発声練習はスポーツである
前川 裕
「国語はスポーツである」という発言があるそうだが、音楽もまたスポーツであることは言を俟たない。ところが「歌」になるとなぜか準備をする人が少ないようだ。
歌を歌うということはどういう作業だろうか。息を吸い込み、息を送り、声帯を震わせ、頭部や胸部で共鳴を作り出す。これらは、通常しゃべるときにも同じことを行っているわけである。その延長線上として「同じ、声を出すことだから」とウォーミングアップを十分にせずに声を出す人たちが多い。
本当にそうだろうか? 歌を歌う時、息の吸い方も息の吐き方も、通常のしゃべりの場合とは明らかに異なっている。歌う時のように長いフレーズで喋る人は普通いない(相当のおしゃべりなら別だが…それでもフレーズは短いものだ)。演説? その場合はむしろ歌に近いといえよう。普通に喋るように演説をする人はいないし、仮にそのように演説をしたとしても効果は薄いに違いない。
歌が体をつかった作業である以上、ウォーミングアップは絶対に必要である。たしかに、準備をしなくても声は出る。しかし、より「良い声」で歌おうと思うなら、準備は欠かせない。また準備がなければ声・喉を傷める原因にもなるのだ。
私の経験上は、軽く汗をかくくらいの運動を事前にしておくと声の出は明らかに良くなっている。つまり血流が良くなり、全身が運動するための準備ができていることを示している。また、やや風邪ぎみの時も良い声が出ることが多い(短時間だが)。これは無駄な力が抜けているからである。
これはつまり、声を出すうえでの肉体的な要素が重要であることを示している。練習前の発声といえば文字どおり「声を出すこと」だと考えている人は多いが、本当に
大切なのは「体操=体を動かすこと」である。十分に体が暖まっていれば、「声を出すこと」はむしろ短時間で十分である。「高い声を出すには声出しが必要」?高い声を出す時には、支えと広い口の中とが必要である。これらは体操によって得られるものである。「低い声を出すには声出しが必要」?低い声は、頭と胸との共鳴によって得られるものである。よく響くためには、体が柔らかくなっている必要がある。それは体操によって得られるものである。高音低音、いずれにおいても体の柔軟性は不可欠であり、それによって声出しもより効果的に行えるのだ。
そもそも発声練習は、「声を揃える」「声のイメージを作る」といった、合唱団全体としての音作りのためのものである。個人の声がよく出るためにするものではない。そして体操は、本来練習が始まるまでに個人でこなしておくべきものであろう。このあたり、意識の改革が必要ではないだろうか。
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