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2024年の聖句
「わたしの目に あなたは 価高く、貴く わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)

今日のみことば(2024年)

 週報に掲載された「今日のみことば」です。礼拝説教が要約されています。
 内容については、教会までお問い合わせ下さい。 (教会の電話番号 075-591-3921)
 みなさまのお越しを、心よりお待ち申し上げております。

 過去の「今日のみことば」はこちら


■ 2024年10月6日世界聖餐日礼拝 「特別な意味」

この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。(ルカ22:20)

 いくら形見の品だと言われても、血のりのベッタリ付いた甲冑は、気持ち悪くて受け取れないかもしれません。ユダヤの過越祭は、古代エジプトで奴隷だった祖先が、救い出された記念として、毎年、子羊の血を家の戸口に塗る祭儀でした。イエス様の十字架は、文字通り神の子が命を差し出して、全人類の罪を贖う犠牲でした。聖餐式は、最後の晩餐で主が制定された典礼です。杯は、私たちに流された神の子の血潮です。感謝を持って受け、信仰のうちに味わいましょう。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年9月29日礼拝 「逢魔ヶ時」

律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたら良いかと考えていた。・・・十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。(ルカ22:2b-3)

 闇が迫る夕暮れ時を、別名「逢魔ヶ時」と言います。昔の人は、心がざわつき、魔物や災いに遭いやすい時間帯と考えていました。どんなにネオンの光を煌々と照らしても、この人の世に、悪と罪がなくなることは、残念ながらありません。闇を遠ざけようと焦るよりも、その闇の中に、自らのあり方を見つめることが大切です。悔い改めの向こうに、必ず神の赦しと愛という、救いの光があることを、十字架は示しているのです。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年9月22日合同記念礼拝 「神の愛を信じて」

わたしの愛にとどまりなさい。(ヨハネ15:9)

説教の要旨は「しゃろんののばな誌(第51号)」の巻頭言をご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年9月15日礼拝(伝道推進) 「サウロの宣教」

サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。(使徒9:19b-20)

 サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んでダマスコへ向かう途中にて主の光に打たれて倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』との主のみ声を聞いた。この瞬間から「迫害者サウロは伝道者」とせられた。これほどの大きな逆転劇はない。ダマスコのユダヤ人の驚きとうろたえ方は大きく、早速サウロを殺そうとしている。サウロはその危機を脱して逃がれ、使徒たちに出会うためエルサレムへ向かう。
(清水名誉牧師)

■ 2024年9月8日献堂17周年記念礼拝(ホ群講壇交換) 「わたしのものはお前のもの」

子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ(ルカ15:31)

 有名な「放蕩息子のたとえ」です。通常、「放蕩」と言う言葉は「財産を湯水のように使う」という意味です。でも主のたとえ話的には、神さまから与えられたものを、上手に使わない状態の事を意味するのです。
 父の財産を受けた兄弟。弟は浪費しました。兄は?兄は自分には何もない!と怒り、弟を妬み、父を恨んでいました。その兄に衝撃の事実が告げられます。「私の物は全部お前の物だよ」。自由に、豊かに用いられる財産があったのです。
 これは、今日の私たちにも語られている言葉です。豊かにされていることを知りましょう。
(伊奈聡師(南信州フォレストチャーチ牧師))

■ 2024年9月1日礼拝 「オリーブ畑で祈ろう」

それからイエスは、日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って「オリーブ畑」と呼ばれる山で過ごされた。(ルカ21:37)

 今年のバイブルキャンプと夏期聖会の恵みは、聖書通読の確立でした。
 人は睡眠に食事、生きるため、繁栄するため、本能の欲求には抗えません。しかしそれに振り回されるだけでは、心が鈍くなり、生きる目的さえ見失います。
 祝福を体験することができます。実りの秋、収穫の季節です。あなたもオリーブ畑に出て行って、祈りませんか。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年8月25日礼拝 「暴風域に入る」

天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない(ルカ21:33)

 もし防災警報が、チャイムのような優しい音色だったら、おかしいでしょう。聖書には終末預言と言われる、警告が記されていますが、それは災禍に備えるようにという、私たちへの警告です。
 ただそれは、必要以上に不安を煽ったり、絶望させたりことが狙いではありません。むしろ台風の前に雨戸を確かめるように、備えを持って落ち着いて過ごせということなのです。世の終わりには、神の前に立つという喜びが魂を引き上げます。「どうせダメだ」という諦めに呑まれない、希望の信仰です。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年8月18日礼拝(伝道推進) 「祈り続けるイエス様」

主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。(ルカ22:61-62)

 ペトロは、イエス様に接近しましたが、信仰から完全に離れてしまったことが間違いでした。しかしここでイエス様がペトロを見つめているのは、怒っているからからではなく「赦しているよ」という眼差しでした。その眼差しはペトロだけではなく、私達一人一人にも向けられています。そしてイエス様は、信仰がなくならないように祈り続けてくださっているのです。私達は、いつもイエス様の祈りによって支えられています
(赤岩英里香伝道師)

■ 2024年8月11日祈りの友礼拝 「山々を仰ぐ」

都に上る歌。『目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。』(詩編121:1)

 イスラエルでは昔三大祭りに全国からエルサレムの都に集まった。その巡礼の旅は簡単ではなく、隊を組んで出かけた。都は標高800mの要塞で、ユダの岩山に囲まれており、東に南に深い谷が流れていた。特に東からの道は(-)250mのエリコを通るので険しい。
 イエスさまのたとえ話に出てくるように強盗に襲われる危険もある。そんな命がけの巡礼の旅だが、詩人は信仰をもって歌い上げる。天地を造られた主への信頼に溢れている
(清水名誉牧師)

■ 2024年8月4日平和主日礼拝 「とにかく逃げて」

・・・ 滅亡が近づいたことを悟りなさい。その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。(ルカ21:20-21a)

 「逃げる」という言葉はネガティブなイメージを持っています。しかし、平和のために、この意味はとても大切です。「立ち向かう」だけでは戦争になります。主イエスのもたらす解放は、贖いの十字架による救済でした。
 時と場合によって「迷わず逃げて!」という命令に従うことが必要なのです。解放は、自らの力がもたらすものではなく、主の贖い(犠牲)によって、私たちに与えられた恵みなのです。主の再臨の時まで、走り続けましょう。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年7月28日夏の特別礼拝 「再建の主が共にいる」

イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ(マタイ14:31)

 かつてあれほどあった信仰も情熱も賛美も吹き飛び、「主よ、助けてください」と嵐のなかで叫んだペテロがいました。私たちも不信の風と世の荒波の中で、必死で主を掴もうと手を伸ばしては、掴みきれない瞬間があります。しかし、手を伸ばしてくださっているのはイエス様の方でした。この手はあなたを離さず、何度でも引き上げ、私たちの主が復活と再建のお方であることを教えてくださいます。私たちのがんばってこしらえる信仰ではなく、イエス様の信仰ゆえに、私たちは何度でも歩みを新たにすることができるのです。
 田中満矢師(札幌新生キリスト教会牧師)の説教

■ 2024年7月21日礼拝(伝道推進) 「第六話目」

忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。(ルカ21:19)

 直接語られていませんが、今朝の箇所は「神の愛への信頼」が勧められています。
 時代の流れも、自分の人生も、ぼんやりと眺めていると、何となく悪いことしか起きないような気がして、不安や怒りの渦に飲み込まれそうな感覚に、捉われてしまうことはないでしょうか。
 イエス様は十字架を目前にして「今のとき」を静かに受け止められました。それは、すべてのことに神のみ業があらわされるという、主への信頼がもたらした、聖霊の働きだったと言えるでしょう。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年7月14日祈りの友礼拝 「目に留まる人」

確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。… 乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。( ルカ21:3,4 )

 もし、巡礼者でごった返す、過越の祭り真最中のエルサレムに、私たちが訪れたなら、一体何に感動するでしょうか。荘厳な神殿? 立派な祭司の姿? 珍しい巡礼者?目に留まるものは、私たちの心が何に興味があるかを映していると言えるでしょう。
 主の目は精一杯の捧げ物をした貧しいやもめに注がれました。栄枯盛衰の激しい世の中で、神の愛こそ永遠なのです。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年7月7日礼拝 「サウロの回心」

 ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
 「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」(使徒9:3-6)

 使徒パウロの劇的回心の記事です。迫害者サウロが伝道者パウロとなり、使徒言行録のみでなく多くの書簡にて彼の活躍が見られます。尚、サウロはパウロのへブル名です。このあと使徒22:6~・26:12~も参照。
(清水 名誉牧師)

■ 2024年6月30日礼拝 「共に喜び共に泣く」

喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。(ローマ 12:15)

 いつでも神様は、私達のことを愛してくれています。そして私達が喜ぶ時には、共に喜び祝福を与えてくれます。そして悲しみの時には、共に悲しむだけではなく憐れんでくれます。悲しみの時にこそ「自分は一人だ」と思いやすいですが、神様が寄り添って憐れんでくださっていることを思い起こしましょう。私達をいつでも愛して共に喜び泣いてくれる神様との関係があるからこそ、隣人に対しても同じように神様の愛を持って喜びと悲しみを共にすることなのです。
(赤岩英里香伝道師)

■ 2024年6月23日弾圧記念日礼拝(四重の福音・再臨)  「弾圧記念日に寄せて」

喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。(マタイ 5:12)

 1942年6月26日未明、ホーリネス系の牧師に対し全国一斉検挙がなされ、一次二次合わせ134名。前年に改正された治安維持法違反の容疑でした。その中で殉教者は6名でしたが、同年3月26日函館で小山宗祐師がすでに殉教されています。そしてその殉教者の中に朱雀教会の竹入高牧師がおられます。
 私たちの教会は解散命令を受けた「朱雀教会」をここ山科に緒形乙枝師により1946年2月24日に復興され今日に至っています。
(清水 名誉牧師)

■ 2024年6月16日初夏の特別伝道礼拝(伝道推進)(四重の福音・神癒)  「鉄門も開かれる」

すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。( 使徒12:7-10 )

 大川従道師(大和カルバリーチャペル牧師)の説教

■ 2024年6月9日こどもの日・花の日礼拝(四重の福音・聖化) 「こどもの日・花の日に寄せて」

心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず 常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば 主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。(箴言 3:5-6)

 今朝は「聖化」を心に留める礼拝です。イサクの子ヤコブは、神様を信じた後も、豊かな天賦の才が、却って災いしました。しかし、真夜中の死闘で、腰のつがいを打たれた時、ついに彼は聖なる者とされ、義の太陽がその顔を照らしました。打ち砕かれた姿と引き換えに、天来の和解と喜びが、ヤコブに与えられたのです。
 曇天の中で美しく咲く紫陽花のように、主に信頼して歩んで行きましょう。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年6月2日故・山根芳枝師記念会礼拝(四重の福音・新生) 「わが愛に居れ」

あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。主に逆らう者の天幕で長らえるよりは わたしの神の家の門口に立っているのを選びます。(詩編 84:11)

 山根先生のご自宅は、教会の隣でした。真っ赤な壁は子羊の血を象徴し、表札には「明日望 バイブル・ルーム」と掲げておられました。最期まで、ご自宅で過ごしたいと切望された姿を思う時、まさしく神の家の門口に過ごすことが、千日にまさる一日の値打ちだということを、先生は確信しておられたのだと改めて思います。
 イエス様に出会い、救われ、その愛に生きることは「恩寵無限」なのです。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年5月26日礼拝 「知ったかぶりの悲劇」

ダビデがメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。( ルカ20:44 )

 「知ったかぶりする人」と言われるほど恥ずかしいことはありません。しかし、私たちは時に、無理に背伸びをして、見せかけの敬虔な振舞いをしてしまいます。それは、神様の御業の偉大さを、小さく見積もって、自分で何とかしなければ、と思い込んでいる時に犯してしまう過ちです。
 人々が、メシア(救世主)を千年前のダビデ王の再来と小さく理解していることを、主は「それ以上の全人類の救い主」だと語り、その偉大さを教えています。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年5月19日ペンテコステ礼拝 (伝道推進) 「エルサレムを離れず」

エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものをまちなさい。……あなたがたは間もなく聖霊によって洗礼を授けられるからである。(使徒1:4~5)

 復活の主は40日にわたってお姿を現わされ最後に聖霊の約束の言葉を残して天に上げられている。弟子たちはマルコの母マリアの2階座敷に集まり、10日間祈り続け、ペンテコステ(第50)の日に聖霊の力を注がれている。
 彼らは聖霊に満たされて主の証人となり、エルサレムから始めて全世界へ主の福音を宣べ伝えたのである。その拠点となった最初の教会がエルサレムのマリアの家の2階座敷であった。今日世界的に愛読されているアパ・ルームの名の由来でもある。
(清水名誉牧師)

■ 2024年5月12日母の日礼拝 (祈りの友礼拝) 「母の日に寄せて」

主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め 小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。(イザヤ40:11)

 母の日は、今から100年以上前の米国ウェストヴァージニア州ウェブスターの教会で行われた記念会に始まると言われています。娘のアンナが、母・ジャービスの愛していたカーネーションを列席者に贈り、感動を呼びました。1914年には米国議会が国の祝日と定め、宣教師らによって日本にもこの習慣がもたらされ、定着しました。
 イザヤ書は、神の助けと慰めの約束を、小羊とその母を導く羊飼いの姿で語っています。母の幸せは、平和の源です。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年5月5日礼拝 「虹の向こう」

死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。(ルカ20:37-38)

 私たちが知り得ない世界に、死後の世界があります。どんな冒険家も探検隊も、そこから帰って来た人はいないからです。ただイエス様だけは復活して、虹の橋の向こうに永遠の命があることを示してくださいました。それは、私たちが神様に問い続けることをやめ、むしろその問いに応えようとするときに与えられる輝きです。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年4月28日教会総会礼拝 「神の愛に応える」

わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し・・・(イザヤ43:4)

 聖書が私たちに告げる救いとは、偉大な神の愛があなたを守られるという約束です。弱い身体と限られた命、そして傷つきやすい心しかない私たち人間は、どうしても神の愛よりも、目の前の問題の方が大きく映り、絶望に飲み込まれてしまいます。
 専任の牧師が不在となり、自前の会堂はなく、会計も厳しく暖房費すらなかったその年に、私たちの信仰の先輩は、目の前の問題ではなく、神の愛に心を燃やされました。リバイバルを京都に起こす祈りによって、改名されたのがこの教会です。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年4月21日礼拝 「理想と現実」

それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。(ルカ20:25)

 イエス様の、言葉じりをとらえてギャフンと言わせてやろうなんて、どれだけ恥知らずなのでしょう。主の返答は見事です。
 しかし、その言葉に込められた理想の高さと厳しさに驚かされます。聖書は「神は、かけがえない作品として、あなたを創造した。その全存在をかけて、神の栄光をあらわしなさい」と勧めています。何と大きな求めでしょう!神様からは督促状も、返礼品も来ないので、見過ごしているかもしれません。しかしイエス様は、人生の目的はこれだ、と断言されています。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年4月14日祈りの友礼拝 「収支決算の時」

家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。(ルカ20:17)

 「自分の人生だ、どうなっても構わない」そういう意見に、誰も文句はいえません。しかし、本当にそうなのでしょうか。聖書はイエス様を通して、人間は皆、生かされている存在であり、いつかその全てが決裁される時がくると語っています。そのとき、罪と悪は打ち砕かれ、神の子を十字架につけて殺した人々は、逆に押しつぶされると、厳かに力強く語られています。
 罪深い私たちは、隅の親石であるイエス様の愛によって、救われるのです。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年4月7日礼拝 「トマスの信仰」

トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 (ヨハネ20:28・29)

 トマスの名はマタイ、マルコ、ルカでは、弟子の一人に名を連ねているだけだが、ヨハネでは11:16、20:24~29に記されている。
11章では十字架を覚悟してユダヤへ行かれると知って『わたしたちも行って、一緒に死のうではないか』と言っている。20章では、一人悲しみを深くしていて復活の主に出会えていなかった。そんなトマスのために、主は復活の姿を現わして下さったのであった。
(清水名誉牧師)

■ 2024年3月31日イースター礼拝 「春、ふたたび」

さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。 すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」(マタイ28:1-10)

 深谷牧師の説教(説教の要旨はありません。ライブ配信の映像をご覧ください。)

■ 2024年3月24日パームサンデー礼拝 「神のさばき」

さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。』 … イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。(マタイ27:45,50)

 口で絵を描く星野富弘兄が「いのちが一番大切だと思っていたころ生きるのが苦しかった/いのちより大切なものがあると知った日生きているのが嬉しかった」という詩を残しています。前半はよく分かります。でも、後半はどうでしょう。命より大切なものなんて存在するでしょうか。イエス様はそれを顕わすために神の裁きを受けて、死なれました。
 私たちが嬉しくなる、そのために。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

さて、祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとしてイエスにとって不利な偽証を求めた。(マタイ26:59)

 世の終わりには不法が蔓延し、多くの人の心が冷えると、黙示録には記されています。預言通りに今も世界中で、真実を語る口が封じられ、罪なき血が流され、命が奪われています。「仁義(愛と正義)なき戦い」は、決して、私たちと無縁の物語ではありません。
 イエス様が、不当な裁判を受けられたことは、この世界に愛と正義を証明しています。殺された者にさえ、慈しみ深く共なる主イエスは、「あなたは間違っていなかった」と力強く、優しく語りかけています。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年3月10日レントⅣ礼拝 「十字架への道」

今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。(マタイ20:18-19)

 フィリポ・カイザリア(標高329m)から始めて、ガリラヤ(標高 -209m)に下りエリコ(標高 -250m)へ来て3度にわたりご自分の死と3日目の復活を予告されている。特に3度目には十字架につけられることを明言されている。この十字架への道行きをひたすら歩み続けられたのは、わたしたちを罪と死から贖い出して救われるためである。
(清水名誉牧師)

■ 2024年3月3日レントⅢ礼拝 「今度は天国で」

言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。(マタイ26:29)

 古代から続く「過越の祭り」と、主と弟子たちの「最後の晩餐」が、この季節であったことは偶然ではないでしょう。春は、別れの季節でもあります。
 私たちの存在、関係は永遠ではありません。でも、今ここにいる意味、与えられた使命を、見つけていれば、どんな別れのときでさえ、不思議な力で満たされるでしょう。必ずまた会おう、と主の言葉がレントの朝に響いています。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年2月25日創立記念第4礼拝(レントⅡ) 「喜び必需品」

そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。( ヨハネ12:3 )

 「『常に喜べ』と聖書は言うけど、そんなに毎日喜べることなんてない」とよく聞きます。それは「喜び必需品」を持っていないからかもしれません。今朝の箇所に学ぶと、人間は、喜びを実は「与えること」「捧げること」そして究極的には「献身」の中に、体験すると言う真実です。この喜びの恵みは、一瞬で年収を超えてしまう、値打ちなのです。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年2月18日創立記念第3礼拝(レントⅠ) 「受難告知」

今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは・・・人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。(マタイ20:17-19)

 人間は弱い存在です。裏切られれば心が壊れ、侮辱されれば冷静さを失い、肉体が傷付けば立ち上がれなくなり、心臓が止まればすべてはおしまいです。
 しかし、神の子イエス様は、強い存在です。そのすべてに栄光を表されました。仕え、献げ、与える者の救いの道が、ここに示されています。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年2月11日第78回創立記念礼拝 「愛に応える」

わたしの目にあなたは価高く、貴く わたしはあなたを愛し あなたの身代わりとして人を与え 国々をあなたの魂の代わりとする。恐れるな、わたしはあなたと共にいる。(イザヤ43:4-5a)

 今年の教会のテーマは「献身」です。資格を持つ牧師が100%という教会は、世界中を見渡しても、日本だけだそうです。神学を学んでいなくても、聖書と祈りによって伝道し、家庭集会を開いて、教会のネットワークを拡げていく、普通のクリスチャンの献身が、世界の常識です。いつの時代も、神の愛に応えて働く、恵まれた姿は、美しく輝いています。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年2月4日創立記念第1礼拝 「神と人に愛された」

イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。(ルカ2:52)

 少年イエスは12才で成人となられ、両親と共にエルサレムの過越祭へ出かけられた。祭りが終り帰路についたところ少年イエスの姿が見当たらなかった。三日後になってエルサレムへ引き返したところ、神殿の境内で学者達と論じ合っておられる少年イエスを発見。「どうして?」と問い詰めた母マリアに対し、「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前です。」と答えておられる。少年イエスは、この時すでに「神の独り子」としての自覚を持っておられたのである。ナザレに帰っって行かれ、神と人とに愛されていた。
(清水名誉牧師)

■ 2024年1月28日礼拝 「わかりません」

彼らは相談した。「『天からのものだ』と言えば、『ではなぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。『人からのものだ』と言えば、民衆はこぞって我々を意志で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから。」それで彼らは、「どこからか、分からない」と答えた。 (ルカ20:5-7)

 権威の最下層は、実は、社会的な肩書きです。イエス様は、称号や資格は持っていませんでしたが、イキイキと教え、語られる福音に、神の愛による権威をあらわされました。その内なる恵みは使徒達にも与えられ、今も受け継がれています。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年1月21日礼拝 「物事の裏表」

それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならい。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」(ルカ19:45-46)

 神殿の境内では、巡礼者が捧げる、捧げ物の値段は10倍以上の法外な値がつけられていたと言います。腐敗した宗教体制を、主イエスは一刀両断されました。しかし、それは同時に、ゴルゴダの丘で十字架にかけられ処刑される運命を引き寄せました。ご自身の犠牲をいとわず、すべての人を祈りの家、神の愛に招かれたのです。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年1月14日祈りの友礼拝 「聖地の門と冬の空」

イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。…そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。(ルカ19:28,35)

 ルカによる福音書の、「ガリラヤの春」「エルサレムへの旅」を経て、いよいよ「エルサレムの冬」の場面に入りました。極寒の季節に、この箇所を読む時、凍てつく石畳と、主の十字架と受難が心に響きます。「主イエスと歩む道」の足元は、冷たく固い道を歩まなければなりません。その先に、復活の救いが輝いています。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2024年1月7日新年・成人祝福式礼拝 「あなたの若い日に」

あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ(口語訳聖書 伝道の書12:1a)

 要約はありません(清水名誉牧師の説教)


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