歴史と向き合う街とは 癒しの風景とは
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参考:千年をめぐるコメント

 

熊野古道の千年を見せる

武庫川女子大学 角野幸博

 熊野古道の活性化とか、 魅力を現在に活かしていくという話をするときに、 熊野古道には平安時代から中世、 近世と時代を経て、 違う時代の痕跡があるはずです。 それぞれの集落は、 中世の集落の大きさとか活動、 近世の集落の大きさと活動、 そして明治のそれと違っていると思います。 詳しくは知らないのですが、 そういう痕跡を踏まえて現在、 あるいは未来のまちづくりをどうするかを考えなければいけないのではないでしょうか。 歴史的変化をきちんと押さえて、 そのうえで今どうするんだということを考えるべきだと思います。

 観光客にとっての熊野古道は、 やはり平安末期とか中世のイメージなんでしょう。 近世はどうだったのか、 近代はどうだったのかというあたりに何かヒントはないのでしょうか。 石垣や石畳をみても、 いろんな時代のものがありそうです。 それらを通して見せてあげるなど、 千年分ちゃんと商品化できないかという気がしています。


大観光の流れと小さな地元

和歌山大学環境システム学科 神吉紀世子

 角野先生から熊野の千年をどう見せるかというご意見がありましたが、 熊野古道そのものが今までなんとか残ってきたことが千年を表しています。 勝手に残ったわけではありません。 過疎で大変な時期もありましたし、 植林で破壊された時期もありました。 その中で60年代、 70年代から精神的支柱みたいな方々が頑張ってこられ、 熊野古道や周辺の景観を守ってきたのです。 近露にある大庄屋の屋敷は地域の杉中校長先生のご生家で、 ご主人が自分で残しておられるんです。 そういう蓄積が今の状態なんです。 ですから、 今ある姿がすでに「千年」なんです。

 世界遺産になったということは「よし、 この姿を千年後も残すぞ」ということで、 地元にもそれに気づいている人は沢山います。 しかし、 そういう人こそ、 はしゃがないし、 派手なことはしていないようです。

 しかし、 この問題が難しいと思うのは、 突然メディアにのるわけですから、 外野が動き出してしまうことです。 例えば、 JTBや近畿ツーリストなどの大手旅行会社が動くのですが、 それは地元の人にはコントロールがきかないことなのです。 世界遺産が日本のどこかで指定されるたびに起きてしまう大騒ぎにこそ、 専門家集団や地元行政がコントロールできないのかと思ってしまいます。

 地元の人が風景や伝統の良さに気づいてないという指摘は、 やはり背景に過疎の問題があるからだと思います。 地域に体力がないと、 そう簡単には動けません。 地域にとって一番大事なことは、 若い人が就職できる状況が戻ってくることです。 今は自信を持ってふるさとが好きだと言える人がいっぱいいるのですが、 実際問題としては就職が大変で、 世代の偏りを乗り越えるのがしんどいのです。 昔に比べたら、 大分ましになったと思うのですが。

 ですから、 地元での就職口の一部として「サステイナブルな観光」を考えているのが今の現状です。 ただ、 大資本が回りからどっとやってくるのも、 「それを受け止めるか」ぐらいの感じじゃないかなと私は思っています。

 世界遺産に指定される前後から「白川村はこうだった」と言われ始めて、 みんなでおそれをなしていたところもあるのです。 それでも観光バスが列をなしてやってくるわけですから。 ここだけじゃなく、 日本全体の観光産業の問題として修正できないかなと思います。

 地元としては今まで通り地道にやっていくしかないので、 農業で頑張る、 あるいは林業、 漁業で頑張るしかないと思います。 都市からのお手伝いとしては、 そこが切り口ではないかと私はここ数ヶ月の騒ぎを見て感じました。

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