田中卓氏の女系論を検証する

 

女系容認派の一つの支柱となっているのが皇學館大学の田中卓名誉教授です。

そこで、田中卓氏が女系容認論を発表されて話題となった『諸君』(平成18年3月号)に掲載された論文

「女系天皇で問題ありません」について、改めて論評してみたいと思います。

※同論文は悠仁親王殿下ご誕生以前に書かれたものです。

 

----------田中卓氏----------

「万世一系」は過去の歴史の成果ではあるが、国体の現在及び未来を展望して、

より重要な原点は「天壌無窮の神勅」にある。

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「過去の歴史の成果」と「天壌無窮の神勅」をどうして分離できるのでしょうか。

「天壌無窮の神勅」を万世一系で受け継いだのが「過去の歴史の成果」であって、

この関係は不可分ではありませんか。

「現在及び未来」のため、この不可分の関係を切り離し、女系容認論につなげるとは、

現状の結論から歴史を軽視する、

そして現状から独自に神話の解釈を導き出すというマルクス弁証法の構造です。

 

天壌無窮の神勅⇒過去の歴史の成果⇒現状及び未来の展望

 

これは不動の流れであり、この流れを変更するには、

革新思想的な発想を採用せざるを得ないのです。

どのように論理構築しようとも、結果的に歴代天皇を否定することになります。

 

 

----------田中卓氏----------

実際に歴史上、皇統の男子の約半数が皇后の嫡出以外の「皇庶子孫」である。

この事実を無視したり、或いは隠して議論する「男系男子」論者があるが、

それは偏向といわねばならない。

歴史や伝統を理解する上で大切なことは、公明正大な史実を基礎にすることである。

(中略)

旧来の側室制を進んで廃止して、近代的な一夫一婦の美風を実現されたのが、

他ならぬ英主昭和天皇であられた。

しかしこれは、明治の『皇室典範』(第1条)にいう皇統の「男系ノ男子」継承の立場からは、

将来に大きな危険をはらんでいた。

それ故、「女帝」も含めた改正をしておかなければならなかったのに、そのままに残され、

その上に、新旧典範では養子も認められない規定のため、

いまや現実に、男子の皇胤が絶えようとしているのである。

この明白な事実を無視して、どこまでも「必ず男系男子」をと主張するのは、

決して歴史の“伝統”でも“正統”でもなく、約5割の歴史的役割を果たした側室制に目をつぶった、

守旧で観念的な、無理を承知の横車に近いであろう。

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これまでわたしの主張を目にしていただいているかたなら、

どちらが公明正大ではなく、史実を基礎としていないか、

そして、無知の横車であるか、わかっていただけると思います。

 

明治以前の皇室では乳幼児死亡率が高かったが、現在は乳幼児死亡率はゼロに近い。

この事実をまったく無視した議論は公明正大と言えるでしょうか。

 

また、キリスト教国の王室は昔から庶子が排除されていましたが、

直ちに男系が断絶したなどという事実はありません。

フランスはカペー本家と、バロア家とブルボン家という二つの宮家で

フランス革命まで800年以上男系継承を続け、

現在でもブルボン系のオルレアン家がカペーの男系を継承しています。

 

なぜ二つの宮家で男系維持が可能だったのか。

それは一つの時代に三世代、四世代が同居するからです。

例えば、徳川家を例に出しますと、

5代将軍綱吉の時代にはじめて直系子孫の断絶危機が起こりますが、

このとき傍系の御三家に継承されていません。

甲府藩主をしていた家光の三男綱重の子である家宣が継承します。

これは徳川宗家の家督が断絶しても、ただちに御三家(傍系)に移動することはないという例です。

 

本家と宮家が2家でも男子が3人ではありません。

三世代が同居すると、それなりに男子が確保できる場合が多い。

 

我々が宮家が4ないし5家あれば、男系継承が安定するということに対して、

宮家もまた側室制度がなければ男系継承が不可能になるという批判があります。

それは短絡的な批判であり、男性が多くなる宮家もあれば、少なくなる宮家もあるでしょう。

一時代に三〜四世代が同居すれば、男性の多い宮家で調整しながら、

常時4ないし5程度の宮家を維持していくことは可能です。

三世代単位で考えれば、フランスのように二つの宮家でも十分対応できるのです。

 

昭和天皇が側室制を廃止されたとき、宮家はいくらあったでしょうか。

大正天皇系が3家、伏見宮系が11家。

「女帝も含めた改正をしておかなくてはならなかった」などという事実は存在しませんでした。

公明正大でないのは、明らかに田中卓先生だと思います。

 

 

----------田中卓氏----------

もし、今後も「男系男子」に固執すれば、やがて皇后となられる皇太子妃は、

どれほど優れたお方でも、その家系永続のためには、

お子様が女子では駄目、必ず男子を生まないと失格となるわけだから、

そのような、人格と生理とを無視した、非情ともいうべきリスクの大きいポストに、

進んで自ら就任される覚悟のお后選びは、恐らく至難となり、

昔のように、親の権威で娘に結婚を強いることも許されない現今、

むしろこの点から、“皇統断絶”の危機が生ずるであろう。

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これは「側室制度が男系継承に不可欠」という前提で述べられているものです。

上記で説明したとおり、宮家が複数あれば、普通に結婚して、普通に子供を産んでいれば、

男系継承はできていくのです。

一人の女性に必ず男子を生むことを強要されるなどという事態にはなりません。

 

かつて渡邊允前侍従長がインタビューで、紀宮さまのご結婚に際し、

「内親王のご結婚は、おいそれと決まるものではない」と述べておられたように、

皇位継承権のない皇女の結婚でも、皇太子妃選びの比ではないということです。

将来の女帝の結婚相手となると、想像を絶するでしょう。

 

田中卓先生の主張はあまりに一方的すぎであり、公明正大ではないと思います。

 

 

----------田中卓氏----------

「有識者会議」の女性・女系天皇を容認した報告書に対し、

反対論者は、これを“初めに結論ありき”だと批判する。

しかしこれも、為にする非難であって、上述のような危機的な現状のもとで、

「わが国の象徴である天皇の地位の安定的継承」を維持するためには、

先ず現在、唯一の御子である敬宮愛子内親王を念頭に、

女帝の是非を検討するのが、“第一の議題(A)”ではないか。

有識者会議が、それ以外を考慮して、

一部の反対論者が提唱するような戦後に臣籍降下された旧皇族の皇籍復帰まで、

正式の議題“第二の課題(B)”にすることは、“第一の課題”即ち女帝そのものが、

わが国の国体護持の上で不当ないし不可である場合において、

その次に考えられることである。

従って、(A)の女帝が日本の歴史・伝統の立場から、

容認されると判断した有識者会議が、“(B)の課題”にまで踏みこまなかったのは、

むしろ当然の成り行きである。

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本当にこれが「日本古代史の大権威」のお言葉なのか、目を疑いたくなります。

 

過去の皇位継承危機において、女帝を選択した事例は一つもありません。

歴史上、「女帝が存在したから容認される」というのは、

到底古代史の大権威が述べる言葉ではないはずです。

 

有識者会議が「女帝が日本の歴史・伝統の立場から、容認されると判断した」などというのは、

皇室の歴史に無知蒙昧であることから来るものです。

 

まず過去の歴史から智惠を拝借するのが保守の哲学となりますが、

田中卓先生は、「唯一の御子が皇女」という現実から、「過去に女帝が存在した」という

短絡的な結び付きだけで、「女帝・女系も可」という結論を導き出しているのです。

 

繰り返しになりますが、田中卓先生は現状から導き出した結論のために、

歴史を都合よく解釈するという典型的な弁証法となっています。

 

 

----------田中卓氏----------

有識者会議のメンバーの一人、法学博士園部逸夫氏(元最高裁判所判事、皇室会議議員)には、

『皇室法概論〜皇室制度の法理と運用〜』の大著があり、

私は今回、初めて繙読してみて、その労作に敬服した。

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『皇室法概論』は以前、この掲示板でも分析しましたが、

これを読んで、敬服したのであるなら、皇室廃絶論者と見なされても仕方がないでしょう。

 

『皇室法概論』の一部を抜粋してみます。

 

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天皇の自由意志によらない廃立であっても、象徴性・世襲制に反しない場合もありえないとは言えず、

直ちに違憲とはいえない。

 

天皇の退位については、認められないと解されているが、

憲法第13条の生命、自由及び幸福追求権及び、

同第22条の職業選択の自由との関係で問題になり得る。

 

皇族に対する皇籍離脱の制約は、生命・自由及び幸福追求権、

職業選択の自由との関係で問題になり得る。

 

象徴たる地位に、世襲による地位である天皇が就任する制度が、

当該自然人たる天皇の人権侵害にならないか・・・

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これが、園部という人物の真の姿なのです。

皇室に一般国民と同じ価値観を入れて、皇室を廃絶しようとする遠大な企てとなっています。

こんなものを絶賛する田中卓先生は、もはや皇室廃絶論者の一味と見なすしかないでしょう。

 

 

----------田中卓氏----------

さらに有識者会議のメンバーに、レフトの思想家が交じっていると問題にする向きもあるが、

仮にそうであるとしても、国民全体を代表する規準で、各分野の重鎮を選考した人事であるから、

左右の立場を含めた「有識者会議」であっても当然であって、別に非難には値しない。

むしろそれらの人々が、自らの左右の立場をこえて、

満場一致でまとめられた「報告書」にこそ、重要な意義があると言えよう。

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田中卓先生にとってレフトの定義とは何なのでしょうか。

左翼思想を突き詰めていけば、

最後は皇室廃絶につながるということをわかっておられないということです。

 

左翼とは、伝統より理性を上位におくことです。

理性主義は必ず伝統を破壊し、最終的には皇室廃絶になります。

そのような者に二千年の伝統を変更する皇位継承について論じさせて良いわけがないでしょう。

 

この時点で、保守系の歴史学者といわれた田中卓先生は、

「保守」ではなく、単なる「歴史バカ」だったということがわかります。

失礼な物言いかもしれませんが、わたしには皇室をお守りしたいという気概がまったく伝わらず、

ただの歴史談義の延長線のように感じました。

 

 

----------田中卓氏----------

何故、「女系」が伝統に違背するといわれるのか。

この点が一般に理解されにくい。

一体、皇統に関して男系とか女系とか言い出したのは、

西洋の学問を摂取した明治以来のことで、

管見では、それ以前に議論の対象となったことはないように思う。

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明治以前は当たり前すぎて、誰も論じていなかっただけで、

論じられていなかったから男系継承という概念が存在しなかったというのは、

果たして学者が述べることなのでしょうか。

 

西洋の学問を摂取して、外国には必ずしも男系で継承しない王室が存在することがわかり、

女系の是非についてはじめて論じたのであり、

それまで論じていなかったから男系・女系概念は存在しないというのは、

学術レベルの議論ではありません。

 

たとえば、現代社会において、グローバリゼーションという市場原理主義の考え方が入ってきて、

そこではじめて日本的経営の美徳のようなことを論じられるようになりましたが、

それまで論じていなかったからといって、

日本的経営の美徳が存在しなかったということではありません。

論じられていなければ存在しないという田中卓先生の論理は、

良識ある学術レベルの議論ではないということです。

 

 

----------田中卓氏----------

歴史的には、皇祖神の天照大神が「吾が子孫の王たるべき地」と神勅されている通り、

“天照大神を母系する子孫”であれば、男でも女でも、

皇位につかれて何の不都合もないのである。

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と考えているのは、田中卓先生の理性であり、

歴代天皇は“皇祖神天照大神を男系で受け継ぐ”ことを選択し続けてきたのです。

歴代天皇は神勅を間違って解釈しており、

田中卓先生が歴代天皇より正しいということなのでしょうか。

一代の人間の理性などたかが知れたもので、

先人たちの叡智に跪くという精神がないから、このような思い上がった考えになるのです。

理性の限界を知らない人間は、必ず理性により歴史をさかのぼり、伝統を否定するのです。

神勅を受け継いでこられた歴代天皇を否定した時点で、田中卓先生は理性主義者となるのです。

 

----------田中卓氏----------

この点が、ヨーロッパの王朝等と全く違う。

それは、日本の皇室にはもともと「氏」がないからである。

これは日本の他国に異なる最大の特色の一つだが、

何故、皇室に「氏」がないのかというと、古来、皇室は氏族と区別する必要がなく、

建国以来、天皇の家として断然隔絶されていたからである。

 

<皇后の場合は周知の通り、正田家御出身の美智子様でも正田皇后とは申し上げない。

女帝に対する皇婿の場合でも、皇族ならば当然、

初めから「氏」はないから、氏名で呼ぶことはないが、

民間の出身者でも、皇室に入られると、新しく『皇統譜』に記載されて、

今までの戸籍は消滅して、「皇族」の一員としてお名前だけになられるから、

謀叛者による革命が起これば別だが、婚姻関係から皇室とは別の「氏」の王朝が、

将来も誕生される可能性はない>

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皇室に入ると戸籍が消滅するのは法律制度の話です。

民間出身の皇婿が皇室に入り、戸籍が消滅して、「氏」が消滅するのであれば、

その民間出身者も即位してもいいということなりませんか?

「氏」が消滅するのだから、易姓革命ではありませんよね。

 

それはさすがに田中卓先生でも駄目だと考えるでしょう。

なぜだめなのか。

「姓」の概念が消えていないからです。

 

戸籍上、「氏」が消滅することと、「姓」の概念が消滅することは異なる次元の話なのです。

戸籍上、「氏」を消滅させれば、皇族になれるのだったら、

法改正して、誰でも天皇になれる制度をつくることができるということです。

これぞまさしく「社会契約説」であり、

国民と国家の社会契約により天皇までつくれてしまうということです。

田中卓先生は無意識に理性主義の「社会契約説」を採用しておられるということになります。

 

 

----------田中卓氏----------

継体天皇の前代にあたる第25代武烈天皇は、

第24代仁賢天皇の唯一の男子の御子

(同母の子は6人、異母の子は2人おられたが、不思議なことにすべて女子)であり、

しかも武烈天皇御自身には、男子のみならず女子もなかったのだ。

この点に留意すべきである。

もし、女子でもおられれば、当時、養子・婿入りの法も考えられたかも知れないが、

全くのお子様なしであるから、明白に皇胤が絶えることとなる。

この危機に直面して、やむを得ず傍系の継体天皇をお迎えしたのである。

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田中卓先生が本当に古代史の専門家なのか疑いたくなる記述です。

 

武烈天皇に女子がおられたなら養子・婿入りが考えられ、

どうして仁賢天皇の女子(武烈天皇の姉妹)では考えられないのか理解できません。

武烈天皇に弟がいれば皇位が継承されたのだから、

妹に養子・婿入りが検討されても不思議ではありません。

 

事実、継体天皇は手白香皇女と結婚されたのであり、

手白香皇女が即位されて、継体天皇との御子に継承させればよかったのです。

ところが、実際は継体天皇が即位されて、

手白香皇女との間に生まれた欽明天皇に皇統は継承されていきました。

これは皇位はあくまで男系なのだということを明確に認識されていたからです。

 

田中卓先生はこれまで左翼歴史家と戦いながら、神武天皇のご存在を立証してこられたのに、

このような基本的事実を認識していなかったということでしょうか。

 

----------田中卓氏----------

近頃、よく皇室の特色は血統の男系男子にありとして、

外国人もその点に感動していると宣伝する者がいるが、

そのような外国人の評価を、私は寡聞にして知らない。

仮に、男系・女系を問題にする外国人があるとしても、

それは今回新しく生じた現象であろうし・・・・

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欧州には男系絶対の王室と、女系容認の王室があり、

新しく生じた現象などということはありません。

さらにいうと、外国人が驚くのは、皇室の歴史がイコールで国の歴史であることです。

 

神話から続く一つの王朝が、万世一系で現在まで続くことに感動を覚えるのです。

だから、欧州における男系・女系の概念とは少し異なります。

欧州の王室は、力により征服した王朝なので、他者との区別があります。

国の成り立ちと、王家の歴史は同一ではありません。

 

日本の場合は、皇室の歴史と国の成り立ちが同一であることから、

天孫降臨のニニギの命以来、万世一系で継承することは、

他国の男系継承とはまったく性質が異なります。

 

皇室に「姓」が存在しないことは、イコールで神武天皇の男系子孫であることを示し、

単純に戸籍上「姓」を消滅させればいいということではないのです。

 

従って、国の成立以来、万世一系で王朝を継続させていることに、

外国人は感動するのであり、

単純に男系継承のみに感動しているのではありません。

 

 

----------田中卓氏----------

北朝側は、後醍醐天皇の改革政治に対し、

これは従来の儀式慣例を破るものとして、しきりに非難した。

これに対して後醍醐天皇は、何とおっしゃったか。

「今の例は昔の新儀なり。朕が新儀は未来の先例たるべし。」と。

女系・女帝反対論者は、この後醍醐天皇のお言葉を心して拝聴するがよい。

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後醍醐天皇が「朕が新儀は未来の先例たるべし」と仰せられたのは、

くしくも田中卓先生が述べておられるとおり、「改革政治」に対してです。

女系天皇は「国体」を変更するものです。

国体の変更に後醍醐天皇のお言葉を引用するとは、

当の後醍醐天皇もさすがにびっくりなされているのではないでしょうか。

 

 

以上、田中卓先生の論文を論評させていただきました。

田中卓先生をはじめ、所功氏など、これまで女系を容認されてきた古代史学者は数々おられますが、

その中で、仮に皇族の男性が多数おられて、男系継承が安泰と思われているときに、

あえて女系論を主張できる人がどれだけおられるでしょうか。

田中卓先生と所功先生は、それでも女系論を述べることができたでしょうか。

おそらく左翼の影響を受けている人以外は、全滅だろうと思います。

 

結局はすべて「状況論」から述べているのです。

状況論だったら状況論に徹すればいいだけであって、

なぜ過去にも女系容認だったなどというおかしな理屈をこじつけるのでしょうか。

 

あえて申し上げれば、「状況論」だけでは自信がないから、

外から理屈を持ち出して、理論武装を行っているのです。

それが自己正当化のための左翼的「弁証法」へとつながっていくのです。

 

保守主義者が歴史を重んじるのは、自己正当化のためではなく、

自らの理性の限界を知り、歴史から智恵を拝借しようとするからです。

自己正当化のために歴史を遡れば、必ず歴史の否定につながります。

これは絶対に逃れられない運命にあるということを、

最低限歴史家は知る必要があるのだと考えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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