鳴海:
JUDIメンバーが復興に深く関わった。それを東京からみると鎌田慧氏のプレイボーイの記事に代表されるように仲良しが談合していると見えるようだ。
金澤:
15年たって、様々な都市計画や事業があったが、現在の評価はどうであるのか?。
佐々木葉二:
私はランドスケープの立場から主に小さな公園をスケッチして回りました。臨時の、仮の宿になっていったプロセスも見てきました。
その結果、身近な小さな公園、そして樹木が防災の役にたっていると確信し、何度もマスコミに話したのですが、かれらはそういうことはネタにならないと言う。
メディアが作り上げている虚構と現実の違いがあった。
今、事業仕分けの対象にされている住都公団もそうだ。
彼等は行政と住民の間にたっていたし、県と市の間にもたっていた。県と市の役人の対立は本当に凄かったが、彼らが間に入ってうまくまとめていった。
そういう大事な役割を果たしたことを知らせないまま、今、そういうことをできる人たちを外していこうとしている。
鳴海:
被災地の環境変化を様ざまに調査したが、ほとんど知られていない。
自立仮設も多かった。そういうものをつくる中心となったメンバーもいた。
メディアは取材に来るけど、ダメ。取り上げない。
悪い方向に攻撃的というか、対立が激しいものを探す・・。
田端:
仮設住宅がどういうものだったか、整理しておく必要がある。その後の災害時に教訓はどう生かされているのか。
また、被災地には大量の住宅や再開発事業が短期間に大量に建設されたが、そういったつくられ方をした住宅地や市街地の質・デザインの特質についての議論について整理できればと思う。
鳴海:
応急仮設については積水ハウスの人に話を聞かせてもらったことがある。
業界が一致団結して大変な苦労をされて供給された。
しかし、今から見るとめちゃくちゃな無駄遣いだった。一部は海外にもっていったと聞いているが、残りはどこに消えたのか?。
西:
震災の時は郊外の仮設住宅建設に携わっていた。
なんで被災地で都市計画事業をやるんだ!といったマスコミの声が多く、被災者救済という目的を理解しないマスコミに、マスコミ不信になった。
被災したとき、西神・北神など郊外にあった病院などの公共施設が役立った、という論調もなかった。
1章「JUDI関西と震災復興」をめぐって
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