しかし、 宿泊していたユニトピアささやまを当日の午前に出発し、 自然の山々や人々が丹精をこめて耕した田園、 そして伝統的な民家や新しくデザインされた諸施設が混在している丹波の地を見学した後、 ワークショップがはじまったため、 予定は当初から崩れてしまった。
現場を体験して、 現地でワークショップを開催したメリットであろうか。
また、 ワークショップの最初から、 参加者の多くが自然、 環境についての議論に集中したため、 司会者の権限でワークショップの最後まで自然、 環境のテーマのみで議論を続行することとした。
全般を通じて、 自然、 環境、 そして景観に関して、 「都市からの視点」、 「田園からの視点」、 「社会の潮流は如何に」、 「人々のライフスタイルは如何に」などの議論があった。
自然、 景観、 環境が、 今日のようにクローズアップされている背景について、 より詳細な議論、 研究、 理解の場が必要であることが共通の認識であったと思う。
つまり、 田園に住む人々の生活や地域との関係で自然、 景観、 環境に関する多様な規範(パラダイム)を発見、 発掘し、 社会的に位置づけ、 田園地域での計画に結びつけるかについての議論である。
さらに、 自然、 環境に関しては歴史、 自然、 気候、 文化、 生業、 人々の生活などを包含した地域性の思想が重要であることも議論され、 最終的には田園での計画論の必要性が指摘された。
なお、 本文では参加者からの発言の順序は少々前後するが「全体の流れ」、 議論の過程で良く使われた「キーワード」、 特に「地元からの発言」、 参加者がイメージしている「良好な自然、 環境、 景観」および「問題点」というようにまとめた。
そして、 最後に数人の方から提案された「提案」の発言を示した。
自然、 環境に関係して、 「エコロジー」、 「ランドスケープ・エコロジー」、 「エコロジカルな思想」、 「近自然工法」、 「持続可能(サステイナブル)な」などが示され、 計画に関連して「農村(からの視点)」、 「田園」、 「都市(からの視点)」、 「交通」、 「交流」、 「中間領域」、 「地域性」、 「疎住」などがあった。
また、 景観や環境の「維持」、 「維持管理の主体」などに関する言葉も多く使われた。
住居は自然に恵まれた環境の良い田園に置き、 働くために都会へ行ける」旨の発言があった。
都会から田園(丹波)というように一方通行的に考えていたわれわれ(?)にとっては非常に刺激的な意見であった。
都会から田園へ向かっての利便性の向上は、 当然、 逆方向もあり得る。
田園の自然、 環境を考えるうえで基礎的で重要なことを再確認した。
次いで、 切実で現実的な問題として、 (住宅地などの)開発や生活排水などによって「河川水が汚染され、 河川の状況(景観)も昔と比較するとひどくなってきた」、 「かつて生息していた(魚や鳥を中心にした)生物も激減している」旨の現状が話された。
自然と人間との共生である。
……」
」
……」
……」
そこには神を感じる構造がない」、 「つくる公園はめだつ公園である(田園にはにあわない)」、 「生活とのかかわりに(田園風景の)美がある」、 「都市に住んでみて都市住民は、 自然や景観、 風景としての地域的広がりを(田園に)求めるのである。
」などの発言があった。
都市サイドからの見方であるが、 かつてから営々と継続されていた生活の匂いのある田園風景が求められているようである。
また、 参加者から、 「誰かが田園の自然、 環境を維持・管理してくれるのならば田園はよい。
しかし、 都会の人間にとって川掃除や池さらえ(などの管理作業に従事すること)は大変である」との自然、 環境の管理や運営に関する問題が提示された。
これらの問題に関して、 「農林業の健全な経営と継続は、 田園生活と田園景観の成立と維持である」、 「放置すると田園は都市のゴミすて場になってしまう」などの意見があった。
景観、 環境の再生に関して、 「人間にとって見栄えの良い川や池は、 他の生命にとって悪い」、 「緑化といいながら他の場所の緑をはいで持ってきている」、 「在来種と帰化種は(植栽計画などで)どうするのか」、 「現在の景観は近代土木技術によって達成された。
さらなる技術開発で問題は克服できる」、 「金を投入して昔の風景を再生することは不可能である」、 「いまの子供の自然観はどうだろうか」といった、 現在から将来にわたる議論があった。
例えば、 「都市民と地元民、 ニュータウンと既存都市と(対立概念で)とらえていたが、 (これらを媒介する)中間領域のデザイン(論)が欠如していた」、 「地域に支えられた、 地域に学んだデザインが重要である」、 「他の生命も人間と同等である」などの発言があった。
同様に、 「パイの100%の枠内で便利さのみを追求している。
この(結果として生ずる)デザインがよいのか(良いはずはない)」との意見もあった。
便利さ以外の環境性、 自然性などに関する考慮の欠如が指摘された。
極論すると、 「まちにものを創るのはゴミ?」といった過激な発言といえる。
その例として「横断防止柵、 池の安全柵、 ごみ箱、 無用な照明など」が例示された。
これに関して「近代(土木)技術(のさらなる発達、 展開で)で(自然、 環境に関する問題を)克服できる」との意見と「(これまでとは異なり)計画やデザインの新たな考え方や技術が必要である」との対立する意見があり、 白熱した議論となったが結論はもちこした。
ついで、 田園地域で、 「生活の利便性、 CATVなどがシビルミニマムとなりつつある今日、 田園のつくりかたもかわるだろう」との意見があり、 田園地域での自然、 環境づくりに関して「保存、 調和だけでもない」との方向が示唆された。
さらに「人が疎らに住んでいても都市である」との「疎住都市論」が提示された。
その中で、 「よそから来た人のための施設で自分達も楽しむ」、 「農山村も変化する」との理解の上で「都市だけではなく小さなまちの計画手法が必要である。
つまり、 スモールタウン・プランニング(SMALL TOWN PLANNING)」の開発と展開が重要であるとの意見がだされた。
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