1997/5/25 礼拝説教「神様の『たまごっち』」 詩篇139:1~24


 初めに、「たまごっち」とは何かを説明しておきましょう。早い話が、「子育てゲーム」です。しかし、あれほどのブームになったのは、これがただ者ではないからです。キーホルダー程度の小さなものですが、これは人間に対して「甘える」のです。つまり、お腹が空いたらご飯をあげなければならない。うんちをしたらそれを取り除かなければ病気になってしまう。病気になったら注射をして直さなければならない。さらには、「しつけ」と称して遊んであげなければならない。これらの全てが、ひよこの成長に影響するのです。うまく育てばふつうに親鳥になりますが、うまくいかないとひねくれた鳥になってしまう。しかも、これらの動作はこちらの都合におかまいなしです。人間が食事中であろうが、授業中であろうが、仕事中であろうが、「ピーピー」と鳴って世話を求めます。それがために、試験中においてさえ世話をする学生がでる始末です。音が出ないようにして学校に持ち込んでいる小学生もいるとか。まあ、持ち込めない場合は親にあずかってもらって、親が面倒を見ているようですが。親御さんもご苦労なことです。
 私の感覚では、そんなわがままなものにはつきあっていられない、というのが本音です。なぜこれだけ流行るのか、面倒を嫌う現代人といわれるのに、不思議なことです。

 一つのヒントは、決まりきったことを嫌う事でしょうか。たまごっちは気紛れです。それは今までのゲームには無いことでした。自分の意のままに操ることができないものに対する新鮮な感じがある、といえます。意のままにならないからこそ、なんとかしてやろうとするのが人間の性質です。そこにうまく訴えていると考えられます。

 また、これは飼育ゲームです。人間は小さい時であっても、「育てる」という行為を好むようです。しかし、生きているペットは簡単には飼えない。そこで、「育てる」欲求を満たすための手軽なものとして「たまっごち」が流行るのかもしれません。その証拠に、お母様方にも大流行、というわけではないようです。わがままな本物の子供を育てて、もう真っ平、でしょうか。子供達の電子ペットに対する愛着はすさまじいもので、あるところには「たまごっち」で死んだもののお墓まであるとか。しかし残酷な所もあります。電子ゲームですから、「りせっと」することで今まで育ててきたものを消すことができます。うまく育たないからといって、ボタン一つで消してしまう。普通の生き物では考えられないようなことです。この点が命の大切さという点で悪影響がある、という投書が新聞にも出ていました。

 説明が長くなりました。でも、今までに説明が、実は大事なことが含まれていました。人間は「たまごっち」という世界の中で、ひよこを育てます。ひよこはわがままに育ちます。人間はひよこに振り回されてつつも、喜んでひよこを育てています。私はふと、「たまごっち」とこの世界とを比べてみました。それはなんと似ていることでしょうか。私達人間はひよこです。しかもとてつもなくわがままなひよこです。別に幼少の時に限りません。大人になっても、わがままをなし続けています。では私達人間を育てているのは? それは天地万物をつくり、そして人間をつくられた神です。しかも神は、私達のわがままにも関わらず、いつでも喜んで私達を育てています。そしてついには御自分の独り子をさえ私達に与えて下さった。これほどの愛情をもって育てて下さる方が他にあるでしょうか。

 しかも、神は「たまごっち」のように「リセット」することはありません。たとえそれがどんなものであろうと、神はとことんそれを愛し、育て上げようとするのです。うまく育たないからといって「リセット」することが神にできるのであれば、誰が存在し得ましょうか。そもそも、人間はあの楽園で神に背いたのです。

 聖書は語ります。「主よ、あなたはわたしを究め、わたしを知っておられる」。口語訳では「主よ、あなたは私を探り、わたしを知り尽くされました」とあります。これが今日の詩篇全編を通してのテーマです。神はわたしのことを深く知っている、というのです。それだけ知られていて、誰が神の前に立ち得ようか。それこそ、消されても文句もいえない罪深い存在です。

 しかし、神はそのような不完全な私達をも生かして用いて下さいます。しかし私たちは悩みの中にいる。私たちはどのように生きていけばいいのか。私たちのなすべき祈りは、この詩篇に示されています。「神よ、私を究め、私の心を知って下さい。わたしを試し悩みを知って下さい。ごらんください、私のうちに迷いの道があるかどうかを。どうか、わたしをとこしえの道に導いて下さい。」 親は、他人が全くわからないような子供の言葉を聞き分け、理解し、その世話をすることができます。同じように、私達をつくられた神は私たちの祈りを理解し、助けを与えてくれるのです。

 神は御自分の姿と同じように人間をつくられた、と創世紀に書かれています。「たまごっち」をそだてる人間の姿、また自分の子を育てる人間の姿。それもまた、神の姿を移したものではないでしょうか。神様が育てている「たまごっち」、それはこの地球なのです。