これはモードかファッションか
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カラダ・アタマ

大きなうねりと小さな波

 

 ル・コルビュジェは1929年のモスクワの「セントロソユース」において、 当時のソヴィエトの工業水準を無視してガラス壁面を造るのに苦労した。 その“時流から外れた”手法は直ちにソヴィエト建築社会に受け入れられることはなかった。 当時としては、 手工業的な「社会主義リアリズム」の方が、 ソヴィエトの素材、 工法の環境に適っていたということができる。 こうした“社会基盤条件によるモードの決定”という側面を見逃すと、 都市デザインにおけるファッションとモードという問題が見え難くなってしまう。

 “マジョリティー”に止まる、 という選択は前述のようなマーケット支配による“選択不可能性”の他に、 おそらくいろいろな“動機”があろうが、 “リスクを回避する”ためにマジョリティーに止まる、 というケースも少なくないであろうし、 また明白なリスクとはいえなくても“より多数派に属していれば安心”という心理も働く。 よくセールスで“これが今一番売れています”という売り方は、 まさにこの心理をついたものといえる。

 一方、 造る側、 売る側にも同じような状況がある。 かつてポルシェが928や924といった「フロントエンジンカー」を売り出したとき、 自動車の安全性が問題になっていた当時の状況を踏まえ、 操縦性に難がある「リアエンジンカー」のみに特化するリスク(マーケットからのリアエンジンカーの締め出し等の)を回避するべく、 当時のポルシェ首脳は「フロントエンジンカー」というマジョリティーに止まる、 という説明をしている。 このような“ふるまい”は、 えてして同じような製品を生み出し、 結果的に選択肢の少ない社会を生み出すことになるものと考えることができる。 さらに、 このマジョリティー/マイノリティーという“社会的力関係”が固定化するとき、 支配的モードとしての“スタンダード“が生み出され、 マイノリティーはますます“マイノリティー化”して行くことになる。 今日の「グローバル・スタンダード」、 「グローバリゼーション」とはまさにこのような力によるモードの支配に他ならない。 われわれがこうしたマジョリティー=勝者のモードから抜け出ることは、 そう簡単なことではない。 マジョリティーとしてのモードという視点から見れば、 “ファッション”とは、 モードという大きなうねりの表面にできた、 小さな波と見ることができる。 またそれにより、 画一化のうねりの中で、 積極的評価にせよ消極的評価にせよ、 個別的要求に向き合うというファッションの担っている役割を明確にすることができるだろう。

上野 泰(ウエノデザイン)

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