「イエスのほほえみ」

ローマの信徒への手紙 8章37節-39節

 今日の説教題は「イエスのほほえみ」としました。ところで質問です。イエスさまは笑っ たのでしょうか? 実は、新約聖書には、イエスさまが笑ったという記述はないんです。 「感心した」とか「誉めた」というのはあります。また逆の「泣いた」というのもありま す。ヨハネ福音書11章34節に「イエスは涙を流された」とあります。ちなみに、ここ は新約聖書の原語ではもっとも短い節として知られています。ともあれ、はっきり記され た形では、イエスさまは笑っていません。なぜでしょうか?

 福音書を書いた人達にとって、「笑い」というのはあまりよいイメージが無かったよう です。何回か福音書に出てはくるのですが、たいてい「あざわらう」という形なのです。 これは旧約聖書の影響もあるかもしれません。70回ほど使われているのですが、これも やはり「あざ笑う」となっています。時には神様までが、軽蔑の笑いを愚かな人間たちに 投げかけているのです。そのような言葉をイエスさまに結びつけるのはふさわしくない、 とおもったのでしょうか。

 まあ、常識的に考えれば、イエスさまもやはり笑ったことでしょう。ただ、文字にする ほどのことではなかった、という程度でしょうか。もっとも、いままでのことは、人間イ エスについての話です。現実にイエスは笑ったか、というのは興味深い問いではあります が、それだけの話でしょう。では、「イエスのほほえみ」とは何か?

 顔の表情には、その人の心の状態が現れる、とはよく言われることです。いつも仏頂面 をしている私でありますが、ある友人に言わせると、『よく見ていると微妙な変化があっ て、それを見抜くのがおもしろい』のだそうです。してみると、仏頂面も悪くないかな、 と思ったりもします(笑)。

 おもしろい記事を読みました。顔の表情は伝染する、というんです。いい顔をしている 人が多ければ、皆がそうなる。逆に暗い顔をしている人がいると、全体が暗くなるんだそ うです。そのひとがいる集団を反映している、といいます。

 教会には「いい顔」の人が多い、といいます。私があるクリスチャンの集会に出たとき、 そこで出会った人が言いました、『なんて素敵な顔の人ばかりなんだろう!』おなじクリ スチャンでも、こんな風に驚くほどなのです。この私でさえ、にこやかになるのですから、 私も「いい顔伝染病」にかかっているのでしょう。なぜ、教会ではこの「いい顔伝染病」 がはやっているのでしょうか?  それは今日のみ言葉が示していますね。「わたしたち は私たちを愛して下さる方によって輝かしい勝利をおさめています」。「どんな被造物も、 私たちの主イエス・キリストによって示された神の愛から、私たちを引き離すことはでき ないのです」。この言葉を書いたときのパウロの顔はどんなだったでしょうか。文面から でも目に浮かぶようです、パウロの喜びに満ちた顔が。キリストにある満ち足りた愛のゆ えに、パウロは深い喜びに包まれているのです。

 その喜びはいまでも、キリストを信じるものの内にあります。心の中にはいってくださっ たイエスさまが、表情を豊かにしてくれるのです。私たちの負っても負いきれない苦しみ ・悩みを担ってくださり、私たちの心に平安を与えて下さるのです。「私はあなたがたに、 私の平安を与える」。イエスさまの約束の言葉です。「この世が与えるのとは違う」、イ エスさまの平安を与えて下さるのです。この言葉にどんなに力付けられることか。私たち にはもうどうしようもないことが山のように襲いかかってきます。一体どうすればいいの か。迷い戸惑うことばかりです。そんな時に聞こえてくる御言葉。「あなたの重荷を主に ゆだねよ。主はあなたがたを休ませて下さる」。このみ言葉を素直に受け取ろうではあり ませんか。

 「あの人の笑顔を見たら、今日はもう十分幸せだ」。そんな風に思う相手っていません か? 私は最近、テレビで手話の講座を見ています。ぼちぼち見ているのですが、その動 機に、怪しげなものがあることに気付きました。もちろん手話の勉強もあります。でも、 半分くらいは講師のお顔を見たいがためにテレビの前に坐っているような感じなんです。 女性の講師なのですが、それが、実に魅力的なのです。こういうとちょっと誤解を招きく かもしれませんが(笑)。その方はとっても素敵な表情をしていらっしゃるんですね。ほ んとに不思議なくらいです。 その謎?は、何回目かの番組で解けました。

 手話、というと、文字どおり手でする会話と思い込みがちです。でも、手だけじゃない んですね。表情で表現する部分が実に多いのです。微妙なニュアンスを、表情で伝える。 時には、まるで手話のほうがおまけのようにも思えます。 そう、そういう会話を重ねて いると、自然と表情も豊かになっていくんです。顔が鍛えられていくんですね。

 素敵な表情の相手に会っているとき、自分の顔もまた、とっても素敵に違いありません。 別に何かをして、笑わしてくれたりするわけでもない。ただそこにいて笑ってくれている、 それだけで自分が幸せになれる。そういう相手がいれば、たとえ嫌なことがあったとして も、気を持ち直して、またにこやかに暮らせることでしょう。 「私は神に愛されてい る。」この実感があればこそ、クリスチャンはにこやかでいられるのです。そして、いつ もにこやかでいること、そのことはそのまま神さまの愛を周りに示しているのです。これ 以上素敵なメッセージがあるでしょうか? 神様を伝えるのには、言葉さえもいらないの です。ただ、あなたの笑顔。それがそのまま、すばらしい恵みの最高のメッセージなので す。

 冒頭の問い、「いえすさまは笑ったか」。私たちのほほえみ、それこそが「イエスのほ ほえみ」なのです。