これはモードかファッションか
左三角
前に 上三角目次へ 三角印次へ

 

カラダ・アタマ

多数としてのモード

 

  街の写真を眺めているとき、 そこに人や自動車が写っていれば、 そのスタイルからおおよそ何時ごろの写真か推定することができる。 服飾や自動車のデザインは、 建築などに比べればはるかに短いサイクルで変わるから、 街の景色の中で最も“ファッショナブル”な領域を占めているということができるだろう。 しかし、 写っているものが馬車か、 自転車か、 自動車かという“文明的”視点で見るならば、 自動車は紛れも無い“モード”ということができる。 建築においても、 “工業化”以前と以後とでは、 “モード”が異なるということができる。 工業化はあらゆる分野で、 大量生産、 大量消費、 (そして大量廃棄)という20世紀型のモードを生み出した。 その中で「計画的陳腐化政策」により、 おびただしい“ファッション”が生み出されてきた。

 しかし、 こうしたファッションを取り入れることに「積極的要因」と「消極的要因」があるということに着目しておく必要がある。 つまり、 ある“流行”のものを“自分もほしい”といって取り入れる場合のほかに、 “それしか選択肢が無い”ということで“やむを得ず”取り入れるという、 ほとんど不可避的に“マジョリティー”に止まるというケースが少なからずあるはずである。 工業化が様々な分野に浸透する過程で、 こうした「消極的選択」の裾野を広げてきたといえる。 今日、 われわれの都市には様々なデザインが氾濫しているようにも思えるが、 視点をちょっと変えてみれば、 まったく同じような“モード”のデザインで埋め尽くされている、 ということが分かる。 例えば、 今建築を建てる場合に“時流から外れた”素材や工法を取り入れようとすれば、 莫大なコストを要する、 ということは珍しくない。 さらに工業化の影響は、 上物としての建築に止まらず、 本来自然物である建築基盤としての敷地もそれに合わせて画一的に加工され風景の画一化をもたらす。 経済的理由で結果的に“時流”のデザインを取り入れなければならない、 というケースが“流行”のかなりの部分を占めているのではないか、 と推測される。 自動車を選ぶにしても、 全ての人が“デザインの良し悪し”だけで決めているわけではない。 当然コストというファクターが大きく働いてくる。 結果的にどの分野でもコストの低いものが“マジョリティー”を形成することになる。

 「デザインの流行」が素材、 工法のマーケットを支配するという見方もあるが、 事はそう簡単ではない。 例えば、 「インターナショナル・スタイル」の建築の流行を、 “モダンデザインの勝利”と見るか、 “鉄とセメントとガラス資本の勝利”と見るかの違い、 すなわちデザインがマーケットを拓いたのか、 資本がデザインを育てたのか、 という見方の違いがある。

上野 泰(ウエノデザイン)

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ


このページへのご意見はJUDI

(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai

JUDIホームページへ
学芸出版社ホームページへ