合唱バカの華麗なる人生

 =なにコラ全国コンクール2005編=


2005.11.19(土)

 5時半に目覚ましが鳴る。晩秋の早起きはなかなかつらい。とにかく起き出して、朝食を済ませる。今回は珍しく前日のうちに荷物をまとめておいたので、手早く準備ができた。予定より一本早い列車に乗り、大阪空港へ向かう。いつもならモノレールだが、時間の関係で十三まで行って宝塚線へ乗り換え。十三で、バインのO西夫妻と合流する。O西氏は飛行機が15年くらい振りだとか。思えば、最近はよく飛行機を利用するようになったものだ。空港について、予約しておいた搭乗券を受け取る。今回マイレージの特典航空券を使えたので、費用負担がないのはありがたい。少し時間があるのでカード会社のラウンジに行き、コーヒーを飲む。帰りの飛行機の時間調整をしようかと思いついたが、既に帰りの分も発券してしまったので変更は不可。まあ問題はない。リップクリームを持ってくるのを忘れたので、メンタームを購入。唇が乾燥しやすいので、冬は必需品。

 今日の昼食は事前に購入しておくように、という指示があったので空港で買っておこうかと早めに歩いていくと、手荷物検査が長蛇の列。出発まであと15分。慌てて短そうな列に並ぶ。幸いどんどん前に進んでくれる。自分の手荷物を通したら、「ちょっとお待ちください」。何か引っかかっているらしい。すでに出発まで10分を切っており、ゲートには名前を連絡してくれるとのこと。筆箱には入ってないことを確認したが…、と思っていたら、トイレタリー用品の方にハサミが入っていたのをうっかり忘れていた。面倒なので破棄してもらい、無事通過。こういう時に限ってゲートは遠く、24番から搭乗。結局昼食は買えずに、新潟へ。席はもともと分かっているので探すような手間はかからない。機内にはいると、一番目立つ正面の席に新潟県民F本が座っていた。他にも関係者の顔があちこちに見える。

 合唱人を満載したMD81は、それでも軽々と離陸する。「ひょいっ」という感じ。ジャンボの重たい離陸とは全く違う。途中は天候もよく、自分と反対側の窓からは富士山も見えていたようだ。こちらは日本海側の通路席。飛行機は通路席に限る。次第に新潟平野が見えてきた。広い。信濃川の川幅を実感しながら、新潟空港へ着陸。空港のすぐ隣が日本海になっているので、地上移動中にも波のしぶきが見えている。風が強いので、結構波も高いようだ。飛行機を降りて、連絡バスで市内へ。運賃先払いは、ここが関東系であることを感じさせる。小雨が振ったりやんだり、ちょっと不安定な天候。バスは新潟駅まで。港のそばを通ると船の姿も見え隠れする。新潟駅に到着、と思ったが、駅前通の屋根もないところに降ろされる。ちょっと不親切。あるいはこれがこちら流か。  駅前のロイホまで歩いていくと、バインのメンバーが待っていた。乗り合いタクシーの待ち合わせ場所になっていたとか。適当に割り振ることにして、まずは昼食を調達。駅ビルの中にある小さなスーパーを覗くと、お弁当もおいてある。安い! ちらし寿司を購入しておく。ここから南口まで連絡道を歩いていき、タクシーに乗る。歩いていく途中で、なにコラメンバーと何人もすれ違う。タクシーで今回の練習場所、東京学館新潟高校へ移動する。かなり郊外。道は整備されているが、これはたぶんサッカー場ビッグスワンの周囲だからであろう。

 到着して一息入れると、11時より美術室にて練習開始。高校の合唱部の生徒も交えて声出しをしていく。時折彼ら・彼女らに指導をしたり、参考になる人を近くに立たせたり、など工夫も交える。こういう包容力も、I東系合唱団の特徴であろう。運動系で有名な高校ということもあるのか、返事は良い。少し練習してから、集会室に移動して昼食をとる。今回のコンクール資料も配付されるが、参加章はずいぶんしょぼいものに。もう少し「記念」になるような、洒落たものは作れないのだろうか。これは費用の問題ではないように思える。バッジを何度も作った経験からは、同じ値段でももっと良いものが作れそうだ。

 集会室にはビニひもで雛壇が描かれている。これに合わせて移動の練習をするという算段。なにコラもそろそろ隣の書道室で練習を開始している。幸い暖房が入っているので寒くないのはありがたいが、乾燥しているのは歌い手にはちょっと辛い。加えて、疲れたというか、なにかモチベーションが上がらない。やはり当日に到着して当日に本番、というのはなにがしかの疲れがあるのだろうか。そういえば、これまでの全国大会は常に前日入りであった。とにかく練習終了。ホールにタクシーで移動する。ホールまでが結構遠い。遠回りしているのかとも思ったが、そういうわけでもないようだ。割り勘とはいえ、常に一台あたり二千円以上かかるのはなかなか辛いものがある。

 会場となる「りゅーとぴあ」は、文化地区の一角にある外観からして豪華な感じのするホール。ガラスを多用した、近年よく見られる設計。ロビーなども響きすぎず、うまく調整されているのが分かる。ホールには専属のダンスカンパニーもあるようで、なかなか熱心なところらしい。団体集合して着替え。だいたいいつでも着替えは狭い部屋である。複数の団体が使用するからというわけでもないと思うが、例えば椅子をたくさん入れて荷物置きにするとか、工夫の余地はありそうだ。リハ室へ移動。こちらはビニールテープで雛壇のラインが引いてある。練習会場でつくったものとちょっと違うようだが、もちろんこちらが正解。このリハーサル室も適度な響きで、練習しやすい。リハ後は舞台裏のオーケストラホワイエおよび舞台袖で待機。二団体分を聞くことになる。通常の水(でも「新潟の名水」)の他、来年の会場である熊本のお茶も支給されていた。ホワイエには、過去の出演者の落書き多数。見ていると、かなり著名人が来ている。なかなか気合いを入れて運営されているようだ。袖のモニターは、通常の舞台正面の他、バルコニーあたりから指揮者に向けて斜めに映したものがある。これはなかなか珍しい。

 いよいよ本番。舞台上は適度な残響で、歌いやすいホール。客席がかなり近い。真後ろのクワイア席は締切だが、両サイドには聴衆が入っている。3階まであるので、結構高い感じがする。舞台の端の方でも歌ってみたが、さすがに真ん中ほどは響かなかった。雛壇は、床全体が動くタイプなので最後列でも後ろに落ちることがないのはありがたい。演奏はほぼ問題なく、実力を発揮した感じとなった。手応えはよい。やはり本番を経験するとテンションが上がる。やっとやる気になってきた。退場の時、ちょっと手を振ってみる。終了後は写真撮影。いつもの大阪フォトのおじさんはご苦労さんである。全体写真とパート写真。よく考えるとパート写真なんてここで撮る必要も無いような気がするが、これも販売のための戦略か。更衣・総括の後、再び練習場へ移動。またタクシー。とにかく費用がかかる。

 練習場に到着すると、ちょうど自分の練習担当時間。I東氏は淀混の練習もあり、なにコラは団員により練習を続けている。ベース系を中心に、動きを練習する。ベースバリトンだけでも40人。これだけの、しかもいまいちセンスのない合唱人たちに動きをつけるというのは困難以外の何物でもない。とにかく練習を終え、テナー系が練習している裏で夕食をとる。いま食べないと夕食を食いっぱぐれてしまう。連盟を通して依頼した仕出しの弁当だが、暖かいのが嬉しいところ。食事をして一休みすると、また練習が続く。とはいえさすがのI東氏にも疲れが見え、「早く終りたいなあ」を連発。結局、22時までの予定が21時半にて練習終了。簡単に後片づけをして、ホテルに移動する。この間に今日の結果発表があり、バインは4位金賞とのこと。演奏を考えれば、まずまずの成績であった。

 今回は駅前のグリーンホテルとドーミーインに分かれて泊まる。自分はグリーンホテル。普通のホテルで、ベッドがやや小さい分、部屋は広い感じがする。床が多く見える方が広い感じがする、という心理効果であろう。備品などは最低限であるが、特に困ることはない。荷物を置いてほっとしたところで、「もしやバインの打ち上げはまだやっているのでは」と気づいて、S嬢にメール。「まだいます〜」という返事を頼りに、出られないと思っていたので場所を控えていなかったため、O谷氏に出迎えに来てもらうことに。フロントに降りると、バインのK川氏を発見。「行くか?」と声をかける。が、ここで財布を部屋に忘れてきたことに気づく。チェックイン待ちのメンバーが続く中、割り込んで鍵を取り、財布を取ってくる。K川氏が降りてくるのを待って、出かけようとすると今度はM上氏が。結局M上氏も後で来ることになった。近所の割烹という大仰な名前の、でも普通の居酒屋「しず川」へ。すでに皆は食事が済んでいたが、残っている料理と酒とで乾杯。聞けば料理は女ガニを始め盛りだくさんだったとか。カニは少し残っていたので食べることができた。最後に記念撮影をして、お開き。バインはこれにて今年は解散。また来年、があるのかどうか。それぞれ宿泊所に分かれる。部屋に戻って、明日が早いためさすがに早く就寝。23時過ぎ。

2005.11.20(日)

 朝5:45に目が覚める。手早く身支度をして、出かけられるように準備する。6時半前にロビーに降りて朝食を待つ。荷物も持って降りてきたので、ここでチェックアウトしてしまう。6:30から食堂にて朝食。鮭、煮物などシンプルながら、なかなかおいしい食事。しかし場所が狭い上にどんどん降りてくるので、コーヒーができるのを待つ間もなく出る。どこかコーヒーを飲めるところはないかしらん、と外へ散策。駅周辺を回ってみるが、さすがに日曜の早朝とあっては開いている店もない。ここで缶コーヒーというのも癪なので、コンビニでインスタントのカップを買って、お湯を入れて飲むことにする。

タクシー分乗で練習場へ。タクシーは、最初に1台着たと思ったら次がなかなか来ない。予約5分前でも数台、というのはのんびりしたもの。県民性なのか。ともあれ、着た車にどんどん乗っていく。練習場に向かい始めて、たまたまF森氏が「高校の合宿で、鍵を返すのを忘れるのがいるんだよな」という話をしたところで、K子氏が「鍵もってる…」と。朝が慌ただしかったこともあり、チェックアウトを忘れたようだ。どうしよう、と言っていると、運ちゃんが「届けておいてあげますよ」と親切なお言葉。感謝。

 学校に到着してみると、建物がまだ開いていない。しばらく待っていると、先生が慌てて車で乗り付け「寝坊しました!!」と平謝り。こっちはそんなことで怒る集団ではないので、全く問題なし。早速練習準備に。7:30からゆっくりと発声開始。体操といえばS岡氏。ご指名により、昨日の疲れもあるはずだが、独特のユーモアを交えて体操。さすがに二日目ともなると体調もましになってくる。ペースを考えながら、声を出していく。

 練習の合間にもマネージが欠かせない。コンクールはなにコラで最大のメンバーが集まる一瞬。今後の予定や名簿の調整などは不可欠である。作業を分担し、今後の本番予定などを調査する。関西以外からの参加メンバーの紹介なども、なにコラ恒例の行事である。また、今回参加できなかったチェアマンからのメールも披露。なにコラの全国大会における野望を新たにしたのであった。

 音楽練習も進めていく。今回は4列だが、音の均質化のためにも後列へのフォローが欠かせない。俗に「鉄砲隊練習」という、後列が前列に、次はそのときの後列が前列に…、と交代していきながら全体のサウンドを整えていく。こまめに休憩を交えながら、練習は進む。10:30に昼食の弁当。昨晩と同じ値段のはずだが、中身はずいぶん良いような気がする。筋子が入っている弁当は初めて見た。ゆっくり食べていたら時間切れになってしまった。ちょっとだけ残してしまう。最後に全曲を通して、練習終了。

 またタクシー分乗でホールへ。とにかく今回は移動費がかかる。自分はさすがに二回目なので、移動は比較的スムーズ。念のため、入り口でほぼ全員が到着するまで出迎えをする。最後のグループが到着した、と思ったところで、学生S藤君が「衣装ケース忘れた…」と! 「車か?」「いや高校です」「じゃあ取りに行かなくちゃ」半ば放心のS藤君をまわりでフォロー。とりあえずまだ練習場にいる淀混メンバーに連絡を取ってもらい、探しておいてくれるよう手配。本人はタクシーで再び練習場へ向かう。幸いすぐに見つかったようで、戻ってきて着替えたら、皆がちょうどリハ室に入るところだった。ここから合流。

 リハ室で一回通して、本番前待機。さすがに80人もいるとホワイエが狭い。直前になっても下らないことを言い合っているのがなにコラ流。そしていよいよ本番。今日は舞台両翼部分の客席は閉鎖されていて、カメラが入っている。おかげでずいぶん客席数が減っているようだ。真後ろの席はともかく、サイド席くらいは収入面からも使っても良いんじゃないかな、などと考えながら整列。そして演奏開始。課題曲、トルミス、ヨイク。細かいキズはありながらも、歌った感じ、全体としてはまあまあであった。拍手は客の数にしては大きかったように思う。最後は客席に手を振りながら退場。こういうのも、コンクールではまずやられていなかったことであろう。

 その後、淀混との掛け持ちメンバーは次へ移動。残ったメンバーで写真撮影。指揮者がいないので、地元民F本を真ん中に据えて全体撮影。人数が多いため、前列はベンチに座る形となる。パート写真を撮っていたら、朝日新聞から取材。指揮者・マネなどは皆淀混に行ってしまっているため、適宜対応する。ヨイクとは何か、振り付けは何か手本があるのか、といった基本的な事項。その後着替えて、連絡関係。淀混に出ていく伊東氏から「締めのために待っているように」という指示があったため、必要な連絡を行ってからしばしロビーで待機する。

 しかし、待てども待てども戻ってこない。淀混の前に休憩があったこともあり、また写真撮影にフル参加していたこともあり、結局30分以上待たされる羽目に。みんな待ちくたびれ。最後に意思統一をして、解散。

 ここから、新幹線で帰るT平と飛行機で帰るF島とでタクシーに分乗し、新潟駅に向かう。駅で分かれて、空港バスの切符を買ってから町を少し歩いてみる。駅前の大通りをまっすぐ北へ。荷物が重い。コインロッカーに預けるのを忘れていたのを後悔しながら先へと歩いていく。目的は、信濃川を歩いて渡ること。萬代橋まで来ると、夕焼けに映える町が美しい。橋を歩いて渡り、川沿いに河口方面へ歩いていく。観光船が出るところは水面が低く、川面を間近に見ながら歩いていく。河岸につながれた漁船を眺めながら、柳都(りゅうと)大橋へ。ここで、「りゅーとぴあ」の由来を初めて理解した。大きな橋の上を歩き、佐渡航路の船や朱鷺メッセの建物を眺めながら元の岸へと戻る。再び川べりを歩いて、萬代橋のたもとから同じ道に戻る。そのまま歩いて帰るのにも疲れたので、ここからバスで新潟駅へ。3つくらいの停留所だったが、100円で乗れたのはありがたい。整理券を取らないと180円になるようだ。

 駅に戻って、食事にする。東急ホテルの脇を入った「千両」というお寿司屋で散らしを食べる。小さい店ながら有名なのか、テレビキャスターのサインや力士の手形などが貼ってある。食事を済ませてから、バスで空港へ。新潟駅のバスターミナルは、今では珍しいと思われる車庫型。待合室との間は、一人分通れるようになっている。しかし意外に場所をとらない、また順序よく乗るための良い方法なのかもしれない。空港へは25分。うとうとしながら到着。チェックインをして、お土産を買う。最終便間近ということもあり、売り切れのものなどもある。そういう意味では、市内で買っておいた方がよいのかもしれない。特に買い物もないし、混雑もいやなので早めに手荷物検査を通って、中で待つ。売店を覗くと「越後ビール」という地ビールがあった。缶もあったが、せっかくなので生を頼む。濃い味。

 そろそろ結果も出ているはずだが、公式の連絡はない。合唱人比率の高い待合室では、「何位だった」という噂も聞こえる。なにコラは二位だったという声も聞こえてくるが、どうも保証がないようだ。順位はどうでもいいとはいえ、結局分からず、少々気になりながら搭乗。大阪への出発便は、到着便が遅れたために20分ほど遅れて出発。座席を指定して予約しておくと、座る場所のイメージができてスムーズ。経路途中での気流が心配されたが、特に揺れもなく大阪空港へ。ここでメールが届いており、なにコラは二位金賞、新潟県知事賞。シード権も獲得と。危ない橋を渡っていた今回の参戦であったが、この成果ならまあよし、だろう。モノレール・阪急を乗り継いで帰宅。また来年があるのか、ないのか。結果がどうであれ、なにコラの挑戦は続く。

= fin =


メールはこちら:  yutaka70@mbox.kyoto-inet.or.jp
All rights reserved. Copyright by Yutaka Maekawa, 2005.