3/21(日)
8時に起きる。目覚めはいい。朝は曇り空で、気温はプラスの2度ほどある。朝食を済ませてから、さっそく勉強に取り掛かる。そのうちに空も晴れてくる。出かけない日は天気がいいようにも思える(笑)。あいかわらずのギリシア語との格闘。1章読むのに2時間くらいかかってしまう。今日は春分の日であるが、とくに休日というわけではない。今年はたまたま教会暦の「マリアの日」と重なっている。教会暦の方がカレンダーにも大きく書いているあたり、まだまだ教会との強い結び付きがあることを伺わせる。あっというまにお昼になる。カップラーメンとバナナ。納豆ラーメンは粒が細かすぎてうまく拾えない(^^ ;)。午後も懸命に取り組む。時々横になってホームズを読む。拾い読みではあるが、だいぶ読んだような気がする。また何度もメールをチェックししてしまう。もともと土日は少ないので、空のことの方が多いのだが。あと1月半ほど、ということになると、消費財の在庫が気になり始める。コーヒーや洗剤など、中途半端なところで切れないように、と思うが、まあそれはしかたないか。お昼過ぎには日光が差し込む。まともに浴びると暑い。しかし夕方になると少し足が冷えてくる。もう部屋の暖房も入っていないようだ。2重窓に挟んだビールもあまり冷えなくなってきた(笑)。夕食にはカップうどんと肉だんご。夜もまた読む。今日も何とかほぼ目標まで読めた。なんとか試験までに読み終えることはできそうだ。
3/22(月)
7時半くらいに起きる。まだちょっと眠いか。また曇り空。気温は0度ほど。ラジオの天気予報では午後から雪になると言っている。今日も家で勉強する予定。朝食を済ませてから、日記書き。それから勉強に取り掛かる。ちまちまと読んでいく。ちょっとまぶたが重い。郵便で、あきちゃんからの手紙が届く。お昼にはカレーを食べる。午後には時折日も差してくるが、やはり曇りがほとんど。気温は5度くらいになっている。食後はやたらに眠くなるが、昼寝はせずに横になるだけにする。3時過ぎにスーパーへ買い物に行く。今日はいつもと違って、道の向こう側のスーパーへ。家の回りの道はほぼシャーベット状態。歩くと跳ねがたくさん上がってしまう。水たまりもあちこちに出来ている。雪解けの頃の方が靴に注意する必要がありそうだ。スーパーで荷作り用のテープと紐も買っておく。来月からは荷物を送り始めるつもり。本やノート、コピーや楽譜など重くなるものが多いので、送料も随分かかりそうだ。帰ってまた勉強をする。ラジオを聞きながらであるが、トークなどでは内容が分かるところが増えてきたので、返って気が散ってしまう。まあ進歩したともいえるが。クラシック番組を中心に聞く。
5時くらいに電話が鳴る。あきちゃんからだろうと思って取ったら、いきなりフィン語が聞こえてくる。予想外だったのでちょっと慌ててしまう。EOLのオッリ=ペッカからだった。英語で話してもらうことにする。なんでも今週末に古いEOLメンバーの葬儀があって、そこで歌って欲しいという依頼があるのだが、今のところバスが足らないので来られるか、ということだった。これはメールでも流れていたが、特に気にしていなかった、というか読んでいなかった。また水曜日の練習時にも確認するが、ということであるがとりあえずOKしておく。しかし自分にまで直接電話が入るとは、よほど切迫しているというか(^^ ;)。外国人でもあるし、葬儀といった場に出るのはちょっと気が引けるのだが。
夕食には買ってきたラザニアを食べる。1日読んでいたわりには進んでいないような気がする。嘆きながら続きに取り組む。10時を回るともう頭に入らなくなってくる。少々寝不足の気味もあるので、11時過ぎと早めに寝る。
3/23(火)
8時に目が覚める。外を見るとたくさん雪が降っている。気温は0度ほど。朝食を済ませて、まずは日記書き。それから勉強に取り掛かる。午前中は在宅でギリシア語を読む。あと少しで読み終えられる、が、記憶の方は心許ない(^^ ;)。知人から郵便がくる。オリジナルの便箋というのはなかなかいい。印刷屋で働いているだけのことはある(笑)。こちらでも便箋や、また研究ノート用にオリジナルのものを使っている人がいる。これも一つの文化だろうか。11時半の電車でヘルシンキへ。この頃には雪もほぼ止んでいる。「100」を見ると、国会の新しい座席表が掲載されている。座席の個人名も書かれている。前に見学をした時に聞いたとおり、新しく当選した議員は一番後ろの席になっている。ヘルシンキも薄く雪が積もっているが、歩く人が多いせいかかなり溶けている。
歩いて社会科学学部まで行き、昼食。今日はレバーの煮込み。やはり独特の匂いがする。普段は頼まれても食べないが、週末は家の食事が多かったし、食堂でも久々に見るような気がするので食べることにする。レバーとニンジンがいっしょに煮込んであり、さらにベリーのジャムが添えてある。やはりこちらの人にも苦いのだろう(笑)。食後にアジア・アフリカ学部に行き、シェハデー先生の部屋へ。先客がいるのでしばらく待つ。廊下のテーブルにはいろいろと資料類が置いてある。中には日本や韓国について書かれた英語雑誌などもある。ラテンアメリカ研究もここなので、スペイン語の講座などのパンフレットも置いてある。休暇先として、スペインなどは人気があるそうだ。先生に会って、先日のテストの答案を見せてもらう。3つの大問のうち1つは全く答えられていなかったが、後はなかなかよくできている、とのことだった。答案そのものについては、時々事務から所在を確認されることがあるので、保存しておかなくてはならないそう。コピーを取ってもらってそれをもらう。
それから神学部に行き、レポートについて考える。前に考えていたテーマでは大きすぎるので、いろいろ頭を悩ませた末に小さめのテーマを思い付く。少し調べたら、何とか行けそうだ。あちこち注解書を見たり、雑誌論文を調べたりしてノートを取る。2、3日中に書き上げて送らねばならないので、ちょっと大変だ。出かけるまでにもう少し時間があるな、と思っていたら、別の学生に声を掛けられ、パソコンから印刷ができないのだがどうしてか、と聞かれる。いろいろ見てみるが、よく分からない。自分のアドレスで試してみたら印刷できた。原因はよく分からない。スタッフもよく分かっていないようだ(^^ ;)。これに時間を取られて、もう5時半前。急いで荷物をまとめ、セナート広場の南東にあるヴァルコイネン・サーリへ。ここで5時半から女声合唱団フィロメラの演奏会がある。建物には、中庭から入るようになっている。クロークで5FIM支払って鞄を預けて、チケットの列に並ぶ。しかしそのうちにチケットは売り切れになってしまう(^^ ;)。演奏会はもう始まっているし、何か別席?のようなものはあるような話ではあるが、結局あきらめて、CDを2枚買って帰ることにする。これは店ではみかけたことはないものなので、まあいいだろう。クロークで荷物を返してもらい、外に出る。古本屋に寄ってから、大学の前でトラムを拾う。2番のトラムは相変わらず古い車両。これももうこの夏くらいまでかもしれない。裸電球が時代を感じさせる。左側の天井付近に紐が通っていて、なにかの電線かと思っていたが、それを引っ張る客がいた。すると「停車」のランプがつく。なるほど、停車の合図のためのベルの紐だったのか。ストックマンの前で降りる。まだ15分ほど時間があるので、ストックマンに入って妻に頼まれているハンカチを見る。あまり数はなくて、ほとんどはスカーフかショール、というところ。値段を見ると、ブランド系の400FIMくらいのものと、イタリア製とインド製の100FIM以下のもの、と二分されている。まあ他の店にはまた違ったものがあるだろう。雑誌コーナーをざっと見る。ここに置いてあるパソコン雑誌で、付録のCDがついているものはことごとく抜かれている。レジから遠いところにあるからだろう。レジに近い音楽雑誌についているものはそういう被害にはあっていない。ここの雑誌コーナーは他にもたくさん置いてあるので、いろいろ眺めていても楽しい。
6時過ぎから練習。最初はペロの発声が20分間。それから本練習。さすがに演奏会前なので参加者も多い。パルムグレンはソリストが来て合わせる。2曲あるタンゴも1回ずつ歌う。演奏旅行の日程ももらうが、さすがに近くなので行きも帰りも余裕がある。演奏会の割には練習時間がずいぶん長いのが気になるが。9時40分くらいに終わったので、急いで駅まで走っていったら、早めの電車に間に合った。気温はプラス2度。駅のホームの雪はほぼ退けられている。家に帰ってきたのは10時半。
3/24(水)
7時過ぎに目が覚める。もう少し寝てもいいのかもしれないが、テストのことなどが気にかかっている。気温はプラス2度で曇り。朝食を食べてから、勉強に取り掛かる。午前中は授業があるのだが、今日もお休みにする。ギリシア語を読む。もう終りが見えてきているので気もあせるが、やはりすらすらとは読めない。しかし午前中であと3章を残すだけになった。11時半の電車で出かける。気温はわりと高いはずだが、ちょっと空気が冷たい感じがする。ヘルシンキについて、まずフィンエアーのオフィスへ。ガイドブックにある座席の事前予約が自分のチケットでもできるのかどうか尋ねる。ガイドには6ヶ月前から仮押さえができる、とあるのだが。いろいろと調べてくれて、窓側の席を確保。しかしすでに残り1ヶ所しかないようだ。ラッキーだったかも。
駅前から歩く。温度計はプラスの6度を示している。アテネウムのショップに立ち寄ってこまごまとしたものを買ってから、ポルタニアへ。ここで昼食にする。さすがに随分混んでいる時間。今日は「中国風の魚」。ぶりのような魚と野菜との醤油煮、といった感じ。まあまあおいしいが、時々骨が残っている。他の人が食べるのを見ていると、残す量が結構多いのが気になる。またたくさん断片を残したまま、という人もよくいる。こういうのは万国の若者に共通というか。しかしストックマンなどで見ていると、若者だけではないとも思える。食後には大学図書館によって資料の請求をする。気がついたのが遅かったので、明日の午後以降になってしまう。たまたま、特別展示として貴重書の展示をしているとかなので、ついでに覗いていく。展示ケース2つ分といったこじんまりしたものだが、16、17世紀の本や写本が展示されている。ネウマ譜で書かれた16世紀のアンティフォンもあった。羊皮紙というのも見るのは久しぶり。他にはミルトンやシェークスピアの初版?ものなど。
それからコンピューターセンターに行き、レポートを書く。とりあえず今持っているものを書いてから、補いをしていく、というつもり。フロッピーに保存しながら、英語で直接書いていく。しかし、途中で保存して、さらに書き続けてから前の部分を遡ってみたら、文章の一部が変なフォントになっている。慌ててフロッピーの方から読み出してみるが、これも同じ。しかたがないのでその部分を修正して、また続きを書く。一通り書いても、まだ規定量の半分強しかない。まずいなあ、と思いつつも、とりあえず印刷することにする。保存しようとした瞬間、画面上で文章が壊れてしまうのが見える。続いてそのまま保存されてしまう。もうこれではどうしようもない(涙)。念のため印刷してみるが、やはりデータは壊れたまま。半分近くに書き直しが必要になる。頭から英語で書いているわけだし、せっかく思い付いたものも2度も3度も書き直せない。もうすっかりやる気がなくなる。コンピューターセンターの相談員のところに行って事情を説明するが、そんなのは聞いたことがない、という返事。今回のファイルが回復できないのはともかく、次回以降も同じことが起こっては困る。やれやれ、という気分でコンピューターセンターを出る。
神学部に行こうとしたが、気分も重いし、Fazerでお茶を飲む。コーヒーと、ケーキは時々見掛ける緑色の表面のもの。表面はマジパンで、中はスポンジケーキになっている。生クリームは甘すぎず、丁度いい感じ。5時過ぎだったが、突然ピアノの音が聞こえる。生演奏のようだ。出る時に見たら、アップライトピアノを男性が弾いていた。あまり時間もないので、アカテーミン書店に立ち寄って少し眺めてから、EOLの練習場へ。少し早めに行って、カリに短くシュッツのソロ部分のレッスンをつけてもらう。以前から癖があると言われているウの母音について指摘される。いずれも短いソロだが、アカペラだし、大事なところ。それから練習に入る。今日はシュッツのみ。さすがに来週だし。頭から合唱部分を一通りさらっていく。ところどころ、舌が回らないところを発見する。復習もしておかねば。休憩時間に、金曜日の仕事の楽譜をもらう。また会計のテームが、「団費が、10FIMしか振り込まれていないのだが…」という。ちゃんと覚えていないが、もらった振込み用紙でそのまま支払ったはずだ、家に帰って見てみよう、と答える。練習の後で、仕事の分の歌の練習。7、8人程で歌うことになる。午後2時から、ということなので、自分の仕事がある人は行けないことになる。
気がつくと、9時過ぎの電車にも間に合わない。ゆっくり歩いて、10時前の電車に乗ることにする。ずいぶん時間もあるし、駅地下のマクドナルドでフライドポテトを食べておく。駅地下には夜になると若者がたくさんたむろしている。特に問題が起こっているのはまだ見たことがないが、あまりいい感じはしない。電車に乗って家に帰る。気温はプラス2度ほど。家に帰っても、いまいち頭が朦朧としている。少し寝不足ぎみだからだろう。早めに寝ることにする。横になったところで団費の件を思い出して、振込み控えと銀行の記録を見たら、やはり10FIMしか振り込まれていなかった。なぜそうなったのかは不明。
3/25(木)
7時過ぎに目覚める。勉強のことが気になってか、早く目覚めてしまう。目が重くなるが、起きることにする。また雪空。気温はプラス2度ほど。朝食を済ませてから勉強に取り掛かる。8時くらいにあきちゃんから電話がある。そういえばこちらから最近電話してない(^^ ;)。今日も本当は授業があるのだが、テストとレポートのために費やす。午前中は家でギリシア語を読み続ける。途中でトイレに立ったら、洗面台に切った髭が散乱している。ヒーパッカの仕業である。まったく掃除というか、後のことを考えない男である。以前にも注意したことがあることなので、またドアに貼り紙をしておく。郵便が来たのは電話局からだった。5月から少し料金があがるとか。料金体系も変わって、夜は30分まで均一だったのが10分までになる。まあ実際上は、時期的に自分はほとんど影響を受けないが。12時くらいまでに、後1章半ほどを残すのみになる。ちょっとお腹が空いたのでラーメンを食べ、それから出かける。
もう雪は降っていない。道は積もった雪がまた凍りはじめている。電車に乗ってヘルシンキへ。カイサニエミから学部図書館を抜け、コンピューターセンターへ。メール関係を見るが、特に新しい情報はない。レポートのファイルも開いてみるが、壊れたファイルを見ているとばからしくなってくる。ともあれ、ここは出る。向かいにある大学図書館で、昨日請求した雑誌論文を調べる。それから神学部へ行き、レポートについての下調べ。それでもいったん考えをまとめてみたせいか、調べるポイントも分かりやすくなっている。明日中には書き上げて発送しなくはならない。それでも期日までに届くかは分からないが。気がついたら3時半過ぎ。大学本館の食堂に行って、遅い昼食を食べる。今日は豚と野菜のパタ、とあるが、要はシチューのようなもの。向かいに座った女子学生は、メインはほとんど残したままで席を立つ。食べ物を大事にする、という習慣はあまり身に付いていないのかもしれない。これも文化の問題なのだろうか。
食後は散歩を兼ねてFazerでCDを眺める。日本で手に入りにくい物を、と思って眺めるのだが、メジャーレーベルは日本でもありそうだし、マイナーレーベルを中心にすべきか。しかし、パルムグレンの第3集はなかなか出てこない。また神学部に戻って、レポートの続きをする。5時過ぎになると、一通りの資料は集められた。あとはまとめる方の問題。ここは出て、再びコンピューターセンターへ。昨日のファイルを開いてみて、再び保存してみる。別のファイルにしようとしたら、エラーが出た。さらに再び昨日のファイルを開こうとしたら今度はこれも開けなくなる。どうもフロッピーに問題があるような気もするが、もうどうしようもない。頭に来て、フロッピーはごみ箱に捨ててしまう。
ともあれ家に帰って続きをすることにする。駅まで歩いていき、電車に乗って帰る。もう6時過ぎだが、ずいぶん明るい。コイブキュレでスーパーに寄ってから帰る。まずギリシア語の残りを読む。しかし寝不足ぎみで頭がうまく回らないこともあり、予想外に時間がかかる。途中でシャワーを浴びて一休み。メール書きなどもする。結局読み終えたのは10時過ぎ。日記を書いてから、レポートを書く。印刷は明日、午後にでも大学でしなくてはならない。
3/26(金)
目が覚めると、まだ暗い。何時かなあと思っていると、ヒーパッカの叫び声がする。どうもこれで目が覚めたらしい。時計を見ると5時。いいかげんにしろ、という感じである。しばらく様子を見ても止めないので、壁を叩く。それからまた寝直す。次に目覚めたのは7時前、目覚ましが鳴る直前。もう外は明るい。朝食を食べてから、レポートに手を入れる。8時半の電車で出かける。今日は仕事もあるので、スーツを着ていく。今日もわりと暖かい。駅に行く途中で時計を忘れたことに気づくが、取りに戻れるほどの時間はない。今日はいろいろ予定があるのに時計がないのはちとつらいが、まあ何とかなるだろう。そのままヘルシンキへ。
そのまま大学へ向かう。ロッカーに荷物を預けて、試験のある大講義室へ。封筒をもらって席につき、しばらくすると試験開始。封筒を開けて問題を見る。マタイからだが、1回読んでもどこの話だかわからない。3回読んでも分からない。まいったなあ、と思いながら、メモを取っていく。7、8回読んだら、やっと分かった。全然訳が思い出せない単語というのは1、2語くらい。話の筋を思い出しながら、訳を書いていく。あとはどちらかというと英語の問題。まあ何とかそれらしいものができた。文法分析は簡単。時計がないのでどれだけ経過したかが分からないが、退出してもよい、という指示があってからしばらくして提出する。外に出てみたら10時だった。
今度はレポート書きのためにコンピューターセンターへ。一通り書いてみたら、あと1ページほど足らない(^^ ;)。行間などで調整するにも限界があるし…と悩む。いったん終了して、食事に行く。大学本館で、今日は牛のシチュー。ちょっと離れたところの席に座る。壁が間にあるので、普通の食堂ホールの音はあまり入ってこない。妙な静けさがある。しばし食事を楽しんでから、再びコンピューターセンターへ。うまいアイデアも浮かばないので、取り敢えず印刷する。
12時半くらいに、ヒエタニエミへ向かう。今日は墓地のチャペルで葬儀があって、そこでEOLの一員として歌うことになっている。念のために早めに向かう。トラムに乗ってDomusの近所まで行き、そこから歩いて墓地へ。墓地の中を通り抜けて歩く。主な道は除雪されているが、各々の区画への道は雪が積もったまま。累積なのでずいぶんある。ところどころ除雪してあって花が供えてあったりする。歩いていると、横の茂みでがさがさと音がする。見てみると、リスがいた。歩いていると、他にも何匹も見掛ける。道の真ん中で何か食べていたりする。鐘の音がするのでもう1時かな、と思ってチャペルが見えるところまで来ると、まだ45分だった。15分に待ち合わせだから、まだずいぶん時間がある。墓地をもう少し歩いてみることにする。きちんとした形にせず、自然石のままで文字を張り付けたものもある。一本の大きめの石柱に何人ものネームプレートがついたものは、共同のもののようだ。こちらでも墓地のスペース確保は大変なのかもしれない。ちょうど埋葬している場面にも出くわした。さっきの鐘は、これのためだったのかもしれない。奥まで歩いていくと、大きな十字架が立っている。ここがマンネルハイム将軍の墓。さすがに扱いが違う。墓地の回りの海もまだ雪が積もったまま。チャペルまで戻ってくる。チャペルの前には、大統領などの墓がある。しばらく待っていると、他のメンバーも来る。テームに団費のことを話す。残りを早急に振り込むよ、といったら、「今日の仕事の分があるから、それを差し引いた金額でいい」とのこと。ということは、普通は仕事の分は、メンバーの次のシーズンの団費から差し引かれることになっているようだ。中に入る。葬儀用のチャペルなので、わりと簡素な感じ。2階席に案内される。天井は随分高い。大きなステンドグラスがあり、使者が天使に運びあげられるモチーフ。オルガンももちろんある。演奏台の上には大きな鏡が斜めにつけられていて、祭壇の様子がいながらにして分かるようになっている。祭壇の前には棺桶が置かれている。プログラムを見ると、15日に亡くなったそうだから、もう10日も前。1時半から式が始まる。オルガン、賛美歌、EOLの歌、説教、簡単な死者洗礼のような儀式、またEOLの歌、賛美歌。それから男性達によってお棺は外に運びだされる。この時に鐘が鳴っていた。外ではさらに献花があり、それから墓地へと運ばれるようだ。仕事はここまでで終わり。よく響くところだが、歌の方はいまいちだった(^^ ;)。
大学に戻る。学食のカフェでコーヒーを飲みながら、印刷したレポートを読む。ここのところ寝不足ぎみなので、頭が良く働かない。幾つか気づいたことがあるので、それをメモする。それから再びコンピューターセンターに行く。全部書き込んだら、めでたく規定量に達した。あとはスペルチェックなどをしてから印刷する。自分の控えにコピーを取ってから、駅前の郵便局へ。封筒に入れて、速達で送る。4時。ともあれ、これで一安心。今日は夜に学生オペラを見ようと思っているので、まだまだ時間がある。いったん神学部に戻り、昼寝でもしようとするが、こういう時に限って眠くならない(^^ ;)。いくつか本をぱらぱらとめくる。それでも目をつぶっているうちにずいぶんと時間は経っていた。5時半に出る。いったんアカテーミン書店へ。今日のオペラは予定外だったので、筋など下調べをしておく。それからフォーラムの地下にいき、ケバブを食べる。
アレクサンテリン劇場までは遠くもないし、歩いていくことにする。この辺りの道にももうだいぶ慣れた。除雪もかなり進んでいる。劇場は19世紀の建築。中に入ってみると、エントランスホールは狭い。壁には、昔の宣伝用ポスターが飾ってある。メインはロシア語、おまけのようにフィン語とスウェ語で書かれているのが時代を感じさせる。また両サイドには昔の国立オペラの写真も貼ってあり、日本人の歌手もいた。入って左側がチケット売り場。買おうとしたら、おばさんに声を掛けられる。自分は時間がなくなってしまったので、誰かに売りたい、ということだ。しかし学生切符のつもりなので、というといったん引き下がる。しかし、今度は切符売りの人にも話し掛けて、学生に譲のであるからその差額でも返ってこないか、と持ち掛けている。しかし答えは否。もう時間がないらしく、じゃあ差額はもう良いから、あなたに学生価格でゆずりましょう、と。ないよりまし、ということになったようだ(^^ ;)。荷物をクロークに預ける。ここは5FIMと明示してある。2階部分のホワイエにカフェがある。ホールの中の内装も、さすがに皇帝時代のものとあっていかにも、という豪華さ。舞台横には特別席もある。カーペットも敷かれている。座席数は5、600といったところか。今の国立オペラに慣れていると、ちょっと狭い。開演前に、昔の電話のような旧式のベルが鳴る。座席は平土間の前から4列め、というなかなかのところ。今日の聴衆は200人くらいといったところか。しかし4回公演をして、1回にこれだけ入っていれば大した物かも。同じコンセルヴァトワールの学生らしき人達もたくさんいる。
今日の演目はロッシーニ「アルジェのイタリア人」。ヘルシンキ・コンセルヴァトワールの学生によるもの。ここはシベリウスアカデミーに次ぐ所という話である。全て学生ということのようだ。ソリストはなかなか上手。主役の女性は貫禄も十分。しかしテナーのソロ、また合唱のテナーは声がまだまだ出来ていない。テナーソロは、大きな声だけれども最初から地声に近い感じで歌っているので、これで最後まで持つのかしらん、と思っていたら案の定1幕目の真ん中辺りでもう声が出なくなってきていた。高いところはみんな逃げているし、とても聞けたものではない、というところ。2幕目にはだいぶましにはなっていたが。これはカーテンコールの拍手にもはっきり表れていた。休憩時間にはコーヒーを飲む。値段はオペラ座と同じようなもの。コーヒーのカップが小さかったが。休憩時間に、バルコニー席なども歩いてみる。両サイドは4席ごとに仕切られていて、専用の扉がある。座席の間がやや狭いのは、やはり古い建築だからだろう。3階への階段は閉鎖されていたが、客席から見上げるとそこで照明などのコントロールをしているようだ。わりと短めの休憩の後、2幕目。まあそれなりには楽しめた。9時過ぎに終演になり、駅まで歩いて電車に乗って帰る。電話局から郵便が来ていたが、新しい電話帳の案内で、ここに入っているクーポンがないと無料ではもらえないとか。基本的に自分でサービスセンターに取りに行くらしい。
3/27(土)
7時に起きる。まだ疲れが残っているようで、眠い。が今日は早く出かけなくてはならない。朝食を済ませてから演奏旅行に出かける用意をする。楽譜のコピーを取るのを忘れていた。天気は曇りで、気温はプラス1度くらい。特に寒いということはない。出かけるまで昨日の日記を書くが、全部は書ききれなかった。8時過ぎに出かける。衣装ケースもだんだん痛んできた。パシラでは夜行列車が駅に止まっていたが、長い列車なので後ろの2両ほどはホームからはみ出ていた(^^ ;)。ヘルシンキについてから、まだ少し時間があるので、大学まで行って楽譜のコピーを取る。それからVanhaの前まで、途中でトラムを拾って行く。今日は2台バスが来ているが、乗っている人は少ない。9時に出発。パーヴォ像の前には、いつもよりたくさんの人が待っている。それからヒュヴィンケーへ向かう。隣にはセバスチャンが来たので、ぼつぼつと雑談しながら行く。
1時間ほどで到着。駅のすぐそばの、店などと一体になった複合施設の中にホールもある。裏口から入っていく。練習場は地下にある音楽室。椅子を並べるが、数が足らないのでホールのそばの倉庫から持ってくる。ホールは、固定席で300席弱。舞台部分は床と同一平面で、音楽だけでなくいろいろなことに使えるようになっている。奥行きが結構あるので、大概のことはできそう。練習は少し遅れて始まる。テームが体操の指揮をとる。それからマッティが発声をする。「舌の運動」では、舌をひねったり、前後に巻いたりなどを繰り返す。慣れないとなかなか難しい(^^ ;)。また低い音では、息だけをその音を出しているように流す、と指示される。練習は今日のプログラムから。1時半まで続く。それから1階にあるレストランで食事。いろいろなものが置いてある。朝が少しだったのですっかりお腹が空いている。沢山とって、どんどん食べる。コーヒーもついていたのは嬉しい。午後は小合唱の練習が先にあるので、自由時間がまだ4、50分ある。ちょっと町を散歩することにする。
といっても、土曜の午後ということもあって何かを見に行く、というわけにはいかない。とりあえず町の方へ歩いていくと、絵葉書を売っているところがあったので、ここの地名が入っているものを買う。1種類だけではあったが、それでもこんな小さな街にもあるというのはちょっと驚き。切手は置いていないので、どこかで買わねばならない。キヨスクにあるというので探すが、とりあえず見渡してもそれらしきものは見えない。適当に歩いていると、郵便局が見つかる。が、土曜日なのでやはり閉まっている。どうするかな、と思っていると、ポストに郵便を入れに来た人がいたので、聞いてみる。その人もよく分からないようで、さらに別の人に尋ねてくれる。もう少し先に行ったところにある、ということ。礼を言って歩いていくと、なるほどキヨスクがあった。切手と飴を買う。再びホールの方に戻っていく。結局メインストリートを少し歩いただけになってしまった。途中に観光案内書があったので、ここの地図など幾つかをもらっていく。また練習室に戻って、葉書を書く。
午後の練習も同じように続く。タンゴ・オケの練習もある。幹事長のミッコがチェロを弾いているのには驚いた。一通り終わった後、5時過ぎに軽食がある。この時についでに葉書を出しに行く。近所にポストが見当たらなかったので、結局郵便局まで持っていく。軽食はサンピュラとリンゴ。コーヒーももちろんある。特にお腹が空いているわけでもないが、演奏会後ラハティのホテルに着くまで食事はないので、パンは食べておき、リンゴは持って帰ることにする。6時からホールでリハーサル。ソリストとの合わせなどをする。アンコールでは客席の方に広がっていくが、歌う曲はその時に知らされたので楽譜がない(^^ ;)。適当に口合わせをしておくしかない。また楽譜については、結局本持ちになった。コピーする必要はなかったか。
後30分ほどなので、楽屋待機になる。着替えてしばし待つ。7時の開演前にホワイエに整列し、最初の音を取ってから客席を通って入場する。ここは客席まで含めてホールのようなものだし、音をハミングでだしながら歩いていくのでよく響いて、ちょっと間抜けな感じがしないでもない(^^ ;)。聴衆は100人程といったところ。マッティが入ってきて、そのままシベリウスが始まる。ラウタヴァーラ、パルムグレンと歌ってから休憩。今日はいくつもの曲でバスが低めに入る(^^ ;)。さきに小合唱があってから、残りの団員がステージに入る。トルミス、パルムグレン、シベリウス、そしてタンゴで終り。アンコールとしては、最初にカルテットが歌う。それから客席に広がって、セレナーデを2曲。まあそれらしく歌っておく(^^ ;)。
演奏会後は早々と着替え、バスに乗り込む。りんごを齧っていると、いつものようにビールの支給がある。それを飲みながら、ラハティへ向かう。少し演奏会の時間が押したせいで、30分ほど予定より遅れている。1時間ほど走って、10時半にラハティのホテルに着く。受付で普通の宿泊客カードにめいめい記入する。「旅行の目的」は何か、としばし議論になる(笑)。それから鍵をもらい、部屋へ行く。今回もシュミッツと同室。部屋は割りと余裕がある。なかなかいいところ。しかしミニバーにはなにも入っていなかった(笑)。洗面台の備品が何も置いていないのも、通常の宿泊客ではないからだろう。それから下に降りて、夜食を食べる。ピザとサラダなど。ビールを買おうとしたら、ルームキーを見せればただでもらえる、とのことだった。レシートに部屋番号を書き、サインをする。雑談をしながら食事をする。同じテーブルにいた人が先に席を立つ時には、「みなさん楽しい会話をありがとう」というのが一つの習慣のようだ。
食後には、サウナに行く。ホテルにはいくつもサウナがあるようだが、いくつかにYL用、という貼り紙がある。12時までとなってはいるが、遅れてきたせいもあって遅くまで行けるようだ。サウナ併設のプールもあるが、さすがに冷たい(^^ ;)。たまたまセバスチャンなどとサウナに入っていたら、「フィン人と外国人の我慢比べだ」といって(笑)、水が足される。むわっと蒸気が上がるが、むちゃくちゃ熱いということもない。結局こちらの方が長くいたが(笑)。サウナでゆっくりして、部屋に戻ったのはもう1時近い。明日からサマータイムなので、寝る前に時計を1時間進めておく。睡眠時間を1時間損した気分になる(^^ ;)。
3/28(日)
9時前に目覚める。まだいまいち寝不足ぎみ。外は明るい。着替えていたら、シュミッツが起きてテレビの時計を見て「もう10時か」というので、それは正しい時間だ、と言う。ここの時計はちゃんと直されているが、日曜日に変更されるということもあって正しい時計と間違っているものが入り交じっていることも多いのはやっかい(^^ ;)。2階が朝食の食堂。いろいろ並んでいる。牛のたたきのようなものもある。食後に、練習の時間まで街を歩くことにする。
フロントにおいてあったガイドブックを頼りに、まずはバスターミナルの方へ向かう。歩いていると、道のずっと向こうにスキーのジャンプ台が見える。こんなに近くだとは思わなかった。ジャンプ台だけだから、町中にもつくれるのだろう。バスターミナルの隣には歴史博物館がある。今世紀の初頭のものだが、ちょっと古典的なデザイン。日曜日なので中には入れないのが残念。そこからまた戻ってコンサートホールの横を通り、山の麓にある教会を眺める。ちょうど10時くらいなので、礼拝の始まりを告げる鐘が鳴っている。麓に沿った道を歩いていく。昔ながらの建物が並んでいるところという感じで、時代の違いを忘れされる雰囲気がある。市役所はヘルシンキ駅と同じくエリエルの設計で、確かに共通のイメージがある。そこからまたホテルへと戻る。ロビーで葉書を書いて、広場のポストに出す。
練習はホテルの小会議室?で10時半からの予定だったが、先に始まっている小合唱が長引いたので11時から始まる。声出しをしてから今日のプログラム分のパルムグレンを練習する。トルミスなど、昨日と同じ曲については練習はない。2時に昼食。たまたまマッティと同じテーブルになる。セバスチャンと話すのを聞いていたが、ドイツの合唱団は伝統的なレパートリーばかりで新しいものは取り上げない、とか、フィンランドではバーバーショップは受け入れられない、とかフィンランドの合唱団はアマチュアであっても非常に意欲的なので、指揮をする方も楽しい、などなど。食後にはケーキもあった。カットされておらず、自分で好きな大きさに切って取る。ちょっと大きすぎた(笑)。
3時にホールへ向かう。歩いてもすぐのところ。外から見てもわりと小さいな、と思ったが、中も小さかった(^^ ;)。ラハティ・オーケストラの本拠地にもなっている。すでに小合唱が練習をしている。座席数は400くらいか。コンサートホール、というだけあって、袖などもなく、反響版などは基本的に固定されている。ちょうどステージを含めて扇形になる形で広がっている。練習を聞いていると、実に良く響いている。普通に歌ったら大きすぎるのでは、と思うくらい。舞台上で、ソリストとの合わせなどをする。30分ほど前に楽屋待機になる。楽屋はラハティ・オケ向けのチラシなどもたくさん貼ってあり、なかには楽員による過去の指揮者評価もあった(^^ ;)。アンコールは、舞台に立ったままで昨日のパルムグレンからになったので、今度は歌える(笑)。楽屋で待っていると、他の団員が「今日は日本からの団体が聞きに来るそうだぞ」という。ヘルシンキならともかく、なぜここで(^^ ;)。そのうちに松原千振氏が楽屋を覗きに来る。たまたまこちらは着替え中だったので、挨拶は後回しになる。あとでロビーに出て行き、うろうろしていた氏と話す。直接会うのは初めて。いろいろと話を聞く。YLだけでなく、2、3の合唱団も指揮していたとは初めて知ったところ。今回は千葉の高校の音楽の先生たちの研修旅行ということで、ラハティまで来たそうだ。今朝は教会でも讃美奉仕をしてきたとか。適当なところで楽屋に戻る。
5時の開演前にロビーに整列し、昨日と同じように入場する。聴衆は150人くらいか。街の規模から考えると随分少ないようだが。プログラムは同じように続いていく。一曲、どうも最初の音がおかしいな、と思ったらマッティは止めて、もう一度やり直した。マッティが音を間違えたようだ。(^^ ;)アンコールまで歌い終わって、すべて終了。早々と着替えて、ロビーに出る。たまたま松原先生ご一行がいたので、少し話す。やはり日本人らしいとは分かったらしい(笑)。外に出て、バスに乗り込む。帰りにはビールの支給が無いようだ。ラハティの郊外のガソリンスタンドによって、各自食べ物などを買っていく。ビールを2本買っておく。セバスチャンのガールフレンドというのも聞きに来ていたようで、一緒にバスに乗っていく。ヘルシンキまで2時間ほどで到着。部室に荷物を入れ、ビールを飲みながら雑談する。こういう機会もありそうでなかなかない。結局10時半までいる。駅に急ぐが、今日はホームがいつもより遠くて間に合わなかった。次までは40分以上あるので、途中まで行く電車に乗ってタクシーに乗ることにする。ティックリラまでいって、駅前で待っているタクシーに乗り込む。ドアは自動ではないので、乗ったら自分で閉めなくてはならない。さすがに大きい車なので、中は広々としている。基本料金に30FIMがついていて、1FIMずつメーターが上がっていく。家の近くまで乗ったら53FIMだった。帰ってきたのは12時前。シャワーを浴びてメールだけ読んでから、寝る。
3/29(月)
8時半過ぎに目が覚めるが、だるいのでまだ寝ておく。今日の授業は休みにする。9時半くらいにやっと起き出す。曇りでプラス1度ほど。食事をしてからメール書き、それから日記を書く。2日分はやはり時間がかかる。途中で一部の本の荷作りをする。とりあえず1つ送ってみることにする。母から手紙が来た。途中から太陽の光が部屋に差し込んでくる。暑いくらい。日記を書き終わったのはもう1時。荷作りした小包を持って出かける。近くの郵便局まで持っていく。昼下がりなのに、随分混雑している。特に高齢者など、窓口でお金を引き出す人も多いようだ。50分くらい待たされる。小包はわりと重いかなと思っていたが、量ってみたら9.6kgだった。まあ箱一杯に詰めてあるので損はない。本ばかりだと、あまり詰めすぎても箱が壊れてしまう。手持ちの現金では不足だったので、自分の口座から落としてもらう。この時は手数料はかからない。また4月分の家賃も一緒に振替えてもらう。駅に戻ったが、次の電車は丁度出たところ。今日はヘルシンキにいっても食事くらいしかすることがないし、出かけるのは止めにして、スーパーに寄ってからまた家に帰る。
疲れのせいか、まだいまいち頭がすっきりしない。デジタルカメラに撮りためてあった写真を整理しようと思い付いて、データを読み出してみるが、どうも数が少ない。よく見ると、今回の旅行の分も途中からしかデータがない。前回の友人との分はどこかに消えてしまっている。いろいろさがしてみるが見つからず。データは早めに移さねば、と痛感する。しかたなくベッドに寝転がって本を読んでいるうちに眠くなったので、そのまま昼寝する。気がついたらまだ明るい。まだ夕方かなと思って時計を見たらなんと7時。サマータイムのせいで時計上は遅い時間でも、明るいままであるのだった。シャワーを浴びてすっきりし、カップそばと買ってきた魚を食べる。これは珍しく焼き魚。それからラテン語の予習をする。
3/30(火)
7時半に目覚める。もう外は明るい。カーテンでも閉めておかないと、確かに早く起きてしまいそう。朝の気温は2度くらい。もう暖かさは確実になってきている。朝食を済ませてから、ラテン語の訳に取り掛かる。サマータイムに入ったので、約束の時間に1時間稼げるようになったのでちょっと楽になった(笑)。なんとか時間前に終える。それから洗濯をする。洗剤も途中で切れそうなので、中途半端に買わねばならないだろう。午前中は本を適当に読んで過ごす。楽譜を荷作りしようと思ったが、拾ってきた箱はちと小さすぎる。郵便局で大きめの箱を手に入れてこなければならない。そのうちに、出かけていたヒーパッカが帰ってくるが、また叫んでいるのが廊下からですら聞こえてくる。中に入っても随分興奮して叫び続けている。いったん部屋の扉を蹴って静かにさせるが、またすぐに騒ぎ出す。もう効力がなくなってきたようなので、いよいよHOASに連絡するか、と思うが、そのうちにバルコニーへ出ていったのでいったん気を取り直す。しばらくわめいていてからまた中に入ってきて、さらにわめき続ける。まさに狂ったように叫んでいるという感じ。ここに及んではもう我慢する必要もない。苦情メールを書いて、HOASに送る。洗濯物を取り入れ、12時前に出かける。
今日は実にいい天気。ぽかぽかと暖かい。先に郵便局に行き、切手を買って手紙を幾つか出す。それから駅へ行って電車に乗る。ヘルシンキに着くと、気温は8度。日陰はちょっと冷たい感じがするのだが、それでももうそんな気温になっているのか。歩いてスラソルに向かう。いつものように入っていくと、今日はいつものケッコネン氏がいない。食事にでも行っているのだろう。代わりにいた人に、日本からの注文というのも可能なのかと尋ねると、それはもちろんできるとのこと。それができると、今後のためにも役に立つ。それから楽譜を少し眺める。ピース類などを少しチェック。今回は女声の楽譜を2つ買う。フィンランドの女声合唱連盟の編曲になる曲集が、予想より随分高かったので驚いた。いくつかカタログなどももらって帰る。
そこから歩いて、ヴオリ通りの大学建物へ。もう花壇くらいにしか雪は残っておらず、すっかり春の趣き。空が明るくて気持ちいい。まずは学食に行き、昼食にする。もう1時半近い。今日はハンバーグ。小さめだが、よく見ると取りの形にかたどってある。時々、こういうお遊びもある。食べながらさっきもらってきたパンフレット類などを眺める。ヘルシンキにあるクレメッティ・インスティチュートでは夏期などに合唱式の講座も開いているようだ。ちょっと学費が高いが。マッティや、カリも講師として名前が挙がっている。しかしやはりピアノは必須とか。スラソルの出版目録というのもある。ほとんどはフィンランドの作曲家だが、たまに外国のものもある。食事を終えたらもう次の授業は近い。
スウェ語は1週間ぶり。だいぶ忘れているような気もする。今日は8人と、だいぶ少なくなってきた。他の人達はやはり脱落だろうか。相変わらず、先生はあまり相手にしてくれない。ばかばかしくなってきたのでもうやめて後は自分で勉強しようかとも思うが、まあもう少しだし様子を見ることにする。えてして残っているのはできる学生なので、だんだんレベルが上がってくる。遅れないようにするにはちょっと努力しなくては。授業後は神学部に行き、研究書を少し読む。ちょっとうとうとしながら、というところ。6時にYLの練習に向かう。サマータイムになったせいもあって、まだまだ空が明るい。ちょっと変な感じがするくらい。日没が8時くらいになっているのだから当然といえば当然だが。冬を通していると、サマータイムの威力がよく分かる。
今日の最初の発声には4、5人しかいなかった。がそれでも時間が来るとペロは始める。ブレスのコントロールが最初にあり、それから音をつけていく。本練習の前に、4月以降の予定表が配られる。5月のレコーディングは結局なくなったので、まあ心置きなく?帰ることができそうだ。それから10日にあるYL116周年記念パーティーの案内。ミカは久しぶりに見たが、ほとんどこういうことの案内のためだけに来ているようだ(^^ ;)。それからラウリから、YLの過去の記念誌についての案内がある。ほぼ最初の頃のものからあるそうだ。練習に入る前に、マッティがいろいろと話をする。先日の演奏会について、今後の練習計画について。また、来週には「音楽理論の試験」があるとか。基礎的なもののようだが、団員には義務になっているそうだ。それから練習が始まる。新しいタンゴを2つ。アカペラのものと、リンコラの3番目のもの。これをさらっていく。練習の合間に110年記念誌などをぱらぱらとめくってみる。その前の記念誌からの間の行事などが記されている。巻末には、その間の新入団員について、写真と経歴が載せられている。松原千振氏も載っていた。
休憩時間に、それらの販売がある。古いものについては一冊10FIM程度。25周年からあるのには驚く。とくに定期的ということでもないようで、25年・40年・70年・といった感じでわりと飛び飛びに編纂されているようだ。全部買うとなかなか大変なので、いちばん新しいものだけ手に入れる。またピンバッジについても販売がある。銀製の小さなメンバーバッジをもらう。他にも過去のバッジについても残りがケースに入れられている。過去の演奏旅行の記念バッジなど、今後3、40年は残り続けそうなものもある(^^ ;)。またYLのバッジについては、ラウリがセバスチャンに説明しているのを聞く。大きなメンバーバッジは、YLでの音楽理論の試験にパスし、愛唱曲の試験をパスするともらえるとか。とはいえ、愛唱曲は80曲あるわけだし、その中から指定されて物を暗譜で歌う、ということなのでなかなか困難。こういうシステムはフィンランドに一般的なようで、他にスラソルが出している基礎合唱曲集などでも同じように試験を受けてパスすると、それぞれのバッジを手に入れることができる。また今日買った女声の楽譜は女声合唱連盟のものだが、やはり同様の説明がついていた。これらを持っていることが合唱人としての一種の誇り、といったところであろうか。しかし、1年では基礎合唱曲集の40曲でもなかなか困難。おまけにフィン語やスウェ語であるし。まあ気長に練習して、またいつか戻ってきた時に試験を受けるのもいいか、と。
休憩の後はまたタンゴの続き。一通り終わったところで、「今日はもうこれで十分だろう」とマッティが言って、練習が終わる。9時。この辺もわりとフレキシブルになっている。練習の後で楽譜係のユハに声をかけ、マテトーヤの楽譜を出してもらう。なにを聞き間違えたのか、最初はCDを出してきたが、「楽譜だってば」といって出してきてもらう。40FIM。YLが出版元のせいもあるが、スラソルで買えば150FIMくらいはするもの。ありがたや。他にも、リーダーシャッツなども割安に買えるようだ。これは合唱団員向けの一種のサービスらしい。手持ちにちょうどがなかったので、来週の支払いになる。
駅まで行って、電車で帰る。家に帰ったのは10時前。YLの練習後にしてはずいぶん早い。シャワーを浴びてメールをチェック。HOASからも返事が来ていたが、来週に最終の警告を送るという。それでも改善がなければ、強制退去になるとか。さすがに警告は効くようなので、後1ヶ月あまり、おとなしくしてくれているといいが。
3/31(水)
8時に起きる。高い雲が少しかかっているが、晴。気温はプラス2度ほど。朝食を食べて、メール書きをする。今日は演奏会があるし、着替えを持っていくのも面倒なので、最初からスーツを着ていくことにする。靴だけは、革靴は滑るかもしれないので、別に持っていく。9時半前の電車でヘルシンキへ向かう。まずはフィンエアーのオフィスへ。フィンエアーのマイレージを使って、国内線の切符を取る。ちょうど1ヶ月後になるが、特に問題なく予約できた。切符はポイントを使って帰るが、空港税は別に支払わなければならない。ちょっと予想外だった。30日のオーランド行き日帰りの切符を確保する。たまたま日本人の旅行者がトランクを引いてきて、チェックインカウンターで何か話してからまたトランクを引いて出ていった。チェックインが早すぎるとできないのかもしれない。これは確認しておく必要がある。まあもしできなくても、すぐ近くに大きなコインロッカーもあるからそれほど大きな問題でもないのだが。ソコスの前まで歩いて、トラムに乗って大学へ。
午前中はフィン語の授業に出る。今日はイースター休暇前の最後になる、というので慌ててノートを見たら、たしかにそう書いてあった。それなら月曜日の授業をサボるんじゃなかった(^^ ;)。今日は特別の内容で、カレワラに関するビデオを見る。ガレン・カッレラの絵との組み合わせ。バックはシベリウス、といういかにも、の代物。外を見ると、大聖堂に何人もの正装した人が向かっていく。石段も、まずちょうど聖堂の入り口の正面に当たるところまで行ってから、まっすぐ昇っていく。先生が、新しい国会議員の記念礼拝と説明する。かように政府中枢はいまでも教会と強く結び付いていることが分かる。授業の後は、荷物をロッカーに預けて少し歩く。
まずは社会科学学部に行って食事。今日は鮭のクリーム煮。少し骨が残っている。食後はカエサニエミ通りを歩いていく。アテネウムに向かうつもり出歩いていたが、ちょうど日曜大工用品の店の前を通ったので、荷物の重さを量るための量りはないかと探してみるが、ない。模型屋でも見てみたが、やはりない。いったんアテネウムは通り過ぎ、アンティラで見てみる。普通の体重計がセール品で120FIMほど。もちろん持って帰っても仕方がないし、3000円弱の投資で安心して荷物が持ち込めるのは十分な投資だとは思うが、もう少し探してみた方が良さそうだ。ついでにストックマンでも見てみるが、体重計すら見つからない。念のためアカテーミンの地下の文具売り場も見てみたが、手紙用の量りだけだった。そこからまたアテネウムに向かう。
裏口の方から入る。いつもの西側の切符売り場は閉まっているし、どこで買うのかしらん、と思っていたら東側にも窓口があった。コートを預けて、階段を昇ってまず3階へ。3階正面では、ちょうどカレワラ150年の記念展示ということでカレワラをモチーフにした作品がまとめられている。ガレン・カッレラの作品ももちろんいくつも展示されている。また叙事詩を歌う情景というレリーフもある。話に聞いていた、二人がお互いに手を取って交互に歌う、という情景がよく分かる。彫刻では、アイノとクッレルボがよくテーマになるようだ。それから3階の展示室を一巡りする。ここでは20世紀以降の新しい画家が中心になる。カラフルな色彩のものが多い。印象派から抽象画まで、まさにさまざま、というところ。パーヴォ・ヌルミの像もある。たまたま学校の見学会があるようで、ざわざわとうるさい。それから2階に降りて、中央の展示室を見る。たまたま一つの絵の前で、カンバスを置いて模写している人がいた。美術学生だろうか。それからガレン・カッレラの絵を見る。ちょうど見学のグループが来たので、その説明をいっしょに聞く。学芸員らしき人が説明している。彼らが去ってからこちらもおもむろに立ち去る。今日はこれで十分。1階に降りてコートを受け取り、ミュージアムショップを見る。過去のポスターなども売っているようで、見てみたが丁度欲しい図柄のものはなかった。何も買わずに出る。
大学に向かおうとするが、途中にあるまた別の日曜大工店で量りを探してみる。やはりないので店員に聞くと、そういうのは扱っていないねえ、という返事。どこにあるかというのもよくわからない、とのこと。まあいいか。大学のカフェでコーヒーを飲む。それから神学部に行って、少し本を読む。休暇用に1冊借り出すと、返却日は6月になるという。新しいシステムで、今日から始まったところだとか。それも長すぎるのだが(^^ ;)。しかし貸し出し期間が長いと、他の人が借りている本を借りたい場合には困る。それからコンピューターセンターに行ってちょっとした作業。そろそろ5時になる。
大聖堂はすぐ近所なので、行くのも楽。入り口にはイースター期間中にヘルシンキ地域の教会で行われる演奏会の案内冊子もある。クリスマスの時と同じもの。あちこちで、沢山の受難曲演奏会が行われている。規模の大きいものは少ないようだが、それだけ地域に密着しているということかも。祭壇の後ろは司祭などの控え室になっていて、そこが楽屋代わりになる。祭壇の前で、声だしと練習。一通り流していく。自分のソロパートそのものは悪くないが、前の福音史家からうまく音が取れなくて悩む。たしかによく響くところだ。自分の声の残響が2秒は続く。全体練習の後は、ソリストごとにチェック。入りについて何度か練習する。調性をうまく掴めていなかったようで、分かればどうということはない。考える過ぎると却ってうまく行かない。そうしている間にも聴衆は集まってくる。しばらく控え室で待機する。ちゃんと聖堂の中が見えるモニターも置かれている。7時丁度に、入場。聴衆は200人くらいか。ソリストと指揮者が入って礼をしても、静かなまま。これが受難週に受難曲を聞く時のスタイルだとどこかで聞いたことがあるのを思い出す。しかしちょっと変な感じ(^^ ;)。カリでもそういう気がしたのか、鼻で笑っていた(笑)。シュッツのマタイ受難曲はアカペラなので、どんどん先に進んでいく。長いソロの部分は待っているのが退屈だし、疲れる。自分のソロは、問題なくできた。が、直後に入る合唱で、別のところと勘違いして1小節早く入ってしまった(^^ ;)。やはりソロの直後は難しい。歌いながら「次のソロはパスした方がいいかな…」などと考えていたのが逆に災いしたか。合唱でところどころ入りを外してしまったり、もあった。まあ全体としては悪くないかな、というところ。演奏が終わって礼をしても、やはり静かなまま。そのまま退場する。時計を見ると8時。ちょうど1時間くらいである。手早く着替えて、外に出る。
8時だというのに、まだ外は十分に明るい。気温は7度と出ている。駅へ向かう。少し時間があったのでスタンドでカシューナッツを買い、電車に乗る。さすがに少し疲れた。コイブキュレに着いたのは9時前。まだ夕焼けの残りがある。シャワーを浴び、カップラーメンを食べる。メール書きなどをして過ごす。
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