憲法1条の意味



改正憲法説の“肝”である日本国憲法第1条について解説しておきます。


第1条

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、

この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。


憲法無効論者からは、この規定は国民主権を定めており、

国体破壊であるという見解が示されています。

国民が主人で、天皇はその“しもべ”であると言っている人もいます。

要するに、国民主権の規定により天皇の地位を定めているということは、

天皇を置くかどうかは主権者である国民が決めることなのだと解釈しているのです。

これはおかしな話です。自家撞着です。

憲法1条が国民主権により天皇の地位を決められるというものであるなら、

まずこの第1条に国民主権を謳い、2条以下で天皇を定めるはずです。

いまの第1条が冒頭にあるとうことは、天皇が「日本国の象徴」であり、

「日本国民統合の象徴」であることが日本国民の総意であることを

宣言しているだけのことと考えるのが自然です。

私はこの憲法が制定されたときには生まれていませんが、

この総意には私も含まれます。

したがって過去・現在・未来における日本国民の総意という意味になるのです。

「意志」ではなく「総意」という日本語を用いたのも当時の人たちの思いでしょう。

当時の日本人は、この憲法1条の規定により国体は守られたと安心しました。

和辻哲郎は歴史にある本来の天皇あり方に戻ったと言いました。

昭和天皇は昭和52年に那須の御用邸で記者からの現行憲法についての質問に対して

「第1条ですね。あの条文は日本の国体の精神にあったことでありますから」と言及されています。

一方、憲法無効論者は第1条こそが国体破壊だと言っています。

さて、あなたは、憲法1条についてどちらを支持しますか?

ここで日本人としての感性が問われるだろうと思います。

法律とは、自分たちにとって正しい解釈をすることが最も大切なこととなります。

法の内容に不可解な文字が見られるのであれば、

正しく解釈することが求められるのです。

主権の存する日本国民の総意?

正しく解釈しましょう。

日本書紀の仁徳天皇のところに

「天が君を立てるのは民のためである。だから民が根本である」という記載があります。

こういうことです。

坂本龍馬が西郷隆盛のことを寺の鐘に例えて表現したことがありました。


「大きく叩けば大きく鳴る、小さく叩けば小さく鳴る」


鳴らす人次第であると。

日本国憲法第1条もこれと同じではないでしょうか。

正しく解釈する人には正しい姿が導かれ、

おかしく解釈する人には、おかしな結論が導かれるのです。





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