山本:
私は、長年千里ニュータウンで活動してきた。見学者の中には、「立地特性などが特殊な千里ニュータウンは再生のモデルにならない」との意見もある。しかし、再生の考え方や手法、多主体の協働などでは学んでもらえる部分が多いと考えている。
集合住宅の建替えが進む一方で、ニュータウンを「文化遺産」として評価しようとの意見もある。そもそも計画的に作られてきた街や住宅が残すべき文化遺産なのか、何をどのように残すのかを議論する必要がある。集合住宅はエレベータがないことが高齢者等の生活にとって致命的だと言われており、また維持管理が十分でないものも多い。このため、集合住宅の多くは、建て替えはやむを得ないと考えている。ただし、都市としての構造、屋外空間、シンボリックな建築物などを積極的に評価して残すことは可能ではないか。千里ニュータウンの空間とともに、これまでの資料を様々な形で保存しようとする「アーカイブス」への関心も高まっている。
計画的につくられた街の特性を活かしつつ、魅力的な都市へ再生することを考えるときに、住み手や行政の責任ある行動が重要だ。社会の変化とともに街の機能にも部分的な変化が求められているにもかかわらず、開発当初のルール(用途など)をそのまま守るべしという主張も依然としてある。集合住宅の建替え(等価交換方式)に際して、経済的負担の少なさを優先するあまり、貧しい街並みが形成されることもある。民活(PFI)による建替えが進められている公営住宅においても、経済性が優先されることによって、同様の傾向が見られる。
千里ニュータウンでは、“再生の姿“が現実になり、まちづくりも第2ステージに入った。これまでの課題対応型から魅力創出型のまちづくりへの転換、高齢者だけでなく子育て層などにも魅力あるまちづくり、まちづくり派だけでなく普通の人が参加できるプログラムづくりが必要との意見がある。
前田:
北ヤードはセミナーでも取り上げたし、コンペなどに参加したメンバーもいるのでは?
確かにJUDIの人もコンペ等に参加していたが、大規模な開発の一つということ。
ことさらに北ヤードを取り上げるつもりはない。
少しは触れても良いけど・・。
高原:
建築設計をやっています。都市のなかでは、いわゆる点をつくっている立場です。
それぞれのプロジェクトでは、建築主、設計者はもちろん、デベロッパー、施工者関わっている全ての人は良い物をつくりたいという熱意は大きい。
私の関わった八軒家プロジェクトでも、大阪府、大阪市、民間企業、地元の方々もふくめ、みんなが良い物をつくろうという同じ方向を向いてきた。
その熱意もっと広い範囲で生かせないだろうか?たとえば大阪全体という視点からみてどうか。こんな大阪にしていくんだというみんなの熱意の方向を引っ張る。
マスタープランがあってほしい。
現状では、北ヤードの開発が成功すると阿倍野の開発がこけるとか?WTCへの移転に賛成か反対かとか言われているが
点でしかない個々のプロジェクトの熱意が、全体として連続することで元気な良い大阪を創って行けるのではないだろうか。
この絵にかいた餅ではない真の意味でもマスタープランを提案していくこともJUDIの役割ではないか。
山崎:
人口が減り、高齢化する。若い人が減り、就業人口が減り、都市計画税などの財源も減る。
郊外に広げすぎたニュータウンを維持できるか?
どこかでうまくゆけば、どこかがぽしゃる。
そういうことが議論されていない。
堀口:
京都の景観については意見書を出してきたが、都市再生特区についてはどうか?
松久:
ニュータウンの問題は世界的な問題で、公団の団地も歯が抜けたかのように人がいなくなっています。近隣センターも客足が減り大変です。そのようなニュータウン内部の問題と同時にランドスケープでは、ニュータウンと周りの里山をどうつなげていくかといった議論をしています。
一方、都市デザインにおけるランドスケープを考えた時、自然を都市の中に取り入れることによって、都市は自然の一部と認識することが特に大切だと思います。最近では風の道構想といった考え方もあります。
アン・スパーンはきれいな水と空気、安心安全が失われると、都市から富裕層が郊外へ逃げ出し、貧困層が都市に取り残されてしまう事態となるだろうと述べています。
2章「都市の開発と再生」をめぐって
どうして一言も言及がないのか?
千葉:
大きな目標があればそれぞれの努力が実を結ぶのではないだろうか?。
限界団地という言葉まで出てきた。
この章で触れられるかどうか分からないが、都市全体に関わる活動や提言、観点が必要。
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