国体の本質
『SAPIO』(平成22年7月14日号)から、小林よしのり氏が国体の本質について、
まったく理解していないことが明らかになった。
----------小林よしのり----------
男系固執主義者は「国体」というものをまったく理解していない。
国体は天皇と国民の相思相愛関係で成り立つのだ!
国民が誰も認めない皇族が出現してしまったら、それこそ国体の破壊である。
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天皇は国家国民の安寧を祈り、無私の存在である天皇を国民が崇敬する。
国民が天皇を崇敬するという「崇敬」のなかには、
絶対に立ち入ってはいけない聖域という意味も含まれているのである。
だから、明治の憲法と皇室典範は対等に並び立つものであったのだ。
そしてこれが立憲君主国における法体系の原則である。
憲法に「主権在民」と書かれていて、
その憲法の下位に皇室典範が存在することは、まさに異常な状態となる。
「国民が誰も認めない皇族が出現してしまったら、
それこそ国体破壊である」というのは、国民主権が大原則となっている意見である。
本来は皇位継承に国民が口を挟むのはおかしいのであって、
それこそが国体の真の姿である。
少なくとも『天皇論』はそのために書かれたものであると認識していたし、いまもそう思っている。
国民は天皇が無私の祭祀王であり、権力ではなく権威であるから尊敬するのであり、
皇位継承方法で尊敬が薄れるなどということがあってはならない。
それでは男系護持と言うのもおかしい、
女系天皇でもいいのではないかという反論が来るのは容易に予想がつくから、先に述べておく。
小林よしのり氏がまったく理解できていないポイントである。
天皇の「無私」という概念には、皇位の世襲が、家産の世襲ではないというところに関係がある。
天皇位の世襲とは、神武天皇から直系でつながる皇族方によって、
「先帝」から「新帝」にお移りになられることであって、家や財産の相続ではない。
一切の理性を排除して、先人たちがこれまで続けてきたことを、同じように続けていく。
理性もまた「私」であり、「私」よりも伝統を徹底的に上位におくことが「無私」ということになる。
無私である天皇を国民が崇敬する国体というのは、必然的に男系継承による天皇となるのである。
男系継承の可能性が残されている段階で、
「女系もいいのではないか」といった時点で、それは「理性」であり「私」となる。
小林よしのり氏は「万策尽きたときに女系も容認」という意見が理解できないようだが、
どうすることもできずに女系天皇が誕生した場合は、
その継承に一切の理性が関与していないことに、無私の正統性が生まれることになるのである。
国柄というものは時間の積み重ねにより形成されるものであって、
一世代の人間の理性で構築できるようなものではない。
伝統という時間の縦軸が、世の中の秩序を形成する。
世の中の仕組みというものは、この国柄をベースに考えられている。
この国柄によりできあがった秩序・規律を「法の支配」といい、
その頂点にある天皇が、完全無私であるがゆえに、様々な秩序が保たれている。
これが国体である。
国体というのは、「天皇と国民との相思相愛関係」などという単純なものではない。
あらゆる秩序形成に関係している国柄の問題なのだ。
国体の頂点となる天皇が、伝統より理性という「私」を上位におけば、
国体は必ず理性主義という革新思想により破壊されてしまうだろう。
古代からの掟である「法」を守ることが、皇室をお守りすることになり、
国体を護持することになるのである。
さらにいうなら、小林よしのり氏が述べる
「天皇と国民との相思相愛関係」という相思相愛の内容も
非常にいかがわしいものではないかという疑念を持つ記述がある。
----------小林よしのり----------
ひとつ、言っておくが、悠仁さまよりも、
もうすでに国民は愛子さまに心を奪われてしまっている。
今後も雅子妃と愛子内親王への注目は
さらに強くなっていくだろうとわしは予測している。
(『SAPIO』平成22年6月9日号)
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なんと小林氏がいう「国民が納得するのか」ということには、
旧皇族方だけではなく、
場合によっては悠仁親王殿下まで含まれるということになるのだ。
こんな左翼的な国民主権思想を前提に、
皇室のことを論じることなどできるわけない。
現在、傍系の女性皇族方の、顔と名前をすぐに思い浮かぶ国民はどれだけいるだろうか。
おそらく少数派となるはずだ。
傍系皇族というものは元来そういうものである。
国民が納得するという条件に、メディアでの露出度が関係あるというのなら、
論ずるまでもない暴論であろう。
さすがにこれではまずいと思ったのか、
しばらくしてから少し変更を加えて同じようなことを述べる。
----------小林よしのり----------
はっきり言って、国民(特に女性)は愛子内親王殿下に心を奪われている。
これは「人気」の問題ではない。
「直系」の正統性を感じ取っているからだ。
『神皇正統記』で北畠親房は「直系」を「正統」と呼んで重んじていた!
『WiLL』(平成22年9月号)
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悠仁親王殿下は「直系」である。
「人気の問題ではない」と逃げているが、
やはり単なる人気の問題であると言っているのではないか。
「人気の問題ではない。直系の正統性を感じ取っているからだ」
という逃げをうとうとしたが、
悠仁親王殿下も直系なので、単なるペテンとしかならなかった。
小林よしのり氏の直系論というのは、こういうものが前提となっているのだ。
まったく不敬・不謹慎極まりないことであり、陛下への恋闕など笑止千万である。
もう一度確認しておく。
国民が皇位継承問題に口出しするような国体は、国民主権思想そのものである。
皇室典範が憲法の下にあるような異常な法体系を前提にした国民主権論などにより、
人気投票のように皇室について論じることなど本来なら許さるべきことではない。