何故、和歌山かについては後述するが、今回のフォーラムは自身が外歩きが好きなこともあって、地方の風景の美しいところでと考えた。
とにかくみんなで都市を離れ、心身共に外に出て、参加者が同じ場所で時間と空間を共有し、地域や地元の人々との対話と交流を通して、協働・参画のワークショップ型で楽しみながら発見する喜びと可能性を探りたいと考えた。
1995年1月17日早朝の阪神・淡路大震災から早10年が過ぎた。
都市・建築の崩壊を現実のものとして受け止めた我々は、教訓から地域コミュニティの大切さと合せて、災害に強いアイデンティティのある安全で美しい健康的な街づくりと住まいが求められた。
特にその後、市民や地域住民が自ら参画、提言し、協働でつくるワークショップの街づくりが推進され、現在も様々に課題を抱えながらも一定の評価を得て、各地でも積極的に行われている。
今回は場所を地方都市に移し、和歌山・熊野をテーマとして地元と対話・交流を図り、話題や歴史背景の提供を得ながら、可能性を探り、発見し、提言する手法でフォーラムを展開したいと考えた。
和歌山の中核都市である田辺の街づくりとそこに連鎖する熊野の地域風景や生活文化を体感することで、都市では計り知れない心身共有の真価に出会うことを期待した。
JR大阪天王寺から田辺市へ、そこからバスで中辺路町へ、無償でもらった木の杖で中辺路口から山地霊場を約15キロ歩いた。
急峻で起伏の激しい尾根や谷筋の幅の狭い参詣道には杉の木立が無限に広がり、木漏れ日の光と陰が疲れた心身を癒してくれる。
頭から足の先まで身体中を汗が滝のように流れ、心身は乾燥した老木のようで今にも倒れてしまうのではないかと思うほど汗となって水分が放出される。瞬時、言葉では表現できない「精気が抜けた無の極致と霊気」のような世界を体感した。真っ白な世界と妙な心地良さを感受し、癒された時間と空間は数年を経た今も忘れることができない。
また下山して一気に飲み干した時の大ジョッキの生ビールは私にとって今も最高の味として残り、至福の体験であった。
このことが体験フォーラムの場として、和歌山・熊野の風土・風景を選んだひとつの理由である。
自然崇拝を起源とする熊野三山(熊野本宮・連玉神社・那智大社)と空海が開いた高野山・山岳修行の拠点である吉野・大峯の三霊場とこれらを結ぶ熊野古道や大峯奥駈道・高野山町石道で構成されている。
文化財保護法による国宝や重要文化財、史跡指定のコアゾーンと、環境保護のための緩衝地であるバッファゾーンを含めて11,865ヘクタールに及ぶ「道の世界文化遺産」はスペインとフランスにまたがる「サンティアゴ・デ・コンポステラ」の巡礼路に次ぐ2番目の登録となる。
熊野は中国の「風水思想」によって造営された平城京・平安京など日の国、日本の都市文化を創造、形成した「大地の霊気が連鎖する日本の生命線軸」の最南端に位置する。
さらに東南アジアから南の黒潮にのった神々やもの、人々、技術が伝達され、熊野の人々と交わり、融和され、独自の風土・生活・文化の景観を創出し、今日にある。
様々な専門家が参加するJUDIの集団として歴史的な神話の国の都市創造の源泉にある熊野の地に参加し、自らの心・精神性・身体性に刺激を与え、癒しの時間に触れてみようと考えた。
通常の仕事を越えて新たな地域文化・生活・人と出会い・既存のまちづくり・再生を問い、霊が宿る熊野の景観風景に向き合い発見し、可能性を探り、創出を試みることにした。
京都の下鳥羽から船で淀川を下り、大阪八軒家浜で下船し、第一の窯津の王子から、上町台地、住吉大社、堺から泉州を経て、紀の川を渡り、和歌山・紀伊路を田辺へ、そこから中辺路(山野辺)、大辺路(海路)の300数十キロを経て、熊野三山霊場巡りを回遊した。
この街道の中起点となる、孤高の科学者「南方熊楠」を生んだ田辺市を中心に周辺4ヶ所の農村集落、里山や霊山、王子や木霊の林間風景の地など独自性のある場所をフィールドに設定した。
5つのグループがそれぞれに地元の人々との交流・対話を図り、語り部さんからは歴史的背景などを見聞し、話題提供を受け、フィールドワークから発見を試みた。
城下街の面影を残した田辺の街中の商店街を熊野街道が東西に延びる。が、面影は道標程度である。
海に面して景観の保全運動の先駆けとなるナショナルトラストで知られる「天神崎の森」が特異な海景をみせるが、街との連続性はない。街から郊外へ熊野街道に連続する農村集落や里山風景の再創出への可能性を探りながらワークショップで提言した。
5つのグループにはJUDIのメンバーから2人のファシリテーターが参加し、地元の語り部さんや会員外の参加者も含め、2日間に渡って協働・参加のフォーラムが闘鶏神社に場を借りて展開された。
それぞれに意欲的に独自色のあるアイデアや創案が展開された。
多様な批評と評価・課題があったが、JUDIの都市デザイン系の専門家集団にとって、自然を体感し、地域の人々と直接対話し、美しい風土・風景のなかで心身を癒し、それぞれに何かを学ぶ貴重な体験であったと考える。
世界遺産認定によって和歌山大学では観光学部の設置が検討されていると見聞した。
自然との共生と再生・環境の保全と創出に向けて、街道の景観や施設整備が国や県の力をかりて各自治体で既に検討されている。
三県にまたがる広域で三山霊場が信仰の聖地となっている「文化的景観」を、観光産業の活性化への起爆剤として期待する地元との関係性をどう調和させていくのか。むしろ世界遺産に登録されたことで景観保全と活動の厳格な管理・運営は地域の人々の生活に大きな犠牲を強いることにもなり、課題は山積している。
その後、JUDI会員からも「文化遺産熊野」と「人々との出会い」を大切にして、具体的なかたちは見えていないが風土・景観との関わりを継続して行きたいという声も出ている。
私もその一人で、都市に疲れた時の癒しの場としてとどまるのかも知れないが、生命の地「熊野の木の霊」に時々、出会えたら、と思っている。
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