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デザイナーに望まれる姿勢

大阪大学 鳴海邦碩

   

芭蕉に見る芸の姿勢とデザイン

不易流行
 嵐山光三郎著の『悪党芭蕉』という本がある。この本は芭蕉の句作の姿勢を通じて、「不易流行」について論じたものであり、この論を参考にしながら、デザインについて考えてみたい。

 不易とは永遠に変わらない原理で善であり、流行は刻々と変化していくことで悪であるという風に一般に捉えられている。この不易と流行は、環境のデザインを考える上で、重要な意味合いをもっていると考える。

文芸家(芸術家)としての葛藤
 この本では、「不易流行」について述べながら、芭蕉の本心は「不易」ではなく「流行」の方にあったとしている。流行こそが俳諧の味わいの命であって、不易は付け足しに過ぎなかったのではないか、という認識である。つまり、文芸家(これは芸術家といってもよいのだが)は、不易と流行の間でいつも葛藤しているのではないか、と論じているのである。

 俳諧は不易(=善)と思われがちだが、不易つまり悟ってしまうと文芸家は成り立たない。芸術家はいつまでも流行の側に身を置いている必要があるという理屈である。不易=永遠に変わらない原理に芸術家が到達してしまうと、もう作品は作らなくても
いいということになってしまうからである。

 芭蕉はこのよう矛盾をアウフヘーベンして不易流行を説いたのだが、本心は流行(=刻々と変化していく側)にあったのではないかというのが、嵐山氏の推論である。そこに創作家の姿勢の難しい面が潜んでいると思う。

「軽み(かろみ)」のねらい
 芭蕉は晩年には、俳諧における「軽み」を主張した。軽みは「率直な自然観賞による平明な読み」だとされている。軽みの対極にあるのが「重い句」で、古典的な短歌のように花鳥風月に託していろいろと脚色した派手な俳句のことである。

 派手であでやかなものを良しとする世界なら、俳諧はどうしても短歌の下位に位置することになってしまう。だからこそ芭蕉は「高く心を悟って俗に還る」必要があったわけだ。侘び・寂びの世界である。こうして、「甘みを抜け」とか「軽みの句を書け」と
芭蕉は主張するようになった。

「軽み」では人を呼べない
 このように芭蕉は「軽み」を主張しつつ、句集を編んだりした。「奧の細道」を書いた頃は、そうした軽みを表現するためのまっただ中だったようだ。

 ところで、芭蕉は「句が巧い人は人格に欠け、人のよい人は正直だから巧い句が詠めない」と言っている。だから、芭蕉は句と人格の一致を求めて「軽み」にたどり着いたのだが、門弟達には不評であった。「軽みでは芸にならない、人が集まらない」というわけである。

 この頃、俳諧師は、興行師のように人を集めた宴会の中で俳句作りをリードしていく存在であった。「面白い」とか「あでやかだ」という作品が出る所に人は集まってくるのだから、芭蕉の言う平明な「軽み」では人を集めにくいということになる。その結果、門弟の重鎮たちは次々と芭蕉を批判して離れていってしまった。しかし、何百年も経った今になってみると、離反した人たちの俳句は残らず、結果的には芭蕉の句が芸術として世に残った。

高く心を悟って俗に還る
 大衆化社会では、「人を呼べるデザイン」、つまり「集客デザイン」が重要視される傾向にある。それが経済的なメリットにつながるからである。しかし、人を呼ぶことだけが環境デザインの役割ではない。例えば、「人を呼ぶ、賑わいの公園」も必要だが、一
方で、「静かで自然を味わうことのできる公園」も必要である。

 「高く心を悟って俗に還る」、そうした環境デザインが、とりわけ公共空間のデザインに必要なのではないか。先端のデザイナーを目指す者も、時には、芭蕉を読もう。


デザインにおける饒舌なメッセージ・淡白なメッセージ

 環境デザインの役割の一つに、メッセージ性がある。デザインの質はさまざまだが、デザインはまたメッセージでもある。このことに関連し、1990年に名古屋で行われたあるシンポジウムで、アメリカの「サイト」グループのメンバーであるジョシュア・ワインスタイン氏と議論したことが思い出されるので、ここに紹介しておきたい。

喋る建築
 「サイト」グループが提唱した「ナラティブ・アーキテクチャー」「しゃべる建築」と言う概念がある。彼らに言わせると、モダン建築は何も意味を語らない。幾何学的な構成原理でデザインすることが基本で、意味を捨象することに力が注がれる。それに対して、サイトは社会的な考え方や宗教性をデザインでもっと語らなくてはいけないと主張する。例えば写真の「幽霊駐車場」は、車のオブジェが地面にめり込んだようなデザインで、駐車場でありながら「反自動車社会」のメッセージを訴えている。デザインとしてはとても分かりやすいが、メッセージ性は強い。そこに車を停めるのは勇気がいる。

 このように、サイトは、昔は環境はもっとしゃべっていたわけで、「建築はもっとしゃべるべきだ」と主張する。

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幽霊駐車場『A+U』1986年12月号
 
多文化社会における饒舌なメッセージ
 シンポジウムにおけるワインスタイン氏の発表を聞いて、私は、「面白い考えだが、あなた方のデザインはちょっとやりすぎではないか」と意見を述べた。これに対して彼は、「アメリカは多文化国家だから、パブリックメッセージは饒舌でないと伝わらない」と応えた。

 なるほど、多民族社会だから、パブリックメッセージは、言葉が分からなくても文化が違っても、一目で分かるメッセージであることが求められているのか、とその時は納得した。そうした背景があるのか、アメリカでは、言葉ではなく図像による説明が、博物館などでも多いような気がする。

淡白なパブリックメッセージ
 同じやり取りの中で、彼は「日本のデザインは評価するが、日本は均質文化で説明しなくても分かるから、パブリックメッセージは淡泊なのか」と言った。それを受けて、私は、「デザイン感覚の違いがあるわけで、サイトのデザインは日本の環境の中では迷惑だ」とコメントしたことを覚えている。

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立砂 神が降臨する憑代、上賀茂神社(鳴海撮影)
 
国際化・グローバル化の中でのデザイン
 この議論から10数年たった今、日本では今までの淡泊なパブリックメッセージが通じる状況が崩れつつある。一昔前よりデザインが混乱しているような気がする。つまり、国際化、グローバル化が進むなかで、それまでとは違ったデザイン意識が出てきているのである。

 しかし、国際化やグローバル化の中でこそ、地域性が重視されなければならない。そこにデザインの役割が存在していると考える。

     
     鳴海邦碩(なるみ くにひろ)。
     大阪大学大学院教授(工学研究科)。1944年、青森県生まれ。70年京都大学大学院修士課程修了。兵庫県技師、京都大学助手を経て、現職。工学博士。都市計画、都市環境デザインが専門。阪神・淡路大震災後、復興の定点調査を10年間続けた。1988年『アーバン・クライマクスー現象としての生活空間学』(筑摩書房)を中心とした著作活動を対象にサントリー学芸賞を、1989年『景観からのまちづくり』(学芸出版社、共著)によって故奥井復太郎日本都市学会会長記念都市研究奨励賞受賞。近著に『都市のリ・デザイン』(学芸出版社、共著)。日本都市計画学会会長、日本建築学会都市計画委員会委員長を歴任。
 
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