都市観光の新しい形
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まとめ

集客施設ではなく、街の魅力が人を引きつける

大阪大学大学院 鳴海邦碩

 

 

拡大するツーリズム

 1998年に公表された新アテネ憲章では、東西の壁が無くなったことを背景に、グローバルな人口移動とツーリズムの拡大が起きることを重視しており、とりわけ後者に関連して、「レジャーと都市ツーリズムは、EUで急速に発展しつつある活動であり、都市の歴史的遺産はこの現象には欠くことのできない構成要素となる」と述べている。

 実際にヨーロッパにおけるツーリズムは今でもなかなか盛んで、例えばドイツだと、休暇には多くの人が国外に出る。高速道路がつながっているのだから、国外といっても周辺の国々には簡単に移動できる。そうしたなかで、高齢者や小さな子供のいる家族は、国内の田舎などに行って長期滞在をするのだという。ドイツで以前から行なわれている「わが村を美しくする運動」などは、こうした農村リゾートをプロモートする事業である。

 実際にどれくらいの観光客がヨーロッパの都市を訪れているのかのデータが手元にはないが、平成18年版の『観光白書』から、ヨーロッパ諸国の外国人観光客の受入れ数(2004年)をみると以下のようになる。上位から、フランス、スペイン、イタリアで、それぞれの受入れ観光客数は、7512万人、5360万人、3707万人である。

 これらに次いで、イギリス、ドイツ、オーストリア、ウクライナが1500万人を越える。これに対して日本の外国人旅行者受入れ数は614万人(世界で第30位)にすぎない。ヨーロッパ諸国の国境を越えた観光流動の規模の大きさがうかがえる。

 ヨーロッパのみならず、アジア諸国においても、生活水準の向上に伴って、ツーリズムが拡大してきている。北海道では、台湾・中国などの観光客が増加しており、その数は増えていくことが予想される。

 

アジアにおける世界遺産ブーム

 いま、アジアは世界遺産ブームで揺れている。世界遺産指定は一種のグローバリズムである。

 ヨーロッパでは「ヨーロッパ文化首都」というイベントが1985年以降行われている。アジアでも「文化首都」のイベントを行ったら面白いと思うのだが、どうだろうか。しかし、世界遺産に対して世界文化首都はありうるのだろうか。世界とか、人類を標榜するのはたやすいが、それによって、あまりにも多くのことを捨象してしまっているのではないかと思う。世界遺産と位置づけられても、それを育み支えているのは個々の地域であり個々の文化である。このことを抜きに世界遺産を語ることはできない。

 近年、途上国がこの世界遺産指定に大きな関心を寄せている。世界遺産に指定されると、インターネットに登録され、その情報は世界中に発信されることになる。つまり、「あそこに行ってみよう」という観光誘導、それも世界レベルでの観光誘導を引き起こす引き金になる。

 一昨年、世界遺産に指定されて間もないベトナムのハロン湾を訪れる機会があった。確かに島嶼の風景はすばらしいが、驚くばかりの勢いでリゾート開発が進んでいるのである。開発のプランナーやデザイナーは皆先進国の人たちで、集客産業的などこにでもありそうなリゾート開発が目指されているのである。これを推進しているのは地域の知事クラスの人たちだそうで、これは世界遺産に名を借りたリゾート開発ではないかと思ってしまう。地域の人たちがその開発で得ることのできる恩恵は、せいぜいホテルの従業員に雇われるぐらいなのではないだろうか。

 中国のいくつかの都市でも同様のことが生じている。明朝の城壁が完全な形で保存されている平遥の街は不便な土地だからこそ残ったわけだが、世界遺産に指定された途端に観光開発に乗り出した。また蘇洲も指定される前は素晴らしい街だったそうだが、指定されると過剰な整備が進み、今や指定取り消しを受けかねない状況になっていると聞く。

 アジア諸国の都市においても、21世紀はツーリズムの時代になると思う。世界遺産指定が、途上国にとっては、経済発展のチャンスであるのは確かだが、世界遺産の質は明らかに低下するような方向に展開している。それでは元も子もない。

 アジアの都市も捨てがたい魅力をもっている。例えば、インドネシアはオランダの植民地時代に建設された建物を数多く残しており、それはインドネシア都市の魅力の一つになっている。スマトラ島のメダン、ジャワ島のジャカルタ、バンドン、スマランそしてスラバヤ。そうした都市には、とりわけ20世紀初頭に造られた初期モダニズムの建築が多い。これらはかつてのグローバリズムが生み出した都市遺産だが、こうした遺産の価値についてももっと関心を払うべきだと思う。

 

アジア都市の最近のまちづくり動向

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三峡の騎楼をもった伝統的な町家:1988年撮影 壁飾りが剥ぎ取られた騎楼(三峡、ただし左の写真と同一の町家ではない):1999年撮影 修復が進む三峡の町並み:2006年撮影
 
 最近経験したいくつかの現象についてここで述べておきたい。昨年久しぶりに台湾を訪れた。台湾では今、老街ブームである。老街とは、日本で言えば歴史的街並みである。1988年、はじめて台湾を訪れた時、老街の一つである三峡に行った。街並み保存の対象に指定されたそうで、騎楼をもった町家が建ち並ぶ景観はなかなか見事であった。ところが住民たちは保存指定に反対であり、新聞などに報道されていた。この三峡を10年ばかり後にまた訪れた。その時、無残にも町家を飾っていた石の彫刻は剥ぎ取られ、街並みは喪失の危機にさらされていたのである。

 そして昨年、三度目に三峡を訪れたところ、昔の名残を失いつつあった街並みの修復が進められていたのである。台湾では、生活水準の向上に伴って、こうした歴史的な街並みの人気が高まり、休日になると大勢の人々が訪れるようになっているというのである。今や「老街」は大人気で、これまで省みられなかった街並みの再評価、再生が各地で進んでいる。

 そうした老街の先輩格の大渓では、街並み保存の状態もよく観光客で賑っている。住民が話しかけてきたり、街の歴史を書いた書物を見せてくれるのがうれしい。

 もう一つは香港。ある財団の助成研究で香港の老朽化した集合住宅の改修の調査にいって、香港の新しい動きを知ることができた。例の海からみたスペクタクルで有名な香港で、旧市街地の魅力の向上に総合的に取り組んでいるのである。大規模なショッピングモール群だけでは、香港の魅力に限りがある。住民にとっても魅力があり、観光客にとってもショッピングモールとは一味違う魅力の環境を形成したいと、商店街や歴史的な遺産を活用したまちづくりが展開している。

 台湾と香港という限られた事例からではあるが、アジアの魅力アップのまちづくりにも、新たな潮流をうかがうことができる。ソウルの清渓川再生も同じような文脈上に位置づけられるのではないだろうか。集客施設にたよらない魅力づくり、それなくしては、都市の持続的な魅力が形成できないと考える。

     
     鳴海邦碩(なるみくにひろ)
     1944年青森県生まれ。京都大学建築系専攻修士課程修了。兵庫県技師、京都大学助手を経て、現在、大阪大学大学院工学研究科教授。前日本都市計画学会会長。都市計画、都市環境デザインに関する教育・研究に従事。アジア都市研究の成果も多い。編著に『都市のリ・デザイン』『都市デザインの手法』『都市環境デザインの仕事』(以上学芸出版社)など多数。
 
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