1946年大阪生まれ。69年早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒業。同年、鞄d通入社、大阪支社クリエーティブ局CMプランナーを経て、81年同社退社、褐o営企画センター設立。「アーバンリゾートフェア神戸’93」「ジャパンエキスポ南紀熊野体験博」「長崎さるく博」「大阪あそ歩」などのプロデューサーを歴任。 | ||
『まち歩きが観光を変える』を語るさるく博のプロデューサーが、その考え方と実現までのプロセスを語った本書の出版から3年、まち歩きの定番となる指南書を準備中の茶谷幸治さんに、前書の狙いと、さるく博終了後のまち歩きの展開をお話いただきました。聞き手:前田裕資(編集部)
|
本の狙い前田:今から3年ほど前に、『まち歩きが観光を変える』という本をお書き頂きました。 この本をどういう趣旨で、どういう方にお読み頂きたいということでお書きいただいたのか、また、その後のさるく博の展開や、全国のまち歩きの発展の様子をお話しいただければと思います。 茶谷: 2006年に長崎で落ちこんだ観光客の数をなんとか回復させたいということで、まち歩きの博覧会をやったわけです。まち歩きだけの博覧会はとっても珍しいのですが、観光でまち歩きをするのは当たり前ですよね。しかしそのことが少し軽んじられていた。そのような時代だったので、それを博覧会にしたわけです。 当初はこれがうまくいくかどうか、つまりそういうことでお客さんが来てくれるかどうか、長崎の観光客の数が回復するのかどうか、とっても心配というか、危惧されたんですが、結果は思っていた以上の大成功に終わった訳です。 これは一体どういうことだ。 私がプロデュサーをしていたわけですが、当事者もびっくりした。そこで終わった後で分析をして、実際こういうことだったんじゃないか、まち歩きはこういう力を持っているんではないかということを記録に残しておきたいし、このことをいろんな方、観光に関係している方だけじゃなくて、一般の方々にも知っていてもらいたいなと思って、これを書いたのです。 おかげさまで沢山の方に読んで頂けたようですし、まち歩きという言葉がそれ以降、観光の世界で定着をしたきっかけになったと自負をしています。 その後のまち歩きの展開ただ長崎ということに絞られているので、みなさんが長崎だからこれができたんだけども、どうなんだろう、私のまちでもできるんだろうかという声をその後たくさんいただきます。長崎では感動的に「さるく博」、さるくというのは本をよんでいただくとお分かりのように、ぶらぶら歩くということなんですが、感動的に終始したんですが、ほかの街でもうまくゆくのか、この辺が長崎後、もう2年、あるいは3年たっていますので、そろそろ色々なところで私がお話ししたようなことが芽を吹き出して、成功事例もあちこち出てきていますね。長崎自身もその後、市長が変わられて、継続されて、さらに大きくなっている。去年は龍馬伝の影響がありまして、そのフォローの風が吹きましたので、さらに長崎がまち歩きのパワーを得たという状況になっていますね。 長崎の観光の基本ベースに、さるく、つまりまちを歩くということが置かれていて、そのことを基準に観光というものが組み立てられているということがありますので、いつかそのこともご紹介できたら良いな、と思っています。 そういった一連の動きの基礎となる、大本になるのが長崎のさるく博です。そのレポートであり、分析であり、私が考えた手法の数々をこの中にみなさんにお伝えできる形で書かせていただいたということです。 前田: 有り難うございます。また続編もお書きいただけたらと思います。 茶谷: もう少し一般的な事例、その後もまち歩きは100を超える都市で実際に行われていますから、そういったものもご紹介しながら、なぜ今、こういうものが観光の主軸になりつつあるのかを書ければ良いと思います。 前田: 期待しています。 茶谷: 有り難うございました。 |
『まち歩きが観光を変える』
|