今日のみことば(2021年)
2021年の聖句「ここに愛がある」(Ⅰヨハネ4:10)

 ※他の年の「今日のみことば」はこちら

■ 2021年12月26日年末感謝礼拝 「預言の実現」

「主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」(マタイ2:15)

 「移りゆく世に、変わることのない神の言葉」という伝道のキャッチフレーズを聞くことがあります。エジプトに逃れた貧しい親子の姿は、神の救いの計画から、最も離れた姿に見えます。世の権力と流れに翻弄された、まさに一枚の木の葉のようです。しかし、聖書は力強く、このことが預言者の言葉の実現であった、と語っています。
 神様のシナリオは、途中では分かりませんが、最後の救いの約束が実現するところまでつながっています。新しい年もこの祈りと共に歩むことができますように。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年12月19日クリスマス礼拝 「ファースト・コンタクト」

 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。 (マタイ2:1-12)

 深谷牧師の説教
 説教の要旨はこちらをご覧ください。

■ 2021年12月12日アドベントⅢ礼拝 「その名はインマヌエル」

 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は「神は我々と共におられる」という意味である。 (マタイ1:22,23)

 マタイ福音書の降誕物語の主役はヨセフである。婚約者マリアが聖霊により身ごもったことがわかり、ヨセフはさぞ慌てふためいたことだろう。愛するマリアの事が表ざたになるのを恐れてひそかに離縁を決心した。そこへ主の使いが現われ、マリアが聖霊によって子を宿したのであることを告げ、早速彼女を妻に迎えるように勧めたのである。
(清水名誉牧師)

■ 2021年12月5日アドベントⅡ(祈りの友)礼拝 「マグニフィカート」

「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」 (ルカ1:46-47)

 「マグニフィカート(あるいはマニフィカト)」はギリシャ語で「私の心は主をあがめる」という意味で、マリアの讃歌の代名詞となっています。彼女の生涯を表す、主への讃歌は、自分の身の小ささと、にもかかわらず、神の奇跡という無限の大きさが及んでいることへの喜びに溢れています。
 この恵みを、私たちも身に受けることができます。それは「神にできないことは何一つない」という信仰を持つことです
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年11月28日アドベントⅠ礼拝 「ベネディクトゥス」

「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。…主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる。」 (ルカ1:68-69,72)

 ザカリヤの讃歌は、ラテン語の頭文字をとって「ベネディクトゥス」と呼ばれます。神の恵みが、まさに自分の身にも与えられたという喜びが、この讃歌にはあふれています。神様は約束を守られる方です。待ち望む者に、必ず驚くほどの恵みと憐れみを、その魂に届けてくださるのです。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年11月21日収穫感謝・謝恩日礼拝 「感謝祭(仮庵祭)」

「イスラエルの人々は第七の月の祭りの期間仮庵で過ごさなければならず…『山に行き、オリーブの枝、野生オリーブの枝、ミルトスの枝、なつめやしの枝、その他の葉の多い木の枝を取って来て、書き記されているとおりに仮庵を作りなさい。』」(ネヘミヤ8:14-15)

 モーセ率いる60万人ものイスラエル民(成人した男子の数)はエジプトを脱出したが、40年に亘る荒野の旅を余儀なくされた。その間はずっと仮住まいの旅であったことを記念して「仮庵の祭り」が定められていた。実際には補囚から解放されたネヘミヤらによって実施されたのである。(BC5世紀)
(清水名誉牧師)

■ 2021年11月14日障がい者と共に在る主日礼拝 「ルカだけが」

「ルカだけがわたしのところにいます。」(Ⅱテモテ4:11)

 口語訳は「ただ」ルカだけがとなっている。
 「病院伝道の患者さんに寄り添うように」と与えられたみ言葉です。73年間、弱い私に神さまは生まれた時から現在に至るまで、どれほど素晴らしい主治医を与えてくださったことでしょう。今も二人のドクターに弱い心臓を支えていただいています。弱さの中で良き主治医を与えられていることは、神様からの賜物です。
 コロサイ4:14に「愛する医者ルカ」とありますが、当時の世界一の主治医がパウロのそばに寄り添うようにいました。大変な病を背負っていたパウロに!しかし、主はルカ以上のお方です。「我は全能の神であって汝をいやすものなればなり」アドナイ・ロフェカと!
玉田耕治牧師(世界福音伝道会牧師)

■ 2021年11月7日こども祝福式礼拝 「子どもを招くイエス様」

「そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスは言われた。『子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。』そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。 (マタイ19:13-15)

 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年10月31日礼拝(宗教改革記念日) 「求めなさい」

「だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」 (ルカ11:10 )

 一般的にも名言として知られるイエス様の御言葉です。しかし、この真意は正しく理解しなければなりません。すなわち、これは神様に向けられた「祈り」を表しているということです。
 祈りという行為には、深遠で豊かな世界があります。長い長い自問自答と、その末に必ず、答えてくださるという信頼と希望を持って、神様にその思いと願いを捧げましょう。道が開かれていくために…。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年10月24日礼拝 「主の祈り」

「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。』」( ルカ11:2 )

 「主の祈り」を、知らないクリスチャンはいません。この最も有名な祈りの冒頭は、天の父なる神様に心を開きます、という告白です。心の真ん中のイスに、イエス様をお迎えします、という言葉なのです。
 祈りは、私たちの人生を励まし、勇気づけます。24時間・365日・年中無休で、願い求めることに、いつでも対応してくださるところができるのですから。神様は、必要なものは何でも与えてくださるのです。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年10月17日礼拝 「ひとつだけ」

「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。」(ルカ10:41-42)

 ひとつだけ、というのは簡単なようで案外難しいと思います。欲しいものをひとつだけ、会いたい人を一人だけ、行きたい場所を一ヶ所だけ選びなさい、と言われて、すぐ答えられる人は幸せだと思います。
 イエス様は必要なことは、ひとつだけだと教えてくださいました。それは静かに祈り、み言葉に耳を傾ける時間です。多くのことに思い悩み、心を乱すことから、私たちは神の愛によって救われるのです。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年10月10日礼拝(献身者奨励日) 「王を求める民」

「主はサムエルに言われた。『民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。・・・』」(サムエル記上8:7)

 サムエルは年老い、後継者の二人の息子は賄賂を取って裁きを曲げたため、イスラエルの長老達は全員集まってサムエルに王を立てるよう要求した。サムエルの目には悪と映ったが、主は『今は彼らの声に従いなさい。ただし、彼らにはっきり警告し、…王の権能を教えておきなさい。』と条件つきで許されたのである。これがイスラエル国家としての王制のはじまりとなった。
(清水名誉牧師)

■ 2021年10月3日世界聖餐日(祈りの友)礼拝 「あり得ない親切」

「ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、・・・」(ルカ10:33)

 今年の世界聖餐日礼拝は、共に聖餐に与ることはできません。その代わりに、聖餐に込められた意味を思い起こしましょう。それは、パンと杯が示す、イエス・キリストが与えてくださる救いです。わたしたちが主の死を告げ知らせるのは、それによって、私たちが救われているからです。
 神様にとっては、何も得がない、助ける理由もないような人間に、あり得ない憐みをかけてくださいました。この救いを確かめ信仰を強めるのが、聖餐なのです。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年9月26日礼拝 「天からの喜び」

「そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。・・・」(ルカ10:21)

 マスク生活で、親しい人たちの笑った口元よりも、テレビで難しい顔をした専門家の口元ばかりを見ているかもしれません。
 イエス様は喜びにあふれて、祝福の言葉を述べられました。主が身を振るわせるほど笑っておられる御顔を、今朝の聖書を示されて、思い起こそうではありませんか。
 自力で作り出した喜びは、やがて過ぎ去って悲しみに変わります。けれどイエス様から頂く天からの喜びは、幼子のような者に、ずっと注がれ続けるのですから。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年9月19日合同記念礼拝 「夕暮れの食卓」

「イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。」(ルカ 9:16)

 聖書に時折「夕暮れ」の場面が登場します。そして、それは寂しさや心配、死の到来を暗示していることがあります。今朝の箇所も「日が傾きかけた」(12節)と記されています。しかし、そこでイエス様は弟子たちに「何とかしなさい」と命じられ、祝福と賛美の祈りを捧げて、奇跡を起こされました。心も体も満たされた人々が眺める真っ赤に染まる夕焼け空は、どれほど美しかったことでしょう。イエス様が共にいてくださると信じる時、思うようにならない状況さえ、新しいことの始まりになると、聖書は私たちに告げています。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年9月12日礼拝 「聖なる神殿」

「キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」(エフェソ2:21-22)

 コロナ禍の中で献堂14周年を迎えました。配信による礼拝が守られていますが、教会の主であるキリストはいずこにも存在されています。今、見える教会から、見えない教会の姿が浮かび上がってきています。主は教会のかなめ石、わたしたちの教会の部分部分として組み合わされているのです。コロナ禍の終息を祈りつつ、見えない教会の建設をめざして進もうではありませんか。
(清水名誉牧師)

■ 2021年9月5日祈りの友礼拝 「天に記されている喜び」

「むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカ10:20)

 「感謝と喜びを」というキャンプで用いられる賛美があります。若者たちが、弾ける笑顔で「天に私の名が記されている喜び!」と大声で歌います。地上の喜びは他にもたくさんあります。「お金で買える満足」もあるでしょう。天国からの喜びは、それらに比べると、見失いやすく、伝えにくいかも知れません。けれどもその代わり、この喜びはどんな試練や困難も、奪い去ることはできません。「神様が私を愛してくださっている」という告白を、誰も完全否定することはできないからです。
 私たちも、主から受けた恵みを思い返し、その最も大切な喜びの源を心に留めましょう。この喜びを見失わないように…。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年8月29日礼拝 「収穫の働き手」

「収穫は多いが、働き手が少ない。…行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。」(ルカ10:2-3)(抜粋)

 突如として始まり、2年に及ぶコロナ禍の日々に、不安を感じない人はおりません。救いを求めている人が溢れているということでは、今はまさしく終末の時代、収穫の時を迎えていると言えるでしょう。イエス様は、その「働き手が少ない!」と言われました。エッセンシャル・ワーカーと呼ばれる人々はいつでも人材不足です。福音を伝えるメッセンジャーも、いつでも足りません。あなたが、その働き手になってくれたら、と迫られているのです。教会はワンチームです。狼の群れに囲まれても、主の御手で信仰者は平安を味わいます。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年8月22日礼拝 「前進する覚悟」

「イエスは言われた『狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。』…『死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。』」 (ルカ9:58,60)

 ドライバーと助手席の人が見つめ合いながら運転しては大変です。事故になってしまいます。深い愛は、見つめ合うよりも、同じ方向に進む姿だと言われます。今朝のイエス様の言葉は、大変厳しい響きがありますが、それは神の国を第一として生きるということが、それほど重要だからです。
 死と罪の力は、人間を縛る最大の力です。しかし十字架による神の国の訪れは、その恐れに打ち勝つことのできる救いなのです。主と同じ方向に進みましょう!
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年8月15日礼拝 「指導者サムエル」

「主の箱がキルヤト・エアリムに安置された日から時が過ぎ、二十年を経た。イスラエルの家はこぞって主を慕い求めていた。
 サムエルはイスラエルの家全体に対して言った。『あなたたちが心を尽くして主に立ち帰るというなら、あなたたちの中から異教の神々やアシュタロトを取り除き、心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えなさい。そうすれば主はあなたたちをペリシテ人の手から救い出してくださる。』」(サムエル上 7:2-3)

 イスラエルのカナンの地占領後も地域住民ペリシテとの戦いは続いたが、サムエルの指導と祈りにより、ペリシテ人は鎮められ抑えられて平和な時代が訪れていた。
(清水名誉牧師)

■ 2021年8月8日礼拝 「エルサレムへの道」

「イエスは、天に上げられる時が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。」( ルカ 9:51 )

 イエス様が、エルサレムを見上げられた、この箇所から19章までは「エルサレムへの旅」と呼ばれ、パッチワークのように印象深い記事が凝縮されています。しかし全体を眺めると、そこには人々を救おうとされる神様の御心が浮かびあがります。
 信仰の旅路も、このエルサレムの旅になぞらえることができるでしょう。どんな出来事も、私たちを滅ぼすためではなく救うために共にいてくださるイエス様のまなざしを思うとき、主の愛を覚えます。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年8月1日平和主日礼拝 「キリストこそ平和」

「彼こそ、まさしく平和である」(ミカ5:4)

 世の中には「平和の祭典」「平和運動」などなど、平和と名付けられたものが無数に存在します。しかしながら、礼拝で、あるいは聖書で「平和」と語られる時、それは単なる戦争の対義語ではありません。
 今朝のみことばは、イエス様そのものが平和(ヘブライ語・シャローム)なのだと語っています。それは一言で「十字架の贖いを成し遂げられた救い主」ということです。
 平和をもたらすのは、尊い犠牲です。イエス様がどれほどの犠牲を払って私たちに神との和解、恵みと喜びを与えてくださったかを思うとき、平和が訪れるのです。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年7月25日礼拝 「最も小さい者こそ」

「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」(ルカ9:48)

 主の名のゆえに最も小さい者を受け入れなさい、というイエス様のご命令が記されています。その先には天国の栄冠が待っているからです。人々からの称賛や名誉がなくても、その人の小さな者にしたわざは、天国に記録されているからです。与えられた人生のレースを、忍耐強く走り抜こうではありませんか。(ヘブライ12章参照)
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年7月18日礼拝 「怖くて聞けない」

「弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠されていたからである。彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。」(ルカ9:45)

 耳を疑うようなイエス様の言葉に、弟子たちの動揺する顔が浮かびます。神様のご計画は、必ず最後の最後には、癒しと平安をもたらす愛の働きであることを聖書は語っています。しかしそれは「最後の最後」なので、その途上には、私たちがつまずきや、嘆きの夜を経験することもまた事実なのです。今朝の箇所は、真実が隠されて、理解できないでいる弟子たちの姿を通して神の摂理が逆説で、語られています。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年7月11日礼拝 「サムエルの召命」

「主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。『サムエルよ。』サムエルは答えた。『どうぞお話しください。僕は聞いております。」(サムエル記上3:10)

 不妊といわれたハンナであったが、彼女の神殿での涙の祈りが聞かれ、やがて彼女は身ごもって男の子を産んだ。その名はサムエル(その名は神)と名付けられ、乳離れと共に約束通り神殿に献げられた。ハンナ(恵)はその後3男2女に恵まれている。
 神殿に仕える少年サムエルは主の召命を受け、イスラエルを指導する預言者として大いに用いられる人となった。
(清水名誉牧師)

■ 2021年7月4日祈りの友礼拝 「よこしまな時代よ」

「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。あなたの子供をここに連れて来なさい。」( ルカ 9:41 )

 二千年前も現代も、人間は未熟で力不足です。イエス様は今朝の箇所で、痛み苦しみに悩む世界を嘆きつつも、恐れることなく悪霊に立ち向かい、癒しと救いをもたらしました。より頼む者に、神の偉大な力は、このように与えられると示されているのです。私たちに救いを与えるために、十字架の苦難と死さえいとわない、この神の愛を信じようではありませんか。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年6月27日礼拝(四重の福音・再臨) 「待ち望む顔」

「以上すべてを証しする方が、言われる。『然り、わたしはすぐに来る。』アーメン、主イエスよ、来てください。」(黙示22:20)

 「すぐに来る」と言う約束から、2千年が経ちました。それでもなお再臨を待ち望むクリスチャンは、一見とんだ愚か者です。
 しかし、人類の計画であっても、その事業が壮大であればあるほど50年、100年と構想と計画が練られます。信仰と希望と愛によって建てられる、不滅の神の国が必ず到来する計画はどんな計画よりも偉大です。
 この約束を信じて「御国を来らせ給え」と祈るとき、誰にも奪えない希望が、その人を燃やし、その顔を照らすのです。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年6月20日弾圧記念礼拝(四重の福音・神癒) 「弾圧の中での祈り」

「神よ、なぜあなたは 養っておられた羊の群れに怒りの煙をはき 永遠に突き放してしまわれたのですか。」(詩編74:1)

 詩編の中に「嘆きの歌」があるように、ホーリネス教会には「弾圧記念日」があります。それは烈しく、暗く、憂いを帯びた色調で、一見、救いの証とは真逆のことに思えます。しかしそこに、一筋の祈りがあり、救いがあることを知る時、私たちの心にも、不思議な平安と慰めが広がっていくことを覚えます。嘆きの歌の祈りに、「アーメン」と心を合わせる時に、時空を超えて神様の御手が働き、信仰の先達を包み、私たちを癒される主の愛を感じます。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年6月13日礼拝(四重の福音・聖化) 「聖なる者となれ」」

「あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。…『わたしは聖なる者だからである』」(Ⅰペトロ1:15-16)

 ホーリネスの群れの掲げる四重の福音は、「新生・聖化・神癒・再臨」ローマ字で書くといずれも「S」で始まって語呂がよい。2番目の「聖化」は「聖潔」(きよめ)ともいわれる。罪赦されて救われるだけでなく、潔い生活をするためである。しかし、自分の努力だけで潔くはなれない。ルターは「手を洗えば洗う程手が汚れる」と言って苦しんでいる。我らの信仰告白には「聖霊は我らを潔めて義の果(み)を結ばしめ」とある。聖なる主が私達を聖なる者とされるのである。
(清水名誉牧師)

■ 2021年6月6日礼拝(四重の福音・新生) 「心を開いて」

「イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。』」(ヨハネ3:3)

 「価値観の転換」という言葉を、最近聞きます。今までの当たり前を見直す時が来ていると、誰もが感じているのでしょう。
 新生の体験は、まさしく人生の大転換です。新しい扉が開いた自由と解放を感じ、温かい腕に抱かれたような平安を味わいます。心に賛美があふれ、十字架が、自分の中心になります。主のために、自分を捧げたいという熱い思いが湧きあがります。
 心を開いて、そのような新生の恵みに与りたいと、願うところからその祝福は始まります。祈り待ち望んで、その喜びのたまものを、受けようではありませんか。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年5月30日礼拝 「主の真実」

「見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておれる最期について話していた。」(ルカ9:30-31)

 ある牧師が「神は時折人間に、稲妻のように一瞬だけ、天国の光を見せてくださる時がある」と語りました。人間では計り知れない主の真実が、犠牲を払ってまで与えてくださる救いの業があると確信する体験は生涯の宝物です。
 作品だけでは理解できない意図を、作者から聞いて感動が深まるように、人生の様々な出来事を、それだけでは分からなくても、神様の壮大なシナリオの中では、見事な救いの一部であることを悟ることができれば、何と幸いなことでしょうか。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年5月23日礼拝 「コロナ禍が終わる時」

「わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し 老人は夢を見、若者は幻を見る。…主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。」(ヨエル3:1,5a)

 ヨエル書の主題は「主の日の決断」です。主の救いを信じよと預言者は語りました。決断を迫るこの言葉は、使徒ペトロの説教の冒頭でも引用されました。
 私たちにも、時に決心は良いものです。小さな決断が、大きな恵みの収穫をもたらすからです。ペンテコステは万物が大きく成長する恵みの季節です。温かく背中を押してくれる聖霊の力によって、善き業を行う場所に出てゆこうではありませんか!
 コロナ禍は世界を覆っていますが、いつか終わる時がやって来るのですから。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年5月16日礼拝 「犠牲とその報い」

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい。」(ルカ9:23)

 聖書の語る真理には、水準が高すぎて、到底自分には実践することなどできない、と思うことがあると思います。今朝の箇所はその最たるものかもしれません。
 イエス様は、スパルタ教師ではありません。しかし、誰よりも熱く激しく、わたしたちに生きる力と喜びを与えたいと願っていてくださるお方です。本当にゆたかな人生を歩むためには、御心に適うことを、すすんで「背負う」人になることが必要なのだと、主は命じておられます。
 どうしてこんな苦しみが私を襲うのか、と悩みに囚われる時、このインマヌエルの主の声に、救いの道が示されています。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年5月9日母の日礼拝 「母の日によせて」」

「その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています。」(Ⅱテモテ1:5)

 母の日の由来は、1908年米国ウェストヴァージニア州のウェブスターの町の教会で行われた一婦人の記念会に始まる。その人の名はジャーヴィスさん。26年間日曜学校教師をされ1905年に召された。その記念会で娘のアンナさんの列席者に贈られたカーネーションの花束が人々の感動を呼び、地区の教会では毎年「母に感謝する日」が設けられた。これを知ったデパート王ジョン・ワナメーカー氏が大きく取り上げ全米に広がり、遂に1914年米国会議で国の祝日に制定されている。
(清水名誉牧師)

■ 2021年5月2日礼拝 「イエスは何者か」

「イエスが言われた。『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。』ペトロが答えた。『神からのメシアです。』」(ルカ9:20)

 「メシア」とはヘブライ語で「救い主」の意味です。今朝の箇所で弟子たちは、初めてイエス様を「救い主」と告白しました。主はこの救い主(ギリシャ語ではキリスト)という意味は、十字架で己を犠牲にされた姿であると教えられました。弟子たちにとって、これはかなり理解することが困難な教えでした。しかし、かなり後になってから、弟子たちは自らも犠牲を払い主に従う道を喜びに満ちて選んで行きました。
 あえて主は私たちの声を用いて、ご自分の姿を明らかにされます。そうして、私たちをも救いの道に導いてくださいます。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年4月25日第74回教会定期総会礼拝 「命のパン」

「イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。すべての人が食べて満腹した。」(ルカ9:16-17)

 非常事態に、この箇所を読みながら「日が傾きかけた」と言う情景が印象に残りました。そして、主の奇跡が起きる場面はいつも、もう終わりだな、と思うようなところから始まるのだと改めて示されました。
 最も有名なこの奇跡は、イエス様が弟子たちに「あなたたちが何とかしなさい」と命じられたことが特徴です。私たちが弟子となって、み業のために働く時、主はその場所を喜びで満たしてくださるのです。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年4月18日礼拝 「復活の証人」

「『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。」(ルカ24:46-48)

 わたしたちの生きる力は、肉体を維持するために栄養だけ摂れば良いのではなく、心の喜びとなる、「魂の糧」が必要です。
 聖書が語る、イエス様が与える罪の赦しと復活、永遠の命は、この魂の糧となる、信仰の土台です。喜びの源となる福音を、わたしたちは恵みとして受け取り、それぞれの場所に遣わされていきましょう。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年4月11日礼拝 「8日目の顕現」

「イエスはトマスに言われた。『わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸である。』」(ヨハネ20:29)

 主は生前「十字架の死と復活」について語られていた。(マタイ16:21,17:23,20:19)しかし、その御言葉を信じていた人は一人もいなかった。主は3日目に復活し、マグダラのマリアをはじめ、弟子たちにそのお姿を現されている。最初その場に居合わせず頑なに信じなかったトマスにも主は現れて下さっている。その日が8日目であった事から、8は復活のシンボルナンバーとなる。
 ヨーロッパの教会に8角形のドームや洗礼堂を見かける。当教会屋根も8角形。納骨堂天盤にも丸いガラスが8つ嵌(はま)っている。
(清水名誉牧師)

■ 2021年4月4日イースター礼拝 「命の水、生ける川」

「天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。」(黙示録22:1-5)

 深谷牧師の説教

■ 2021年3月28日パームサンデー礼拝 「犯罪人への約束」

「我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」(ルカ23:41)

 世の中に真実も正義もない、と憤慨することが時に起こります。聖書は、それが実は本当の人間の姿なのだ、と語っています。理不尽な処刑、それがイエス様の死です。
 しかし同時に、イエス様を見上げる時、どのような罪人をも、必ず救い出してくださる力強い神の愛を私たちは知ることができます。三本の十字架の真ん中に、パラダイスに招く道が開かれているのです。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年3月21日レントV礼拝 「冤罪判決」

「イエスは言われた。『それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る。』」(マタイ26:64)

 防災訓練は、突然やってくる災害に備える心構えを身につけさせます。聖書は信仰を「我が避け所」と言います。世界は暗闇が権力者であり、自分の正しさによっても、どうにもならない迫害が、突然身に降りかかるのだと警告しています。愛する主は、身を以てその苦難を受け容れられました。地を覆う暗闇の中で、主の十字架が一筋輝いて、私たちを励ましています。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年3月14日レントⅣ礼拝 「士師の時代」

「人々が主を叫び求めると、主は一人の救助者、すなわちカレブの弟ケナズの子オトニエルを起こし、イスラエルの人々を救われた。」(士師記3:9 聖書協会共同訳)

 「士師」はヘブライ語では「裁く」「治める」の意味の言葉が当てられている。士師は12人立てられ、合算した年数は410年にもなる。実際には部族毎に起きた事なので同じ時代に重ね起きているから205年位であった。イスラエルの民が異教の神々を礼拝する罪を犯す度に、異民族の攻撃にさらされる試練を繰返す。民はその度毎に悔改めて主に叫び、士師が立てられ救われる。中でもギデオンやサムソン物語は興味を引く。
(清水名誉牧師)

■ 2021年3月7日レントⅢ礼拝 「最後の晩餐」

「それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。『これは、あなたがたのために与えられたわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。』食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。』」 (ルカ22:19-20)

 プロテスタント教会では、二つの聖礼典があります。それは洗礼式と聖餐式です。上掲の聖句は、その聖餐の根拠として挙げられる箇所の一つです。受難節(レント)に、主の十字架と贖いの恵みを覚えつつ。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年2月28日創立記念第4礼拝(レントII) 「主に信頼する」

「イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。」(ルカ9:1)

 この箇所ではじめて、今までは従うだけだった弟子たちに、主イエスは使命と派遣を命じられました。その内容は、神の国の宣教と、病人のいやしでした。弟子たちは、その命に従い、主の手足となったのです。
 創立記念最終週を迎えて、改めてこの教会とクリスチャンたちに、この主からの権能が授けられているということを思います。それぞれの地域、家庭、人間関係が派遣先です。み業のために働きましょう。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年2月21日創立記念第3礼拝(レントI) 「主に信頼する」

「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」(ルカ8:50)

 私たちの究極の希望は、主への信頼です。絶望が、私たちの心を黒く塗り潰し、手遅れであると告げられた時、人間の常識は神のみ業を拒絶します。しかしながら、イエス様は「恐れることはない。ただ信じなさい」と私たちに語りかけられています。
 信仰を知らなければ、「希望」という言葉は知っていても、それは過ぎゆく道端の小さな慰めや、過去に受けた励まし以上のものではないでしょう。しかしよみがえりの主イエスを、救い主と信じる信仰は究極の希望となって、わたしたちを力づけてくださいます。痛みや苦しみは続きますが、最後まで共にいて、必ず救い出してくださる方がおられる平安があるからです。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年2月14日創立75周年記念礼拝 「ここに愛がある」

「ここに愛がある」(Ⅰヨハネ4:10)(口語)

 創立75周年を迎えました。愛餐会も、協議会も、一堂に会する礼拝さえ適わない今年の創立月間です。しかし、省みてみれば、75年前、礼拝堂はありませんでした。炭さえ持ち寄った「無い無い尽くし」の中で、心を燃やしたのは「信仰の炎」でした。
 今年の創立記念には、私たちも同じように信仰による喜びと平安を明々と燃やすことを、祝福として味わいましょう。「ここに愛がある」という招きの扉の前に、アシュラムの最初のテーマ「キリストへの明け渡しと服従」を持って応えましょう。自分が、自分で、という握りこぶしを開いて、主に「明け渡す」ところに、神の愛は豊かに注がれます。初心に立ち返って、心満たされる大きな変化を体験しましょう。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年2月7日創立記念月間第1礼拝 「民との契約」

「『ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。』 民は答えた。『主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありません。・・・わたしたちも主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です。』」 (ヨシュア記24:15b、18b)

 ヨシュア率いるイスラエルの民は、主の命に従って進軍し、カナン全土をほぼ制圧した。
 そこでヨシュアは全部族をカナン中央のシケムに召集し 今後の決意を表明させている。
 ヘブライ(渡り歩く)の民が定住地に落ち着くと周囲の農耕民族の神々に引かれ、偶像を礼拝する誘惑や罪を犯す危険がある。ヨシュアはそれを案じて祈っている。
(清水名誉牧師)

■ 2021年1月31日礼拝 「触れた理由」

「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」(ルカ8:48)

 この優しい呼びかけは、わたしたちにも与えられます。「この先どうなるか分からない」というストレスは、判断力を鈍らせ、感情を不安定にさせます。この女性が、イエス様に触れた理由は、今のこの状況を救って欲しいという切なる願いでした。その行動は、自分本位でしたし、少し迷信めいていました。にもかかわらず、イエス様は彼女のためにリスクを負い、癒してくださったのです。安心して、とは平安の中に、という意味です。聖書の世界が、私たちの暮らしの中に、重なり合うのを感じます。
 どうなるか分からないという怖さから、主イエスは、愛する娘たちよ、平安を受ける信仰に生きよと招いておられます。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年1月24日礼拝 「二人の斥候」

「ヌンの子ヨシュアは二人の斥候をシティムからひそかに送り出し、『行って、エリコとその周辺を探れ』と命じた。二人は行って、ラハブという遊女の家に入り、そこに泊まった。」(ヨシュア2:1)

 二人の斥候を匿(かくま)い逃亡させたラハブは、やがてエリコを滅したイスラエルに一族と共に救出されている。マタイ1章の主イエスの系図にも、かのルツ記の主人公ルツの夫となったボアズの母として紹介されている。
 「遊女」だったとは聞こえが悪いが、系図に登場する女性は聖母マリア以外はいずれも問題がある。勿論男性も然りである。主イエスはこの罪の歴史の中に立っておられる。
(清水名誉牧師)

■ 2021年1月17日礼拝 「エクソシスト」

「イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていた…」 (ルカ8:29)

 大流行の『鬼滅の刃』が見られないほど怖がりなので、オカルト映画は苦手です。しかし今朝の箇所は、異国の墓場を舞台に、裸で鎖に繋がれている、異様な怪力を持つ男に、イエス様がエクソシスト(悪霊払い)として立ち向かわれた記事です。
 歓迎されない湖の東の地に、主イエスがわざわざ訪れた目的は、明らかにこの男を救うためでした。ここに神の愛があります。陰府に降ることも厭わない無限の愛が、イエス様との出会いを可能なことにしてくださったのです。勇気をだしましょう。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年1月10日成人祝福式礼拝 「鷲のような翼」

「主に望みをおく人は新たな力を得 鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ40:31)

 新成人を迎えられた方々とご家族の皆様に、心から祝福をお祈りいたします。
 現実を冷静に受け止める力と、希望を持ち続ける信念。聖書は人間の大切な教えとして相反するような両方を、語っています。かつて父が、私にくれた小さな文庫本の一節を、はなむけとしてご紹介します。
「ポケットにはいつも二つ そこに書きとめておくがいい ひとつには『我、埃と灰に過ぎず』いまひとつには『この世は、我がために創られたり』」(ブナム・ド・プシケ)
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2021年1月3日新年礼拝(祈りの友) 「ここに愛がある」

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」 (Ⅰヨハネ 4:10)

 信仰の実りを体験していく方法に、クリスチャン・アシュラム運動があります。「イエスは主なり」という告白を5本の原則に照らして実践するというものです。第一は「キリストへの明け渡しと服従」です。
 ここに愛がある、と示された神様に、心を開いて、魂のニード(必要)を打ち明けることから、解決は導かれます。新しい年、豊かに神の愛が注がれますように!
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)