合唱バカの華麗なる人生

 =なにコラ:カナダ演奏旅行編=


2004.8.10(火)

昼前から行動開始。まずはおみやげ物を買いに、外国人向けの定番:京都ハンデクラフトセンターへ。各階を見て回り、いろいろと考える。草履も候補に挙がったが、「外国の人はぴったりのサイズでないと嫌がるでしょう」という店員のコメントにより却下。結局、飾り扇子と風鈴にする。法被を買うかどうかI東氏にメールするが、すでに購入済みとのことなのでOK。予備として日本の絵はがきも買っておく。 購入に応じて出来る籤を引くと、3等。キーホルダー。あまりつけたい柄でもない。外に出ると、北の方は雲行きが怪しい。稲妻も見える。京大生協で乾電池を購入。MDディスクは南部には売っておらず。とにかく雨が降る前に急いで帰宅する。MDは結局コンビニで購入。

帰ってしばらくすると雨。早く帰ってきてよかった。持っていく荷物を揃えて、スーツケース詰めをする。通常の出張と違うのは、キーボードを持っていくこと。丁度はいるサイズ。このキーボードも二回目の海外旅行となる。いったんケースを閉めるが、それから思い出すものもいろいろ。開けたり閉めたりを繰り返す。時計を持っていこうとしたら、なんと電池切れで止まっている。他に動くものはなく、しばし考慮。結局、携帯電話で時刻は見られるということで、今回は時計を持っていかないことに決める。

そうこうしているうちに雨も上がり、14時半頃に出発。歩いて地下鉄まで行く。雨上がりはやや暑い。スーツケースをハンドルで引いていくのも結構力がいる。転がしていくほうが楽か。京都駅で「はるか」の切符を購入してから、軽い昼食を探す。何にするか迷うが、結局ロッテリアに。それを持ってホームに行くと、H磨氏が同じ車両、I東氏は自由席車両に。まあ空いているようだが、意識の差か。ともあれ、関空へ。

今回、関空発は5名。関空開港10年記念として飾られている提灯を見て「あれ持っていこう」というI氏を軽くあしらって出発ロビーへ。すでにあと二人も到着済み。ここで航空券を配布する。I東氏はレンタル電話を借りにいずこかへ。しばらくするとチェックイン開始。エア・カナダは南出発口のANAカウンターになる。エコノミーの列に並ぶが、そういえばと思いだし、窓口担当者に確認して「スーパーコンフォート」クラス購入者は空いている優先カウンターでチェックインをすませる。エコノミーでもスーパーコンフォートは、ビジネスのシート。チェックインもファーストクラスのカウンターで優先的にできるのだった。価格の違いは35k。これは大きい。荷物にもPriorityの札がつけられる。

ここでいったん解散。まずは旅行保険に加入し、3階へ。関空内のショップも一部入れ替わりあり、本屋が少し広くなっていた。しかし空いているスペースも多く、苦戦を偲ばせる。文庫本を2冊ほど買って、あとはそれほど見るものもないので入国審査へ。問題なく通過。免税店を覗くが、知りあいに頼まれていた品物はなし。日本の免税店では扱っていないとか。いろいろ違いがあるようだ。他には特にあてもないので、スカイトレインにのってゲート近くまで行き、カード会社のラウンジで時間をつぶす。ここはわりと居心地がよい。改めて現地の案内図などをもらう。今回はガイドブック類を購入していないので、ここで初めて、一応の地形を頭に入れておく。

搭乗時間近くなったので、ゲートへ。飛行機の搭乗はやや遅れていた。ガイドブックを熟読するI東氏。搭乗の時は、ビジネスの席ではあっても通常のエコノミーと同じタイミングになる。今回の飛行機はB767-300。やや古い感じは否めない。GPSの航路表示もない。しかし、ビジネスシートは快適。普通に座ると、前の足置きに足が届かない。テーブルも座席に内蔵されているタイプなので、前のシートが倒されていても問題なく食事ができる。毛布もデラックスな感じの厚手。食事はエコノミーと同じなので、逆にこの席に置かれると貧弱に見える(笑)。まずは現地の新聞、The Vancouver Sunを取る。広告を見ると、Festival Vancouverの宣伝も載っている。いずれなにコラも、このように載ることになるのだろう。機内の安全設備アナウンス、英仏でなされるが、常に英仏という訳でもなく、仏英という順番になったりもする。一方に優先度があるわけではない、という配慮なのかどうか。

離陸後、早々と入国カードが配布される。カードは英仏二カ国語で書かれている。おみやげ物など、60CAD以上で申告することになっているのはなかなか厳しい。 しばらくして機内食。ビールは当然現地もの…と思いきや、現地ブランドはなにがあるのか分からずにクアーズライトを頼んでしまう。いちおうカナダ生産品ではあったが。ナイフ・フォーク・スプーンはプラスチック製であった。これだと、家に持って帰るほどでもない。記念にならないのはちょっと残念。フライトアテンダントは「fish or omlette?」と聞いていた。「魚か卵か」という選択は珍しいように思う。食事そのものはまあまあ。定番、「茶そば」も。そういえば同じ食事にパスタも含まれていたので、同じ麺類が一つのメニューに含まれていることになる。これはいかがなものか。I東氏が「昔は、水がパックで出てくることに驚いた」と。御意。今でこそ水を買うのは当たり前だが、子供の頃、というか中学生くらいまではまだ水は水道水、が常識だったのだ。

フライトは10時間。時差の関係もあり、全航路がほぼ「夜」の設定なので窓が閉められる。さすがにビジネスの座席はらくちん。楽譜を見たり、資料をチェックしたり。そのうち、フライトアテンダントに「あなた達は音楽家ですか?楽譜を見ていらしたので」と聞かれる。ついに陸地が見え始める。山の上の方には万年雪が見える。やはり緯度の高い国に来たのだ。着陸前に、カナダの規則により安全設備の再確認アナウンスがある。なかなか厳しい。そうこうしているうちに、バンクーバー国際空港に着陸。

飛行機を降りてから、空港内を歩いて入国審査へ。しかしそこまでの距離の長いこと。ぐるぐると回っていく。動く歩道が欲しいところ。ガラス張りなので、向こうの方まで見えるのは面白い。入国審査では、最初「観光にきた」といったのに「なんのために来た?」と何回も聞かれる。あまりしつこいのでつい「歌いにも来た」と言ってしまう。すると「では観光じゃないじゃないか!」と突っ込まれる。「どこで歌うのか?」「他のメンバーはどこにいるのか」などと聞かれ、結局はOK。よく分からない審査。自分の後に続いたメンバーはすんなりと、ほとんど聞かれずに通過。I東氏は別ゲートに行き、やはり引っかかっていた。似たような感じだったらしい。荷物受け取り所に行くと、早くも荷物が出始めている。Priorityのグループは先に荷物が出てくるのですんなりと。全員の荷物が揃ったところで、税関を通って到着口へ。いったん広いところに出たので、ここが待ち合わせかしらん、と思っていたが、どうも違うようだ。あとで聞くと、ここは旅行業者などパスがある人のみが入れるところらしい。ドアを出て、ロビーへ。

ここで現地の担当者が出迎えてくれる。C氏とCaroline。予定ではここでUA組と待ち合わせることになっていたが、なんとUA組のシアトルでの乗り継ぎ予定便がキャンセルになったという。2時間ほど後の到着になるというので、CA組のみで市内へ向かう。タクシー分乗でホテルへ。少し人数が多かったので、私はC氏の車に乗せてもらう。バンクーバーも暑い。話では、数十年来で初めての暑さだとか。今年の日本ほどではないが、しかしそれでもかなり暑さを感じる。市内中心部へ乗り入れると大変だということで、市外に車を泊めてバスでダウンタウンに移動する。小銭を持っていなかった、というよりまだ両替もしていなかったのだが、C氏に払ってもらう。感謝。バスは、途中でキャンプ?に向かう子供たちが乗ってきて、大混雑。日系人らしい顔も見える。ここでC氏といろいろ打ち合わせ。日本領事館でのレセプションの招待状ももらう。私の名前だけが間違っていたが、これは事前に提供をしていた私のデータミスであったことが判明。Maeakwaとなっていたのだが、しかし明らかに日本人の名前になっていないのだから、確認してほしかったところ。日本人がタイプすれば間違うことはなかっただろうに。日本から持ってきた携帯電話の電源を入れるが、"No Service"と表示されて使えない。設定の問題だろうとしばらくいろいろ触ってみるが、マニュアル無しでは不明な部分も多く、あとでスーツケースを開けてから確認することにする。

ホテルはEmpire Landmark、市内でも高いホテルの一つ。少し外れたところにある。チェックイン時に、クレジットカードを確認されるのは世界的な常識。日本のホテルはその点のんびりしたものだ。I東氏がカードを持っていなかったため、私のカードを使う。宿泊者カードには、本人の他にカード所持人のサインも必要とのこと。誰かが払ってくれれば、ホテル側としてはそれでいいわけで。カードキーをもらって部屋に入る。一人部屋なので、ダブルの広めのベッド。21階なので見晴らしがよい。スタンレー・パークがよく見える。ドライヤーが無いことのみが不足か。携帯電話の設定は、マニュアルを見て設定変更。米国仕様になっていたようだ。カナダに行く、と伝えてレンタルしたのだから、最初からカナダ用の設定にしておいてもらいたいものだ。簡単に荷物を整理してから、早速メール読み出しにトライ。しかし電話そのものはかかっても認証がうまく行かない。夜に再確認することにして、町を少し見に行く。Robson通りを歩いて、まずは新聞を買えるところを探す。最初は、意外に見つからないもの。両替所を見つけて両替し、中国人の経営する売店のようなところで新聞を購入。再びホテルに戻ると、すでにCarolineが待っていた。車に乗せてもらい、UA組を出迎えるために再び空港へ。途中English Bayを通ると、泳いでいる人たちも。この暑さでは無理もない。

到着口の真正面にスタンドバーがあり、到着客を待つのにはおあつらえ向けとなっている。Carolineと雑談しながらしばし待つ。彼女は、フェスティバルの前後の短期間、仕事に携わっているとのこと。フェスティバルが終わったら、3週間ポルトガルに旅行する予定で、それが楽しみだ、と言っていた。風貌からどうもヨーロッパの雰囲気がするので聞いてみると、もともとスコットランドだという。「オランダとはよく言われるけどね、背が高いから」と。「でもそんなこと初めて聞かれたなあ」とか。そうこうしているうちに、到着表示に着陸の合図が。しばらくすると、K谷が一人で出てきた。ところが後が続かない。どうも税関や入国審査で捕まっているようだ。アメリカ経由のためか、あるいは入国カードを書き間違えたか。時計を売っているスタンドなど眺めながら、しばらく待ち続けると、ぽつぽつとゲートを出てくる。ともあれ、UA組も全員到着。タクシー分乗でホテルへ。メンバーからは、いろいろ大変だったエピソードが語られる。

UA組がチェックインしてから、皆で食事に出ることにする。ホテルのロビーに降りると、現地集合組のT橋夫妻が到着していた。カナディアン・ロッキーで発声練習をしてきたらしい。メンバが揃ったところで、町に出る。よさげな店を探すが、人数が多いこともあってやや苦戦。そもそも誰もガイドブックを見ていないのが間違っている。しかし、やたらに寿司屋とか日本料理関係の店が多い。結局、野外テラスがありそうなTsunami Sushiに入る。しばし入り口で待ってから、席に着く。席に案内してくれた女性に「注文を…」と聞くと、「サーバーに言って下さい」と。つまり担当が完全に分離しているわけで、ビジネスライク。いいような悪いような。寿司そのものは、回転しているのを取りに行ってもよいし、注文してもよい。しかし回転しているものは地味なものが多いので、注文しないとあまり希望のものが食べられない。皆それなりに食べたが比較的安く、味も十分満足できるものだった。

部屋に戻ってから、メール読み出しに再挑戦。いくつかの番号を試してみると、つながるところがあった。これで一安心。新聞の部屋配達を頼んだら、全国紙National Postしかない、と。全国紙には記事が出る可能性が低いので、これは断っておく。とりあえず疲れたので、寝る。

2004.8.11(水)

やはり時差ボケがあるのか、あるいはフライト中に寝過ぎたためか、夜中の3時に目覚めてしまう。喉が渇いたので、水を買いに近くのコンビニへ。夜中に出歩くのはやや危険か、と念のため警戒。向かいのレンタルビデオ屋には若者がたむろしているようだ。セブンイレブンで水を買って、部屋に戻る。とにかく寝ないと仕方ないので、また寝る。

朝起きてから、再びコンビニに行って朝食を買う。マフィンとジュース、ヨーグルト。アメリカでもそうだが、品揃えはもう一つ。新聞も購入。フェスティバルの広告として、なにコラの写真も出ている。ホテルのレストランで食事をしているメンバーも見受けられる。朝にC氏から電話。今日の昼のコンサートは大変よい顔ぶれだからぜひ行きなさい、なにコラメンバーなら割引が聞くようにしておくし、私が入り口で待っているから、と強く勧められる。あやうく次の打ち合わせに遅れそうになった。

9時から、ホテルのロビーでChor Leoniの指揮者および日本人のメンバーと打ち合わせ。日本人がいるとは驚き。学生時代から居て、今はこちらの学校で教えているそうだ。Dian Loomerは物腰柔らかく、親切に説明してくれる。合同演奏会、リハーサルおよび演奏会後のレセプションについて打ち合わせる。この間ほとんど英語で会議が進むが、I東氏は借りてきた猫状態。ときどき水を向けると「あー、うん」と。1時間ほどで終了。

あれだけ言われたのだから行かないのも悪いし、フェスティバルの様子も見てみたかったので、11時からのコンサートに行くことにする。地図で大体の場所を把握してから歩き出す。町歩きも兼ねてぶらぶらと。しかし、どうも方向が違うようだ。知っている通りの名前が出てこないと確認もできないので、道路の看板を探しながら歩いていく。やっと知っている名前を見つけだしてみたら、まったく違う方向であった。もうそれほど時間もないので、急いで会場に向かう。着いたのは5分前くらい。しかしC氏は入り口におらず、念のため「なにコラのメンバーだが何か聞いているか」と受付で聞いて見るも不発。結局、正規の料金を払って中に入る。First Baptist教会は、ややクラシックなタイプの教会。わりと人も入っている。平日の昼間ということもあり、ほとんどはリタイアしたクラスの人たちだ。ロビーを歩いていると、Carolineに声を掛けられた。併せてコンサート関係担当者のMaggieも紹介される。ピアノ・トリオの演奏はなかなかだった。終演後に、ロビーで販売していたグッズの中からTシャツとトートバックを買う。

外に出ようとしたところでMaggieに声を掛けられ、どうせ彼女も我々のホテルに向かうから、ということで一緒に歩いていく。道々話しながら、カナダや日本の合唱界の話などをする。彼女は2005年の世界合唱シンポジウムにカナダのNational Youth Choirのメンバーとして参加する、と言っていたようだ。そうこうしているうちにホテルに到着。すでにロビーに出ているメンバーも。いったん部屋に戻って、荷物を持ってくる。

ロビーで点呼と、今日の予定説明。出迎えのバスは、なんとアメリカの漫画によく出てくるような黄色のボンネット型スクールバス。これらのほうが借りるのが安いようだ。これに乗って、ミニコンサートを行うQLTという会社へ向かう。この会社が、今回のフェスティバルに6回ある合唱コンサートのスポンサーになっているとのこと。バスには冷房はないが、窓を開ければまあ涼しい。今年の気候が異常だということのようだ。そうこうしているうちに到着。玄関で名前をチェックされ、visitorの名札をもらって中に入る。製薬会社ということもあり、セキュリティが厳しいらしい。子供のための控え室のような部屋に通され、ここで軽く練習してもよい、とのこと。皆が並び・発声などをしている間も、打ち合わせなどを続ける。一通り終わったところで休憩。この部屋の壁を外すと、食堂と一体の形になるとのこと。ここで歌うという。休憩の間、コーヒーなどは自由に飲ませてもらう。しばらく待っていると、会社内のアナウンスで「ミニコンサートがあるから手の空いている人はお集まり下さい」と。それに呼応して、ぼつぼつと人が集まってくる。定刻になったところで、フェスティバル担当者から紹介があり、ミニコンサートの開始。5曲ほどを歌う。間には私が軽くMCを入れる。QLTは日本進出の計画もあるらしいので、「花」を歌う前には「日本に行くなら、このメロディーを覚えておくといいですよ」などとウィットを効かせて喝采を受ける。コンサートはほぼ予定通り終了。なかなか好評だった。再びスクールバスに乗る。フェスティバルの担当者が同行するのかしないのかでややごたごたした後、同行しないということで、バスはHoly Rosary教会へ出発。

Holy Rosaryの近くまで来るが、横付けは難しいとのことで近所でバスを降ろされる。降りてみると、なんとMaggieが待っていた。本来は来ないはずであるが、「ちょっと時間が空いていたから」と親切にもわざわざ来てくれたそうだ。少し歩いて教会へ。教会の担当者に引き継がれる。Holy Rosaryはカテドラルで、サイズも大きい。千人以上入りそうだ。これからここで、明日の単独ステージのリハを行う。少し時間があったので、先に控え室となる教会の会館へ移動。ここはボランティアスタッフが荷物や部屋の管理をしてくれている。ボランティアの力がずいぶん活用されているようだ。ここで後発組のF森氏とN澤氏が合流。少し自由時間があるので、ちょっと町を歩く。その後、もう一度教会へ。聖壇の部分にひな壇が置かれている形。指揮者用には、黒い「箱」が準備されていたが、これがかなり背の高い立方体。狭いわけではないが、うっかりすると落ちそうだ。リハを始めるが、どうもいまいち。I東氏の叱咤が飛ぶ。「明日までに必ず楽譜を見ておくように!」と厳しい指示。2時間ほどでリハは終了。いったん会館に戻る。

ここで、今回の責任者のFrancescaがやってきた。この周辺には疎いだろう、とわざわざ出向いてきて、大人数でも入れるところを押さえておいてくれたのだ。教会から海の方へ下っていく。波止場のそばのレストラン、地下室もあるようなところ。もともとはワイン倉だったへやだとか。25人程度、全員が十分に入れるスペースがある。食事は、メニューから各自個別に注文する。20人以上の注文をすべて覚えているウェイトレスも、すごい。とはいえ、このような場所での注文の仕方に慣れていないなにコラメンのこと、メニューをひっくり返してああだこうだと議論百出。結局のところは、4人でいくつかの皿をシェアしたF森グループの作戦勝ち。一人で一皿は多すぎるのだ。実物が来てから驚く面々。もっとも、飲み物は比較的早く出てくるが、料理はなかなか出てこないのが海外のレストランの常。その間は歓談の時になるのだが、ここは日本と大きく習慣の異なるところである。せっかくFrancescaも一緒だが、十分に話せるメンバーがいないので、どうしても自分を相手に話すことになるのが残念。Francescaの名字はFungで、どうも妙な名前だと思っていたら、香港系であることが判明。漢字の名前も教えてもらう。また少し日本語も話せるが、C氏に数ヶ月習ったとか。夕方とはいえまだ仕事の途中でもあるが、Francescaはビールを。ここは自家製のビールがあるとのことなので、勧められて自分も頼む。念のため「こちらの人は練習前でもビールを飲むのか」と聞いたら「人それぞれ」だそうで。まあそうだろうが。日本の厳しい?合唱団では考えられない。

食事を終えたところで各自精算して、それぞれ教会に戻る。自分は問題がないことを確認してから最後に退出。時間もないのでまっすぐ教会に向かうが、教会の近くまで来ると会館の前にたむろしている面々。ドアが閉まっているとのこと。リハまで時間もないので、急いで教会の担当者を呼んで鍵を開けてもらう。楽譜を出して、教会へ。

リハーサルは、実際に演奏が行われるバルコニーで。高いところにあるため、どうしても暑くなる。扇風機がいくつも回されているが、なにしろ人数が多いために効果が薄い。各曲について、まず一度全部を通してから細かく戻していく。レオーニの日本人団員H氏と自分がDianに呼ばれ、近くで指示を通訳していく。それぞれ順調に進んでいくが、途中でDianがジョーク?を。「ブラジルに行ったときに通訳をつけてもらったが、笑うべきところで聴衆は笑わず、笑うべきでないところで笑っていた。それに比べれば、あなたはちゃんと通訳してくれている」と。誉めてくれたのか単なる冗談なのかは不明。2時間ほどのリハーサルを終えて「では明日よろしくお願いします」となる。レオーニはさらに1時間ほど練習とのこと。もう21時。大変だ。br> リハーサルを聴いていてもよい、ということだったが、一部のメンバーを除いてほとんどはホテルに帰る。送りはないので、歩きにて。たそがれどきだが、人通りは多い。途中でメンバー数人と、ビールを飲んで行く。Curl French Fly with Graby Sauceは、こちら独特のものだろう。なんでも甘いソースなのには閉口だが。一通り飲んだところで、ホテルへ戻る。

2004.8.12(木)

こちらに来てから、起床時間は遅め。時差ボケが残っている影響か。ともあれまずは曲目変更をC氏に電話する。留守電だったので録音しておく。午前中は町歩き。こちらに来てから朝には食事をしていない。おなかが空かないのだからしょうがない。部屋にあるコーヒーを飲むので十分。

妻へのお土産を探すために、バスに乗ってデパートのSearsをチェック。しかしオリジナルブランドが多く、もう一つの感じがある。地元の人にとっては安くてよいのではあるが。一通り見て回るが、いったん外に出る。たまたま近所にあったバーガーキングで昼食。サイズが大きいことには変わりない。ここで食べながら行くべき店を再考。ある程度目星をつけて、再び町へ。高級品を扱っているデパートのようなところを覗いてみる。幸い比較的よい感じのシャツがあったので、これを購入。こちらのサイズは日本と違って偶数なのでややとまどうが、店員と相談して「小さい方に揃えておけば大丈夫」ということにする。ここから歩いてホテルまで戻る。

午後からリハーサル。ホテルのロビーに集まるが、ここでF森氏の持参したルービックキューブが登場。3分ほどで仕上げて、T橋嫁に称賛される。再びスクールバスに乗って、Holy Rosaryへ向かう。教会の会館に荷物を置いてから、まずはCBC、カナダのラジオ局と放送用のサウンドチェック。今日の合同演奏会は、カナダ全土に放送される予定になっているのだ。最大音量などをチェックしたら、放送局側としてはもういいらしい。適宜、今日のプログラムを練習する。清水のピリカはレオーニでも演奏したことがあるそうで、これを練習したときには会場で聴いていたメンバーたちが「おお」とどよめく。会場担当のStephen、Nathalieにはお世話になる。合同のリハも行ってから、いったん会館に戻って伊東氏の檄。

その後、放送局側からの依頼があり、放送時に使う?インタビューを受ける。これまでカナダに来たことはあるか、と曲に関する簡単な解説。ほとんどは自分が喋る。I東氏は「こちらが指揮者の:」「I東です」のみ。しかし放送に使われるとなるとどうしてもたどたどしくなってしまうので、実際のところどこまで放送に使ってもらえるのかは分からない。その後、夕食タイム。行きのバスから見えていた「サッポロラーメン」という店を探してみる。うろうろしているうちに発見。バスと徒歩では移動スピードが違うので、勘が効きにくい。みそ野菜ラーメンを頼んでみたら、野菜にブロッコリーが入っていた。味噌は普通。外見は異様だが、味はまあまあ。というより、どうもインスタントラーメンっぽい雰囲気がある。しかし、暑いときに熱いものを食べて汗だくになる。食後に、途中で見つけた本屋に入って、妻に頼まれていた来年用のカレンダーを買う。

教会の近くまで来ると、もう聴衆が結構集まっている。一通り様子を眺めてから、会館に戻って準備。先にレオーニの単独があるので、呼ばれるまで会館で待機する。そのうちにNatalieが呼びに来る。裏から教会にはいって、しばし祭壇裏の控え室で待つ。レオーニの演奏、オルガンのソロがあってから、なにコラの演奏。会堂に入ってみると、かなり大きな教会はほぼ満員の状態。19時からという時間も幸いしたのか。単独演奏は好評。大きな拍手で迎えられた。単独ステージの後、少し休憩がある。暑いこともあり、皆外に出てくる。ちょっと時間があるようなので、客席を覗いてみる。中には日本からなにコラを聞きに来たファン?も。その友人で当地にいるという人は、実は京都で会ったことがあった。驚き。また、会場での録音をいくつかの人にお願いしていたが、いずれも会場の普通の聴衆に怒られたとか。そういうことにたいする意識が、一般の人にも徹底しているようだ。合同演奏は、基本的になんでもあり…のはず。なかなかの好演だったとは指揮者の弁。この演奏の時は、暑いこともあって皆上着は脱いだ状態。リハの時にDianから「バルコニーは暑いから、上着を脱いでもらおうと思うが、ナニワはそれでもいいか?」と聞かれていた。もちろんOKだが、レオーニの方がむしろ難色を示しているとか。やはり「正装」に対する意識、プライドがあるようだ。

演奏会後にも聴衆と歓談。あまりゆっくりしていると、さっさと片づけられそうになり慌てて荷物を整理して会館へ。ここで、レオーニとの交歓会を行う。まずはそれぞれビールなどを取り、それぞれ歓談する。飲み物や軽食などの手配は、歌わない専任のマネージャーがいるという。こういう支えがやはり大事なのだと実感。しばらくしてからレオーニのメンバーが集まり、「ふるさと」を演奏。しかし発音がおかしく、「うさじ おいし」となっている。日本人の団員もいるというのになぜ?これに続いて、レオーニからのプレゼント贈呈。CDや色紙などがDianからI東氏に渡される。こちらからは、さいたらを歌って、やはり日本から持参したプレゼントをDianに渡す。たまたま飾り扇子だったが、「この今年の暑い夏にはぴったり」ということで受ける。また、先方の団員全員に、なにコラ特製ツアーバッジを配布。事前になにコラメンバーに秘密裏に手渡しておき、それぞれがレオーニのメンバーに渡すというサプライズ演出付き。これも好評を得た。そして合同で、ピリカを演奏する。あちらの楽譜は日本での出版譜ではなく、別のところから起こしたものらしい。あとは自由時間となり、明日も仕事があるレオーニのメンバーはぼつぼつと帰っていく。しばらく話していたが、バスの時間もあるのでなにコラとしては締めて帰ることにする。バスを見に出てみたら、「もう時間を過ぎている、次もあるからそれほど待てない」と怒られた。なんとかなだめて少し待ってもらい、急いでメンバーを乗せる。事前に「時間がないから着替えはホテルで」と言っていたのに、なぜかS岡がのんびりと着替えている。もうバスが出るぞ、と言ってバスに乗り込むが、なかなか来る気配がない。事前に約束したことだから、ということでI田君と二人を残してバスを出してもらう。後で聞けば、もともと歩いて帰るつもりだったのこと。バスの運転手には、こちらの事情によって遅れたことに対するサインをしておく。ホテルに戻って、バタンキュー。今回は疲れがなかなか取れない。

2004.8.13(金)

今回の旅行としては比較的早起きして、8時過ぎからホテルを出る。今日の目的はサイクリング。公園の近くには貸し自転車屋がいくつもある。適当なところに入って自転車を借りる。クレジットカードの番号をdepositとして控えられた。ヘルメット、大きなロックは無料で借りられる。町中を走るときはヘルメット着用が義務づけられているとのこと。さっそくStanley Parkを走り始める。一方通行の自転車専用路が整備されているので快適。ときどき歩行者用路と一緒になることがあるが、その時は降りて歩くように指示がある。前の人を追い抜こうとしていたら、ジョギングしていた人が"Watch your left!"と。そう、こちらは右側通行の国だから、追い抜くのは左側からになるのだった。自動車ではないけれども、交通ルールを意識させられた。公演を一周してから、さらに海岸沿いを町の方へ走っていく。途中で専用路が無くなったので、適当に歩道を走っていく。車道を走っている自転車も多いので、むしろ車道を走るべきなのだろう。約1時間ほどで、バンクーバー中心部の島を一周。ここで自転車を返したら4ドルほどであった。

軽い疲れを覚えながら、おなかも空いたので昼食。普通のトーストだが、ここで初めてタンジェリンジュースを飲む。色の名称としては知っていたが、具体的な果汁を飲むのは初めて。ゆっくりホテルに帰って、今日の準備をする。

今日は単独のコンサート。ホテルのロビーで点呼を取っていると、Francescaがやってきた。今日は歩いて会場まで行くのだが、案内してくれるという。助かる。歩きながら、昨日録音のことでちょっとごたごたしていたことを詫びる。フェスティバルの方針として、録音は許可できないとのこと。しかし昨日の分は放送局が録音しているし、その音源は送ってくれるだろうとのことだった。そうこうしているうちに会場のSt. Andrews教会に到着。ここで今日は単独コンサート。やはり大きい教会。すでにひな壇が組んであるので、早速調整に入る。念のため会場の担当者に「写真を撮ってもよいのか」と聞くと「It depends on you.」ということであった。録音と違って、写真は自由のようだ。ここでまだプログラムの変更があるというので、オフィスに戻ったFrancescaに電話してまだ間に合うか確認してもらう。OKとのことだったので、一部修正して続行。

2時間ほどリハを行ってから、夕食休憩。教会の隣にある会館が控え室になるので、ここに荷物を置いて外出。近くにスーパーがあったので、ここで軽くパンなどを買う。ここで、無料の新聞を発見。これはどこの町に行っても基本なのだが、ここまですっかり忘れていた。やはりスーパーは地元の情報源として重要である。部屋に戻ってから食事と準備など。開始前に外に出て様子を見てみたが、さすがに17時開演ということもあって聴衆は少ない。これは仕方がないところである。

開演時にも、会場が大きいせいもあってやや淋しい感じがする。とはいえ決して少ないわけでもない。ステージごとに軽くアナウンスを入れていくので、休む暇がない。シンガポールの時はそれほどでもなかったが、今回は疲労が激しくなかなか思うように歌えず、しゃべれなかったのが残念。

終演後、地元の日本語新聞「バンクーバー新報」から取材がある。写真やメンバーへの取材など。また、今回のフェスティバルの主催者Lavorock氏も挨拶に現れた。移動のバスに乗る前、メンバーは帰るたくさんの聴衆から暖かい声を掛けられた。

ここからまたスクールバスで移動し、郊外にある日本領事館へ。運転手はなかなかごついお姉様。スクールバスで乗り付けたので、領事館担当者がびっくりしていた。バンクーバー在住の日本人、またVancouver Chamber Choirの指揮者など音楽関係者が集まっているとのこと。飲み物と軽い食事が提供される。しばらくしてから、階段に並んで「遙かな友に」を披露。進行役の領事の英語がたどたどしいのが気になった。このあとはフリータイムで、この間に関係者にお土産を配る。バッジが意外に好評。1時間ほどで、再びバスへ。これにて、今回の公式プログラムは全て終了。疲れがどっと出る。

バスでホテルまで戻るも、どうも様子が変。と、出発地のSt. Andrews教会にまた戻ってきた。運転手に聞くと、出発地に戻ると聞いているのこと。ホテルまでのはずだが、というと、時間もあるからホテルまで行こう、と。助かった。無事にホテルまで送ってもらう。

フロントで最終通達を行って、基本的に日程終了。この後、S木氏の配慮により手配してもらった打ち上げが予定されている。部屋に戻って荷物を整理していると、ドアベルが鳴る。F森氏とN澤氏が、部屋の鍵が開かないという。とりあえず自分の部屋に荷物を置いてもらって、フロントへ。予約はあるわけだが、支払いの保証がないという。すでに二人は現金で払っているのだが、ややこしいことになっているよだ。自分のカードを見せてこれで保証になるか、といったらそれならいい、とのこと。ちょっと怪しいところがある。とりあえず鍵を再発行して、部屋には入れるようになるとのこと。自分はここから打ち上げ会場へ向かう。途中でCarolineに電話し、先ほどの宿泊の件について確認してもらうようお願いしておく。

打ち上げは、築地亀井ロイヤルにて。ごく普通の日本料理店。まさに日本にいるのと変わらない感じ。日本流、なにコラ流の宴会が始まる。また最後には、店員に頼まれて、カラオケバーで一曲歌う。ちょっと飲み過ぎた。ここから歩いて帰る。結構疲れているが、S木氏はまだまだという感じ。カラオケに寄りたいらしいが、値段が高いということで断念。日本食のコンビニでおやつを買い込み、S木氏の部屋で話し込む。1時くらいにお開き。疲れ切っているため、そのまま寝込む。

2004.8.14-15(土ー日)

6時前に電話で起こされる。UA組は出発が早いため、もう出かけねばならないのだ。とりあえずフロントに降りていく。ぼつぼつとメンバーが降りてきて、チェックアウトをしていく。やや離れたところから座って見ていたが、I田君が代金を払わずにすませそうになったので慌ててコメントする。ホテル前に止まっていたタクシーに声を掛け、空港へ送り出す。部屋に帰って、また寝る。

一度フロントから電話があり、フロントに何か届いているという。何が届いているのかがよく分からなかったのだが、「とにかく来れば分かるから」と言われてそのまままた寝る。早朝サイクリングに行ったT石君から電話が掛かっていたらしいが、まったく気付かなかった。目が覚めるとなんと11時。11時半が集合。それよりも、Dianが11時に来るはずだった。慌ててフロントに降りる。すでに準備ができているメンバーが多い。とりあえず、いるメンバーにDianが来たらよろしく、と伝えておき、また部屋に戻って荷物を片づける。シャワーを浴びて、荷物を整理するのに約15分。自分としてもなかなか早かった。しかし、このとき電話のコードを忘れていたことに帰国後に気付くのだった。ともあれ、なんとか準備を終えてチェックアウト。予定時間には間に合った。チェックアウトの時に、フロントから袋を渡される。DianからのCDであった。バスがすでに待っているので乗り込む。今回は普通の観光バス。もう一泊するS木さんが見送りに出てきている。F森氏によれば、「ウルトラクイズの敗者見送りのよう」だとか。

バスの中から、Dianに電話する。たまたまご主人が町に出かける用事があり、ついでに持っていってもらったのだとか。CDと、今回の演奏会への感謝を伝えておく。 空港にはほぼ予定通り到着。ここでJAL組とCA組が別れる。CA組のチェックインでは、コンフォートエコノミーはやはりビジネスカウンターでチェックイン。楽ちん。しかも、ビジネスクラス用のラウンジも使えるという。途中で、チェックイン待ちで並んでいるJAL組に遭遇。なんでも、自分でチケットを手配したF島は実は違うフライトだったことがここに来て判明したらしい。その時点で残り40分。まあそれだけあれば大丈夫だとは思うが、心配。出国審査に進むが、ここでも手荷物検査はFast trackに乗れてスピーディ。出国のスタンプなどはなし。メープルリーフラウンジで一休み。これはなかなか体験できない。一休みしてから、買い物などうろうろ。

時間が近くなってから出発ゲートに行くと、黒M田がなにやらネタありげ。近くにあったスタンドのHanamiに、K太のそっくりさんがいるとのこと。たしかに似ている。ついでにアイスクリームを食べた。そうこうしているうちに搭乗。もう最後の方であったが、指定の席に座ろうとしたらアテンダントに「空いているから別の席でもどうぞ」と言われ、空いている方に座る。まあいずれにせよビジネスクラスなので快適なのだが。フライト中に、アテンダントから紙片を渡される。地上からのFAX。なんとスーツケースがバンクーバーで置いてきぼりを食らって、明日のフライトで日本に送られるとのこと。まあ帰国なのでそれほど問題はないが。これは初めて。機内食はChicken or Salmon & Chicken & Seafoodであったが、どちらにもサケは入っていた。関空についてから、バゲージクレームへ。ここで特徴などを念のため伝え、鍵を預ける。通関のためとのこと。スーツケース自体は宅急便で届けられるという。まあ手でもって帰らなくてよい分、楽になったともいえるか。「はるか」で京都へ。たまたまホームに降りたら出発時間で、自分とI東氏はOKだったが少し遅れたH磨氏は乗れず。I東氏が謝りの電話をしていた。京都駅でI東氏と別れ、時間も早いのでポルタでざるそばを食べる。海外からの帰りでは、やはりそばが食べたくなる。荷物も少ないので地下鉄に乗り、21時くらいに帰宅。これにて今回の演奏旅行は終了。次はいつかな?

= fin =

(約15,000字)


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