合唱バカの華麗なる人生

 =なにコラ in シンガポール編=


8/15(水)

 午前5時前に目覚める。比較的すっきり起きられたので一安心。さっそく身仕度と朝食を済ませ、6時前に家を出る。トランクを転がして地下鉄駅まで。地下鉄への階段を下りようとして、上部のハンドルを持った途端、「バキン」という音と共にハンドルの片方の根元が取れてしまった。どうにも幸先が悪いが、戻る時間もないし、横にもハンドルがあってとりあえずは困らないので、どこかで修理することにしてこのまま行くことにする。京都駅で乗り換え、関空行きの「はるか」に乗車。すでに幾人かのメンバーと顔を合わせる。遅刻常習犯?の言では、「さすがに今日はやばいっしょ」ということであった。指定券を持って座席を探すと、すでに先客あり。切符を示すと、すごすごと去っていった。単なる間違いのようだ。うとうとしながら関空へ到着。

 経由便組は8時集合。10分ほど前にカウンター前に到着すると、すでに半分くらいは待っていた。順次航空券を配布。8時まで待って、全員集合…と思いきや、一人足らない。ともあれ、現地までの説明等をして、荷物検査に並んでもらう。その内に残りの一人も現われたので、航空券を渡して説明し、荷物検査に並んでもらう。これでとりあえずは一仕事終了。一部航空券とパスポートの名前の綴りが違う者がいたが、何も言わなかったら普通にチェックインできたとか。もちろん事前に航空会社に連絡したおいたからであろうとは思う。あとは、無事遅れずに搭乗してくれることを祈るのみ。直行便組ながら都合により早く到着したKJ氏としばし閑談。荷物検査とチェックインを終了した一部が、この場所に戻ってくる…というはずなので待っているが、いつまでたっても戻ってこない。KJ氏が電話してみると、下で食事中とのことだった。このまま待っていてもしかたがないので、トランクを一時預かりに預けて(600円)、下に降りる。

 まずはトランク修理のためにテープを購入。それからカフェテリアでお茶を飲む。直行便組に遅れそうな顔に電話をしたり、現地の情報等をKJ氏と交換。その内に早く空港に着いたメンバーから電話があり、カフェテリアにいる旨を告げて合流。この時、自分とKJ氏とが共に、これまた二人でいたメンバーそれぞれに電話していたことが判明(笑)。10時前に再び出発ロビーへ上がる。こちらは集合5分前に全員揃った。優秀。同じように航空券を配布し説明して、荷物検査・チェックインをする。チェックインも各自で、ということだったが、航空会社の人に「いっしょにしますか」と聞かれたので、航空券・パスポートをまとめて渡す。こちらにもいた、航空券とパスポートの綴りちがいは、ちゃんと訂正のはんこが押されていた。自分のトランクのハンドルについては、始めから壊れていたことの証明書にサインし、あちらでシールを貼ってもらうことになる。空港使用料のカードを購入し、あとはしばし待機。

 IK氏他と本番の打合せのための場所を探す。国内線ロビーまで降りて、「日本一高いマック」の前にある椅子で少し打合せをする。しばらくすると、携帯電話が鳴った。経由便で出たばかりのKKの親から。「さっき、子供から電話があったようなんですが、うまく通話できなくて… 飛行機の音がしたようですが… 無事出発したんでしょうか。」 さっきといえば既に飛行機は飛んでいるはずの時間であり、「まさかそんなことはないでしょう、無事に出発しました」と返事。しかし、「KKなら『いま飛んだでー』とか電話しかねんな」とKJ氏。

 一通りの打合せを済ませるともうフライト1時間ほど前になり、出国審査へ向かう。手荷物検査では、機内持ち込みの荷物にホッチキスが入っていて、検査で引っかかるかと危ぶまれるも無事通過。出国審査はカードの記入の必要もなく楽に通過。しばらく時間があるので、妻に頼まれていた口紅を探しに免税店へ。店の前の椅子に、どこかで見たような顔が…と思ったら、教会幼稚園の職員であった。ヨーロッパへ行くとのこと。全くの偶然にお互い驚きあう。残念ながら、要望の口紅は廃番とのこと。またシンガポールで探すことにする。ゲートへとぶらぶら歩いていくと、何かしら逡巡するIK氏の姿。旅行保険に入るかどうか、とのこと。「怪我はともかく、賠償責任がでるとややこしいし…」との意見に賛同。そこにあった自動契約機に向かう。これだけで契約ができる優れもの。留守宅控えも取り、自宅へと送れるのはきめ細かいサービスといえる。一番安いものを契約しておく。

 シャトルに乗ってゲートへ移動。妻に電話し、とりあえず日本では廃番だったことを連絡しておく。ゲート前にはもうかなり人が集まっていた。直行便組が全員いることを念のため確認して、待機。直行便組でも別にチェックインした人とも、席はほぼ同じ。「最初からまとまっておさえられているんじゃないですか」との弁。そうかもしれない。そうこうしているうちに登場開始。誘導に従って機内へ。飛行機はボーイングで、各座席に液晶モニタがついているタイプ。これはコントローラでゲームもできるという優れもの。飛行機も随分進化している。窓側3列というのは予定外で、メンバー中の夫妻が通路をはさんで両側に分かれてしまった。どこかと交代しようかと考えたが、うまい考えが出ない。行きはこのままで諦めてもらう。失敗その一。定刻に出発。滑走路移動中にKJがビデオを回しているので聞くと、「離陸時を撮る」という。離陸時は禁止だというと諦めて閉まった。そうこうしているうちに離陸。飛行機がそう大きくないせいか、軽く飛び上がった、という感じ。

 さっそく、機内食の準備が始まる。飲み物が先にまわってくるが、IK氏の禁令によりアルコールは御法度。ジュースで我慢。しかし、常に「サー」と呼びかけられるのはさすが英国系、シンガポール航空。機内食メニューは「西洋料理」「日本料理」と書いてある。まわってくるのを聞くと、「肉か魚か」と聞いている。多くの人が「肉」と答えて、日本料理が出てきてびっくり、という反応のようだ(牛ヒレの田舎煮)。ちょっと不親切かもしれない。自分は事前に分かっておいたので、魚をとる。トレイも大きく、量が結構ある。まわりの乗客を見ると、残している人も多いようだ。フォーク・ナイフなどが入ったパックは自分の鞄に入れ、箸で食べる。これはお決まりだが、KJ氏やIK氏は感心?していた。食事はおいしい。さすがにベストエアラインに入るだけのことはある。もっとも、そういう飛行機にしか乗ったことがないので他がどうなのかは全く分からないのだが。食事が済むと、KI氏はさっそくコンサート他のオーダーの検討に入る。こちらもワークショップ資料などを出してチェック。

 機内で出国審査カードが配られてきた。他の乗客があまり取らないようなので、おもわず見逃す所だった。ツアーの客は、別に配布されているのだろうか。こちらは形としては個人旅行なので、ここでカードをもらって記入する。他のメンバーも見逃していたので、まとめてもらっておき配布。見本を作成して、回して見てもらう。時計も早めに直しておくよう連絡。その他、しばらくは休憩。しかし、冷房がきつい。半袖では寒すぎるので、毛布を肩までかけておく。フィリピン沖まで飛んできた所で、揺れが激しくなってきた。機内サービスも一時中止される。あとで聞くところでは台風の余波とか。高度1万mでも影響があるものだ。着陸1時間ほど前になってから、やっと機内サービスが再開した。もう慌てて残りを配布している、という感じ。ここでは食事ではなく、本当におやつが出るのみ。

 そうこうしているうちに、チャンギへと着陸する。ゲートから、入国審査へ向かう。途中には動く歩道も。入国審査は簡単に済む。出国カードはなくさないようにパスケースのポケットへ。一部のメンバーにはホッチキスを貸して止めておくように勧める。荷物受取所は、大変広い。3つベルトがある部分だけでも十分広いのに、これが35番ということはまだ34もこれらがあるということになる。荷物が出てきた所で、外へ。出口には特に人もなく、税関は自己申告のみというところ。

 まだ出迎えの時間には早いので、各自両替等をして過ごす。ここで両替したものの、結局使い切れないメンバーも続出。今回のスケジュールのハードさを物語っている。経由便の到着が近くなったので、出迎えらしき人を探す。たぶん何らかのプレートをもっているはず…と思っていたら、Naniwa Choraliersの札をもった中国系の女性が二人いた。横から声をかけると、たいへん驚いていた。「もう着いたのか、飛行機が早まったのか」という。先組みがいて、本体が連絡しておいた時間に着くのだ、というと「そうは聞いていない」とのこと。うまく連絡がついていないようだ。しきりに携帯電話で連絡を取り合っていたが、ついに「直接話してくれ」ということで事務局と話す。特に問題はない、ということになり、落着。後ればせながら挨拶と自己紹介をする。ミッシェルとエミリー。明らかに見掛けがアジア系なのに、こういう欧米系の名前がついているのにはいまいち慣れない。さらに経由便到着を待つ。この二人の外に、日本人の女性Nさんもお手伝い(通訳?)として入っている。いろいろ話をしているうちに、ミッシェルがどこかへと慌てて走っていく。どうしたのかと聞くと、「到着ゲートはあっちだ」という。経由便の荷物受取は、自分達の隣に表示が出ていたが…と思いつつ着いていく。しきりに「便名は何か」と聞く。到着表示を見ると、成田便は確かにここだが、大阪便はやはり先程のゲートでよい。これを説明して、また走って戻る。「大阪」「成田」といわれても区別が出来ない、ということもあるだろう。そうこうしているうちに、経由便組が出てきた。20名、確かに到着。

 人数確認をしている間に、喫煙に行ったり両替に行ったりトイレに行ったり…とうろうろ。誰がいるのか分からない。まさに幼稚園の集団(笑)。とにかく全員集まった時点で、出迎えのバスへと移動。外は少し蒸し暑いが、夕方ということもあって比較的まし。荷物を別トラックに載せて、バスに乗る。「途中下車しないように」と冗談で言うと、Nさんが「高速道路だから、途中で歩いていたら罰金ですよ」という。さすがシンガポール。空港から一路中心街へ。直線が長く続く部分があり、ここの中央分離帯は植木なので撤去でき、非常時には滑走路になるとか。中心街へと入ってきた所で軽い渋滞に会う。Nさんもいろいろ建物の案内をしてくれる。そうして、今回の宿であるマリナ・マンダリン・ホテルに到着。

 ロビーで簡単な連絡をする。ミッシェルたちをメンバーに紹介。ミッシェルは最初「フロントでチェックインをしてくれ」と言っていたが、その内にホテルの人が来てすでに部屋ごとに名前の入った封筒に鍵を入れて持ってきてくれたので、チェックインは不要になった。このあたり、連絡がうまくないよう。このカード錠はエレベータでも必要で、カードを入れないと客室階へのボタンが機能しないとのこと。下の方には一般向けのショッピングモールもあるので、保安上の規制が多いようだ。集合時間を念押しして、各自部屋へ上がる。

 自分の部屋は、6階。エレベータから丁度反対側なので遠い。シングルとお願いしていたが、普通のツインだった。かなり広くて余裕がある。バスルームがずいぶん広い。洗面台も二つあるし、バスタブと別にシャワー室がある。ただし、バスタブにはカーテンがなく、どのように入ればいいのか不可解。一休みするほどの時間もなく、ロビーへ降りる。すでにかなり集まっている。IK氏はMC先生と会談中。定刻になって人数確認をすると、KJ氏がいない。話によると、食事に出たとか。ミッシェルらは「待っていよう」というが、「場所も教えてあるし、時間になってもいない場合は置いていくと告げてあるのでいい」と答えて、案内してもらう。ミッシェルも粘っていたが、こちらも早く練習に行きたいので、無理をいって出発。彼女らは「もう一つの日本の合唱団とはずいぶん違うね」と内輪話をしていたそうだ。

 ともかく、歩いて今夜の練習場所へ。ミッシェルからの注意として、「列が切れないこと」があった。横断歩道など、車はとにかく列が終るまで待つので、速く渡るべきだとか。そうはいっても幼稚園の集団、そううまくはついてこない。もたもたと歩く。時々急きたてながら、ラッフルズ・コンベンション・センターへ。4階に今回のシンポジウムのメイン会場があり、その一つの部屋で練習をする。ホテルで合流するはずのTM氏もここで待っていた。さっそくオーダー確認等に入る。

 自分は「シンポジウムの事務所に来るか」と誘われたので、ついていくことにする。これはウェスティンホテルの一室を借りていた。こじんまりした部屋で、今はほとんど人がいない。唯一いたのが、今回連絡でもお世話になったセレステだった。さっそく挨拶を交わす。それから、参加者向けのバッジとハンドブック等を、今持っていくか、という。40人分は重いだろう、ということで試しに持ってみたが、なんとか行けそうだ。しかし、「やっぱりもって行ってあげよう」ということで分けて皆で持っていくことになる。感謝。セレステは、「あなたが随分若いので驚いた」という。再び練習場に行き、一時練習を中断してセレステを皆に紹介。ここで「ユタカサン」という言い方に一同受ける(笑)。セレステは慌てて、「『マエカワ』というのは発音しにくくて…」と解説。なるほど。ついてに、指揮者に「あなたも随分ヤングね!」と驚いていた。これも一同大受け。スタッフは一度事務局に戻り、こちらは練習を続ける。ふと気がつくと、ホテルで置いてきたKJ氏もいた。無事到着したようだ。

 練習は、飛行機旅で疲れていることもあってあまりうまく進まない。IK氏もいらいらしてくる。ともあれ、なんとか終了。明日の朝の予定について連絡して、解散。解散後に、ミッシェルらと簡単な相談。明日の朝の練習を早く始められないか、依頼。また、ここで朝食にはチケットが不要と分かる。先程「チケットがいるから」と連絡したばかりだが…。すでにほとんどのメンバーが立ち去った後なので、後の祭。明日の朝の練習時間については、既に時間が遅いために確約は出来ない、分かりしだい連絡するとのこと。念のため忘れ物チェックをすると、鞄が一つ残っている。名前を見るとTT氏のものであった。しばらく、どう扱おうかと考えていたが、戻ってこないようなのでとりあえずホテルに持って帰ることにする。体調も悪かったようなので、どうかしたのかもしれない。案内なしでも帰れるから、ということでスタッフと分かれてホテルに向かう。

 IK氏と打合せの必要があり、それならホテルよりもそのへんで、ということでホテルの近くのバーに入る。最初「マグで」と頼んだが、「それはピッチャーになる」という頓珍漢な会話をし、とにかくマグでタイガービールを飲む。明日のプログラムについてIK氏より変更の要請あり。MC先生にアドバイスされたとのこと。コンサートについて、順番や一部曲目の入れ換えを検討する。それから、会場の準備物などについて質問する事項を整理しておく。指揮者より「前川さんは、対外交渉に専念して下さい」という指示あり。しばし飲酒の後、ホテルへ戻る。ロビーでは荷物を忘れたTT氏が待っていた。自分はロビーに待機し、深夜便で到着するKT氏を待つことにする。見ていると、なにコラメンバーが時々通る。朝食の件も、まず口コミでできるだけ広げてもらうようにしておく。自前手配で来たメンバーも確認。なんと、初めてにも関わらず空港からバスに乗ったとか。ホテルが見えたので慌ててボタンを押して降りた、とのことだったが、夜でもあり、なかなか困難なことだろう。勇気ある行為である。KT氏到着ののち、部屋に戻る。シャワーを浴びて、寝たのは午前1時。

8/16(木)

 7時前に目覚める。疲れているのに目覚ましが鳴る前に目が覚めるのは、やはり旅先での緊張のためか。手早く身仕度をして、食事へと1階へ降りる。シンポジウム参加者向けに共通の食堂が用意されていた。確かにチケットはいらない。とりあえず入り口からできるだけ目立つ所に座っておくことにする。朝食は普通のバイキング。品目はそれほど多くないが、一通り揃っている。コーヒー・紅茶は注ぎに来てくれる形。とりあえず食事をする。そのうちに少しずつ集まってくるが、やはり数が少ない。早めに食事を済ませた何人かに、ロビーで待っていてもらって声を掛けてもらうことにする。起きる時間にも差があるので、部屋に戻って直接部屋に電話をかける。まだ部屋にいる者もあり、また散歩がてら外に出て済ませた、などの声もあった。これは今回最大の失敗となってしまった。また部屋に戻ると電話に「メッセージあり」の表示。聞いてみるとホテルの宴会予約からで、今日の9時から練習室を使えるとのことだった。こちらは一安心。部屋は、一度簡単に掃除されたようで、ベッドも直っている。

 身仕度を済ませてからロビーへ。IK氏、KT氏と共に本部へ行く。ジェニファーから日程等の確認を受ける。ワークショップの配布資料を100部用意したが大丈夫か、というと、一般参加の登録は200人位だし、いくつかの会場に分散するので一会場はそんなに多くない、100あったら十分だ、とのことだった。事前にもらっていた予定表とハンドブックとで、明日のコンサートの場所が違っている。確認したら、「あら、違ってるね」と予定表を訂正された。あまり響きの良くないという場所への変更だったので、ちょっと残念。また他にも時間の変更等があった。最初はワークショップからコンサートまで外に出っぱなしの予定だったが、ワークショップ後にホテルに戻れることが分かる。これはありがたい。公式の録音はなし、舞台写真は人数分を送る、司会進行についてマイクを使う予定なのでその準備、昼食のチケット、等々を確認していく。途中でMK先生が現われ、こちらも確認をしていた。「いきなり『別のワークショップもやってくれ』とか言われてまいったよ」だとか。プログラムの変更については、他の合唱団では認められなかったそうだが、「いいですよ」とあっさりOKをもらえた。ただし、すでにプログラムは印刷しているので、訂正をはさみ込む必要がある、とのこと。これは、スタッフが日本語に関わる手間や間違いを考えてこちらで作らせてもらうことにする。途中でIK、KT両氏は練習に戻る。自分は事務所に残って、パソコンを借りてプログラムをつくる。レーザープリンタで印刷してみたら、かすれている。その旨を告げたら、「振りな!」との声(笑)。これはどこでも共通だ、とお互い笑っていた。夜の分をつくり終えてから、昼の分も作製する。つくったものはさっそくコピーしてもらい、あとはお任せする。

 急いで練習会場に戻って、練習に参加する。基本的に会議室なので、やや狭い。日本から持参したキーボードを使って練習を進める。時間との戦い、という雰囲気の中で練習終了。ここで諸連絡をし、昼食券を配布。各自食事に向かう。予定表では4階と書いてあったが、本当は5階にあった。ここでも間違いあり。「プールサイド」という名前なので、「本当にプールの横にあるのかな」と冗談で言っていたら、本当にプールの横にあるガーデンだった(笑)。一部の客が泳いでいるのが羨ましい。チケットを渡して、バイキング形式で取っていく。日が照っていて蒸し暑いのに、扇風機には霧吹きがついているのが不思議。まあ開放的な雰囲気で食事ができるのはそれなりに楽しい。部屋に戻って一休み。先程とは違う所が整理されているのに驚く。何回も掃除するのだろうか。

 午後はワークショップ。準備をして、また1階ロビーに集合する。少し時間があったので、近所の写真屋で絵葉書を買い、妻宛てに送る。切手はホテルの1階でも扱っているが、絵葉書は4階のフロントのみとか。この午後は日本人のHさんがついてくれる。歩いてラッフルズのジュビリー・ホールへ。ところがまだ前のコンサートをやっていて、まだ20分くらいあるということなので、しばし解散して待つことにする。コンサートにも入れるということなので、2階席へと座る。ちょうど台湾の児童合唱団が演奏していた。きらびやかな衣装を着て、動きを取り入れているのが面白い。歌の最後が全て合掌で終るのはお国柄か。

 コンサートが終って客がはけてから、我々向けのセッティングが始まる。ワークショップなので、椅子を並べて歌う時のみ立つことにする。OHPやワイヤレスマイクも用意してもらう。MC先生やSY氏なども用意を見に来ている。MC先生には、「彼はねえ、非常にユニークな人なんだよ」とSY氏に紹介される。楽屋は狭いが、今回は基本的に普段着で舞台に乗るので、着替える必要もないから特に問題はない。舞台では水がペットボトルで支給されている。ワークショップ中に舞台上で飲んでもいいか、と念のため確認すると、「お好きなように」ということだった。配布資料については、入場受付で配ってもらうつもりだったが、特に受付をおかないということだったので、ミッシェルらに開始時に直接配布してもらうことになった。

 2時半、ワークショップ「Meet the Choir」が開会。聴衆は30人程度。手前には高校生らしき姿が何名か見える。整列して、さてしゃべろうかと思ってマイクのスイッチを入れたら、ハウリングが起こる。マイクの位置等を調整してみたが、うまくいかない。いきなりのトラブルでちょっと慌てるが、「私たちは歌い手なんだから、マイクなんかなくても大丈夫ですよね?」と聴衆に呼びかけ、「その通り!」と返事をもらえる。この反応をもらえてちょっと安心。あとで調整したマイクを持って来てもらうまで、とりあえずそのまましゃべることにする。「まずは大阪の紹介から」とIK氏に頼まれていたが、なかなか難しい。もう一つの合唱団が京都だったので、「古くは京都は首都、大阪は商業の町として発展した」と説明する。「なので京都は高貴だが、大阪は高貴とは言いがたい、このメンバーをご覧の通り」と笑いを誘う。

 まず第一部として、OHPで楽譜をみせながら、日本の男声合唱作曲家を説明し、演奏する。この様子は、あとで「大学の講義を聴いているようでした」と団員に評される。しかし、説明して歌い、また説明する、となるので自分は休む間がなく、結構大変だ。隠し置いた時計をちらちらと覗きながら進めていく。第2部では、「We are Naniwa Choraliers!」と題して、歌い慣れた曲を歌っていく。こちらになると歌い手の乗りも、聴衆の反応もよくなる。Aura Lee を歌うというと英国系風のおばさんが「ほう」という顔をしたり、斎太郎節を歌うというと高校生達が急に元気になったり。聴衆の反応がおもしろかった。ほぼ予定通りの時間に終了。

 終了後、合唱団員が楽屋にひきあげて、自分がOHPの片付けなどをしていると、一人の男性が声を掛けてきた。名前を見ると、ロバート・ズンド。すぐに誰だったかは思い出せなかったが、すごい人であることだけは気づいた。もちろんすぐに「オルフェイ・ドレンガーの指揮者です」と自己紹介してくれた。あまりにも意外な人に話しかけられたので、思わず気が動転。慌てて指揮者を呼びに行く。この姿を見たメンバーの一人は「あの冷静な前川さんがあれだけ慌てているのだから、よっぽどすごいことがあったのだ」と語っていた。いいサウンドだし、プログラムも面白かった、との感想。とはいえ後片づけや帰りの手配などもあるので、自分はばたばたと走り回る。ミッシェルに頼んでメンバーをホテルまで送り届けてもらい、一部のメンバーはズンド氏を含む関係者と対話する。

 ホテルへ帰ってシャワーを浴び、今度はコンサートの準備をする。少し時間があったので、マリーナスクエアを歩いてみる。日本では買えない、色物の蝶ネクタイをいくつか購入。妻に頼まれた口紅も、たまたまそのブランドを見つけたので聞いてみたが、やはり廃番でシンガポールでは買えない、との返事。すこし歩いてから衣装を持ってロビーへ集合。ミッシェルが先程のワークショップの資料の残りを返してくれるが、こちらの荷物が多いのを見て「コンサートが終るまでもっていてあげよう」と言ってくれる。幸い全員そろって、バスで移動する。行き先はヴィクトリア劇場。ここが夜のコンサート会場になる。ミッシェルは小柄な割に歩くのが速くて、多人数のメンバーがついていけないことも。「歩くのが速すぎるよ」と言ったら、「日本では女性はいまだに男性の後ろを歩かなきゃならないの?」と返されてしまった。ともかく劇場へ。前の団体がまだ練習していて、舞台に上がれない。定刻まで20分近くあるが、定刻からしか使えないとのこと。早めの移動が大切なのは分かるが、ちょっと時間がもったいない気もする。

 やっと18時になり、舞台に上がる。照明がうす暗いままだったので、明るくしてくれといいに言ったら「照明係りが食事に行ったので、戻ってくるまでは出来ない」との返事。どうもこの辺がいいかんげんというか。仕方がないのでそのまま練習を続ける。オケピットまで舞台にしているので、やたらに奥が深いステージになっている。後ろの壁についた雛壇は遠すぎるかと思いきや、結局その位置が一番いいことが判明する。ホールの響きは、現代の水準からすればもう一つ。やっと照明係りも戻ってきて、最後の15分で照明調整と入退場確認をする。アナウンス用のマイクも確認する。全体進行の関係上、マイクは下手にしか置けない、またワイヤレスマイクはないとのこと。面倒だが、立ち位置から下手までいちいち歩かねばならない。

 練習後、楽屋で食事。弁当と水が配布される。ニンニクの効いた炒飯が基本で、「おいしい」と好評であった。食事をすませると、着替えて待つ。開演前、MK氏の曲の初演をするので、紹介したいから同氏が来ているかどうか見てきてくれないか、と頼んで、またミッシェルに走ってもらう。開演直前に戻ってきて、1階にはいなかった、ということだった。とにかくよく動いてくれるので助かる。全体進行の司会者とも打合せをしておく。最初の紹介と締め以外の曲目紹介以外はこちらでやることを告げると、「それはありがたい、(日本語の曲は)読むのが難しいから」と喜ばれる。今日の配布プログラムも事前に配られたが、見てみると最初にある指揮者の名前が間違っている。別の合唱団の指揮者の名前と混同したらしい。

 19時、開演。夜のコンサートは2つの合唱団が出演し、なにコラは一つ目。昼に比べると、お客さんも多くてやはりメイン行事の一つという感じである。同じ時間には他のプログラムがないことも関係しているだろうか。演奏と司会を交互に進めていく。新曲の発表では、「今日は皆様に特別なプレゼントがあります」とはじめ、「これは本当の世界初演で、日本ですらまだ演奏していないのです」と続ける。「あなたがたはこの初演に触れることができる大変幸せな方々です」「『あなたがたのために』歌います」と締めたら随分受けた。これは後に指揮者によって「まるでワンマンショーのようでしたね」と評された。演奏は、まあまあ。演奏後は作曲者を客席に探す。「ブラボー」という評価をもらえて一安心。約1時間のプログラムに加えて、アンコールは斎太郎節。演奏するほうも一通り終えた開放感に溢れ、大好評であった。

 終演後は急いで着替えて、客席に移動して次の団体を聞く。客席への移動の途中でMK先生等にもお目にかかる。3階席に座ると、隣に座っていた青年から「素晴らしい演奏でした、CDはないんですか」と声をかけられる。残念ながら販売はしていないので、名刺を渡して興味があったら連絡をください、と告げておく。指揮者は2階のVIP席へ。世界合唱連合のお偉方たちと挨拶を交わしている。続く演奏は、台北フィルハーモニック・クワイヤ。こちらは混声でセミプロの集団である。声の出方もぜんぜん違っている。民族的なものから現代の台湾の作曲家のミサまで、時には簡単な動きや小道具を取り入れながら歌っていく。やはり見た目での変化も大切かもしれない。一通り歌って退場し、終ったかと思ったら、楽器をセッティングしてさらに続いた。休憩が長引いて押したとはいえ、もともとのプログラムビルディングで演奏時間が長すぎたのではないかと思えた。司会は全て全体司会者に原稿を渡して、それを読んでもらっていた。アンコールが済んで全て終了したのは予定より20分後だった。

 ホールを出て、再びバスでホテルへと戻る。バスの中で明日の日程を連絡しておく。皆浮かれ気分で、後ろの方からは歌声も聞こえてくる。ホテルに到着して、解散。いったん部屋に戻ってから、ホテル4階のラウンジで飲むことにする。早めに降りてきて待っていたが、なかなか他の顔ぶれが来ない。あとで聞く所では、この時に1階に集まっていて、たまたま現われたジェニファー他の現地スタッフに一曲歌っていたとか。ともあれラウンジに集まり、ビールで乾杯。マグで頼むと、陶器のマグに入れてきてくれる。今日の演奏についてや、演奏旅行全般についてなど、話題は尽きない。遅くまでいたら、「ビヤマグをおみやげにどうぞ」ボックスを持ってきてくれた。しかも、一人二個ずつ分。最後に、近くにいたMC先生とMK先生に挨拶する。MK先生には、コンサートでの「あなたがたのために」が非常に受けていたようだ。午前1時に閉店となり、部屋へ戻る。シャワーを浴びてさっぱりし、就寝。

8/17(金)-18(土)

 やはり目覚まし前に目が覚める。ちょっと眠いのですぐには起きず、しばらくごろごろしてから起き出す。昨日のビールと疲れとで、ちょっと頭が重い。とにかく身仕度をして、朝食へ降りる。昨日とは隣の部屋になっていた。基本的に昨日と同じだが、テーブルセットにはデザート用のスプーン・フォークがない。ヨーグルトを食べるのにしばし迷って、持ってきてもらう。どの席にもなかったようで、昨日とのこの違いは何だろうか。ゆっくりと食事を済ませて、部屋に戻る。8時30分に1階ロビーに集合。歩いてYoung Musicians' SocietyのAuditoriumへ移動する。ラッフルズを越えてさらに歩いていく。今回は歩きが少ないので、ちょっとした距離でも遠い感じがする。疲れもあるし、暑さのためでもあるだろうか。YMSのビルは、2階建のこじんまりした所。オーディトリウムは、こじんまりながらも音響もよく、いい雰囲気。「ここで昼のコンサートをやりたいねえ」という声も。ピアノのコンクールなどもここで開催されるようだ。早目に着いたが、ここはすぐに始めてもいいということなので、ゆっくりと発声を始める。さすがに声の乗りがもう一つ。丁寧に響きをつけていく。

 練習は1時間強で終わる。ここで時間があり、しかもホールではあまり余裕がないことを考え、ここでコスチュームに着替えるようにミッシェルが提案。これに従う。しばし待機してから外に出る。YMSの入り口にはシンポジウムのポスターが貼ってあり、なにコラの写真も出ていた。このポスターは初めて見かけた。たまたま貼ってある場所に行かなかったのか、それともあまり大々的に宣伝されていないのかどうか。外に出ると暑い。黒の長袖なので特に暑く感じる。出る前にミッシェルが「上着は脱いでいきなさい、とても暑いから」と言っていたのがそのとおり。10分ほど歩いただけなのに、随分疲れたような気がする。エミリーがあくびしているのが見えたので、ミッシェルに「あなたがたもお疲れでしょう、毎日出ずっぱりで」というと、「私たちはいいの、歌わないスタッフだから。出演者のあなた方は疲れないようにしなくちゃ」とけなげな答えがかえってきた。

 ラッフルズのジュビリー・ホールに到着。が、入口の階段付近には人がたむろしているため、エスカレーターで3階へ。ここでしばらく待ち、裏口から楽屋へ入る。まだ前の団体がワークショップをやっている。すでに終了予定時間ではあるのだが。予定時間から開始まではもともと30分しかないのに、と少し焦る。先に着替えておいて大正解だった。やっと終って、すぐに舞台へ。雛壇を動かしてもらい、立ち位置を確認する。この間に、ホールスタッフと照明やマイクの打合せ。マイクについては、昨日打合せたにも関わらず、慌てて用意している様子。短時間でとにかく確認を済ませる。ジェニファーも見に来ていて、「昨日ロビーで歌ってもらったのを知っているか」と言う。「とても美しかった、特にハミングが。」とのことだった。開演間近になり、袖に待機。

 ランチタイムコンサート開演の時間になるが、まだお客さんは十人程度のようだ。事前に「人の流れを見て、少し開演を押すかもしれない」とは聞いていたが、やはり平日の昼間では人も入りにくいか。じりじりと袖で待機する。10分押した所で、ゴーサインが出る。入場者は30名ほどか。後でもまたばらばらを入って来たので、最終的には50人弱ほどになったようだ。このコンサートは、あまり司会もしゃべらずにどんどん歌っていく。もっとも、ところどころにジョークを入れておくことは忘れない。さすがに皆に疲れがあり、音が合わない所も多数。自分も、音が分からなくなって取り直したことは数え切れない。しかも曲間にもしゃべらねばならないので、かなりしんどい。お昼が遅いことも一因か。ともあれ、時計を覗き見ながら、ほぼ予定通りに終了。アンコールに再び斎太郎節。歌うのはこれで最後とあって、もうこれ以上はないほどの大音量で皆歌いまくる。自分は、慣れないセカンドパートではなく、ベースをこれまたがんがん歌う。これに合わせたように盛大な拍手で、無事コンサートは終了。

 次の団体も外で待っているので、もう着替えずにそのままホテルに戻ることにする。とりあえずこれで全部終った、という開放感がある。歩いてホテルへ移動。各自部屋に荷物を置いてから、再び朝と同じ部屋で昼食。今回はチケットが必要なので、来たら配ろうとしていたが、「どうせ集めるのだから、特に渡さずにこちらで数えますよ」というミッシェルの提案に乗ることにする。デスクには一人のおばさんがスタッフとして座っていたが、この人が今回のシンポジウムの代表者のご母堂。またセレステの母でもあり、ジェニファーは義理の娘だとのこと。なんとも、家内工業のようなシンポジウムだ。他にも親類がスタッフに入っているとか。せっかくなので二人の写真を撮らせてもらう。そうしているうちにぼつぼつと集まってくる。やはりバイキングだが、もう昼食時間も終りに近いので、あまり料理も残っていないという感じ。疲れがどっと出てきたのか、食欲が出ない。ほんの少しを口にするにとどめる。皆が帰り始めた時、ある思いつきを実行。O氏の奥様とミッシェルに声をかけ、二人並んだ写真を撮ってもらうように願う。ミッシェルも疲れた様子で、「なんで、彼女と?」とちょっと嫌そうだったが、なんとかお願いすると「オーケー」とのこと。O 氏の奥様にも嫌がられながらも、なんとか撮影。この二人、よく似ていると始めから思っていた。O氏も「よく似ているよ」という評価だった。他の何人かも同意見だったので、記念ということで写真を撮らせてもらった。

 さて、これからは自由時間となる。手始めに、シンポジウムのメイン会場へ一人で向かう。ラッフルズ・コンベンションセンターの4階は、初日にいったところなので場所は分かっている。しかしセンターに置いてある看板等も小さく、あまり人目を惹かない。ずいぶんこじんまりした感じがする。受付では楽譜等も販売していた。中国の合唱曲などは珍しいので、いくつか購入する。会場ではいくつかの楽譜出版社等が展示しているので、ぐるっと巡ってカタログを集める。韓国で来年行われる合唱オリンピックの宣伝もしていて、コンタクトの名刺ももらう。日本からはパナムジカが出店。また、シンポジウムのオフィシャルポロシャツを買おうとするが、LやMはすでにないとのこと。サイズを合わせてもらったらまあいけそうなので、XLを購入する。ワークショップ等もやっていて、少しずつ覗いてみる。MK氏がやっていたのは、現地の中・高校生を集めたワークショップのようだ。

 3時くらいになってから、シンポジウムの事務所へと挨拶に行くことにする。顔を出したら、丁度お茶の時間だった。「おやつをどうぞ」と勧められるが、先程昼食を食べたばかりなので丁重にお断りする。団を代表して、今回の招待への感謝をアルベルトとジェニファーに述べる。なにコラのホテル出発時には、都合で来られないということなので、やはり今のうちに来ておいてよかった。そのうちにセレステも丁度戻ってきたので、こちらにも挨拶をする。皆いろいろ手を尽くしてなにコラのために頑張ってくれた人たちである。とにかく、感謝の言葉ばかりを繰り返す感じになってしまい、もどかしい思いがする。これからも継続的な関係を維持することをお互いに期待しつつ、事務所を去る。

 コンベンションセンターの中、ラッフルズ・シティの中を少し歩き回ってみる。こちらの人たちには日本人としか思えないような人たちも多く、でも言葉は違うので、なにか不思議な感じがする。いろいろウィンドーショッピングしながらまわると、本屋があるので入ってみる。マレー語などの手ごろな入門書があればと思ったが、規模も小さいところなのでそこまでは無いようだ。しばらくふらふらしてから、外に出る。

 3時半には、ラッフルズホテルへ向かう。何人かで、ハイ・ティーの予約をしてある。KJ氏はホテルのロビーでビデオ撮影をしていたが、係員に制止されていた。写真はいいようだ。案内されて席へ。飲み物は、まずはシンガポール・シリングを頼む。アルコール入りと無しとがあるということだが、どうも疲れているので無しの方をとる。それからバイキングへ。パンなどの軽食からデザート類までずいぶんたくさんある。しかしまだ食欲が回復しないので、少しを取るにとどめる。アルコール入りのシリングは、アルコールがきついとのこと。最初が特に濃いようだ。グラスのサイズも大きいので、みな必死に飲んでいた。軽く食べながら、今回の反省など。その間にも、何人ものなにコラメンバーが外から覗きこんでいく。1時間程して、再びホテルへ戻る。

 すでにチェックアウトを済ませたメンバーがロビーで待機している。そろった所で、指揮者より総括が語られる。また最後の諸連絡。それが済んでから、ミッシェルたちに皆でお礼を言う。チェアマンが挨拶している時に、日本からのお土産を部屋に置いたままであることを思い出し、慌てて自分の部屋まで取りに行く。幸い、挨拶のあとの1曲を歌っている間に戻ってくることができた。歌い終わってから、プレゼントとして手渡す。お礼は尽きないが、バスの時間が近づいたので移動。ここで基本的に解散になる。あとは自己責任で日本まで帰ってもらうことになる。主に経由便組がバスに乗る。トランクはやはり別トラックで。さて、無事に空港へ出発…と思いきや、発車直前にバスを降りた一人が「荷物をトラックに置いたままだ!」と叫ぶ。皆で追っかけるためのタクシー代をカンパする一方、こちらはミッシェルに頼んでトラック運転手に連絡を取ってもらう。まあタクシーで追いかければバスよりも速く空港に着くだろう、ということだ。まったく、最後まで問題が起こるのがなにコラである。

 一段落した後、自分の部屋に戻って荷物の整理。チェックアウトは通常4時半までだが、今回は事務局の配慮で6時まで可、ということにしてもらっている。それにしても時間がないので、慌てて片付ける。ペットボトルの水も、もっていっても重いだけなのですべて部屋に置いていく。片付けてばたばたしているうちにトランクを角にぶつけ、上部ハンドルがすべて取れてしまう。まあこの方がややこしくなくていいかもしれない。4階ロビーに降りていく途中で、財布までトランクに詰めてしまったことに気づく。フロントの前でトランクを開けて取りだす。キーを返してチェックアウト。昨日の朝の練習室の費用も支払う。これでとりあえず無事終了、のはず。

 直行便組や自前手配組は再びロビーに集合し、フロントにトランクを預けて、町をうろつくことにする。とりあえずホテルの隣のモールを歩いてみることにする。ここでふと気づいて、ネクタイを外す。一応マネージャーとして、いままではずっとネクタイをしていたが、もうその必要もなさそうだ。このモールは特に観光客向けというよりも地元向けで、日本でもよく見かけるようなブランド等の店が多い。いったん奥まで歩いてみてから、再び行き先を考える。いくつか意見が出たが、食べるためにボート・キーまで行こう、ということになる。時間もあるので、歩いていくことにする。幸い夕方になって比較的涼しくなってきたので、歩くのも苦にならない。途中で現地滞在者と会食するというKJ氏と分かれる。こちらは歩いて市役所前を通り、昨日の会場でもあったビクトリア劇場前で写真撮影。「やっと観光客らしくなってきた」という声も。ここからマーライオンも見えた。橋を渡って、河岸沿いに歩いていく。IK氏は「遊覧船に乗ろう」とさかんに提案していたが、残念ながら空きの船が無いようだ。ボートキーに並ぶ食べ物屋街へ。金曜の夜ということもあってか、人通りが多い。いろいろなタイプの店があって、見ているだけでも面白い。呼び込みもそれほどしつこくはないが、ちょっと怪しげな感じがするところもいくつかある。一通り歩いてから、適当な店に入る。残念ながら、呼び込みが言っていた値段とメニューの値段は少し違っているようだ。とはいえ、やはり日本の基準からすれば安いもの。それぞれに料理を注文し、ビールで乾杯する。しばし歓談の時。河岸を渡る風が気持ちいい。

 9時前になって、ホテルに戻る。タクシー2台に分乗したが、先に出た車が後から着いた。「回り道をされたんじゃないか」といわれたが、値段を聞くと後組のほうが高い。「ぼられたのはそっちだろう」と皆で笑う。ワゴンのタクシーをフロントで呼んでもらい、空港へ移動する。このタクシーにはメーターらしきものが無いので、「どうなるのだろう」と言っていたが、支払いは最初にホテルで聞いた値段と同じだった。ホテルに関係していると信用問題があるのかもしれない。空港ではやばやとチェックインする。荷物検査の後、チェックインカウンターで並んでいると、カウンターのお姉さんが出てきて「このカウンターはもう閉める、あなた方で最後にするから、もし次の人が並んだらその旨伝えてほしい」とのこと。しかし前の客が長引き、結局こちらは隣のカウンターへ。並んでいる間に、荷物検査のセキュリティシールを行きのものだと勘違いしてはがしてしまい、もう一度検査をして貼ってもらう。

 チェックインを済ませると後は暇になる。まずはそのあたりにあるお土産屋を覗く。特にこれといったものが無い。しばらく見てから、早めに出国審査を通る。最初にパスポートがチェックされ、それから出国審査のカウンターへ。これを通過すると、免税店が並んでいる。トランク騒ぎの張本人もここにいた。無事トランクを回収できたとのこと。各自、自由にうろつくことにする。ずーっと歩いていくが、広い。本屋やおもちゃ屋なども覗いてみるが、もう一つ。郵便局があったので、絵葉書を買って妻に書き送る。さらに歩いてみる。ちょっと疲れてくるが、お土産を探す。数が稼げるということでクッキーを購入。4箱買うと1箱ついてくる、ということだが、8箱必要だったので8つ分支払うと10箱となる。さすがに重い。しばらくそのまま歩いていたが、さすがにカートを探すことにする。表には出ておらず、裏の通路にまとめられていた。美観を気にする国らしい。それからまた先程の郵便局に戻って、実家にも絵葉書を書き送る。最後に残ったお金でチョコレートなどを買ってから、ゲートへ向かう。ゲートは、先に手荷物検査と搭乗手続きを済ませてから待つ形。上級クラスから登場が始まった所で、KJ氏が到着。のんびりした現地滞在者につかまり、あやうくシンガポール国民になる所だったとか。無事飛行機に乗って、出発。

 上昇すると、さっそく軽食が配られる。おつまみ程度の寿司ないしサンドイッチ。軽く食べて、あとは寝るのみ。さらに、4時頃に朝食が配られる。まったくおなかも空いていないので、これは断っておき飲み物だけにする。普通はそんな時間に食事は取らないものだ。かえって調子が悪くなってしまう。この選択は、他のメンバーに誉められた。定時よりも20分早く関空に到着する。荷物を受け取って税関を通り、出口で揃うのを待つ。無事そろった所で、解散。それぞれ帰路をとる。自分は「はるか」に乗って京都へ。無事に帰りつけば、今日の午後もまた合唱の練習だ。

 
Many Thanks, Michelle!

<おしまい>


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