今日のみことば(2023年)
2023年の聖句「見よ、きょうだいが共に座っている。なんという恵み!」(詩編133:1)

 ※他の年の「今日のみことば」はこちら

■ 2023年12月31日年末感謝礼拝 「死線を越えて」

そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。」(マタイ2:1b-2a)

 イエス様を拝みに来た博士たちは、マギと呼ばれる、異教の賢者たちでした。彼らは、先祖からの偉大な知恵を財産として、日常にひそむ、嘘と真実を嗅ぎ分け、ニセモノと本当の宝を鋭く見抜くことができました。世の中に流されない、その彼らが、命がけで礼拝したのがイエス様でした。
 私たちが、求道するとき、献身する時、豊かに恵みを持って答えてくださる真実がここに、証明されているのです。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年12月24日クリスマス礼拝 「喜びの知らせ」

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。 (ルカ2:8-15)

深谷牧師の説教

■ 2023年12月17日アドベントⅢ礼拝 「民を罪から救う方」

主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 (マタイ1:20-21)

 ヨセフは、「自らの心と意思が変えられる」という奇跡を体験しました。世の中の常識は、そんな夢は偶然だ、罪から救うなど気休めだと否定するでしょう。しかし、イエス様はその奇跡を実現されました。
 信じる人に聖霊が働いて、救いの喜びを得る奇跡は、今も現実に起こります。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年12月10日アドベントⅡ礼拝 「平和の君」

ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。・・・その名は、『・・・平和の君』と唱えられる。(イザヤ 9:5)

 記述預言者のトップのイザヤは先ずはメシア預言をしている。メシア・ギリシャ語訳ではキリスト、油注がれた者、救い主である。
 新約のヨハネ福音書1:18では「独り子である神」同 3:18は「神の独り子」と言われている。即ち他にはない「独り子」である。使徒4:12(口語)「この人による以外に救いはない。」と言われている。尚、イザヤは『平和の君』と唱えられる。とし、同時代の預言者ミカも『彼こそ、まさしく平和である』と述べている。(ミカ 5:4)
(清水名誉牧師牧師)

■ 2023年12月3日アドベントⅠ礼拝 「約束の実現」

あなたは驚くべき計画を成就された遠い昔からの揺るぎない真実をもって(イザヤ25:1b)

 今朝のルカ1章の中で、キーワードは「沈黙」です。子供が与えられない数十年間の静かな家、神殿の中で香が焚かれる礼拝、そして突発的に耳と口が塞がれてしまった1年弱の期間。しかし、それは神の愛がザカリアとエリサベトに臨んでいることの証しです。
 人間に対する神の応答は、沈黙の先にあります。約束が実現することを、子どものように希望と喜びをもって、待ち望むことができますように。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年11月26日収穫感謝・謝恩日礼拝 「何という恵み」

見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び(詩編133:1)

 教会の暦では、今朝が1年の最後です。主に感謝を捧げ、新しい年に希望を祈ります。今年の標語は「御霊の啓導と充満」でした。振り返って充満を味わった体験を思い起こしましょう。
 聖書は、恵みには応答しなさいと語っています。与えられた喜びは、神様のご用のために働くエネルギー源です。来年は「神の国の体験と献身」の年です。この佳き感謝と内省が、明日への命の糧となりますように!
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年11月19日礼拝 「けんそんな僕」

良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だった(ルカ19:17)

 同じ1ムナ(100万円)を受け取って、2人の僕はやる気を出しました。謙遜で忠実な、私たちの模範です。しかし8人は卑屈な精神の餌食となってしまいました。委ねられたものは同じでしたが、その受け止めかたによって、結果に大きな差ができたのです。
 ある意味でイエス様は「過程ではない、結果が大事」と言われます。天の父なる神様が、与えてくださった賜物を、活かすことこそ、本当の謙遜で忠実な僕としての生き方です。
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(深谷牧師)

■ 2023年11月12日障がい者と共に在る主日礼拝 「共に在る人生」

先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐んでください」と叫び続けた。(ルカ18:39)

 エリコの近くの道端で、盲人が物乞いをしている姿は、その地域の人々にとって普通の風景だったのでしょう。しかし、障がい者である本人にとって、それは彼自身の「本来の自分」ではありませんでした。そして、勇気を振り絞り、一生分の大声で叫んだのです。主は彼の人生を救われました。そして、周りの人々の目も開き、「共に在る」恵みを示されたのです。
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(深谷牧師)

■ 2023年11月5日こども祝福式礼拝 「救われた家」

イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(ルカ19:1-10)

深谷牧師の説教  説教の要旨はこちらをご覧ください。

■ 2023年10月29日礼拝 「皇帝と死刑囚」

人の子について預言者が書いたことはみな実現する(ルカ18:31)

 預言者の革命の言葉と聞けば、輝かしく華やかな、良い知らせだと思うでしょう。しかし、実際は、災害警報のような厳しい神の怒りと、容赦ない裁きの到来がそこには記されています。そして、その大嵐の先に、新しい神の赦しと命の希望が約束されています。イエス様も、死刑囚となった後皇帝の冠をも振り払う、復活の主となって、栄光をあらわされました。「人にはできないが、神にはできる」という地平線を示されたのです。 主がエルサレムに入場される直前のこの場面には、革命のドラムロールが鳴りとどろいています。
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(深谷牧師)

■ 2023年10月22日礼拝 「財産のパラッドックス」

しかし、その人はこれを聞いて、非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。(ルカ18:23)

「ラクダが針の穴を通れるか」という、有名な言葉のもとになった今朝の箇所です。人間が幸せになるということが、どれほど難しいことであるかという問題が扱われています。イエス様は、この非常に難易度の高い問題を、解決できる方法を示してくださいました。それが「神の愛を信じなさい」という単純なことだったのです。
 ニコデモもマタイもザアカイも、この常識を覆す信仰を得たことによって、神の愛に触れた喜びと、永遠の命を受け取りました。私たちも彼らに倣いましょう。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年10月15日礼拝(伝道推進を祈る礼拝)  「乳飲み子たちのもの」

子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。(ルカ18:18)

上掲の聖句に、テグジュペリの言葉「大人はだれでもはじめは子どもだった。そのことを忘れずにいる大人はほとんどいない」を思い出します。大人が忘れている、本質的なことのひとつは、「そのまま信じて、受け入れる」という姿勢です。
 子どもには、能力も経験も力量も足りないので、状況を受容する以外に、選択肢がありません。大人は逆です。しかし、神の国の救いという世界においては、まさに、子どもが大人のお手本です。本当の喜びや恵みは、努力、犠牲、知識や能力では、得られません。それは、ただ「信じて受け入れる」先に入口が必ずあるのです。
説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年10月8日秋の特別礼拝 「人は、新しく生まれなければ」

イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」(ヨハネ3:3)

 ニコデモは夜こっそりとイエス様を訪ねました。彼はパリサイ人、ユダヤ人議会の議員、熟年者、お金持ちでした。
 彼がこっそりとイエス様のもとに来たことには理由がありました。
 夜に行ったのは、人目に付かないため、自分の人生が残り少ないため、そして罪の赦しと永遠のいのちの確信がないためでした。ニコデモとイエス様の会話はかみ合っていません。しかし、イエス様は人の心の内をご存じでした。イエス様は、人はすべて新しく生まれる必要を説かれました。ニコデモは立ち去った後、イエス様のことばを何度も思い起こしました。十字架から降ろされたイエスのもとに、没薬と沈香を持って行きました。彼には十字架の意味が分かったのです。
(岡山敦彦師(アシュラム連盟副理事長)の説教)

■ 2023年10月1日世界聖餐日礼拝 「預言者ミカ」

エフラタのベツレヘムよ お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。 (ミカ5:1)

 ミカはアモスに続く文書預言者の一人である。エルサレムの南西、丘陵地帯の農村モレシテの出身。ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に活躍した。特にヒゼキヤ王の宗教改革に影響を及ぼしたのではなかろうか。
 特に5章はメシアがベツレヘムから出ることを預言しているのは有名である。 「彼は立って、群を養う(良き羊飼として)」 「彼こそ、まさしく平和である。」預言者イザヤも「平和の君」と唱えられると。
(清水名誉牧師)

■ 2023年9月24合同記念日礼拝  「いつまでも残るもの」

幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。 (Ⅰコリント13:11-13)

深谷牧師の説教 (説教の要旨はこちらをご覧ください。)

■ 2023年9月17日礼拝  「天狗の鼻」

神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。 (ルカ18:11)

 ぐうの音もでない立派な祈りですが、彼は救われませんでした。なぜなら、彼は自分の行いを並べ、他人と比較してしまったからです。その祈りは、神様よりも、自分と他人の姿しか頭にありません。
 救いをもたらす祈りとは、自分の小ささと弱さを認めて、「私を憐んでください」と神様に呼びかけることなのです。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年9月10日献堂16周年記念礼拝 「御国の福音を」

イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え・・・弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き人を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」 (マタイ9:35-38)

 新会堂が献堂16周年を迎えました。16年も経てば新会堂と言えないかも知れませんが、1954年に建てられた旧会堂に対する名称です。尚「会堂」は建物で、「教会」そのものでありません。しかし、主イエスは諸会堂で福音を宣べ伝え、聖書のみ言葉を教えられました。
 そのように、会堂は礼拝、聖書の学び、信徒の交わり、福音の宣教のため大切です。
(清水名誉牧師)

■ 2023年9月3日礼拝  「気を落とさないで」

まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。( ルカ18:7 )

 赤ちゃんは、少しでもお母さんから離れると泣き出します。ほうっておかれると思うのでしょうか。自分の願い通りにならないと、「神様なんてあてにできない」と拗ねることは、この赤ちゃんに少し似ています。
 イエス様が私たちに教えておられることは「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」ということです。なぜなら、母が世界で一番、自分の子供を愛するように、神は世を愛しておられるからです。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年8月27日礼拝  「感謝と賛美」

それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカ17:19)

 「退院する日、看護士さんに自筆で短い感謝のハガキをあげたんです。そしたら、次の検診のとき、その看護士さんが駆け寄って来てくれて、会えて嬉しいわ、がんばってねって声かけてくれて。私も良かったなって思ったんです。」老健にお見舞いした姉妹の心温まるエピソードです。最近は少しずつ、身体まで回復して来ているそうです。
 人生の出来事の向こう側に、神の愛を見いだす人は、賛美と感謝が心にわいて来ます。その喜びと平安が、実に力強くその人のうちに働いて、魂を救いへと導きます。主はそのことを喜んでくださいます。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年8月20日礼拝 「たとえそうでなくても」

たとえそうでなくても、王様、ご承知ください … あなたが立てた金の像を拝むこともいたしません。( ダニエル3:18 )

 異教世界に連れられた、シャデラク メシャク アベデネゴ。そして偶像を拝めと強要されたのでした。真の神だけを礼拝する彼らは、偶像に膝をかがめることなどできません。その結果待っていたのは、溶鉱炉でした。しかも普段より7倍もの火の勢いの中に。
 三人を放り込んだ者たちは焼かれてしまいましたが火は彼らに危害を与えることはできませんでした。4人目のお方、主が共にいて下さったからです。信仰の試練はしばしば厳しく思われますが、その時にこそ主が共にいて下さるのです。
(玉田耕司師 世界福音伝道会牧師)

■ 2023年8月13日祈りの友礼拝 「預言者アモス」

獅子がほえる、誰が恐れずにいられよう。主なる神が語られる、誰が予言せずにいられようか。(アモス3:8 )

 アモスは、最初の文書預言者として登場。南ユダ王国テコアの牧者(羊飼)であったが北イスラエル王国のため預言した。テコアはダビデ王の出身地ベツレヘムに近く、この辺りはユダの荒野といわれる牧羊地で、かのダビデ王も羊飼の少年であった。時代は変り北イスラエル王国はヤロブアムⅡ世の統治により繁栄をしていたが、主なる神への反逆の罪も増大していたのであった。アモスは火の出るような審きの預言をしている。しかし、最後には回復の預言も語っている。
(清水名誉牧師)

■ 2023年8月6日平和主日礼拝  「火と硫黄が降る時代」

 稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである。( ルカ17:24 )

今朝の礼拝に集う方々も、私を含めて、殆どが戦争を知らない世代になりました。ある意味では幸せなことですが、「平和ボケ」の危険は高まっています。
 終末思想は古今東西にありますが、聖書が語る終末は、禍と神の国の到来がくっついているのが他と違います。この地上に絶対の安全地帯はありません。ただ、十字架と復活という最大の受難と勝利を収められた主イエス・キリストへの信仰が、私たちの魂を燃やし続けます。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年7月30日夏の特別礼拝  「愛されている自信」

 これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者(マタイ3:17)

イエス様の宣教開始にあたり、天のお父様から語られた言葉です。順境の時だけでなく、逆境の時にも繰り返し思い出しては、「私は愛されている存在」との確信を握り直したことでしょう。
 私たちにも世で苦難があることをご存知のイエス様は、「試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになる」(ヘブライ2章17節)お方です。試練の極みである十字架以来、私たちにも向けられた言葉となりました。「あなたは私の愛する子だよ」と。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(山口英希師 宮崎清水町教会牧師)

■ 2023年7月23日礼拝  「宿場の信仰」

 もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。(ルカ17:6)

東海道には53の宿場町がありました。旅人の肉体の疲れを癒す、一服の寛ぎの場所だったことでしょう。イエス様を信じて「天路歴程」を歩む私たちにとって、日曜日の礼拝は、1年間で53回巡ってくる、宿場町のようだな、と思いました。
 天国までの道のりには、なんと躓きが多く、また忍耐力、精神力が求められることでしょう。イエス様は「主により頼め」と今朝も私たちを、励ましています。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年7月16日礼拝  「先を見据えて」

 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。(ルカ16:25)

 幼い頃、伝道所で見たこのラザロの人形劇が、忘れられません。地獄でのたうちまわる金持ちの迫真の演技が、とても怖かったのです。人生は、今開いているページが全てはありません。将来を見据えるきっかけとして、起爆剤も時には必要です。
 人生の次のページに、神様の恵みを期待できる信仰生活を歩みましょう。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年7月9日祈りの友礼拝 「エリヤとエリシャ」

彼らが話しながら歩き続けていると、見よ火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。エリヤは嵐の中を天に上って行った。(列王記下2:11)

 エリヤは預言者の代表的存在。後継者エリシャはエリヤの霊の二つ分を求めて得た。二人の共通性は名前である。エリヤは「主は神である」。エリシャは「神は救いである」の意。性格は異なり、エリヤは激情的、エリシャは冷静な人の印象である。エリヤが前869~845の24年間、エリシャは前853~793の60年間と約2倍。エリシャの奇跡は8以上も起きていてエリヤの倍以上。エリシャはエリヤから二つの分を受けたのであった。
(清水名誉牧師)

■ 2023年7月2日礼拝  「究極の選択」

 どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。(ルカ16:13)

 イエス様の例え話の中でも理解する難易度が一番高いのが今朝の箇所です。今日だけで理解しようとせず、何回も黙想して、その深みを味わうことをおすすめします。カギは、人間にとって富の魅力はあらがえないほどの力であるということです。しかし、本当に私たちを幸せにするものは、神の愛です。
 その二つのどちらに仕えるか、究極の選択を迫られたら、というお話なのです。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年6月25日弾圧記念礼拝、子どもの日・花の日礼拝(四重の福音・再臨)  「天国にいるみたい」

 このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。(ヘブライ12:28)

 今から80年前の11月、竹入高先生は、「ああ、天国のようだ」という言葉を残して、天に召されたそうです。なんという幸せな言葉でしょうか。イエス様が、人生の終わりに、自分を迎えに来てくださると信じる人は、この平安をいただくことができるのです。わたしたちのできることは小さなことですが、ひとりでもこのイエス様の愛を感じることができるように、仕えてゆきましょう。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年6月18日礼拝(四重の福音・神癒)  「回復の信仰」

 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。(Ⅱコリント12:10)

 筋トレを始めて、毎日してはいけないことを知りました。「リカバリ」という何もしない日があって、筋肉は大きくなるのです!
 信仰の世界でも、新生の恵み、聖化の成長の恵みの先に、行き詰まり(!)という躓きの状態があります。しかしそれは回復の恵みへの必要な期間です。神の愛は以前より大きくその人の心に迫ってくるでしょう。パウロ先生の言葉は、嬉しい励ましです。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年6月11日礼拝(四重の福音・聖化) 「愛はすべてを完成させる」

あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。・・・ これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。(コロサイ3:12-14)

 四重の福音の2番目は「聖化」です。聖化は神学用語で一般的には「聖潔」(きよめ)と言われます。罪を赦されて救われるのみならず、潔められて神の栄光をあらわす生活をめざすのです。ウェスレーは「キリスト者の完全」について述べています。それは完全無欠ではなく、愛による完全のことです。
(清水名誉牧師)

■ 2023年6月4日礼拝(四重の福音・新生)  「新たに生まれる」

 あなたがたは、・・・すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。(Ⅰペトロ1:23)

 ホーリネス信仰は「確証の教理」を大切にします。儀式や教義、組織を大切にする教会もありますが、「実際に恵みを味わう信仰」を強調するのがホーリネス教会です。
 その、救いの側面として先ず挙げられるのが「新生」です。信じた者は、新しく生まれ変わると聖書は繰り返し告げています。そんなことがあるだろうか、と疑うのは当然ですが、この奇跡こそ、神の愛の偉大さの証しなのです。ハレルヤ
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年5月28日ペンテコステ礼拝  「復活の証人」

 神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。(使徒2:32)

 ペンテコステは「聖霊降臨日」とも呼ばれ、私たちに「聖霊体験」を求めることを勧められる主日です。それは、何よりも神の愛を深く心に悟ることを祈り求めることに他なりません。
 何年も寝食を共にしながら、弟子たちは本当の意味で神の愛を悟り得ませんでした。しかし、「復活の証人です」と大胆に語る使徒たちの姿は、罪も死も、神の愛から私たちを引き離すことはできないという確信に満ちて、輝いています。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年5月21日礼拝  「悪人の味方」

 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。…父親は言った。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にる。」 (ルカ15:28,31)

 おそらく私たちの社会は、協力の精神より、競争の精神の方が強いと思います。二人の兄弟がいれば、「どちらが」優秀か、立派か、愛されているか、と考えてしまうでしょう。本当は「同じように」注がれている神の愛も、人間の目から見ると、「悪人の味方」「甘すぎるえこひいき」のように見えることがあります。
 しかし、「同じように」愛したいという神の憐れみは、二人の息子に喜びを与え、恵みに満ちた食卓に招くのです。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年5月14日母の日礼拝  「母の日に寄せて」

 それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」(ヨハネ福音書19:27)

 母の日の由来。1908年米国ウェストヴァージニア州ウェブスターの教会で行われた一婦人の記念会に始まる。その人の名はジャーヴィスさん。その教会で26年間日曜学校(教会学校)の教師をされ、1905年に召された。その記念会で娘のアンナさんが列席者に贈られたカーネーションの花束が人々の感動を呼び、その地区の教会では毎年5月第2日曜日に「母に感謝する日」が行われた。これを知ったデパート王ジョン・ワナメーカー氏が大きく取り上げて全米に広がり、1914年米国議会は国の祝日に定めている。
(清水名誉牧師)

■ 2023年5月7日礼拝  「やりなおせる恵み」

 ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。(ルカ15:20)

 人生で、この息子のような歓待を受けた経験はあるでしょうか。おそらく、殆ど無いでしょう。しかし、聖書は驚くべき神の像として、「放蕩息子を抱きしめる、なりふり構わぬ父の姿」を書き残しました。
 日常生活の中で、心配事で悩むような時、イエス様は、実は神様もまた、私たちを心配してハラハラしていると言われます。神の愛が、支えてくださると知る時、私たちは、やりなおせるのです。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年4月30日特別讃美礼拝  「天使たちの喜び」

 言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。(ルカ15:10)

 私たちは、一生懸命、捜し物をすることがあります。しかし、イエス様が語る天の国の話では、実は、捜しているのは私たちではなく、神様なのだと言われています。捜されているのは、他ならない私たち人間なのです。
 私たちは、その神様に見出された存在です。天国で天使たちの喜びとされているお互いなのです。この真実が、私たちを、幸いな人に作り変えていくのです。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年4月23日教会総会礼拝  「恵みの充満」

 見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。(詩編133:1)(今年度年間聖句)

 今年のテーマである「充満の時」は、本当はクリスチャン・アシュラムの流れの中では、全プログラムの終了のセッションの時間を指しています。「開心の時」に共に分かち合った課題に対して、神様からどのような答えを受け取ったか、報告し、感謝と平安を受け取る時間です。
 私たちもいよいよ様々な活動が再開される年度を迎えました。恵みと喜びが満ち溢れることを期待しましょう。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年4月16日礼拝  「大きな喜び」

 言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。(ルカ15:7)

 今朝の箇所で、イエス様は、天国の喜びを教えてくださっています。人間にとって、この世界で最高の喜びとは、愛に根ざした喜びだと示しているのです。そして、それは見失ったものを取り戻した喜びであり、その出来事を、共に分かち合う喜びなのだと語られています。
 この聖書が示す喜びを、私たちが歩む道の焦点としてゆくなら、どんな試練も、乗り越えてゆくことができるでしょう。
 説教の要旨はこちらをご覧ください。
(深谷牧師)

■ 2023年4月9日イースター礼拝  「キリストの復活」

 そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。(ルカ24:1-12)

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(深谷牧師)

■ 2023年4月2日パームサンデー礼拝 「十字架上のキリスト」

 「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです。」 (ルカ23:33-34a)

 十字架上では主の七言が語られている。その最初の言が上掲のとりなしの祈りである。世界に聖人と言われる人がいるが、世界中の人々の罪の身代わりとなって死なれた方、十字架につける人々のため祈った人はいない。
 聖歌には「カルバリの十字架」と歌われるが聖書の中にその名はなく、ヘブライ語のゴルゴダの丘をラテン語にしたものである。「カルバリの十字架わがためなり!」
(清水名誉牧師)

■ 2023年3月26日レントⅤ礼拝(春の特別礼拝) 「しかし、お言葉ですから」

 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」とこたえた。(ルカ5:5)

 信仰者の歩みは、「しかし」によって支えられているといえます。ペトロは自分のこれまでの豊富な経験や思いを捨て去り、「しかし、お言葉ですから」と、イエスさまの語りかけに従った時に、絶望から希望の世界を見せて頂きました。
 私たちの人生も、努力しても労苦と虚しさしか残らない時があります。「しかし、お言葉ですから」と従って、神の恵みの世界へと導かれて参りたいです。
佐々木良子宣教師(ケルン・ボン日本語教会)

■ 2023年3月19日レントⅣ礼拝  「道、真理、命」

 わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(ヨハネ14:6)

 多様性という言葉が溢れる一方で、多くの人々が今までの当たり前が通用しなくなり、「世の中についていけない」と不安や怒りを感じているように思います。
 「わたしが唯一の道だ」というイエス様の声は、大昔の古臭い言葉ではありません。むしろ、私たちに確信を与え、真理を求める探究心を呼び起こす若々しい響きがあります。人生のピントを合わせ、難しい時代も明るく照らして、わたし達が進む力を与えてくださる言葉なのです。
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(深谷牧師)

■ 2023年3月12日レントⅢ礼拝 「弟子の足を洗われた主」

 イエスは・・・食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。(ヨハネ13:4-5)

 最後の晩餐の日、到着の客人の足を洗う下僕がいなかったので、何と主イエスが率先して弟子の足を洗われたという。神の御子たる救い主の何たる驚くべき行動であろうか。弟子の足を洗われると、「あなたがたも互いに足を洗わなければならない。」と命じられている。パウロはこの主の姿に倣い、「謙遜の限りを尽くした」と述べている。(使徒20:19=聖書協会共同訳)
(清水名誉牧師)

■ 2023年3月5日レントⅡ礼拝  「主は羊飼い」

 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。(ヨハネ10:14)

 「♪飼い主、わが主よ 迷うわれらを?♪」幼い時に教会学校で歌った、子どもさんびか を思い出す箇所です。しかし、身代わり、命がけ、という言葉の響きは美しいですが、もし人間の羊飼いが、本当に一匹の羊のために死んでしまったら、残された群れは、それこそ狼たちの格好の餌食となることでしょう。
 イエス様は、十字架で罪の購いとなって死んでくださっただけでなく、復活して永遠の命をもたらしてくださいました。だからこそ唯一の「良い羊飼い」なのです。
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(深谷牧師)

■ 2023年2月26日創立記念第4礼拝(レントⅠ)  「城壁の再建」

 城壁を築く者、もっこを担いで運ぶ者は、一方の手で作業をし、もう一方の手には投げ槍を取った。建築作業をする者は、各自腰に剣を帯びて作業した。わたしはそばに角笛を吹く者をつけた。(ネヘミヤ 4:11-12)

 新会堂建築が行われた当時、夕拝でずっとこのネヘミヤ記を読み続けました。建設の経験を通して、主のみ業は、人間の思い通りにはならず、不断の祈りと決死の覚悟が要ることを学びました。そして、その乗り越えた先に、言葉に尽くせないような大きな主の栄光と、信仰の確信を与えてくださることも体験しました。遜って、神様が私たちを導いてくださることを信じていきましょう。
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(深谷牧師)

■ 2023年2月19日創立記念第3礼拝 「故 清水ルイ姉を偲びて」

 愛する兄弟たちよ、堅く立って動かされずいつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦が無駄になることはないと、あなたがたは知っているからである。(Ⅰコリント15:58=口語)

 当教会は今年2月創立77周年を迎えたが、故清水ルイ姉は戦前の朱雀教会にて1939年12月に受洗。竹入高牧師の導きで入信し大阪の西野田教会牧師近畿部長の小出朋治牧師により嵐山保津川で受洗された。以来83年間の信仰生涯を貫き100才5ヶ月で御国へ。その間1949年清水二郎兄とご結婚。ご夫妻は教会の復興,伝道,建設に全力で尽くされた。ルイ姉は終身長老役員であった。感謝!
(清水名誉牧師)

■ 2023年2月12日創立77周年記念礼拝 「充満のとき」

 見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。(詩編133:1)

 創立77周年記念礼拝を迎え、二名の受洗者も起こされ、この幸いな時を心から感謝いたします。兄弟姉妹のお一人おひとりに、上よりの祝福をお祈り申しあげます。
 様々な事情から、共に集い、食卓を囲むことが難しくなりました。しかし、省みて、どれほど今までそのことが大きな恵みであることを見逃していたことかと思います。
 日々の当たり前の時間の中に、神様のくださっている幸せを見つけることができるなら、そこに恵みはあふれています。
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(深谷牧師)

■ 2023年2月5日創立記念第1礼拝 「素敵な味」

 確かに塩は良いものだ。だが、塩も塩気がなくなれば、その塩は何によって味が付けられようか。(ルカ14:34)

 パレスチナで塩といえば岩塩で、今も死海から取れるミネラルが豊富な良質な塩は、料理だけでなく、健康や美容の一級品として、イスラエルのお土産として大人気です。
 人間は意外と繊細なバランスで保たれていて、体内の塩分が数グラム減るだけで、けいれんや頭痛、倦怠感が起こり、バテてしまいます。人間の0.3%は塩だからです。 もちろんイエス様は、料理や健康の話ではなく、あなた自身のもち味を、賜物として活かす事を強く勧めておられるのです。
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(深谷牧師)

■ 2023年1月29日礼拝 「捨て身の覚悟」

 もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。 (ルカ14:26)

 なんと厳しい主イエスの言葉でしょうか。主の弟子となることは、すべてを捨てて従う覚悟が必要なのだと、ここにはっきり述べられています。しかし、それは血も涙もない非情な宣告なのではありません。主の弟子は、まずその人自身が束縛から解放され、自由になります。そして神の愛という最高のギフトは、手離したものの何倍もの恵みをもたらす源となるのです。
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(深谷牧師)

■ 2023年1月22日礼拝 「招待状の返信」

 宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、「もう用意ができましたから、おいでください」と言わせた。すると皆、次々に断った。( ルカ14:17-18 )

 結婚式の案内状、同窓会の招待状、宴会の誘いは嬉しいものです。しかし「出席」の返事をした人たちが、いざとなったら次々に断ってきたというのが今朝のたとえ話です。
 楽園での食事、と聞けば誰もが憧れるでしょう。しかし実際に優先順位をつけると、天の父なる神様の招きに応答する人は、ほとんどいないのだと、イエス様は鋭く指摘しておられます。私たちにも、招待状が届いています。待ち望みつつ、歩みましょう。
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(深谷牧師)

■ 2023年1月15日礼拝 「静かにささやく声」

 地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。(列王上19:12)

 列王記はイスラエルとユダ王国の王の列伝というより、王達に神の言を語った預言者達の活躍が記されている。その筆頭がエリヤ。カルメル山上でバアルの預言者450人と対決して勝利した。バアルの預言者全員が民衆の手によって殺されている。これを聞いて怒った王妃イゼベルに命を狙われる。エリヤは直ちに逃がれてベエル・シェバからさらに40日40夜歩き続け神の山ホレブ(シナイ山)に達している。その時、エリヤは洞穴で主の言を聞いた。ダマスコ行きの命令である。
(清水名誉牧師)

■ 2023年1月8日成人祝福式礼拝 「若者の幻」

 神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。上では、天に不思議な業を、下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。(使徒言行録2章17-21節)

 深谷牧師の説教

■ 2023年1月1日元旦礼拝 「共に交わり」

 見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。 (詩編133:1)

 近年は核家族化が進み、大家族で食卓を囲む光景は、ほとんど見られなくなりました。しかし、忘年会や新年会、共に汗した仲間や、親戚と集まる機会は、様々な対策を講じてでも持とうとする人々の思いがあります。
 教会も信仰の共同体として、お互いのために祈り、交わり、励まし合うことが大切です。アシュラムの「充満」を心に留めながら、願わくば、共に集まる機会を持ち、天国から注がれる恵みが、私たちの心に充満することを体験できる幸いな年となりますように。
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(深谷牧師)