季刊まちづくり号外(WEB版)
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無常観と港町の風景

久保光弘(高野山大学院生(密教学専攻)/久保都市計画事務所)

 

 

1.「無常」を観る

 東日本大震災において語られた「想定外」という言葉は、「想定さえすれば、避けることができる」ということなのか、それとも「避けえないことがある」ということなのか、筆者は後者だと思う。日本の自然は、きわめて不安定で、時として脅威をもたらすものである。それは避けることのできないものであり、祖先も幾度となく自然の脅威から立ち直ってきた。だから、太古からひとびとは自然と付き合う智慧があり、それが仏教でいう「無常観」へと繋がってきた。
 「無常」とは、あらゆるものは時間とともに変化し、一瞬たりとも留まらないということである。形あるものは必ず壊れる。人間は生きて死ぬ。人生は何が起こるか分からない。無常観とは、このように明るさと影がいつも寄り添っているという客観的な事実を観ることである。
 震災直後の被災民の冷静さをみて、これは無常観を受け入れる文明の表れであると語った人がいる。それはこういうことだろう。無常の事実を事実として受け止めるところに、かえって悲しさ、苦しさを克服する道が開けてくる。愛する者の死の事実をいたずらに嘆くのでもなく、またさりとて、その事実に目をふさぎ、現実を逃避するのでもない。つらくとも事実を凝視し、逃げ出さず、無常の事実をわが身に受け止めるところに苦からの離脱の道のあることを、そして今の苦しい状況がいつまでも続くことはないということも、無常観から知ることができるのである*1。
 季節の移り変わりは、無常の美である。器は脆いから丁寧に扱い、作法となる。日本の沿岸や港町の風景は、幾度も被害を受け、荒々しい自然への畏怖を抱きながら、自然と向き合う智慧を育んできた無常の風景なのである。

2.海や山のイメージと重なる「鎮魂」

 宗教学者の山折哲雄さんは、被災地を巡り、数えきれないご遺体が投げ出され、山積みされたガレキをみて、地獄や賽の河原を思い浮かべ、一方では、災害の後の山並みと海の自然に、残酷なほどの美しさを感じたという。そして、ご遺族は死者の魂の落ち着くところまで見届けないと落ち着かないでしょうが、きっと魂はこの美しい自然に癒さされていることでしょう、と語っておられた*2。万葉の挽歌、宮沢賢治の挽歌において、死者の魂のイメージに海や山のイメージと重なるように、遺族が落ち着いた気持ちになるのは、死者の魂がふるさとの美しい自然に納まってもらったことを実感した時、ということだろう。
 復興のイメ−ジは、コミュニティや産業の再建といった現実の水平の復興だけでなく、遺族の精神的立ち直り、いわば「<いのち>への追悼と鎮魂(東日本大震災復興構想会議)」という死者と残された人々の垂直のつながりも必要であるということだろう。それには「鎮魂の森やモニュメント(東日本大震災復興構想会議)」もいいけれど、本当に必要なのは、死者の魂が落ち着くことのできる海や山の自然が美しいふるさとの風景の回復なのである。

3.「高台への移転」をどう考えるか

1)どこで歯止めをするか

 「滑りやすい坂論(slippery slope)」「くさび論」というのがある。科学・医学・工学は、進歩させることをめざしている。その内容は、次第にその進歩の範囲は坂道を滑るようにどこまでも拡大する。しかしそれはやがて最悪の事態を招くだろう、だからそうならないように、どこかで歯止めをしなければならない。「滑りやすい坂論」は、このような論法である。これは、科学技術で確実と思われている背後に、予想しがたい危機的喪失が隠されているということを知らなければならないということであるが、これが「無常」というものの見方でもある。まさしく原発問題の論点はここにあるが、ここではこれには触れない。ここで考えたいと思っていることは、防災構造物の整備の基本的な考え方の問題である。

2)復興構想会議提案による防災提案

 関西に居住し、東日本の被災地を知らない筆者が、東日本の被災地の復興について述べるのは、不可能だし無責任の様な気がする。しかし、東日本大震災復興構想会議という国のレベルからの提案は、東日本被災地への提案であると同時に、津波被害がいつどこで起きてもおかしくない日本の港町の未来のかたちを考える上での一つの指針ということにもなる。そういう視点に立てば、復興構想会議提案に対する様々な立場からの批判や議論はむしろ必要であろう。ここで述べる筆者の意見は、熊野路を歩き、歩き遍路としての四国一周を通して沿岸や港町を巡り、阪神・淡路大震災でのまちづくり支援というような個人的な体験に基づくものである。
 さて、東日本大震災復興構想会議の提案によれば、「地域づくり(まちづくり・むらづくり)の考え方」は「災害時の被害を最小化する<減災>考え方」に基づき「逃げること」を基本としている。これには賛成である。無常観を受け入れるという日本的な智慧の伝統を引き継ぐものといえる。しかし、具体的な施策をみると、線的構造物(防波堤・防潮堤・二線堤)や面的構造物(高台への移転・人工地盤や盛土による嵩上げ)などの巨大構造物提案が主となっている。特に、被災地域の住居や都市中枢機能の高台への移転を基本とすることや人工地盤や盛土による土地の嵩上げが構想会議提案の特徴といえる。もしこれが実現すればするほど、日本の港町や漁村の風景は、これまでとは異なるであろう。構想会議提案には、「無常を受け入れる思想」と「無常を認めない思想」の双方がみられ、防災構造物整備についての思想はわかりにくい。「滑りやすい坂論」でいえば、防災構造物について技術的検討の視点のみでは、構想会議の提案のように巨大な防災構造物建設に行きつくが、地域づくりの総合的な観点からすると、防災構造物建設の巨大化に応じて別の問題を生じていく。したがって、防災構造物の建設レベルをどこに置くかを論理的に検討されなければならない。

3)構想会議の「高台への移転」提案についての疑問点

 阪神・淡路大震災復興と東日本大震災復興における地域づくりの課題は、大雑把にいえば、一つを除いてかなり共通するのではないかと感じている。異なる一つとは、防災構造物整備の問題、とくに高台への移転・人工地盤や盛土による嵩上げなどの面的構造物整備の問題である。これは、「地域づくり」の前提になるものであるだけに、重要である。構想会議による面的な構造物整備提案については、特に以下の様な疑問が出てくる。
(1)沿岸地域の自然が損なわれる
 高台への移転や地盤や盛土による嵩上げなどを「基本」に置くということは、沿岸地域において団地造成や土取りのために相当大きい土木事業が行われるということである。これによって沿岸や港町周辺の自然は、かなり損なわれることであろう。環境省による21世紀環境立国戦略に「里海」の創生というのがあるが、この提案とはあきらかに方向性としては異なる。環境省による「里海」の定義は、「人間の手で陸域と沿岸域が一体的・総合的に管理されることにより、物質循環機能が適切に維持され、高い生産性と生物多様性の保全が図られるとともに、人々の暮らしや伝統文化と深く関わり、人と自然が共生する沿岸海域」となっている。
(2)地域住民主導による漸進的復興を妨げる
 被災住民の復興とは、住民・事業者それぞれにおける震災前の関係性の回復であり、それは復旧・復興と区分されることのなくシームレスに連続する回復であり、全方位的な諸々の回復である。それは時間との戦いである。その過程においてコミュニティ・事業・住宅の再建がなされ、ビジョンづくりも重ねられるのである。しかしながら、新しい高台団地の移転という手段は、多様な関係性の回復を諦め、住民の自律的まちづくりを妨げ、状況に対応しながら漸進的に復興するという手法もとり難くする。
(3)「逃げること」の覚悟に対する不徹底さ
 津波だけでなく、地盤の液状化により、重量構造物がダメージを受けたことが明らかになりつつある。「避けえないことがある」防災構造物でありながら、それに頼ってしまう、また構造物による海との隔離がする。このことが「逃げること」という人間の本能や智慧を鈍らせている。構想会議が地域づくりにおいて「逃げること」を基本として示したということは、同時に「逃げること」の覚悟と最善の対応について言及されなければならない。「逃げること」の要は、コミュニティの絆と自然の脅威に対する智慧の回復・創出であり、これには上で述べた「地域住民主導の漸進的復興」が不可欠なはずである。

4.もう一つの方向

 筆者は、若いころ友人とヨットを共同所有し、クルージングをしていたことがある。数年ほどの遊びとはいえ、それでも海は表情の目まぐるしい変化と海の生活における日常的な危険の存在を知った。このような天然の無常を知る港町の人たちが、何百年単位での危険を防止するために、ふるさとのかたちを変えてまでも、高台に移転することを本当に望んでいるのだろうか。このことは、地域住民の意見を十分に聞くことしかない。地域復興デザインにおいて、ボトムアップで漸進的に進めることが有効であることは、阪神・淡路大震災復興である程度示されたことである。
 その点から、筆者が共感するのは、土木学会や建築学会に出てきているとも伝えられる考え方である。それは、防災構造物建設については、津波100年確率に対応するものとし、地盤沈下には被災前のレベルの盛土とすること、これを枠組みとして、土地利用の再配置に重点を置こうという考え方である。この考え方であれば、地域住民が早々に地域づくりの場につくことができる。この過程で、高台移転や高度の防災構造物の採用は、メニューとしてあって良いし、また新しいビジョンを織り込む可能性も十分にある。

(参考資料)
*1.奈良康明『仏教と人間』東書選書・1992
*2.山折 哲雄『共に生きる覚悟』NHK・BS・23.06.12放送・こころの時代


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2011.07〜