ヘルシンキ大学合唱団の内実 その3
前川 裕(なにわコラリアーズ)
マッティは、レコーディングする曲を一度は演奏会にかけている。音楽の作りを反省し、よりよいものを録音するためだと彼は語る。国内演奏旅行はそのためのいい機会となっている。もしかしたら、録音のために演奏旅行があるのかもしれない。
レコーディングは、ヘルシンキ近郊の教会やホールなどで行われる。土日を使って行われることが多い。早朝に練習場前にバスが着き、三々五々と集まってきた団員が乗り込む。それから録音会場に向かう。私が参加した時は、国軍の通信施設の中にある教会であった。方々に「立入禁止」の札が立っている。軍の施設だけあって、人里からは離れているために静かである。ここに缶詰となり、朝から夕方まで録音をするのである。練習をして録音、を繰り返す。ディレクターのOKが出るまで何度も取り直しとなる。商業用の録音なので、ちょっとでも雑音が入ってはいけない。演奏直後に床や椅子のきしむ音が入ったりすると、「あ〜」という嘆き声があがる。昼食は軍の施設にある食堂でとり、午後もまた録音。その日の録音が終ると、またバスに乗って帰る。この時にビールと軽い食事が支給されるのが常である。
【愛唱曲】
YLにももちろん愛唱曲が存在する。しかし、日本で考えているよりも遥かにシステム化された愛唱曲制度となっている。愛唱曲として定められた曲があり、それについての試験に合格すればバッジが授与されるというものである。これはYLのみならず、フィンランドの合唱界全体に浸透している。
まずスラソル(フィンランドの音楽連盟、日本の合唱連盟のような機能ももつ)が定めているものがある。男声の場合、「基本」「芸術」「マスター」の三種類のバッジがあり、それぞれに曲が定められている。「基本」は四〇曲で、一冊の楽譜にまとめて出版されている(Perusmerkkilaulut)。「芸術」は「基本」に加えてさらに四〇曲、「マスター」は「芸術」に加えてさらに三〇曲が定められている。つまり、「マスター」のバッジをつけている人は百十曲が歌えるということの証明になるのである。
愛唱曲の試験は、各合唱団に委任して行われる。YLの場合には1〜2月に試験の案内が告知される。試験は、指定された曲数の中から五曲がその場で指定され、暗譜で歌うというのものである。単純ではあるが、ごまかしの効かないものでもある。十分な準備をしておく必要がある。
スラソルが実施する共通愛唱曲の他に、各合唱団が独自に制定している愛唱曲がある。YLでは八〇曲を指定している。指定される曲は時代によって入れ換えもある。YLの団員バッジ(月桂樹のついた丸いもの)を獲得するには、スラソルの「基本」に加えてYL指定の八〇曲を暗譜し、さらに楽典の試験に合格する必要がある。団員の中には、暗譜はとうに済ませたがこの楽典の試験に通らない、という例も少なくないようだ。基本的な内容ではあるが、私の場合にはフィンランド語で書かれた設問文が理解できないという問題があった(幸い合格できた)。
これらの試験に合格すると、バッジが授与される。YLでは、三月に行われる創立記念パーティの場において授与式がもたれている。この時には、授与されたメンバーが一曲披露する、という伝統もある。これ以後、ステージに立つ時には授与されたバッジをつけることが許されるのである。
全国で共通の愛唱曲を認定するという制度は、ぜひ日本でも導入していきたいものである。
(完)
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