「風景」つまり「ランドスケープ」という言葉は、 建築や都市計画の分野で、 この10年のあいだにずいぶんと話題になり、 新しい分野の可能性や方向性を示す言葉として浸透したかにみえる。 もともと一般名詞でしかない「風景」や「ランドスケープ」という言葉が、 急に取り沙汰されだした背景には、 現代という時代のもつ問題性が、 あぶりだしにされていると考えられよう。 しかし、 「ランドスケープ」という言葉自体の認知度は増したものの、 依然として「どうもなんのことだかよくわからない」と思われているのが現状のようだ。 それは、 「風景」つまり「ランドスケープ」という言葉から想起される印象と、 実際にそこに含まれている問題に、 微妙にズレが生じているからではないだろうか。 ランドスケープを操作する職能とされる「ランドスケープアーキテクト」の存在についても、 同様だ。 これらの言葉のミスリーディングを解いたうえで、 「風景」の問題を論じてみたい。
まず、 「ランドスケープ」と規定される職能の対象が、 果たして「ランドスケープ」という言葉で表せられるものなのかという疑問がある。 「ランドスケープ」は、 「ランド」=土地、 「スケープ」=視野、 つまり「土地のみため」ととらえられるため、 絵葉書のように空間を視覚化し、 3次元を2次元でとらえた結果としての静止した画像イメージをあらわす印象が強い(もともと「スケープ」には「見渡す」という行為を表す語意が含まれていたのだが、 長い時間のあいだにその結果としての画像を表すイメージが定着したように思える)。 「ランドスケープ」の和訳として明治時代に創出されたとする「風景」や、 近代以後汎用された「景観」も同様に、 視覚的印象を表す語感が強い。 そのため、 「ランドスケープアーキテクト」といった場合、 その職能は、 表層的な視覚的印象の操作のみを取り扱うかような印象を与える(そのような意図がなかったにしろ、 「ランドスケープ」という言葉のひろがりとともに施工された幾つかのプロジェクトが、 更にその印象を強めたのは否めないが)。
しかし、 実際に我々が扱うのは、 その土地の生態系の有り様や文化的な背景までも含めた「土地の様相」ともいえるもので、 「風景」や「景観」と呼ばれるものよりは、 むしろ「風土」に近い。 また、 我々が働きかけた結果、 存在し、 あぶり出されるものは、 視覚的な恒常的「形態」であるというよりは、 時間の流れのなかで変幻するある種の「現象」またはその「状態」といえるものだろう。 そして、 そのような土地との対話のなかで進めていく仕事のあり方は、 アーキテクトのように絶対的な「形態」を創出していくというよりは、 掛け合い漫才師のように相方や客との相対的な「関係」を模索していくことにより、 場を創っていくという作業に、 より近い。
先述したように、 我々が関わる対象がその土地の「風土」だとすると、 「風景」はその結果が認識されたとき、 はじめてたちあらわれるものといえよう。 風景は、 それが人工のものであれ、 手付かずの自然であれ、 フレームを伴ったある種の2次元イメージとして、 あるいは地に浮かびあがる図として意識されたとき、 はじめて「風景」となる。 例えば、 棚田は、 それだけでは風景とはなりえない。 実際、 それが「風景」として認識されだしたのは、 全国にそれがあたりまえにみられた時代ではなく、 棚田が少なくなり希少な牧歌的風景として「発見」されてからである。 工場の集積地やよう壁などの土木的な構造物も、 以前は「風景」になりえるとは考えられていなかったが、 最近では「テクノスケープ」という風景として認識されだしている。 元来、 棚田や工場は、 労働の場であり、 眺める対象ではなかったのだが、 ひとの意識の変革とともに「風景」へと昇華されたのだ。 同様に、 ありのままの自然も、 ひとの意識にのぼったときに「風景」としてたちあらわれる。 例えば、 各地の「名所」や「名勝」と呼ばれるものがそれである。 また、 同じものでも、 ひとの意識の操作によって、 「風景」であったりなかったりするということが生じる。 その端的な例として、 「季節の名所」とされている場所がある。 「吉野の里」に代表されるような「桜の名所」などは、 桜の季節以外の有り様が問われることは、 ほとんどない。
このように、 ひとがあるものを「風景」として認知するということの背景には、 対象の有り様以前に、 その意識の形成のされかたが問題としてある。 そして、 その対象の有り様を決定付け、 ひとの意識のあり方を育むのは「風土」である。 「風土」は、 その土地の気候や地形などの自然条件に加えて、 文化や教育、 伝統、 慣習といった民族の社会的背景に大きく関わって形成される。 自然がひとに影響を与えた結果として、 あるいはひとが自然に働きかけた結果として、 「風土」は刻々と変化する。 このようなひとと自然の終わらない循環の有り様そのものが「風土」ではないだろうか。 そして、 「風景」は「風土」をある瞬間に切り取り、 抽出したイメージだといえよう。 あるいは「風景」とは、 「風土」のある状態を意識がとらえ、 翻訳し編集した姿なのだ。 そこには、 微妙なずれや時差があり、 写真が必ずしも現実の姿を映さないのに似て、 「風景」は「風土」そのままの絵姿とは必ずしもならないのだが、 ここでは、 まず「風土」があり、 「風景」がたちあらわれるということを確認したい。
では、 その「風景」のもととなる「風土」を、 実際のプロジェクトのなかで、 どのように扱えばいいのだろうか。 「風土」が、 自然とひとの終わらない連鎖によって形成されるものだとすると、 我々に可能なのは、 その連鎖の一過程に、 一石を投じることだけだ。 それによって、 どのようにその連鎖が変化するかを、 方向付けることはできたとしても、 完全にコントロールすることはできない。 また、 そのように自然とひとの関係が連歌のように連なり、 「風土」の循環が機能している状態を、 「風土」が「生きている」状態ととらえると、 「風土」の連鎖が断ち切られ、 その循環が停止しているような状態は、 「風土」が「死んだ」状態であるといえる。 敷地の全てを一律に造成し、 地域性を鑑みず、 紙面の経済効率からプログラムがたてられたようなバブル期の開発のあり方は、 連鎖を断ち切るという意味において、 後者に属するものだったといえよう。 一方、 誤解を恐れずにいえば、 やみくもに保全を唱えるのも、 状態を硬直させ循環を停止させるという意味においては、 同様の事態をひきおこしかねない危険性をはらむ(極論をいえば、 環境保全の問題は、 我々を含めた生命体の生息地をまもるという最終的な意図があるにもかかわらず、 究極の解決は我々が死滅することだという矛盾につきあたる)。 このような両極の「死んだ」状態に陥った「風土」から生まれる「風景」には、 それを支えるリアリティがない。 そのため、 このような開発地(あるいは保全地)を含む周辺の地域は、 長い時間の果てには機能不全に陥るという事態に、 往々にして至るようだ。
このような事態をなるべく回避し、 「風土」の循環を保ち「生きた」状態を継続するための潤滑油や刺激剤として、 我々の仕事があるように思う。 過去の記述から学びながらも、 安易にノスタルジックなイメージ(それは編集された記憶であり、 もはや現在の問題を解決はしない)や他所の成功事例(それは特定のコンテキストにおいて成立していたものであり、 汎用性があるとは限らない)にとらわれることなく、 どのように現在進行形の「風土」を未来へ送りだしていけるか、 それこそが「風景」を操作する「ランドスケープ」デザインの課題であると思う。 そして、 その結果としてどのような「風景」の姿があぶりだされるのかは、 おのずと答えがでてくるものであろう。
セッションから
生きた「風土」からうまれる「風景」へ
S2 Landscape Design and Planning 杉浦 榮
杉浦 榮 すぎうらさかえ。
1965年、 大阪生まれ。 関西大学社会学部で環境認知を専攻。 ハーバード大学大学院、 ランドスケープアーキテクチァー修士、 および同大学大学院、 都市計画修士を修了。 ササキエンバイロメントデザインオフィス(SEDO)所属を経て、 S2 Landscape Design and Planning 代表、 中国浙江大学客員講師。 主な作品に、 関ロジスティクスセンター、 S高齢者施設、 マークス代沢、 など。
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