高森明勅氏に反論する
〜「女系を容認しても天皇の歴史的正統性は失われない」についての考察〜
ある事柄に対して歴史的正統性が存在するかどうか、
わずか一世代の人間に判断できるのだろうか。
『別冊正論・皇室の弥栄、日本の永遠を祈る〜皇統をめぐる議論の真贋』
で高森明勅氏の「女系を容認しても天皇の歴史的正統性は失われない」という論文が掲載された。
自分がいま新たに歴史的正統性のあるものを創出することができるか。
そんなことができるわけがないのは誰にでもわかるだろう。
言うまでもなく歴史的正統性とは時間と共に作り上げられるものであって、
一個人が突然に考え出したりできるものではない。
そのことを踏まえた上で、高森氏の記述がいかに理性主義であり、
プロパガンダに満ちあふれているかということを指摘する。
----------高森明勅----------
誤解していただいては困るのは、私とて「男系の重み」は十分承知しているつもりだし、
可能なかぎりそれを尊重すべきだと考えている点では、八木氏と同じ立場にあるということだ。
例えば本誌平成16年7月号に掲載した拙稿「改めて問う、『女帝』は是か非か」でも、
「皇位継承における男系主義の伝統はたしかにあった。その事実はみとめなければならないし、
十分尊重されるべきである」と明言している。
つまり「女系容認」の高森といえども、「男系の重み」をないがしろにするつもりは毛頭ないのだ。
(191頁)
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「日本の天皇の男系継承は、美風として誇るべき伝統とは言えない!
シナ・朝鮮の家族制度を十分に日本化せず、不完全に模倣した「因習」に過ぎない!」
とする『新天皇論』のあとがきには
「高森明勅氏には・・・・最終的なチェックをお願いしたが、快く引き受けていただいた」とあるように、
共同著作物として扱われても文句は言えないだろう。
「男系の重みをないがしろにするつもりは毛頭ない」のであれば、
そのような作品の制作に名を連ねるのは辞退するべきではないか。
これについてどのように説明するのだろうか聞いてみたい。
いずれにせよ、上記の記述は高森氏のプロパガンダを解明する上で不可欠であることから、
まずは冒頭に掲げておいた。
のちに重要な意味をもたらすことになる。
----------高森明勅----------
現在の典範では、皇位継承の資格をめぐる制約が、
歴史上かつてない極めて窮屈なものになっている事情を指摘できるだろう。
具体的には、
@皇統
A嫡系(正妻たる皇后の所出もしくはその系統)、
B男系
C男子
D皇族
の5つの条件を全てクリアしている方のみ、皇位継承者を認めるのが現制の立場だ。
これほど窮屈な制約は、全く前例がない。
かかる制約を放置すれば、いずれ皇位継承者がおられなくなるのは、火を見るよりも明らかであろう。
(192頁)
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極めて窮屈な制約をすべてクリアする必要があると言うが、
@とDは当たり前であり、
Cはこれまでの女帝に独身の原則があったことを考えれば、事実上同じである。
Bは歴史上一貫していることであるから、問題はAの嫡系であろう。
ところが、乳幼児死亡率の低下とのバランスを考えると、
庶系(正妻以外の子)を認めないことが、それほど問題にならないことは、
新田均氏をはじめすでに論じられていることである。
つまり、前例がないほど窮屈な制約というのは、言い方の問題であって、
これまでの歴史と比べて、実はそんなに窮屈になっているというわけではない。
わざと5項目を並べて、制約の多さを印象づけるプロパガンダと考えられる。
----------高森明勅----------
(旧宮家の皇籍復帰について)女性宮家への入夫とか廃絶に瀕した宮家の養子になるなどの形で、
首尾よくそのことが実現した場合でも、A(嫡系)の条件が緩和されないかぎり、
早晩、男系継承は行き詰まるほかない。
なぜなら、そこでも正妃との間に代々にわたって必ず男子がお生まれになる保証はないからだ。
私はこの提案に反対するつもりはないが、Aを前提とするかぎり、
それがうまく運んだ場合でも、結局は問題の先送りにしかならないことを知っておく必要がある。
(193頁)
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「正妃との間に代々にわたって必ず男子がお生まれになる保証はない」というのが、
これまた印象操作である。
2人、3人男子が生まれる場合もあれば、女子しか生まれない場合もある。
代々生まれる必要などなく、男子が多く生まれた宮家が継承していけばいいだけのことだ。
庶子継承を認めないフランスでは、
二つの宮家で800年以上にわたりユーグ・カペーの男系継承を続けたし、
最終的に断絶した理由は、男子の不在ではなく革命であった。
ただし、血統でいえば、現在のスペイン王家や、フランス国内にもオルレアン家が
王位請求権者として現在まで続いている。
高森氏が庶系継承なしに男系継承は不可能と考える根拠は、
「これまでの皇位継承の実例が、過去124例中、59例が庶系継承であった」としているが、
それはわが国の皇室における乳幼児死亡率が飛躍的に高かったという特筆すべき点であって、
庶子継承がなければ男系維持はできないなどという論理は、
西洋の王室では通用しない。
自国の歴史しか知らない「たこつぼ史観」である。
旧宮家の復活について
「私はこの提案に反対するつもりはないが、Aを前提とするかぎり、それがうまく運んだ場合でも、
結局は問題の先送りにしかならないことを知っておく必要がある」
と述べるのであれば、
さしあたって旧宮家の復活を実現したのちに女系容認でも良いということになるではないか。
勝手な「たこつぼ史観」で結論を出すのではなく、
旧宮家の復活後に「そら見たことか」と言えばいいではないか。
チャンネル桜の討論会「皇位継承について考える」でも同案に反対していたことからもわかるように、
そんな気はさらさらないが、
プロパガンダ工作として述べているということは間違いないだろう。
----------高森明勅----------
継体天皇や光格天皇などのように傍系から皇位につかれた天皇の場合、
先帝の姉や皇女などと結婚されることで、その後の血統を直系に近づける配慮がなされた。
明治以降も、明治天皇や昭和天皇の内親王に傍系の宮家に嫁いでいただくことで、
直系との血縁の距離を縮めることが図られている。
もし女系が皇統としての意味をもたなければ、
これらのことが一体何のためになされたのか、全く説明できなくなる。
(195頁)
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完全に本末転倒のすり替え論法である。
もし女系が単独で皇統に含まれるのであれば、
なぜ傍系の宮家に嫁がせる必要があったのか。まったく説明ができない。
男系のところに嫁がなければ、女系の血統は単独で皇統とは認められないという証明ではないか。
確かに歴史的には女系がそれなりに重視されていたのは事実であるが、
それは男系という枠組みの中でのことであり、傍系の血統を安定させる要素となっていた。
つまり、皇女の結婚というのは「手法」であり、「目的」は宮家の男系を安定させるということにある。
それを「手法」と「目的」を逆転させて、新たな理屈を構築するという悪質な論法である。
----------高森明勅----------
(養老令継嗣令について)シナ父系制に由来する「姓」の概念が支配的だった時代に、
女帝が臣下の有姓者と結婚すると、その皇子は姓を帯びることになって、
ここに皇統は断絶したと考えられるほかないから、
女帝の配偶者は皇族(親王・諸王)に限られるが、
その皇子については最高法規たる令文をもって、
女系と位置付けられたのである。
(196頁)
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「女帝の配偶者は皇族(親王・諸王)に限られるが、
その皇子については女系と位置付けられた」というのは単なるこじつけ、
屁理屈以外の何ものでもない。
女帝の配偶者が皇族に限られたのであれば、それはどのように考えても男系であろう。
皇統とは、あくまで「血統」の話である。
皇族の中の誰から皇位を譲り受けたかという問題ではない。
血統において、125代天皇のすべてに共通しているのが、
神武天皇の男系子孫であるということだけである。
つまり、血統には「単系(男系)」か「非単系」以外には存在しない。
継嗣令が女系を認めていたと言ってみても、
「非単系」を認めていたわけではない。
それで済む話である。
----------高森明勅----------
(養老継嗣令について)この実例を探すと、元明天皇の皇女、氷高内親王を見出すことができる。
氷高内親王は元明天皇と草壁皇子の間に生まれたが、
草壁皇子の子であれば「女王」とされるべきところを、
同条の規定によって「女帝の子」ゆえ「内親王」とされたのである。
氷高内親王は皇位を継承して元正天皇となられた。
ここに女帝の子が皇位についた実例を指摘できるのである。
(196頁)
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これは同じ『別冊正論』内で新田均氏による小林よしのり批判の中に、
まったく同じ指摘がされていることから、繰り返しになるが、
皇位継承者は親王に限るものではない。
王や女王も皇族であるから即位できる。
新田氏は「継嗣令」は女帝の子が親王でなかった場合、親王に格上げできる規定であると説明している。
つまり、高森氏は氷高が女王ではなく、内親王だったから即位できたような書き方をしているが、
女王のままでも即位できるのであるから、「継嗣令」とは関係がない。
さらに少し細かい話を述べると、草壁皇子は本来天皇になるべき人だったということで、
死後、追尊というかたちで天皇と同格に扱われている。
岡宮御宇天皇(おかのみやにあめのしたしろしめしし)という名前である。
追尊されたのは758年で、元正天皇の即位からは後になるが、
当時から草壁皇子は事実上天皇と同格に考えられていたことが伺える。
さらに元正天皇を内親王と記したのは「続日本紀」であって、
それが編纂されたのは平安時代初期である。
さらに「旧譜皇統譜」にも草壁皇子は岡宮天皇と記されている。
したがって、氷高内親王は、元明天皇の娘だから内親王ということではなく、
岡宮御宇天皇の皇女という意味で内親王であったと考えられる。
専門家というのであれば、ここを省略してもらっては困る。
----------高森明勅----------
八木氏は本誌前月号の一文で、やはり「ある方面」から令文の「女帝の子」は
「具体的に想定されている人物がいる」との「教示を受け」
それは「漢皇子」(斉明天皇と高向王との間の子)であったとし、
その上で前出の「いわふる専門家はなぜ・・・」との非難を投げかけておられるのだ。
だが漢皇子が生まれたのは7世紀前半のことで、
その頃にはいまだ『養老令』はおろか令制そのものが施行されていない。
『養老令』が編纂された養老年間(717〜724)にもし漢皇子が存命中だったとしても、
90歳以上の高齢だ。
そんな一人の人物のために国家の基本法の条文が整えられるようなことが考えられるだろうか。
ある方面とは小中村清矩の「女帝考」だ。
(196頁)
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なんと高森氏は小中村清矩氏の論を曲解し、
漢皇子を親王とするために「継嗣令」を制定したというふうに受け取っているのだ。
おそらくわざとだろう。
しかし、漢皇子(実際は漢王)は、2歳で夭折しているので、
年代的に養老令とは何の関係もないことは、高森氏に指摘されるまでもない。
ましてや90歳以上などということにはならない。
小中村清矩氏や池辺義象氏らは、あくまで漢皇子のようなケースを"想定"して、
「女帝の子もまた同じ」という訳注をつけたのではないかと述べている。
つまり、前夫(皇族)との間に子供がいる場合を想定したということである。
高森氏らしいすり替え論法である。
----------高森明勅----------
いずれにしても、私が『養老令』の規定に注目するのは、
「女帝の子」がまさに公法によって女系と位置づけられていることにある。
この点を否定する有力な反証が現れないかぎり、
女系も皇統に含まれ得る根拠として同条を挙げることは、決して不当ではないだろう。
(197頁)
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すでに「女帝の子」が神武天皇の非単系血統になりようがないということは説明しているが、
もう一つ有力な反証を紹介しておこう。
「女帝」というのは日本でつくられた和製漢語であるが、
大宝令の時代までに「女帝」という単語が使われていたという事実が存在しない。
古代最後の女帝となる称徳天皇崩御以降に使用された用語であるといわれている。
まったく公式に使われていない用語が、「国家の基本法の条文」に使用されるだろうか。
中川八洋氏によると「女帝子亦同」は、
「女(ひめみこ)も帝(すめらみこと)の子また同じ」と訳すべきだと述べる。
この主張には説得力があって、「継嗣令」には皇女・女王についての記述がまったく存在しない。
皇女・女王の規定がないということは、そもそも女帝が誕生しないということになってしまう。
そこで、「女帝子」を皇女とする訳注であると考えると、
継嗣令のすべての条文に辻褄があうということだ。
高森氏は他人の反証を求める前に、大宝令制定時に「女帝」という用語が存在したということと、
「継嗣令」に内親王・女王の即位規定が存在しないことについて説明する必要があるだろう。
----------高森明勅----------
現典範では「皇統に属する男系」という規定になっている。
これは一方に「皇統に属する」女系を前提にしていなければ、あり得ない表現だ。
もし皇統イコール男系ならこれは「男系に属する男系」、
つまり「白い白紙」といった重複表現になってしまう。
したがって、すでに典範そのものが、皇統には男系・女系両方が含まれ得るが、
条文として「男系」に限定するという考え方に立っていたのである。
(197頁)
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これについては同じ『別冊正論』内で新田均氏によってすでに完全なる説明が行われている。
私が繰り返すまでもないが、明治の皇室典範作成時における
「皇統ニシテ男系」と繰り返した理由について、
明治21年5月28日の枢密院議事録で、伊藤博文がその理由について明確に説明している。
これは立法者意思なので法律論としては否定しようがない。
高森氏は歴史学者なので知らないかもしれないが、
法律の条文にはしばしば言葉の用法として理解しがたいものがあり、
立法者意思も確認しようがないので、判例で解決していることがある。
単に条文の用法だけで、皇統を論じることなどあってはならないが、
それにも増して皇室典範の場合は、立法者意思も明確となっていることから、
法律論としては、よほどの反証を示さないかぎり議論の余地はないということである。
----------高森明勅----------
したがって典範改正の焦点は、「女系容認」に踏み込んだ上で、
いかにしてこれまでの「男系優先」の伝統とバランスをとっていくかだ。
私は直系優先の原則に立って、
同じ系統の兄弟姉妹の中では男子を優先するのがよいと考えている。
(197頁)
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これが高森氏による宣伝工作の決定打である。
男系優先の伝統とバランス?
高森氏が述べる「同じ系統の兄弟姉妹の中では男子を優先」というのは、
姉妹だけの場合、傍系の男子より、女系を優先するというものである。
高森氏は愛子内親王殿下のご即位を主張しているので、
その場合、愛子殿下のお子様(女系)が、悠仁親王殿下より優先するという考え方である。
もっというと、仮に悠仁親王殿下がご即位され、皇子が二人いる場合、
皇太子に皇女しかおらず、弟宮に皇子がおられても、
皇太子の皇女及びその子供(女系)が優先されるということになる。
とても男系優先の伝統とバランスといえるものではない。
冒頭の記述を思い起こしてもらいたい。
《「女系容認」の高森といえども、「男系の重み」をないがしろにするつもりは毛頭ないのだ》
男系の重みをないがしろにしないのであれば、
「同じ系統の兄弟姉妹の中では男子優先」なのではなく、
「皇族内で男子優先」でなくてはならないはずだ。
つまり、高森氏は「男系の重みは十分承知している」とか「兄弟姉妹の中では男子を優先」と、
男系を尊重しているような言い回しをしながら、
皇太子から内親王しか生まれなかった場合、いくら近い傍系に男系男子がいようとも、
即座に「女系継承」を実現する提案をしているのである。
「男系優先の伝統とバランス」とは、まずは直系の男系男子を優先し、
それが不可能であれば、近い傍系から男系子孫を求めることではないだろうか。
さすがにここまで来ると、高森明勅氏のプロパガンダ工作には辟易するしかない。