2006/10/22 醍醐教会礼拝説教「平地、山、天」 マタイによる福音書5:1-12 前川 裕教師

 今日は「聖霊降臨節」の最後の主日であり、来週からは「降誕前」主日が始まります。これは、以前は「契約節」といい、アドベントを前にして旧約聖書に記された主の降誕の約束を覚える時期とされていました。現在の名称は、降誕につながる時期であることがより意識されたものになっています。では、聖霊降臨節の最後の主日である今日は、どのような日なのでしょうか。聖霊降臨節は、イエスの昇天後、ペンテコステにおいて聖霊が弟子たちに下ったときから始まり、その後の信仰共同体の発展を描きます。信徒の最後は、やはり「天国」です。教会の暦では今日のテーマとして「天国の市民権」というタイトルが与えられています。

 「市民権」とはなんでしょうか。それは、たとえば国籍によって自然に与えられるものです。また、米国のように応募し、抽選によって選ばれるといったところもあります。新約聖書では、パウロがローマ市民権を持つものと主張しています。ローマ帝国の市民権は、もともとはイタリアを中心とするローマ帝国の市民に与えられていました。ローマ帝国の版図拡大に伴い、それらの地方の諸民族にも与えられるようになり、果ては領内の全自由民に市民権が与えられるようになりました。

 では、「天国の市民権」とは、誰に与えられるものなのでしょうか。

 今日の御言葉では、「天の国」という呼び方で天国が語られています。3節、10節と12節に出てきます。実は、これらの「天の国」を含む部分は、現在形で書かれています。ところが、4節から9節においては、すべて未来形で記されているのです。これはどういうことでしょうか。「心の貧しい人々」「義のために迫害される人々」「わたしのために迫害される人々」は、今その場において「天の国」に属するものであると言われているのです。

   わたしたちの今生きている世の中は、とても「天の国」とは言えないように見えます。しかし、その世こそが「天の国」であると言われています。私たち人間の力では、とてもこの世の中を生きていく自信がありません。そのために、神は私たちに聖霊を御与えになりました。聖霊の助けによって、私たちはこの世を生きることができるのです。

 私たち、私たちの隣人、また隣人の隣人もまた、すべてこの「天の国」に属する一員なのです。でも私たちには、それが見えません。私たちは、それが見えるように祈ろうではありませんか。私たちに「天の国」が見えるように。隣人に、「天の国」が見えるように。隣人の隣人に、「天の国」が見えるようにと。そのとき、私たちのこの世界はまことに「天の国」となることができるのです。


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