説は「客観的公平性」を重視しています。

例えば、現在の中国は共産党政権ですが、

もし、民主派の活動家が多くの支持を集め、共産党体制を打倒したとしましょう。

そして新体制を立ち上げて、新しい憲法を制定します。

中国共産党政権からすればこの民主派政権が制定した憲法は違法です。

これは中国共産党から見た「主観」です。

民主派政権から見た「主観」では正当であり有効です。

客観的公平性に見たらどうか。

どちらの「主観」の味方をせずとも、

出来てしまったものは仕方がないと見るしかないでしょう。

これを日本に当てはめてみます。

「戦前日本」と「戦後日本」が別々の国だとしましょう。

「戦前日本」の主観からすると帝国憲法の改正は違法であり、

「戦後日本」など認めることができません。

「戦後日本」(八月革命説)の主観からすると、改正が違法であっても、

旧体制の崩壊であるから、新体制による新憲法の制定としては有効となります。

客観的公平性から見ると、「主観」と「主観」がぶつかれば、

出来てしまったものは仕方がない。

「後法は前法を破る」として「戦後日本」に軍配を上げるしかありません。

一方の「改正憲法説」とは、昭和21年の憲法改正を有効ととらえ、

「戦前日本」「戦後日本」と分けることなく、

日本は戦前も戦後も一貫して同じ国が続いていると考えます。

客観的公平性の観点から国家の連続性を立証することができるのです。

憲法無効論は主観的な立証しかできませんので、法学的には敗れ去ります。

そして、改正憲法説と八月革命説の戦いとなれば、

「戦前日本」と「戦後日本」が分断されているという主張はファンタジーなので、

戦前戦後、天皇陛下の下、現実に政府が途切れることなく機能し、

国家が続いているという現実論には勝てないのです。

したがって、歴史と伝統ある日本国家の連続性を守るため、

最も現実的な有力な論理が改正憲法説となります。






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