「真正護憲論(新無効論)破綻」の概説

         〜南出喜久治氏は憲法学を知らなかった




憲法の最高法規性


新無効論が、日本国憲法が無効であると主張する論拠の“柱”は二つあります。

一つが帝国憲法73条及び75条に違反しているということが挙げられています。

日本国憲法は帝国憲法の改正手続きにより生まれましたが、

改正手続きを定めた帝国憲法の条項に違反するので無効であるということです。


もう一つが、憲法改正には限界があり、

日本国憲法は帝国憲法の改正の限界を超えているので無効であるという主張です。

「憲法改正限界説」と呼ばれるものです。


まず法学理論では憲法に違反する一般法は当然に無効となりますが、

憲法に違反する憲法改正は無効とはなりません。

憲法というのは法体系の頂点に位置するので、

法学上では憲法を無効とする法的根拠が存在しないのです。

これは初歩的な法学知識の問題です。


続いて「憲法改正限界説」について、そもそも憲法学でいうところの改正限界説というのは、

限界を超えたら無効となるわけではありません。

改正限界説とは、限界を超える改正が起こりえないと考えているのではなく、

限界を超えた改正は、もはや改正とはいえず、

旧憲法の廃棄と同時に新たな憲法の制定とみなさなければならない、という意味です。

改正の限界を超えた場合は、旧憲法と新憲法の法的断絶が発生し、

改正前の憲法と異なる根本規範に立脚した憲法が生まれたと考えるのが

憲法学の通説となっています。

こんなことは大学の法学部1回生が使う憲法学の入門テキストに書いてあることですが、

南出喜久治氏はそんなことも知らず、

改正の限界を超えた場合は無効になると思い込んでいたのが

悲劇のはじまりだったといえるでしょう。

南出氏は弁護士ではあるが、学問としての憲法学の基礎を

学んだ経験のないことがよくわかります。


私がそのようなことを指摘すると南出氏は

「革命を正当化する論理だ」

「憲法典の上位規範である規範としての國體(國體規範)に違反するものは無効である」

と強弁しました。

これは二重、三重の意味でおかしい反論です。


まず革命を正当化するかどうかに関係なく、

私が指摘したことは既存の憲法学では当たり前に論じられていることです。

南出氏はこれまで法学論として、

まず日本国憲法の効力論争を徹底してやるべきだと主張していました。

チャンネル桜の「闘論!倒論!討論!2012どうする日本国憲法!?連続大討論Part1」

(平成24年4月21日放送)では、

「歴史的・政治的な側面と峻別して、まずは日本国憲法に効力があるのかどうか、

学問的、学術的、専門的に論じなければならない」と述べています。

歴史的・政治的側面と区別するということは、

当然、法学理論として綿密に論じることを意味します。

「憲法典の上位規範である規範としての國體(國體規範)に違反するものは無効である」

というのは、歴史的・政治的側面も含まれてきます。

南出氏は単純に法学理論だけでは

日本国憲法の効力を説明できないと思い込んでいたようですが、

私の指摘により、憲法学の世界では簡単に説明していることがわかったので、

急遽、「国体規範が云々」と無理から反論することになったのです。


そのことがよくわかる事象として、

南出氏は同番組では、自身で作成した“効力論学説一覧表”というのを披露しながら、

有効と主張する者が有効性の立証責任がると述べ、

「(有効性について)こちらもよく調べてみたがよくわからなかった」と発言しています。

大学1回生が使う憲法学の入門テキストだけでも読んでいれば、

日本国憲法の有効性の根拠がよくわからないなどという発言は絶対に出ません。


憲法改正の限界を超えた場合は、

改正前の憲法と異なる根本規範に立脚した憲法が生まる、

と考えるのは、いわゆる「八月革命説」と呼ばれるものです。

それについて南出氏は同番組で

「革命有効説が破綻していることは憲法学者はみんな知っている」と発言。

自身の書いたパンフレット「真正護憲論(新無効論)の概説」でも八月革命説について

「当時は、一斉を風靡しましたが、今ではこれを支持する学者は少ないのです」

と述べています。


すでに説明しましたが、八月革命説というのは、

現在のわが国における憲法学の“圧倒的通説”となっています。

同パンフレットで南出氏は八月革命説について、

「革命とは国内勢力による政治的な自律的変革の現象であって、

外国勢力による征服下での他律的変革を意味しないからです」と述べています。

これは“革命”という言葉に目を奪われて、

八月革命説の正確な意味を理解していないことを表しているのです。

改正の限界を超えた場合、新たな性質の憲法に生まれ変わり、

旧憲法と新憲法との法的断絶が起こることを、“法的な革命”と表現しただけであって、

八月革命説の生みの親である宮沢俊義は、

もちろん本当に革命が起こったなどと説明しているわけではありません。

たまたま日本ではGHQによる占領中にそれが実現したので

「八月革命説」という表現を使っただけで

GHQによる占領状態にあったかどうかに関係なく、

憲法改正の限界を超えた改正は、改正ではなく、

改正前の憲法と関係のない新しい憲法の制定とみなすといっているのです。

最近の、憲法学者は「八月革命説」という用語はほとんど使用していませんが、

改正の限界を超えた憲法改正は、法学論的には改正ではなく

旧憲法の廃棄と同時に行われた新憲法の制定とみなす、という考えは通説になっています。

大学生が使う憲法学の入門テキストの99%はそのように書かれているのです。


南出氏は同パンフレットで

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まず、憲法改正に限界があるか否かですが、占領憲法の解釈においては、

占領憲法の基本原理については改正ができないとされています。

つまり、改正限界説です。

ですから、帝国憲法についても改正限界説でなければ二重基準になってしまいます。

現に、帝国憲法の解釈においても、改正限界説が定説でした。

そうすると、占領憲法は、改正ができない国体の変更にまで及び、

国民主権主義を取り入れたので、このことを理由に占領憲法は、

帝国憲法の改正としては無効なのです」

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と述べています。


既存憲法学における改正限界説では、改正の限界を超えた場合、無効になるのではなく、

新たな根本規範に基づく憲法として生まれ変わるという法学の事実について

知らなかったことを物語る記述です。


さらに南出氏は『占領憲法の正体』(50頁)で重大な記述を行っています。


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そもそも、憲法改正に限界があるとするのは、

帝国憲法下において「立憲主義」が定着していたことの帰結でもあった。

つまり、立憲主義とは、現在では様々な解釈がなされているものの、

『人および市民の権利宣言』(フランス人権宣言)第十六条に、

「権利の保障が確保されず、権力の分立が規定されないすべての社会は、

憲法をもつものではない。」とする規定に依拠したもので、

この定義からしても、当時の憲法学会や帝国議会で、

帝国憲法が「立憲主義的意味での憲法」であるとすることに

異議を唱えたものは誰もいなかった。

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英米法的な立憲主義ならともかく、フランス人権宣言に依拠する立憲主義であるならば、

改正の限界を超えた場合、新たな根本規範の憲法が生まれたとする

改正限界説そのものとなります。

フランス・ドイツの大陸系法哲学では「憲法制定権力」という概念を生み出しました。

国制のあり方を最終的に決定する力を持つ主体のことを「主権」と定義し、

主権の存在こそが憲法制定権力であるとしました。

そして君主主権から国民主権への憲法の変遷は、

憲法制定権力が、国王から国民に移行したと捉え、

そこから憲法改正限界説は発展したのです。

まさに南出氏の記述は、日本国憲法は帝国憲法と関係のない

新たな根本規範に基づいた憲法であるという説を裏付けるものとなります。


私の指摘に対して南出氏が「革命を正当化する論理だ」と反論しましたが、

そもそも改正限界説には革命を正当化する論理が入っていることを

知らなかったことが露呈しただけのことでした。

私は憲法学の通説である改正限界説を支持していません。

まさに革命を正当化するドイツ系法学がベースにあるからです。


南出氏が憲法学の通説を支持しないにしても、

通説の存在や、その理論を知らなかったことは致命的欠陥であり、

その前提で述べられた憲法の主張は、

およそ憲法学の学説と呼ぶことはできないのです。


わが国の憲法学会の主流の考え方は、帝国憲法から日本国憲への改正は、

主権(憲法制定権力)が天皇から国民に移行していることから、

改正の限界を超えており、帝国憲法と現行憲法は法的に断絶しているいう説です。

したがって、戦前と戦後は国家が断絶していることから、

戦後、日本国憲法と共に新しい国家が誕生したと考えているのです。


南出氏が憲法学や、わが国の憲法学の歴史について

初歩的な知識も持ち得ていないことは次の記述からもよくわかります。

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帝国憲法も天皇主権だとする真っ赤な嘘の主張をするもの者がいます。

しかし、帝国憲法は、天皇は統治権の総覧者であり、主権者とは規定していません。

(中略)そもそも、天皇主権という概念は、帝国憲法にはなく、

いわゆる天皇機関説論争において、これに対抗する天皇主権説なるものについて、

昭和天皇は、これを否定されていました。

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天皇機関説論争というのは、

憲法学上の“天皇主権”という前提で論じられているということをご存じないようです。

「天皇主権説」で、統治権は天皇に属するという主張したことに対し、

「天皇機関説」では、統治権は国家にあり、

天皇は最高機関として最終の意思決定権があるという主張したのです。

何が違うのかといいますと、わかりやすく説明するため

サウジアラビアを例に考えてみましょう。

サウジアラビアという国名は、「サウードのアラビア」という意味です。

つまり、「サウード家の国」ということです。

国民はサウード家の家人となります。

条約はサウード家と外国の約束事。


天皇主権説だと日本もこれに近い考えになると、天皇機関説は批判しました。

天皇機関説では、国家を一つの法人であると捉え、

天皇はその中で最高意識決定機関になると考えました。

国家の中に議会や内閣など様々な機関が存在するなかで、

天皇は最高機関に位置するということです。

ちなみに、これはドイツの公法学者・イェリネックの「国家法人説」がベースになっています。


要するに、天皇機関説論争というのは、

統治権という意味での主権の所在を争ったのであり、

「天皇主権」か「国家主権」について論争したのです。

すなわち「天皇主権vs国家主権」と「天皇主権vs国民主権」は、

別次元の論争とされていました。

わかりやすくいえば、「天皇主権vs国家主権」というのは、

専制君主制なのか立憲君主制なのか、ということが争われたのです。


現在の感覚ではよくわからないかもしれませんが、

例えばロシア帝国は最期まで専制君主政でした。

天皇機関説論争があった頃の時代背景としては、

まだ立憲君主制が当たり前の認識ではなかったので、

憲法の運用について、専制君主に近いかたちで運用するのか、

それとも天皇の権限を明確に制限した形での立憲君主制に徹して運用するのか、

そこを学術議論で争われたのです。

学術論争としては当然に天皇機関説が勝利しました。

帝国憲法が立憲君主制を前提にした憲法としてつくられたことは明白です。

ところが、政治の運営としては天皇機関説が排除されていきました。

それが天皇機関説事件です。

いずれにしても戦前において、憲法学でいうところの「主権」は天皇にあり、

日本は国民主権ではなく君主主権の国であると学問的には考えられてきました。


天皇機関説の提唱者である美濃部達吉自身も、ここを混同してはならないと述べており、

美濃部は国家主権という枠組みの中で、

日本は国民主権ではなく君主主権であるということを主張しています。


天皇機関説論争と、天皇主権・国民主権の話がよく混同されて、

誤解した見解が見られますが、ここを把握していないと、

どの立場にあるにせよ憲法学の議論は絶対にできません。

単なる素人床屋談義となってしまいます。

戦前から続くわが国の憲法学をベースに論じる以上、

憲法無効論なる結論を導くことはできないのですが、

南出氏の主張の難点は、その憲法学の改正限界説を用いて

憲法無効論を述べていることです。

これまでの改正限界説では憲法無効論は導くことはできません。

南出氏が自分の改正限界説は既存の憲法学と異なるのだという主張を行うのであれば、

ドイツ系法学とベースにした日本のこれまでの法哲学と

異なる憲法学を構築するべきでしょう。

戦前からの憲法学を用いて憲法無効論を主張するのは、

単なる無知・無学を露呈することになるだけとなります。


天皇主権と国民主権


ところで、美濃部達吉も述べたとおり、

わが国の憲法学では、立憲君主制の中にも、天皇主権と国民主権があると考えました。

立憲君主制という枠組みの中で、天皇主権(君主主権)と国民主権で何が違うのか、

という疑問があるかと思います。

これはどういうことかと説明しますと、

日本の政治が立憲君主制であるということを決めているのは、

天皇なのか国民なのか、ということです。

天皇が決めた立憲君主制なのか、国民が決めた立憲君主制なのか、ということです。

つまり戦前は形式上、天皇が立憲君主制という制度を選択したということになります。

立憲君主制にするかどうか最終的に決定する権限が天皇にあったので、

それを憲法学上、天皇主権であると考えました。

戦後は国民が立憲君主制を選択しているという解釈により、

憲法学上で国民主権と考えるようになりました。


立憲君主制を決める権限は何かというと、憲法の発議権です。

帝国憲法は天皇の発議のもと制定され、憲法改正の発議権も天皇にあったので、

立憲君主制をやめるか続けるか、それを決定する権限は天皇にあったということです。

これを欽定憲法(君定憲法)と呼びました。

日本国憲法では、憲法改正の発議権は国会議員にあり、

国会議員を選ぶのは国民であることから、国民が定める民定憲法であり、

国民が立憲君主制を選んでいることで、国民主権になると考えるのです。


こういったことをベースに、帝国憲法から日本国憲法への変遷は、

国家主権という枠組みのもと、天皇主権から国民主権への移行となり、

改正限界説によれば欽定憲法改正の対象物は、当然に欽定憲法に限定されるのであり、

欽定憲法の“改正”による民定憲法の成立は、理に反するとして、

この実質は憲法改正ではなく

旧憲法の廃棄と同時に新憲法が制定されたものであると考えたのが、

憲法学会の通説となったのです。


ここで一つ、ちょっと待ってください、と言いたくなることがあります。

そもそも立憲君主制というのは、憲法により絶対的な君主の権力を制限し、

国民の権利を確保する制度です。

歴史的には君主から国民が勝ち得たものとなります。

西洋では「君」と「民」は利害対立関係になりますから、

民が権限を勝ち取ることにより、立憲政治が実現するのです。


日本の場合は、古来、天皇の権威のもと、

その下にいる権力者が政治を行ってきましたから、

例えば、天皇が征夷大将軍を任命して、将軍が幕府を開いて政治を行う。

わが国ではそもそも立憲君主制のような状態が続いてきました。

天皇と民は利害対立関係ではありませんから、

“君民一体”のかたちがありました

したがって、明治時代に初めて近代憲法を制定するとなったときにも、

いきなり立憲君主制が採用されたのです。

国民から強い要望や闘争があったわけではなく、

明治の元勲たち、権力者側から立憲君主制が持ち出されました。

この事実だけを見ても世界に類例のないこととなります。

日本は古来、立憲君主国家であったことから、

天皇主権など存在しないのです。


天皇が発議する欽定憲法だったから天皇主権と判断するのは、

その憲法学が間違っていると考えるべきではないでしょうか。

君主主権や国民主権というのは、

君主と国民が利害対立関係という前提があってのことです。

日本で初めてとなる近代憲法の制定について、プロイセンの憲法を参考としたことから

戦前の憲法学はドイツ系の法哲学が中心となって、天皇主権という概念が登場しましたが、

そもそも日本には天皇主権も国民主権もないのです。

時代的にたまたまその時に憲法の発議権が天皇にあっただけで、

誰に発議権があろうとも、天皇と国民は一体の関係であり、

天皇を中心とする国制は不動・不変の国体であるという

憲法学を確立するべきだと考えます。


現在の日本が、国民主権なのであれば、江戸時代は徳川主権となるでしょう。

江戸時代の天皇は、形式的にも現代より個々の政治に関与することは少なかった。

安土桃山時代は豊臣主権、室町時代は足利主権、鎌倉時代は北条主権。

そのような馬鹿な話にはならず、日本の国内に主権なる存在はなく、

政治を決定する権限が、武士から元勲、そして国民に移っていっただけで、

天皇の役割は、古来、一貫して何も変わっていないのです。

日本国憲法第1条の象徴天皇について、

昭和天皇が「日本の国体の精神にあったこと」を仰せになったのは、

そういうことではないか思うところです。



日本国憲法は講和条約という妄想


新無効論では、日本国憲法は憲法としては無効であるが、

講和条約としては有効という滑稽な主張が展開されています。

要するに、日本国憲法は無効であると主張すれば、

戦後にこの憲法下で成立した様々な法律はどうなるのか、

法秩序は混乱するのではないか、という指摘に対応したものです。

新無効論では、現在も帝国憲法は現存しているという前提のもと、

日本国憲法は講和条約として一般法の上位に位置していると主張しているのです。


しかし、講和条約というのはあくまで条約なのであって、

条約がなぜ国内法として機能するのかがよくわかりません。

「真正護憲論(新無効論)の概説」というパンフレットでは、

「講和条約の国内法的投影として運用されてきたことは認めますので、

その意味では法的安定性を害することはありません」と説明されていますが、

これだけ読んで意味のわかる人はほとんどいないでしょう。


別の項では

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「占領憲法は表面上は憲法の顔をしており、講和条約の顔をしていません。

ですから、講和条約であると評価するとしても、

それを国内的に受け入れること(国内的受容)を義務付ける規定がありません。

つまり立法条約(国内的受容を義務付ける条約)ではありません。

ですから、たとえバイパスを通して国内系に入ってきたとしても、

改めて立法化されないまま、実際は占領憲法が慣習法的に運用されています

--------------------------------------------------

と説明している。

これでも意味のわかる人は果たしているでしょうか。


その後の説明を引用してもわけがわからないと思いますので、

私がかみ砕いて説明しますと、彼らがいう日本国憲法という講和条約について、

国民主権を表した条項など規範国体に反する部分は「違憲無効」となる。

帝国憲法に規定に反するが国体に反するとまではいえない部分は

「違憲の慣習法」として無効とはならない。

帝国憲法の規定に反しない部分は「合法の慣習法」として運用されているという。

例えば、参議院などは帝国憲法の規定に反するが、

国体に反するとまではいえないので「違憲慣習法」として運用しているとのこと。

「違憲慣習法」については、まったく意味がわかりません。

法律には有効か無効のどちらかしか存在せず、違憲の下位法は当然に無効です。

それについて「“違憲合法論”という得体の知れない怪物を取り扱う法哲学の領域」

などと南出氏が自分で言っているのだから、笑わずにはいられない内容です。

こんなことを一国の政治で真面目の論じられるとはとても思えないものです。


「違憲合法論」などという理屈はまったく意味がわかりません。

どう考えても違憲は無効になるはずです。

それを立法化せずに慣習法として運用すれば、

なぜ有効となるのかまったく理解することができません。

彼らがいう日本国憲法という講和条約を国内法として立法すれば、即無効です。

それを立法化せずに慣習法として運用すれば無効にはならないと説明しているのです。

こんなもの主張している本人以外に理解できる人はいないでしょう。


事実、新無効論を支持している人にこの問いを投げかけてみると、

答えることのできる人は、誰一人としていませんでした。


ともかく、学術的な解説をつけくわえると、憲法と条約の関係については、

一元論と二元論という学説がありますが、

そういったこと以前に条約には自動執行性という性質があります。

国際的に結ばれた条約は、国内的な手続きがなくても、

そのまま国内法としての効力を持つということです。

もちろん自動執行性を持たない条約もあります。

例えば「平和を愛する」といった抽象的な政治的宣言のようなものです。

先の引用文で南出氏は日本国憲法は講和条約であるとして

「立法条約(国内的受容を義務付ける条約)ではありません」と言い切っており、

彼が使った立法条約という用語は自動執行性にあたると思われるが、

自動執行性を有するかどうかは目的・内容・文言等から総合的に判断されるものです。

日本国憲法には権利義務規定が明確に記されていますから、

仮に条約なのであれば自動執行力を持つと考えるのが一般的です。


自動執行力(国内的受容を義務付ける条約)がないといっておきながら、

「講和条約の国内法的投影として運用されてきた」というのは、明確に矛盾します。

国内法的投影ができないからこそ、自動執行性がないのであって、

国内的投影ができるのであれば自動執行性があるという結論になります。

ひょっとすると南出氏は自動執行性の意味を理解していなかったということも

十分に考えられます。


自動執行性があるとなれば、国内法的効力は認められますが、

条約の内容が憲法に違反する場合は、当然に憲法が優位となります。

憲法に違反する条約は、国内法としての効力は認められません。

南出氏は自動執行性はないが国内法的に受容するという、

これまでの法学論の常識ではありえないことを述べているわけですが、

その点について何ら説明がなされていません。

自動執行性の意味を理解していなければ無理もないことです。


憲法には無効理論は存在しない


法学では、民法などには無効理論は存在しますが、

そもそも憲法学には無効理論は存在しません。

世界中で憲法が無効になった事例は一度もありません。

民法では、意思表示や契約など第三者が絡んできますから、無効理論は必要です。

しかし、憲法はその国だけの問題ですから、無効だと思うなら破棄するのが普通です。

第二次世界大戦でフランスはナチスドイツに占領されて、

ペタン憲法なるものを制定されますが、

戦後にド・ゴールが亡命先のロンドンから帰還するとすぐに、

ペタン憲法は破棄して、新しい憲法を制定しました。

これが世界の常識です。


法学の世界では憲法に無効理論など存在しないのですが、

そこに民法の無効理論を持ち込んだのが新無効論です。

無効理論の核心は、「無」から「有」は発生しないということで、

無効な法律行為はそもそも有効に成立していないのであるから存在せず、

永久に無効となります。

その法律行為にさかのぼって無効になることから、

その行為の以後の法律行為はすべて無効ということです。

これを「遡及的無効」(遡及効)といいます。


それでいうなら帝国憲法に反する国内法は何であっても無効となりますから、

帝国憲法違反である参議院を通過して成立した法律はすべて無効となるはずです。

「無」から「有」は絶対に発生しない。

ところがその点については「違憲合法論」などとわけのわからないことで誤魔化そうとする。

無効論であるなら、有効なのか無効なのか徹底的に論じなければならないはずです。

ましてや民法の無効理論を持ち出しているのですから、

憲法違反で無効である部分を曖昧することなど許されるべきではありません。

無効論者が都合よく「無効」を曖昧に処理するなど、

自分勝手以外の何ものでもありません。


新無効論というのは、基礎憲法学を学んだことのない

南出氏の頭の中だけで作り出した「世界」であり、

よくいえば設計主義、率直にいえば「妄想」に過ぎないということを、

よくわかっていただけたと思います。


帝国憲法との連続性の確認を


新無効論が完全に論理破綻しており、

法学理論も何もない無茶苦茶な論理であることはわかっていただけたと思いますが、

それでは、戦前と戦後は断絶したという憲法学の通説に従うしかないのでしょうか。

私は憲法学の通説を支持していません。

日本国政府は戦前も戦後も連続していると考えているし、

政府もそれを前提で動いてきました。

現行憲法の制定に向けた国会の審議においても、

この憲法が施行された場合でも国体の変更はないということが確認されています。

天皇を中心とする国家のあり方は何も変わっていません。

憲法学で勝手に作られた「帝国憲法(欽定憲法)=天皇主権」

「日本国憲法(民定憲法)=国民主権」という定義に当てはめると、

憲法改正の説明ができないといっているのが憲法学会であり、

机上で考えて現実の説明がつかないから国家が断絶したと結論づけているのです。

「現実」より「机上」を重視しているのがわが国の憲法学会です。

学問とは現実社会のために存在するのであるから、

「現実」と「理論」がかみ合わないのであれば、

天皇と共に国家が存続している「現実」に沿った「理論」を構築しなければならないのです。


新無効論者は、一瞬たりとも日本国憲法がわが国の憲法となるなら

国体は破壊されていると主張しています。

しかし、天皇陛下をはじめ、政府、国会、裁判所、国民の99・9%以上が

日本国憲法を憲法という前提で動いていますが、

天皇を中心とする国家は続いています。

憲法学者以外は、誰も日本国家が断絶したなどと考えていない。

国体は一貫して続いているのです。

これが現実です。


既存憲法学も新無効論も、「現実」より「理論」を尊重するが故に

現実にそぐわないおかしな結論を導くことになります。

我々は素直に現実を見つめ、

帝国憲法からの連続性を前提として、

未来に向けて正しい憲法をつくっていかなければならないのです。

国体が存続しているからこそ、

天皇のもと帝国憲法の改正により現行憲法が制定されました。

国体が存続しているなら、天皇のもとで再度、現行憲法から新しい憲法に改正することが、

もっとも正統なる道ではないかと考えます。








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