保守とは地道に歩むこと
憲法無効論者からは、日本国憲法の改正は不可能だが、
無効確認だったらできるという主張がありますが、
この理屈がまったく理解できません。
憲法の無効確認という大それたことができるのであれば、
改正なんて簡単にできると思うのが普通です。
なぜ無効確認は簡単で、改正は難しいとなるのでしょうか。
要するに、無効は改憲のような決議ではなく、
確認するだけだから簡単だということでしょう。
国会の過半数か、あるいは内閣の閣議決定など何でもいいし、
内閣総理大臣が突然、憲法の無効確認をやってもいいと。
憲法改正もできない状況下で、
内閣や政権の独断でそんなことをやってしまったら大混乱するだけで、
さすがにこれはやばいと思った国民の大多数が反対勢力を支持し、
今度は政権を奪還した反対勢力によって、
無効確認の無効確認なんてやられたら、目も当てられない状況になります。
もし、天皇を担ぐかたちで無効確認をやるような格好となってしまったら、
今度は無効返しにより、天皇制廃絶の憲法を作られてしまうかもしれないでしょう。
世の中はそんなに一朝一夕でうまくいくものではありません。
難しくとも、一歩一歩進んでいくしかないのです。
無効確認で一気に何かを成し遂げようとする考え方はまるで革命のようで、
保守にあるまじき思考だと思います。
明治の人たちが幕末に結んだ不平等条約を地道に改めていったように、
憲法も地道にやっていくしかないのです。
保守とは元来そういうものだと思います。