正統憲法か革命憲法か
日本国憲法のことをよく「占領憲法」と言う人がいますが、
正確に言うと、憲法には「正統憲法」と「革命憲法」しかありません。
占領憲法は占領中にしか存在せず、主権回復後は、「正統憲法」か「革命憲法」のいずれかに属します。
改正憲法説では「正統憲法」に属すると考え、東大憲法学は「革命憲法」に属すると考えます。
憲法無効論は、違法性だけを述べてあとは何も言っていないので、結果的に「革命憲法」に属するという立場になってしまいます。
革命憲法だから破棄せよと無茶苦茶なことを言っているのです。
現行憲法が革命憲法だと言うなら、現在の日本は革命状態であることを認めることになり、
このまま破棄か無効確認ができなければ「革命憲法」のまま定着します。
改正憲法説では、現状でもとりあえず「正統憲法」と考えるので、もっとも現実に沿った路線となります。
現状のままでも「正統」。
改正したら「なお正統」。
一番安定した考え方ですね。
では、ここからが本質論。
「正統憲法」か「革命憲法」か、何を基準に考えますか。
現在の憲法学通説である東大憲法学とは戦前にドイツから入ってきた大陸法系を基準に考えます。
ドイツ系法学では憲法のあり方を「天皇主権」と「国民主権」に分類します。
それに基づいて国民主権の日本国憲法は「革命憲法」であるとなるのです。
一方、保守の政治哲学はそうではなく「実体」を基準に考えます。
戦前も戦後も天皇を中心とする国が存在する「実体」から、この憲法でも「国体は護持している」と考えます。
「正統憲法」と「革命憲法」と振り分けるために、何を基準に正統とするか。
「正統とは何か」ということは政治哲学の分野に入ります。
私はドイツ系法学を基準とした「正統」など「くそ食らえ」だと考えるのです。
日本では戦前から憲法学者がみんなドイツ系法学の影響を受けています。
その前提の中で、憲法無効論を唱えることは
「お釈迦様の手のひら」の中で駆けずり回っている孫悟空のようなものとるのです。
無効論を唱えてきたごく少数の憲法学者が無残に敗れ去ってきたのは、
すべてお釈迦様の手のひらにいるからなのです。
多数説に敗れたものの、唯一、ふんばった尾高朝雄のノモス主権論は、
ドイツ法哲学の影響を受けながらも、
その良心から天皇主権や国民主権で割り切れるものではないという良識が働いたからでしょう。
まずはお釈迦様の手のひらから出なくてはなりません。
そうすれば今まで見えていなかった色々な考え方や選択肢が見えてくるでしょう。
もっと大きな視点から考えれば、日本国憲法をかろうじて「正統」とすることなど、大した話ではないのです。