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2025年の聖句
「御心を行い、その業を成し遂げる」(ヨハネ4:34)

今日のみことば(2025年)

 週報に掲載された「今日のみことば」です。礼拝説教が要約されています。
 内容については、教会までお問い合わせ下さい。 (教会の電話番号 075-591-3921)
 みなさまのお越しを、心よりお待ち申し上げております。

 過去の「今日のみことば」はこちら


■ 2025年3月30日レントⅣ礼拝 「一粒の麦」

イエスはこうお答えになった。人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。(ヨハネ12:23-24)

 人の子であるイエス様の十字架上での出来事によって栄光が現わされました。たんなるイエス様の死の悲惨さではありません。暗闇のなかで輝く光があるからです。そしてそこから希望へと繋がります。もしも一粒の麦のままであるならば当然多くの実を結ぶことはありません。しかしイエス様の十字架の死を通して多くの命の実を結ぶことになりました。だからこそイエス様は、人々を救うことができるのです。

赤岩伝道師の説教

■ 2025年3月23日レントⅢ礼拝 「ヨルダン川の向こうに」

全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足がヨルダン川の水に入ると、川上から流れてくる水がせき止められ、ヨルダン川の水は、壁のように立つであろう。(ヨシュア3:13)

 信仰者といえども困難なことを目の当たりにすると、自分の経験や考えで前に進めない時があると思います。しかし、神様は敢えて信仰の一歩を踏み出すことを求めておられます。翻っていうならば、祭司たちが濁流の中に一歩を踏み出さなければ何も起こらないということです。
 重要なことは、神様に信頼して踏み出す信仰の一歩だということです。そうした時、神様の御業を経験させて頂くのです。

佐々木良子師(4月より京都復興教会協力牧師)の説教

■ 2025年3月16日レントⅡ礼拝 「王道展開」

ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。(ルカ23:11-12)

 「共通の敵を作って味方につける」この方法は古今東西の「王道展開」です。けれど、完全な愛を実現させる、神の国の計画は、姑息な手段に、むしろ尊い沈黙で応答します。
 ヘロデ王は政治的手腕を振るいましたが、願望は絶たれ、流刑地で死にました。主イエスは、十字架によって贖いを完成し、復活して永遠の命を勝ち取られました。人知を超える神の御心が、退屈な展開をくつがえし、歴史を変える奇跡が、成し遂げられたのです。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2025年3月9日レントⅠ礼拝 「ペトロの投獄と救出」

ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」(使徒12:11)

 12:1に「そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。」とある。ペトロも捕らえられたが丁度除酵祭にさしかかり直ぐに殺害されず投獄されたのである。「教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。」(12:5)
(ヘロデはヘロデ大王の孫のこと。)
(清水名誉牧師の説教)

■ 2025年3月2日礼拝 「リーダーシップ論」

ピラトがイエスに「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは「それは、あなたが言っていることです」とお答えになった。 (ルカ 23:3)

 古代ローマのシリア総督といえば、辺境の地を統治するスマート管理職です。残忍冷徹な彼ですが、一番の「悪役どころ」は「一応まじめ」だったところです。一応、とつくのは彼自身が、リーダーとして、何を求められているのかということを途中まで考えたのに、、突き詰めて考えることを、やめてしまったからです。
 もしも「この人に罪はない」という彼の心に灯った光を貫いていたなら、地位も名誉も失ったでしょうが、その代価以上の、人生の生き方を示す真のリーダーとなれたことでしょう。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2025年2月23日創立記念第4礼拝 「主イエスの告白」

しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る。( ルカ22:69 )

 うまくいかないのは神様のせい、自分は間違っていない、あの人がああなったのは自業自得、周りの悲しみや苦しみと自分は関係ない、世の中が悪いのは偉い人がしっかりしていないから。そんな誰もが思っていることを、すべて罪であると聖書は語ります。自分が、神の愛と正義を実現しようとしない態度だからです。イエス様は これらの言葉の故に、十字架で殺されました。
 そのイエス様の告白に、私たちは救われます。冒頭の聖句は、信仰によって事実を圧倒し、勝利を疑わない主の告白です。この希望を、自らの告白とするとき、失われていた神様との関係が回復し、平和を実現する勇気が湧いてきます。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2025年2月16日創立記念第3礼拝 「ペトロの証し」

主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。(ルカ22:61-62)

 そんなことまで人に言わなくても、と言う話を、教会にいると聞くことがあります。それは、神様がどれほど私たちを愛してくださっているか、と言うことを証明したいからです。
 もしも、ペトロがこの失敗を語らなければ、生きている間は、表向き誉められたかもしれませんが、やがて忘れられたことでしょう。
 風見鶏が、今日も世界中で風向きを示しています。ペトロの証しが、父なる神様が願っている生き方はこれだと、示しています。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2025年2月9日創立79周年記念礼拝 「教会への奉仕と伝道」

わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げる(ヨハネ 4:34)

 「ピースメーカー」と題して新年にメッセージを取り次いで、はやひと月が経ちました。創立79年を迎えた礼拝を、感謝いたします。光陰矢の如し、来年の80周年もすぐにやってくるでしょう。インドのマザー・テレサは「大きなことをする必要はありません。小さなことに、大きな愛を込めればいいのです」と言いました。
 天国の賛美と喜びが、この地に実現するために、私たちも奉仕と伝道に励みましょう。その報いは、イエス様が味わわれたのと同じ満足です。会堂も、牧師も、名前さえ失い、小さな炭火であった家庭集会を「京都のリバイバルの拠点」として復興された、奇跡の業を覚えて。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2025年2月2日創立記念第1礼拝 「バルナバの宣教」

教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。…バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。…バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。(使徒11:22-26)

 「バルナバ」とは「慰めの子」「励ましの子」との意である。キプロス島のユダヤ人でレビ人(祭司族)で祖先の遺産の土地を売却して代金を教会へ献げている。彼の一大功績は、彼がサウロ(パウロ)を見いだし、協働しながら、彼を異邦人伝道の前線に連れ出したことである。彼はパウロのエルサレム教会への紹介者でもあった。
(清水名誉牧師の説教)

■ 2025年1月26日礼拝 「丑三つ時」

だが、今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている。(ルカ22:53)

 草木も眠る丑三(うしみ)つ時、とは午前2時ごろを指す、昔の呼び方です。妖怪や幽霊が暗躍する時間と考えられていました。ゲッセマネの園で、イエス様がユダの裏切りのキスを受け、捕えられたのもこの時間だったと考えられます。
 福音の衝撃的な場面が、ここにあります。容赦無く襲う天災、突然の病魔、信頼関係の破綻、この世に安全地帯はありません。イエス様は、その厳しさを悟らせるために、この世に来られたのです。ただ、私たちはその厳粛さの前に、心悼むことしかできません。時の支配に身を委ねて。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2025年1月19日礼拝(伝道推進) 「ナザレ人として」

イエスが12歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。…それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。(ルカ 2:41,51)

 ナザレはガリラヤ地方西の小高い丘(標高488m)の上で「見張り」の意で東西の要路。しかしユダヤ地方から見れば疎開した人達が開拓したような貧しい村であった。父ヨセフは大工だったが建築家でなく家具や農機具を作る大工。主イエスは父を助けて大工をし、父亡き後は母マリアや弟妹を見守られていた。マタイ11:30に「わたしの軛は負いやすい」と言われているが、伝説ではその看板が立っていたと言われている。
(清水名誉牧師の説教)

■ 2025年1月12日成人祝福式礼拝 「冬はつとめて」

心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
(マタイ5:3-10)

 深谷牧師の説教

■ 2025年1月5日新年礼拝(祈りの友礼拝) 「ピースメーカーたち」

御心を行い、その業を成し遂げる(ヨハネ4:34)

 新しい年を、信仰と祈りを持って、迎えられる恵みを感謝いたします。教会形成5ヶ年計画と銘打って、歩み続けてきた、最終年、そのテーマは「奉仕」です。
 ボランティアと奉仕は、外見がとても似ています。しかし、誰を主体にしているかが全く違います。教会の奉仕は、その使命を与えられた神様の御心を、心の目で見つめつつ行う活動です。壮大な「神の国の実現」のために、ピースメーカー(平和の作り手)となることが、奉仕者の務めなのです。祈りつつ、大きなチャレンジに挑戦しましょう。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)


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