ドイツから見た大震災と原発事故高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
|
高松平藏さん略歴 ドイツ在住ジャーナリスト。1969年奈良県生まれ。会社勤務後に独立する。その後、京都経済新聞社を経てジャーナリストに。97年ごろからドイツ・エアランゲンと日本を行き来する。2002年から同市を拠点にして現在に至る。著書に『エコライフ ドイツと日本どう違う』(化学同人、2003年 妻アンドレアとの共著)。 ウェブサイト http://www.interlocal.org/
|
まず私の力不足を露呈するようなんですが、何らかのモデルがあってそのモデルがどういう形で成り立っているのかということを考えていったのが、私が書いた『ドイツの地方都市はなぜ元気なのか』です。つまり、今のように何か壊れたものをもう一回つくっていこうとしたときのアイデアは、私は基本的に持ってないんです。
ただドイツではこういうことをやってますよという言い方はできます。1)人のつながりを充実させるとか、2)経済力や生活の質をどう高めるか、あるいは3)都市の存在感をどう作っていくか、ドイツのまちの様々な取組みをみていると、だいたいこの三つに集約されていくと思っています。
そしてそれらの取組み、まちづくりに何が肝心なのかを考えていくと、もちろん建物や施設などのハードも大切なんですが、まちが成り立っていく肝の部分として、人が共有している価値観とか美意識がコアになっているのではないかと感じています。
つまり、その考え方から導いていくと、今震災後の復興まちづくりでハードをどうするかといった実務ベースでの優秀な人材はもちろん必要ですが、その一方で町とは何かという理念ベースで考えることも必要になってくるんです。
しかし美意識とか価値観だけでは町は出来ませんから、たとえば行政主体でどんどんまちづくりを進めていく実務と、町の理念をどうつなげていくかが課題になってくると考えます。
つまり、ドイツの人たちはリスクのある土地からまずは離れることが前提だと考えたわけですね。しかし、土地の中で生きているという人は被災者のなかに相当数おられると思うんです。象徴的なのが漁師さんやお百姓さん、酪農をやっている人たちで、そういう人たちはたぶんそういう申し出があってもドイツへ避難しようという発想はまず出てこないでしょう。やはり、土地に対しての価値観、自分との何らかのつながりがあるわけですよ。
今回もハードを作ろうとしたとき、日本ならたくさんの蓄積がありますよね。入れ物だけだったら実務家がいるとスピーディに進んでいくと思います。その部分と、目には見えませんが、一方で被災した人びとが持っていた土地に対する考え方を集約して、きちんとつなげるべきだと考えます。
前田:
そのドイツの話というのは、実際に募集されたのですか?
高松:
領事館のホームページを見る限りでは、「こういう申し出がありました。有り難うございます」とだけ書かれていました。
前田:
ドイツの人は、震災後のニュースを見て、もう日本なんかには住んでられない状況だと思って申し出られたのでしょうか。それとも、言葉や文化の壁はそんなに高いものじゃないから気軽にどうぞという軽い感じだったんでしょうかね。
高松:
どうなんでしょうかね。ただ私にとっても非常に興味深い現象だったんで、いろいろ考えてみましたが、よくわからない。ただ、3つか4つぐらいの角度から分析はできます。
まず一つはチェルノブイリの記憶。あの当時はフランスまでもかなり危なかったという話があるのですが、冷戦状態でソ連と行き来はなかったにしても旧西ドイツでは被災した子どもたちを一時的に引き取ったという話がありました。ドイツの人たちは休暇が長いでしょう? 休暇をたっぷりとって、また元気になって日常に戻って働く。あの感覚がたぶん一つの要因としてあるんじゃないかと思います。当時、チェルノブイリの子どもたちを引き受けて、ゆっくり休ませ、お医者さんにも診せたというエピソードがあります。
もう一つは、たぶん空間に対する感覚の違いです。たとえば戦後は多くの難民を引き受けてきたという歴史がドイツにはありますが、自国で何らかの困難や問題を抱えた人たちは避難してくるものだという感覚があるのではないかと思います。
また、更なる要因として、ドイツ社会には連帯という考え方があることです。連帯というのは、例えば我われアジア人の感覚としてある血縁や地縁ネットワークの強さとはまた違うものです。アジア社会では叔父さんが困ったら甥や姪が助けるという援助や支援の構造がありますが、ドイツの連帯の概念は赤の他人とのつながりを示すものなんです。地震や水害などで他人が困っていると、連帯精神で助けようというロジックが出てくるんです。今回の日本の災害にも同様の精神が発揮されて、援助しますという声が出てきたと思います。
前田:
もちろん日本でも私的な立場からの申し出が相次ぎ、仮住まいを提供したという話があります。京都府や市も福島からの被災者に公的な住宅を開放しました。それでも、慣れ親しんだ土地から遠い所に行くのは難しいものがありますね。
高松:
しかも、提供されるのが個人宅というのは抵抗がありますよね。
前田:
ドイツの場合もよく川が氾濫して、災害になることがありますが、ああいう時は、住民はそれまでの土地を棄ててどこかに移転するということがあるのですか。
高松:
どうかなあ。その点は私も分からないです。ただ、その時の水害にもたくさん支援がきます。やはり行動原理の元になっているのは「連帯」の概念なんですね。だから、赤の他人が赤の他人を助けるという原理になっているんです。
まちづくりとどう関係するか分かりませんが、チェルノブイリの後に作られたシミュレーションドラマを見たことがあります。ある町で原発事故が起き、メルトダウンしてしまうんです。人びとがどう避難していくかをドラマ形式でシミュレーションしたものなのですが、それを見ていると、大勢の人が逃げまどって警官が規制していくなど、いろいろ起きるという話で、今の日本が体験しているようなこともいろいろ出てきます。
興味深いのはドラマの最後で、「唯一の援助方法は、住民に警告を出すことと、正確な情報提供」というような言い方で、ドラマを閉じているんです。
それを考えると、今起きている原発事故は、情報が隠蔽されているとか、正確じゃないとかいろんな議論が出てきていますよね。だけど、放射線事故ってある意味平等に誰にでも被害を及ぼすので、救援と言っても出来ることは基本的にないんです。最低限出来ることは、「正確な情報を出すことである」というこということでしょうか。
前田:
我われも日本からヨーロッパの情報をインターネットで見ていましたが、シビアな情報を流しているという印象を受けました。やはりドイツにいると、日本は今凄いことになっているという印象でしたか。
高松:
津波の警戒警報にしても、テレビでは東北から九州までずっと出ていたでしょう?。
あとは映像のインパクトも大きかったですね。だから、日本全体が大変なんだなという印象を受けました。
後は、福島の事故の後、すぐに各国の領事館などは東京から大阪に引っ越ししました。ジャーナリストやメディア関係者も東京を引き払いました。そこまでしなくてもという声を日本からは聞きましたが、日本地図を外から見ているとリスクを回避するにはそうするんだろうなと納得してしまう感覚はありました。
被災者には失礼な話になりますが、メディアでも雇用している側には責任がありますから、そういう判断になるんだろうという感じです。
それとドイツの知識人の悪い面かもしれませんが、博士号を持っている友達が「家族や親戚をドイツに呼び寄せた方がいいよ」と私に言うのです。彼女に言わせると、「私はチェルノブイリの研究をしたことがあるけど、あれを考えると今後日本に人は住めなくなるよ」ということなんです。いくら何でも言い過ぎだろうと思うんですけどね。いずれにせよ、悪く言えば今回の原発事故によってドイツではパニック状態におちいったという印象を受けました。しかし良く言えば、最悪のリスクを考えるということなんですね。そういう両面性があると思うんです。
実際、ドイツの報道を見ていると、原発事故のため冷却に赴く作業員のことを「SAMURAI」なんて称えたりしています。そういうのを見ると私なんかは大げさだと思いますが、やはりセンセーショナルな部分がニュースに欲しいのだろうという印象があります。
一方でドイツの普通の人々、その辺を歩くおばちゃんと話をしていても大変だよねとは言われるんですが、よく聞いてみるとおばちゃんたちもメディアを鵜呑みにしてないというところがわかる。ドイツの気質だなあという気がします。言い換えると、最悪のリスクを出すということはメディアの仕事なんだから、それをちゃんと解釈できるかどうかは市民の情報リテラシーにかかってくるということなんだと思います。
そういう面では、日本の場合はパニックを回避するという大義名分のもとで、やはり情報が隠されているという面が見えてきますよね。ドイツの報道でも早くから、日本の情報戦略を批判していましたが、ドイツにいると情報に対するリテラシーの違いを感じました。
前田:
そのあたりは興味深いことですよね。
高松:
情報を出すといったときに、人々がパニックを起こすとまずいからちょっとオブラートに包んで出しましょうという話がありますが、それってメチャクチャ人をバカにした話ですよね。だから、原発事故でもどれだけ正確な情報を出せるかということは、これからも大きな課題になってくると思います。その一方で、「パニックを起こさないよう情報を隠していました」と言われないよう、情報リテラシーを高めることが我われの課題になってくるんじゃないでしょうか。
前田:
ありがとうございました。