カラダ・アタマこれはファッションか? |
モダニズム歴史の中で「身体的モード」は“記号”として負の記号性を負わされてきたといえる。 われわれは、 この「身体的モード」を“モード”として、 まだ十分に理解していないし、 「身体的モード」と「頭脳的モード」のダイナミズムに関わる、 都市の“ふるまい”についても理解していないといえる。 一方、 「頭脳的モード」は本当に一元的でしかありえないのか、 多様性、 動態性を包含できないのか、 という問いもある。 大変に難しい問題であるが、 おそらくそれは“ありえない”のではないかと思われる。 また「頭脳的モード」が「身体的モード」を“装う”ことができるか(制御された“非秩序”は可能か)、 という問題もあるが、 それはまた別の問題になる。 「頭脳的モード」の恣意的な表層的「百面相」は、 それが一つの意志に基づき、 “選択可能”である限り “ファッション”といえるのだろう。
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