逃げるゴーマニスト
----------小林よしのり----------
先日発売された『別冊正論14』(産経新聞社刊)は、
編集後記で上島嘉郎編集長が明記しているとおり、
ほぼ一冊まるごとわしの『新天皇論』への批判本である。
かつて『戦争論』を出した時は『世界』『論座』『週刊金曜日』が批判特集を組んだが、
今回は『正論』が同じことをやったわけだ。
『SAPIO』(2/9・16)
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???
批判してはいけないということか?
問題は批判の中身ではないのか。
特集を組むことが左翼でも何でもない。
小林よしのり氏は「3つ質問から逃げる男系論者」と述べるが、
ここで決定的なことを指摘しておきたい。
議論そのものから逃げているのは小林よしのり氏自身である。
チャンネル桜の水島社長や新田均教授が議論を呼びかけても、
小林氏は一向に応じようとしない。
水島氏は「ゴー宣道場」に行っても構わないとまで述べている。
『戦争論』を出したときと同じ構図と言うが、決定的に違うのは、
あのときの小林さんは、どこにでも出ていって、正々堂々と論じていたということだ。
逃げ回っていたのは左翼の方であった。
ところが、今回は何度呼びかけても自分の部屋から一切出てこない。
自らの論理が支離滅裂で、議論に応じればそれが明るみに出ることをわかっているのだろう。
「3つ質問から逃げる男系論者」と言うが、それだけ自信があるのであれば、
どこにでも出ていって論じることができるのではないか。
我々は「従軍慰安婦論争」や「戦争論」のとき、左翼系知識人が逃げ回っていた理由を知っている。
大学や論壇で一定の地位を築いていた知識人たちは、小林さんと論戦しても、
議論で苦戦することは明白で、自分の地位に傷がつくだけで、
何の得にもならないということをわかっていたからだ。
今回、小林さんは我々と議論しても、苦戦していることが明るみに出るだけで、
自分にとって何の得にもならないことを認識しているのだろう。
そうでなければ、本当に皇室のためと考えているのなら、
損得抜きにして「公」の精神により議論するはずである。
少なくとも、かつての小林さんはそうだったのだから。
「戦争論」を出したときと同じということだが、それは正しい一面もあって、
皮肉にも議論から逃げまくる小林さんは、当時の左翼とまったく同じであるということだ。
本当に逃げているのはどっちなのか。
小林さんが持ち出した明治天皇勅裁の皇統譜も含めて、改めて徹底的に論じてみようではないか。
そうでなければ、「3つ質問から逃げる男系論者」どころか、
「皇位継承論議から逃げる小林よしのり」ということが確定し、
勝負は終わったということだ。