合唱バカの華麗なる人生

 =なにコラin郡山2005編=


なにコラの郡山「水と緑の全国音楽祭」への招待も二回目となる。前回2001年は、現地でも41年振りの大雪ということで大変であった。さて今回は…。

2005.3.5(土)

比較的早く目が覚めた。春が近いとはいえ、まだ朝は寒い。起き出して、たまには外で朝食を食べることにする。割引券をもっていたので歩いて三条のマクドまで行くが、朝マックはなかった。他に食べたいものもなく、とりあえず京都駅に移動することにする。地下鉄に乗る。このとき、服のベルトをし忘れていることに気づいた。ズボンが落ちるわけでもないので時々忘れることはあるが、演奏旅行の時に忘れるのはやや痛い。京都駅地下のDeliCafeにて朝食を食べる。時間があるのでゆっくりし、南口まで歩いて移動したらここでマクドを発見。すっかり存在を忘れていた。

集合場所は新幹線中央口。しかし、集合時間の10分前になってもなぜか二人しかいない。案の定、I東氏も12分遅刻。普段メンバーには「遅刻は罰金」と言っているが、こういうときはなぜか寛容に処理されることになっている。新幹線で東京へ、乗り換えて東北新幹線に乗る。ここで東京組と合流する。

そういえば音楽祭には合同曲もあったのだが、楽譜はほとんど見ていないし、指揮を誰がするのかも知らない。相変わらずのんびりしたものである。4年振りの郡山は、比較的暖かかった。まあ前回は1月、今回は3月という違いもある。ホテルへの移動がてら、現地のホットペッパーを確保。これは何となく基本である。

ホテルへチェックインをするが、いまいち要領が悪い。人数が多いときには一括チェックインなどをしてメンバー内で鍵の分配などをすべきだと思うし、海外のホテルなどではそういうこともよくあるのだが。こちらから要望すべきことなのかもしれない。宿泊者名簿では、なぜか4年前と同じくK林氏が「番太」に! 誰かのいたずらではなく、単純に間違いらしい。しかし二回も同じ間違いがあるとは、ご当地ではよっぽど「番太」が一般的なのか。

部屋に入ってみるが、部屋がたばこ臭いのには困った。個人旅行ではないので部屋を替えてくれとも言えないし、ちょっと辛いものがある。まあ仕方がないか。部屋自体はごく標準的なビジネスホテル。なんと「温泉の素」が置いてあるのには驚いた。再びロビーに集合して、ホールへ歩いて移動する。さすがに街角には雪が残っている。

練習は、会場となる大ホールにて。ステージリハでは、太鼓を叩きすぎて手が青地になってしまった。いろいろ演出や司会などを考えていく。続いて合同曲のリハ。指揮は安積黎明高校の星先生であった。「ふるさと」の合唱版を、高校生や他の出演合唱団のメンバー全員で歌う。

練習後はレセプションへ。この音楽祭では、夜に歓迎のレセプションを開いてくれる。教育長などが出席し、鏡割りもあるなかなかのもの。ここで聞いたのは、明日の音楽祭は無料だが、整理券は四千枚配布したとのこと。座席が二千だから、ずいぶん無茶をするものだ。各合唱団が紹介をかねて一曲ずつ歌う。会津混声の新撰組の替え歌は、ちょっと面白かった。途中で、星先生が遅れて来たとの紹介。なんと、明日演奏する委嘱新曲が昨日届き、今まで練習していたとか。しかも暗譜で歌うという。高校生恐るべし。食事では、コーヒーが無かったのが残念。

お開きの後、ホテルへ戻る。これでお休みではなく、なにコラ演奏会のチケット・チラシを団員に分配する作業が待っている。ホテルのロビーにて、Y田氏持参のPCを駆使しながら作業を行う。この間、夜の町へと向かうメンバーも。コンクールではないので、わりと気楽なものだ。適当なところで切り上げて、就寝。

2005.3.6(日)

朝の目覚めは早い。やはり旅先では緊張感があるのか。身支度を済ませて朝食へ。メニューには和洋二種類あったが、今回は団体ということで和食のみ。洋食党にはちと納得がいかないが、招待でもあり致し方ない。チェックアウトしてロビーに集合。なんと遅刻常習組のK賀さんが時間通りに集合していた!これは奇跡に近い。

今日はバスに乗ってホールへ移動。それほどの距離でもないのだが、やはり寒くて荷物もあるのでありがたい。しかしこれからはホールに缶詰である。ホールで発声と練習の後は、リハ室で練習、ロビーで練習。なにコラは各地から当日だけ集まるメンバーが多いので、直前の練習は欠かせない。ひたすら練習をする。練習後は昼食休憩で、楽屋待機となる。

時間もあるので、ホワイエをうろうろ。ここで、別の出演合唱団がCDを販売しているのを発見。急いで楽屋に戻り、こちらも急遽CD販売案内を企画する。現物はないので、ライナーをコピーし、掲示板を借りてホワイエに張り出す。「お申し込みはこちらへ」と記載しておけば、希望の人は連絡をくれるだろう。演奏旅行などの時は、販売を考慮しなければならないと痛感。現物は大変なので、申込チラシだけでもいいかも。

リハ室にて直前練習の後、出演。2回目ということもあり、なにコラをよく知っている聴衆も。今年も司会有り太鼓有り、とエンターテイメントあふれる舞台に、聴衆はきっと大満足であったろう。素直な反応が、こちらも嬉しいところである。自分はしかし緊張のためか、歌詞が思うように回らなかった。太鼓は相変わらず叩きすぎ。後で見たら指輪が変形してしまっており、抜けなくなっていた。ちょっと危なげなので、ホールの事務室でラジオペンチを借りて、とりあえず形を直しておく。合同演奏までは楽屋待機。ちょっと退屈な時間。その割には全体合唱は短くてあっけなかった。せっかくなので、もうちょっとしっかりしたものがやりたかった気もする。

ホールからは貸し切りバスで移動する。団員の退出は、裏口から。もちろん混乱を避けるための配慮ではあるのだが、やはり我々としては表から出て、聞きに来てくれた人たちとの交流をしたかったと思う。その証拠に、バスに乗る我々に声をかけてくれた人たち、手を振ってくれた人たちがたくさんいたのだし。ともあれ、バスで新幹線組と飛行機組に分かれて、帰路に就く。

しかし、空港はいったいどこなのか。町中の渋滞のせいもあったが、いつまでもバスに乗っているような気がする。郊外に出てもひたすら走っている。本当に空港があるのかしらん、とかなり不安になってきたところで、福島空港に到着。出発まで時間があるので、とりあえずチェックインして待つ。K原氏所有の太鼓は、「こわれものボックス」をあてがわれて荷物室へ。そういう準備もあるとは初めて知った。空港内のラーメン屋で喜多方を食べるが、いきなりたくさんの客が来て大混雑。店員はてんてこまいだった。

お土産物を見ていると、なにコラ追っかけ常連のY崎&T中嬢に遭遇。うーん、ここまでも来るか?!手荷物検査を済ませて中に入り、出発を待つ。ところが、どうもオーバーブッキングがあったらしい。「ご協力いただける方は…」のアナウンスに、M井嬢が「わたし、明日でもいいよ?いいよ?」と申し出たものの、団体のためにかえってややこしいかも、とごたごた。幸い他の客から申し出があったらしく、うまくクリヤされたようだ。搭乗する。

さあ後は大阪到着、と思うと、飛行機がなかなか動かない。アテンダントもばたばたしている。そのうちにアナウンスがあり、「水漏れがあるようですので点検しています…」と。結局、30分遅れで出発。なにコラの演奏旅行にはアクシデントはつきものなのかもしれない。とにかく大阪到着。幸い荷物が最初に出てきたので、さっさとモノレールへと向かう。

今回も楽しい演奏旅行であった。また招待されるように、がんばりたいと思える音楽祭。ぜひこれからも続けてほしい。そしてまたいつか、郡山の人たちの前で歌いたい。

= fin =


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