天皇の存在しない国体などない




わが国の歴史がはじまって以来、二千年以上一度も変わらず続いていることといえば、

皇室のご存在と、そこで受け継がれる万世一系の皇統である。

それ以外のことについては、時代時代によってゆるやかな変化を繰り返しながら

現在にまでいたっている。

文章を漢文で作成していた時代もあれば、ひらがな用いるようになったり、

平安時代にあった言葉や風習でも江戸時代になくなっているものは無数にある。

国体というのは天皇を中心としながら歴史のなかでゆるやかに形成されてきたもので、

何が国体であるかということは、人間の理性で断定したりすることなどできるものではない。

強いて国体について言及するなら、

天皇と民が一体となって国が運営されていることだろうと発言すると、

また憲法の「新無効論者」が絡んできた。

(※次のやりとりは、私が現代漢字仮名使いに直している)

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谷田川惣 @yatagawaosamu

国体ということについてあえていうなら、

天皇と国民が一体となって国が運営されていることだろう。

現在も国体が続いている。

それ以外で勝手に右翼(新無効論者)が頭の中で国体を定義し始め

「お前の考えは規範国体に反する」、「これが規範国体だ〜!」

なんてみんなが言ったら全体主義に陥るだろう。

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【古史微開題記】ウカヰク @Kwikau45

国体の継続とは、何も皇室に限定して表す概念では無く、ほかの事柄にも用いられる。

仮に皇室が廃絶した場合でも国体の継続と云う論は成立する。

ゆえに「国体の継続」と云ふ詞を以て事共を正当化しようとするのは危険な概念である。

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谷田川惣 @yatagawaosamu

天皇のいなくなった日本はもはや日本と呼ぶことはできません。

天皇の存在しない国体などありえない。

正体表したな新無効論者。

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【古史微開題記】ウカヰク @Kwikau45

貴方の云う国体の構成要素とは皇室しか無いのですか。

皇室が廃絶されれば日本で無くなる事と、

国体なる概念が何を意味するかとは全く意を異にする話であり

、全く違う話を持ってきて同列に論じるのはサヨクが良くする論法ですよ。

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谷田川惣 @yatagawaosamu

そうではありませんが、何が国体かは今いる人間ごときが断定できないと言っているだけ。

「仮に皇室が廃絶した場合でも国体の継続と云う論は成立する」

と述べる貴方とは根本認識が異なるのです。

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【古史微開題記】ウカヰク @Kwikau45

「そうではありませんが、何が国体かは今いる人間ごときが断定できないと言っているだけ。」

と云いながらも、自ら「国体の継続」を云々している自家撞着に

全く気付いていないのが不思議ですな。


或時には「国体の連続性」を以て論理を展開し、或時には「国体は断定出来無い」

と云う貴方の其の論理の一貫性の無さは最早意味が解りません。

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谷田川惣 @yatagawaosamu

私は人間が国体を断定できないと考えますが、

二千年間一貫して続く皇室ぐらいは国体と断定できるだろうと考えます。

貴方は人間が国体を断定でき、

皇室が廃絶されても国体が存続するという論も成り立つと言った。

自家撞着ではなく私と貴方の根本的な考え方が異なるだけのことです。

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【古史微開題記】ウカヰク @Kwikau45

それならば大和言葉の仮名遣もそれなりに国体と認めうる筈ですが、

憲法改正に因つて其の正仮名遣が現代表記に改められる事を

「国体の連続性」が絶たれるとは御考へにはならないのでしょうかね。

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やりとりはここで終わり。

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谷田川惣 @yatagawaosamu

新無効論者がとうとう「皇室が廃絶されても国体は存続するという論も成り立つ」と言い出した。

民族派右翼が左翼に似てくるというのは戦前から同じだ。

万世一系の天皇を軸にゆるやかな国体が形成されるということが理解できず、

オレ流国体論を展開する。

それが理性主義だということをわかっていない。

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上念 司 @smith796000

完全に化けの皮が剥がれましたね。もちろん仮面の下はコミンテルンでしたがw

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今回はあっさり終了させた。

皇室が廃絶されても国体は存続するということが成り立つと考える人間と、

これ以上国体について論じても無意味だろう。

国体護持塾の「国体」とは何であるか、ますます疑念が深まった。


上記でも述べたが、私は天皇と国民の関係だけが国体であると考えているわけではない。

この新無効論者が指摘するように言葉もまた国体を形成しているだろう。

しかし、ある特定の仮名遣いなどが改められたからといって、

即座に国体が断絶するなどというのはありえないと考える。

即座に国体が断絶したといえることがあるとすれば、

それは皇室が廃絶されることであるというだけのことである。


すべての日本人が祭りごとをやめて、言葉を捨て、英語を話しはじめたら、

天皇と国民がそこにあっても、もはや国体ということはできないだろう。

しかし、それらは表裏一体であって、

祭りや言葉を捨てた日本に天皇が存在しているわけがないのだ。

天皇と国民が一体となる国のかたちがあるからこそ、

日本人は祭りを行い、国語を使うのである。


天皇の存在しない国体も成り立つのであれば、

新無効論者は、天皇は数ある国体の一部に過ぎないという考えになる。

私は天皇を中心にゆるやかな国体が形成されると考えるが、

彼らはそれを否定するのだから、日本人としての根本的な認識が異なるのだ。


要するに自分の頭の中で考える国体が最上位になってしまっているということだろう。

それは頭の中で設計された国体であり、設計主義という理性主義に他ならない。

そして新無効論者の頭の中で完成している国体を日本人全員に押しつけようとしているのだ。

これはもはや宗教の領域であり、かなり原理主義的な危険な考え方だといえるのではないか。


繰り返しになるが、日本は長い歴史のなかで

天皇を中心としてゆるやかな国体を形成してきた。

時代時代に様々な文化や風俗が花開いた。

消える文化もあれば、新しく生まれる文化もある。

何が国体かということを一時代の人間ごときが断定すれば、

その人の頭の中で考えた国体観による教条主義へと変貌していく。


人間は不完全であり、人間の理性が絶対ではないからこそ、

長い時間に耐え抜いた伝統を中心にしながら

ものごとを進めていこうとするのが保守の考え方であるが、

人間が国体を断定できるのであれば、そこでもう人間が完全化してしまっているのであり、

もはや左翼的な進歩主義と同じことに陥っているのだ。


人間というのは過去・現在・未来と変わらず不完全な存在であり、

そんな不完全な人間でも何とかうまくやっていくヒントが伝統のなかにある。

何が伝統であるかということを謙虚になって感じながら、

将来に向けてゆるやかな国体を引き継いでいくのが、

本来あるべき保守の考え方ではないだろうか。







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