憲法学だけは「明治レジームからの脱却」へ



憲法改正限界説はドイツ系法学の理論であるという私の指摘に対して、

新無効論者はさすがにみんな黙るしかないだろう。

ドイツ系法学、つまり近代法学の理論を中心的根拠にしておいて、

近代法学に対する批判は自己矛盾だという当たり前のことを言っているだけだ。

反論するなら少なくともここをふまえて反論してほしい。

わたしが「帝国憲法違反=現行憲法無効」ではないと指摘したら、

「革命を正当化する論理」だと返ってきたが、

私は改正限界説に立ったらそうなると言っているだけ。

改正限界説は革命を正当化する論理がベースになっているのだから。

改正限界説から革命正当化論理という批判は自己矛盾じゃないのですか、って話です。



改正限界説とは、わざと限界点を設定して、

君主主権(欽定憲法)という限界点を超えさせて

国民主権(民定憲法)を正当化する論理として出発した。

戦前は限界を超える予定がなかったのでそれを通説にできたが、

超えたときに大混乱になって八月革命説が導かれた。

改正限界説なら当たり前だ。

限界を超えたら異なる性質の憲法に変遷したと考えるのが改正限界説の基本なのだから。

ドイツ系法学に立脚しながら「改正の限界を超えたから無効だ」と言っても、

それは単なる泣きっ面にハチのような結末にしかならない。


ドイツ系法学では、君主主権(欽定憲法)と国民主権(民定憲法)は

対立する概念としてワンセットとなっているので、

国民主権と天皇主権の両方を批判する論法は原則成り立たない。

両方を批判するならドイツ系法学ではなく英米法学に基づかなければならない。

つまり、主権概念を否定して、歴史・伝統に基づく国体を何より重視するのであれば、

改正限界説などには立ってはいけない。

保守系の憲法学者は改正限界説を否定するのだ。


既存憲法学のほとんどは、ドイツ系法学が中心となっている。

それは帝国憲法がプロイセン憲法の影響を受けたことにある。

現在の憲法学者のほとんどは左翼系だと言われたりするが、

それは人間個人の問題ではなく、憲法学そのものがそうなっているのだ。


戦後レジームからの脱却は重要だが、憲法学だけは「戦前戦後レジームからの脱却」、

正確には、「明治レジームからの脱却」でなければならない。

憲法無効論は、この明治レジームの中での主張に過ぎず、

その枠内で議論しているかぎり、左派の通説に勝つことはできない。

すなわち憲法無効論を唱えても、戦後レジームからの脱却はやってこないのだ。


憲法学者の竹田恒泰氏は、戦後の問題点すべての根源は「八月革命説」にあると、

見事なまでに本質を見抜かれている。

八月革命説の本質は、戦前と戦後を分断して、

戦後だけで新しい社会がはじまった、ということである。

これがいわゆる戦後民主主義だ。

戦後民主主義、戦後体制を打破するためには、八月革命説を叩きつぶすしかない。

八月革命説を叩きつぶすということは、明治レジームの憲法学を叩きつぶすということだ。


分断された戦前と戦後をつなぐことによって、

神武天皇以来の世界最古の歴史・伝統が、一本の背骨となって、

わが国の中心原理としてよみがえる。

そのとき、戦後レジームから脱却し、本当の意味で日本人が「日本」を取り戻したことになる。






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