方法論:「復興は、相互依存関係の回復」久保光弘(高野山大学院生(密教学専攻)/久保都市計画事務所) |
復興(世界)の捉え方は、「実体としてとらえるか、関係としてとらえるか」また別の視点として「全体からとらえるか、個・部分からとらえるか」がある。ここで述べることは、「個・部分×関係」(住民の視点に近い観点)からとらえた復興に関する方法論である。
1. 相互依存関係(縁起)とは
アメリカの環境思想家・ジョアンナ・メイシーは、「(仏教の)縁起の法は、現代に適用することによってこそ、私たちの知と行動の関係のあり方に新しい展望を与えてくれる」とも「コミュニティづくりも促す」ともいっている*。それでは、ここでいう「縁起」とは何か、まず簡単に説明したい。
ジョアンナ・メイシーは、「縁起」の現代訳を「dependent co-arising(相互依存的連係生起)」としている。
私は、「縁起」とは、「個体性(あるもの、ある出来事)はさまざまな依存関係の中でできており、同時に個体性どうしが相互に連動し合い、1つの全体を形成している」ということができるし、「総てのものごとは、様々な原因・条件によって、その結果として起こるもの」ともいうことができると理解している。個体性が人間である場合は、自由意志を持ち行動するのだから、周りから影響を受けると共に周りを変えていく力にもなる。このように「縁起」思考は、ピラミッド型の階層思考でなく、自己組織化や創発などのシステム理論的思考と通じるものである。なお、ここでは、「縁起」を「相互依存関係」ということにする。
ついでにいうと仏教のシステムの面白さは、「縁起」という存在論が基礎にあり、その実践論として人間論が展開するところにある。
図:関係の結節点としての個体性(小林道憲『複雑系の科学』麗澤大学出版会2007)
2.定理としての「復興は、相互依存関係の回復」
無から、思考できない。どんな理論体系にも、必ず、最初に公理が存在しなければならない。上でみたように「相互依存関係」(縁起)は、哲学的、科学的な公理である。この公理から、「復興は、相互依存関係の回復」という定理が生まれる。被災とは、個人、コミュニティ、産業、地域、社会、経済のそれぞれにおいてこれまで構成していた繋がり、つまり「相互依存関係」が破壊されたことである。相互依存の対象は、人、事、環境などあらゆるものである。復興は、「相互依存関係の回復」に他ならない。
このように定理が生まれれば、以下のような原則が生まれる。もちろんこれらは、議論されるべき内容である。
原則1:復興は、「当事者が主体」という原則。被災前・現在の「相互依存関係」を知るのは、当事者以外にないし、回復は当事者が自律的に行わざるを得ないのだから。また当事者が主体になることによって、当事者自身が「不足しているもの」を確認し、「不足しているもの」を的確に外部に支援として求めることを可能とする。
原則2:復興は、「時間が勝負」という原則。時間と共に住民の元の相互依存関係が崩れ、変わっていく。このため住民は、元に戻り難くなり、地域存続が脅かされるから。
原則3:相互依存関係の回復は、「元に戻すこと」という原則。そのことが住民にとって考えやすいし、「元のもの」それぞれは、時間の積み重ねからの所産でそれなりの意味があろうから。ただし、「元のもの」を復元できない場合や「元のもの」に大きな欠陥がある場合は、「代替のもの」を考えることになるが、特に後者は重要である。
3.「相互依存関係の回復」の視点による考察例
「相互依存関係の回復」という視点から、対象を考察すると、どのように見えるか、事例的に以下に示す。
1)「避難所は、収容所でない」という見え方
避難所は、「相互依存関係の回復」のうち、水、食料、雨露をしのぐ場所、衣類それに医療などの命に関わる最低限のものの回復である。これらの支援を受けた東日本大震災の被災者は、整然とした秩序を保ち自治的に避難所の運営を行っている。この被災者の振る舞いを見た世界の人たちは、「必ず立派に復興する」といった。外国人からは感銘から出た言葉であろうが、故なきことでない。相互依存関係(縁起)の回復の実践からみれば、このような被災者の振る舞いは「自他不二の一体感(利他)」と「忍耐(忍辱)」の徳目にあたるもので、この地域はまちづくりにふさわしい土壌を有していることを示している。
2)「仮設住宅地建設は、まちづくりプロセス上にある」という見え方
仮設住宅地の建設による「相互依存関係の回復」の内容は、避難所の次のステップとして、健康の回復、コミュニティ・住環境・生活環境の最低限の改善などである。仮設住宅の建設は、市街地復興までの仮住まいを提供するだけという単なる「手段」でなく、復興達成途上にあって、元の住民の相互依存関係を回復するという「目的」をもっており、まちづくりとしてとらえる姿勢がほしい。
3)「産業の相互依存関係の回復は、地域内だけでない」という見え方
地域産業は、地域内で種々の業種における相互依存関係で成り立っていると同時に、地域外の事業者とも相互依存関係が成り立っている。したがって被災地外の事業者も被害を受けており、同時に被災地外の事業者における相互依存関係は変化してしまう可能性がある。地域産業の「相互依存関係の回復」は、地域内だけでなく、地域外との関係においても重要なのである。
4)「小さなまちづくりは既に始まっているはず」という見え方
個人も事業所も「相互依存関係」があることにより存在している。「相互依存関係」が致命的となれば、必死で「相互依存関係の回復」をしようというのは、本能である。個人で「相互依存関係の回復」をしている人がいることはもちろん、既に人知れず小さい集まりで人々は、話し合っているはずである。阪神・淡路大震災の時、被災地長田の知らない人からの電話を受け、行った時、既に小さな集まりが芽生えていたし、プランを書いている人もいた。
5)「ENG(縁起)ワークショップ手法」という見え方
原発事故の問題は、特に全国の若い人たちに関心を持ってもらいたい。
原発事故の原因は、津波と東電原発自体に因果あるとしても、消費エネルギー拡大をはじめ様々な2次的原因があり、そしてそれぞれ2次的原因は、3次的原因の結果となっているという構造的なものである。一方、原発事故の結果は、地域ぐるみの疎開、風評被害、観光業不振など、これも2次的、3次的と広がる相互因果(原因・結果)関係が生じている。
原発事故についての過去から未来に広がる相互因果関係を一つ一つ、日本中の若い人たちにワークショップなどで拾い出してもらいたい。これが若い人たちが未来を考え、開く手がかりになる。テレビで「電気でつくられるイチゴ」というような作文が紹介されていたが、「当たり前と思っていたことも考えてみればなんだか変ね」が大切なのである。
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