1966年、 新宿西口広場が誕生した。 この広場ではベ平連などのフォーク集会が開かれ、 座り込みなどの行動もあった。 広場として生まれたこの空間は、 活動を制限しようとする管理者の考えによって、 1969年7月、 「地下通路」となった。
1996年、 OCATビルが開業した。 法的には道路である空間が、 工夫によって、 ポンテ広場となった。 事業者の工夫で大きな鏡が設けられ、 ダンスをする若者の関心を集めている。
ワイワイガヤガヤ
広場はファッションか?
□新宿西口広場(左の写真)
□ポンテ広場(右の写真)
「広場」を「通路」と書きかえるだけで、 その性質が変貌してしまう脆さはある。 しかし、 広場が確固とした市民権を持つのはそう遠くないと思うがどうだろうか。
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