合唱バカの華麗なる人生

 =留学編=

 しばらくお留守にしている間に、ロンドにも新しい顔が増えてきたのは嬉しいこと。また懐かしい顔が復帰しているのもまた喜ばしいこと。私のことを知らない人も増えてきたみたいなので、簡単に自己紹介を。

 万博生まれで、最後の共通一次世代。大学入試の問題用紙には「昭和64年度入学試験」と書いてあったりした時代に大学に進み、「なんか音楽系のサークルに入りたいなー」と思っていたら、たまたま合唱団に引っ張られたのが運の尽き。1回生からすでに頭角を現し、2回生では渉外担当、3回生では学生指揮者。4回生になって責任回生から外れたのを機会に一般合唱団(男声・混声)に入団、練習指揮やら副指揮やらを歴任。現在は大阪の男声「なにわコラリアーズ」の海外担当、また京都・滋賀で混声アンサンブルも組織。日本男声合唱連盟個人会員。インターネット上の合唱関係者の中では知られた存在。助っ人での合唱舞台も数多い。…といった具合。

 こういう経歴の中でも特筆されるのは、フィンランドに留学して合唱団で歌っていた、ということである。サンタクロースとムーミン(握手したことあり)の国であるフィンランドは、名前こそ有名なものの、まずどこにあるのやら…となるのが普通の日本人。そんな国に留学しようというだけでも、まず変わり者。しかも、そこの合唱団に入って歌っいたとあっては…。

 そもそも、私が北欧の、というかフィンランドの音楽に触れたのは、大学2回生の時。シベリウスの男声合唱曲を聴いて、その清廉な響きに感動を覚えたのが始まり。CDや楽譜を買ったりしたけれども、それはそれまで。まさか後に留学しようなんて夢にも思っておらず。

 留学を思い立ったのは、大学院に入って4年もしたところ。漠然とどこかに行きたいなあ、と思っていたころ、大学の交換留学システムの説明会に参加。その時は英国あたりを考えていたものの、説明会の最後に担当者が、今後に協定が結ばれる大学として「ヘルシンキ大学」という名を挙げた。ヘルシンキ。フィンランド。特に合唱は意識していなかったものの、なにか懐かしさを覚えた瞬間であった。興味半分で、インターネット上でヘルシンキ大学について調べて見る。すると、神学部があることがわかった。しかも、面白そうな感じがする。何よりも、「授業料がただ」なのがいい。とりあえず、神学部の担当者に電子メールを送って、留学の可能性について尋ねてみることにする。さすがにメールの便利さ、時差の関係もあって、朝出したメールに夕方返事が来ていたりする。いろいろ交渉の結果、行けそうであることがわかったので、早速入学手続き書類を送ってもらう。あとは順序通りに手続きを済ませ、あちらの教授会で許可が出たところで、正式の許可証が届く。

 その頃、下見も兼ねて一度ヘルシンキへ行こう、ということで、2週間前に決断して初めての海外旅行へ。大学の担当者に会って直接話をする。ついでに、世界的に有名な「ヘルシンキ大学合唱団(男声)」の練習を訪問。事前連絡なしのぶっつけでも、なんとか練習を覗くことができた。練習後に、日本に親しみを持つという団員が声をかけてくれて、近くのパブに何人かで飲みに行く。留学する、ということで、半年後の再会を期して別れた。

 さて、留学本番。行ったら、事前に日本から送っておいたはずのアパート探しの申込書が届いておらず、一から探す羽目になったり、下宿にベッドがないので買ったものの、配達が遅れて椅子で一夜を明かしたり、と、個人留学ゆえの困難に思わず涙したことも。1ヶ月位の間は、飛行機の音にホームシックを覚えたものだった。

 そんな中で、心の支えになったのはやはり合唱であった。8月の末に到着して、早くも9月の頭にはヘルシンキ大学合唱団(YL)のオーディションを受ける。指揮者と、パートリーダー・役員などが並ぶなかで、一人でスケールや音程を歌う。決して易しくはない。フィンランド語はまだほとんどわからず、英語だけでの会話であったが、試験後の、指揮者マッティ・ヒョッキの言葉「We'll take you.」ほど、合唱をやっていて嬉しい言葉はなかった。ただし、「君にはバリトンは低いだろう」ということでパートはセカンドテナーに。慣れないテナーパートで歌うことになった。ちなみに、YLは一度オーディションに合格すると基本的に永久に名簿に登録され、またいつ戻ってきても正規の団員として歌うことができる。日本人としては、松原千振氏(合唱指揮者)についで二人目であった。また、別に混声合唱団のオーディションも受験。すでにオーディションをYLで経験したこともあって、余裕の合格。来芬(フィンランドのこと)1ヶ月にして、すでに2つの合唱団に所属することになった。

 細かい経過については私のホームページ に掲載されているのでそちらを参照して頂くとして、それから翌年4月末に帰国するまで、コンサートは延べにして14回参加。CDレコーディングに2回参加。鈴鹿で開催されていたF1の時には、フィンランドのミカ・ハッキネンが優勝したが、その記念として、録画しておいたYLの演奏がTVで放送され、そこにも映っていたりした。レコーディングに参加したCDは最近発売となり、これを聴いていると懐かしさと当時の思い出が込み上げてくる。

 何よりも、生のフィンランド人たちとの多くの交流が持てたことが幸福であった。通常、留学生は留学生同士で固まってしまうことが多い。またフィンランド人はシャイな人達なので、そんなに積極的に友達になろうという人は少ない。しかし、合唱団に所属することで、とりあえずは英語でも、フィンランド人たちと接し、言葉を交わし、学ぶことができた。ただの留学ではこうは難しかっただろう、と感じている。そして、彼らから託されたこと。「日本でも、フィンランドの素晴らしい歌を広げてくれ。」 微力ながら、そのためには力を惜しまないつもりである。

(2000.7)


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