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2024年の聖句
「わたしの目に あなたは 価高く、貴く わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)

今日のみことば(2024年)

 週報に掲載された「今日のみことば」です。礼拝説教が要約されています。
 内容については、教会までお問い合わせ下さい。 (教会の電話番号 075-591-3921)
 みなさまのお越しを、心よりお待ち申し上げております。

 過去の「今日のみことば」はこちら


■ 2024年4月28日教会総会礼拝 「神の愛に応える」

わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し・・・(イザヤ43:4)

 聖書が私たちに告げる救いとは、偉大な神の愛があなたを守られるという約束です。弱い身体と限られた命、そして傷つきやすい心しかない私たち人間は、どうしても神の愛よりも、目の前の問題の方が大きく映り、絶望に飲み込まれてしまいます。
 専任の牧師が不在となり、自前の会堂はなく、会計も厳しく暖房費すらなかったその年に、私たちの信仰の先輩は、目の前の問題ではなく、神の愛に心を燃やされました。リバイバルを京都に起こす祈りによって、改名されたのがこの教会です。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年4月21日礼拝 「理想と現実」

それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。(ルカ20:25)

 イエス様の、言葉じりをとらえてギャフンと言わせてやろうなんて、どれだけ恥知らずなのでしょう。主の返答は見事です。
 しかし、その言葉に込められた理想の高さと厳しさに驚かされます。聖書は「神は、かけがえない作品として、あなたを創造した。その全存在をかけて、神の栄光をあらわしなさい」と勧めています。何と大きな求めでしょう!神様からは督促状も、返礼品も来ないので、見過ごしているかもしれません。しかしイエス様は、人生の目的はこれだ、と断言されています。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年4月14日祈りの友礼拝 「収支決算の時」

家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。(ルカ20:17)

 「自分の人生だ、どうなっても構わない」そういう意見に、誰も文句はいえません。しかし、本当にそうなのでしょうか。聖書はイエス様を通して、人間は皆、生かされている存在であり、いつかその全てが決裁される時がくると語っています。そのとき、罪と悪は打ち砕かれ、神の子を十字架につけて殺した人々は、逆に押しつぶされると、厳かに力強く語られています。
 罪深い私たちは、隅の親石であるイエス様の愛によって、救われるのです。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年4月7日礼拝 「トマスの信仰」

トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 (ヨハネ20:28・29)

 トマスの名はマタイ、マルコ、ルカでは、弟子の一人に名を連ねているだけだが、ヨハネでは11:16、20:24~29に記されている。
11章では十字架を覚悟してユダヤへ行かれると知って『わたしたちも行って、一緒に死のうではないか』と言っている。20章では、一人悲しみを深くしていて復活の主に出会えていなかった。そんなトマスのために、主は復活の姿を現わして下さったのであった。
(清水名誉牧師)

■ 2024年3月31日イースター礼拝 「春、ふたたび」

さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。 すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」(マタイ28:1-10)

 深谷牧師の説教(説教の要旨はありません。ライブ配信の映像をご覧ください。)

■ 2024年3月24日パームサンデー礼拝 「神のさばき」

さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。』 … イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。(マタイ27:45,50)

 口で絵を描く星野富弘兄が「いのちが一番大切だと思っていたころ生きるのが苦しかった/いのちより大切なものがあると知った日生きているのが嬉しかった」という詩を残しています。前半はよく分かります。でも、後半はどうでしょう。命より大切なものなんて存在するでしょうか。イエス様はそれを顕わすために神の裁きを受けて、死なれました。
 私たちが嬉しくなる、そのために。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

さて、祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとしてイエスにとって不利な偽証を求めた。(マタイ26:59)

 世の終わりには不法が蔓延し、多くの人の心が冷えると、黙示録には記されています。預言通りに今も世界中で、真実を語る口が封じられ、罪なき血が流され、命が奪われています。「仁義(愛と正義)なき戦い」は、決して、私たちと無縁の物語ではありません。
 イエス様が、不当な裁判を受けられたことは、この世界に愛と正義を証明しています。殺された者にさえ、慈しみ深く共なる主イエスは、「あなたは間違っていなかった」と力強く、優しく語りかけています。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年3月10日レントⅣ礼拝 「十字架への道」

今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。(マタイ20:18-19)

 フィリポ・カイザリア(標高329m)から始めて、ガリラヤ(標高 -209m)に下りエリコ(標高 -250m)へ来て3度にわたりご自分の死と3日目の復活を予告されている。特に3度目には十字架につけられることを明言されている。この十字架への道行きをひたすら歩み続けられたのは、わたしたちを罪と死から贖い出して救われるためである。
(清水名誉牧師)

■ 2024年3月3日レントⅢ礼拝 「今度は天国で」

言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。(マタイ26:29)

 古代から続く「過越の祭り」と、主と弟子たちの「最後の晩餐」が、この季節であったことは偶然ではないでしょう。春は、別れの季節でもあります。
 私たちの存在、関係は永遠ではありません。でも、今ここにいる意味、与えられた使命を、見つけていれば、どんな別れのときでさえ、不思議な力で満たされるでしょう。必ずまた会おう、と主の言葉がレントの朝に響いています。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年2月25日創立記念第4礼拝(レントⅡ) 「喜び必需品」

そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。( ヨハネ12:3 )

 「『常に喜べ』と聖書は言うけど、そんなに毎日喜べることなんてない」とよく聞きます。それは「喜び必需品」を持っていないからかもしれません。今朝の箇所に学ぶと、人間は、喜びを実は「与えること」「捧げること」そして究極的には「献身」の中に、体験すると言う真実です。この喜びの恵みは、一瞬で年収を超えてしまう、値打ちなのです。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年2月18日創立記念第3礼拝(レントⅠ) 「受難告知」

今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは・・・人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。(マタイ20:17-19)

 人間は弱い存在です。裏切られれば心が壊れ、侮辱されれば冷静さを失い、肉体が傷付けば立ち上がれなくなり、心臓が止まればすべてはおしまいです。
 しかし、神の子イエス様は、強い存在です。そのすべてに栄光を表されました。仕え、献げ、与える者の救いの道が、ここに示されています。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年2月11日第78回創立記念礼拝 「愛に応える」

わたしの目にあなたは価高く、貴く わたしはあなたを愛し あなたの身代わりとして人を与え 国々をあなたの魂の代わりとする。恐れるな、わたしはあなたと共にいる。(イザヤ43:4-5a)

 今年の教会のテーマは「献身」です。資格を持つ牧師が100%という教会は、世界中を見渡しても、日本だけだそうです。神学を学んでいなくても、聖書と祈りによって伝道し、家庭集会を開いて、教会のネットワークを拡げていく、普通のクリスチャンの献身が、世界の常識です。いつの時代も、神の愛に応えて働く、恵まれた姿は、美しく輝いています。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年2月4日創立記念第1礼拝 「神と人に愛された」

イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。(ルカ2:52)

 少年イエスは12才で成人となられ、両親と共にエルサレムの過越祭へ出かけられた。祭りが終り帰路についたところ少年イエスの姿が見当たらなかった。三日後になってエルサレムへ引き返したところ、神殿の境内で学者達と論じ合っておられる少年イエスを発見。「どうして?」と問い詰めた母マリアに対し、「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前です。」と答えておられる。少年イエスは、この時すでに「神の独り子」としての自覚を持っておられたのである。ナザレに帰っって行かれ、神と人とに愛されていた。
(清水名誉牧師)

■ 2024年1月28日礼拝 「わかりません」

彼らは相談した。「『天からのものだ』と言えば、『ではなぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。『人からのものだ』と言えば、民衆はこぞって我々を意志で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから。」それで彼らは、「どこからか、分からない」と答えた。 (ルカ20:5-7)

 権威の最下層は、実は、社会的な肩書きです。イエス様は、称号や資格は持っていませんでしたが、イキイキと教え、語られる福音に、神の愛による権威をあらわされました。その内なる恵みは使徒達にも与えられ、今も受け継がれています。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年1月21日礼拝 「物事の裏表」

それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならい。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」(ルカ19:45-46)

 神殿の境内では、巡礼者が捧げる、捧げ物の値段は10倍以上の法外な値がつけられていたと言います。腐敗した宗教体制を、主イエスは一刀両断されました。しかし、それは同時に、ゴルゴダの丘で十字架にかけられ処刑される運命を引き寄せました。ご自身の犠牲をいとわず、すべての人を祈りの家、神の愛に招かれたのです。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年1月14日祈りの友礼拝 「聖地の門と冬の空」

イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。…そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。(ルカ19:28,35)

 ルカによる福音書の、「ガリラヤの春」「エルサレムへの旅」を経て、いよいよ「エルサレムの冬」の場面に入りました。極寒の季節に、この箇所を読む時、凍てつく石畳と、主の十字架と受難が心に響きます。「主イエスと歩む道」の足元は、冷たく固い道を歩まなければなりません。その先に、復活の救いが輝いています。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年1月7日新年・成人祝福式礼拝 「あなたの若い日に」

あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ(口語訳聖書 伝道の書12:1a)

 要約はありません(清水名誉牧師の説教)


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