その典型がお花見である。
毎年、 春になると、 天気予報で桜前線の様子が伝えられる。
桜の開花は春の盛りのシンボルとなり、 人々はその花と遊ぶ「お花見」を心待ちにする。
それほど「お花見」は日本人の生活に溶け込んでおり、 数世紀も前から続いている伝統的な行楽だ。
花見が最も人気のある行楽となった理由のひとつに、 桜がもっているシンボリズムがある。
サツキ(5月)のサ、 サナエ(早苗)のサ、 サオトメ(早乙女)のサはすべて稲田の神霊を指すと解されており、 クラとは、 古語で、 神霊が依り鎮まる座を意味すると考えられる。
つまり、 サクラは神霊の依る花なのである。
桜の花はその咲くいきおいがすばらしい。
葉が出るに先立って、 生命が吹き出すように咲くことに、 人々が新しい年の新しい息吹を感じたことは想像にかたくない。
花見の起源がかって豊作の予祝行事であった春山入りにある、 という考えもこうした桜がもつシンボリズムの所以である。
花見に代表されるように、 日本人の行楽は人込みのなかに行くことであり、 飲食を伴う場合が多いが、 ヨーロッパの人びとの自然との接し方は少し違う。
わたくしの友人はもう20年もドイツに住んでいる。
彼の話しなのだが、 ドイツの人たちは森の散歩が好きだという。
週末などには、 家族や友人がうちそろって、 森の散歩にでかけていく。
わたくしの友人も何度か散歩にさそわれたのだが、 ただただ話しをしながら歩くのだそうだ。
彼は今に何かがあるに違いないとついていくのだが、 ついに何もないというのである。
ドイツの人びとは森という自然のなかを逍遥することを楽しみとするが、 多くの日本人にとって、 単なる森の散歩は楽しみになりにくい。
日本人の「お花見好き」は衰えそうにないが、 ドイツ的な自然の楽しみ方も、 これからは増えていきそうである。
そうした自然を楽しむ環境は、 どのようなものであろうか。
これはかっては平安京ができたとき、 左京に対して右京がなかなか市街化しないので、 「華やかな平安京のなかにも田舎がある」ということをいったわけである。
やがて、 この「都に鄙あり」という言葉は「都会の中にも田舎のような場所があるのは、 なかなか風流で良いことだ」というように変化してきた。
そうした価値観のなかから、 侘び、 寂びの文化が生まれてきた。
これに対してヨーロッパではギリシアの時代から、 田舎に住むことが理想的なことであるという価値観がある。
なかでもイギリスのエリートたちは田舎に別荘をもつか、 あるいは本拠地を田舎に定め、 そこの環境に親しんで生活することを、 理想的な生活としてきた。
このような農村環境のとらえ方が、 近代の郊外住宅地における自然の取り扱いにも反映している。
西欧の郊外住宅と日本のそれにはどのような違いがあるのだろうか。
同潤会が1920年ごろの世界の各地の住宅地のプランをとりまとめた文献によって、 田園都市あるいは田園郊外の影響を受けていると思われる欧米の郊外住宅地の空間的な特徴を見ることにしよう。
そこにみられる特徴的な点を列記すると次のようになる。
次に、 戦前の日本で行なわれた郊外開発について、 関西を事例に、 いくつかの郊外住宅地の特徴をみることにしよう。
阪急電鉄の開発したものでは、 あるものは「風景絶佳箕面川の流れ(桜井:1911年・明治44年)」を借り、 あるものは「特に衛生設備に意を用い」、 環境的には神社を取り囲んで構成された(池田室町:1912年・明治45年)。
さらに、 千里山住宅地(1922年・大正11年)は「梅、 桃、 みかんの果樹園欝蒼たる松林随所に点在し」とあるように、 農地を借景にしていることを売り物にした。
また大鐵の藤井寺経営地(1929年・昭和4年)は、 広大な教材園に隣接して設けられ、 そこでは大阪市内の児童達が農業の体験学習をしたといわれる。
こうした郊外住宅地ではどのような生活がイメージされたのであろうか。
箕面有馬電気鉄道の創業パンフレット(1910年・明治43年)には、 次のように述べられている。
「晨に後庭の鶏鳴に目覚め、 夕に前栽の虫声を楽しみ、 新しき手造りの野菜を賞味……すべし」。
これらの住宅地は当時の住宅地としては近代的なものであったと思われるが、 以下の点において西欧の田園都市、 田園郊外とは異なっている。
その環境を周辺に依存することが多く、 その結果やがて市街地に取り込まれていくことになった。
こうした特徴から判断すれば、 日本の郊外開発は、 西欧のそれに比べて、 自然の豊かさが少なく、 またその自然も、 自ら確保したものではなく周囲の農地を借景としたものであった。
いってみれば、 「甘え」の郊外開発であったわけである。
それは住宅開発とレクリエーション開発である。
鉄道や自動車道の整備によって、 相当遠方でも、 大都市への通勤が不可能ではなくなってきた。
また、 USAで開発されているような、 「テクノ・シティ」の日本版への関心もある。
「テクノ・シティ」というのは、 ショッピング・モール、 産業パーク、 キャンパス風のオフィス群、 病院、 学校、 ありとあらゆる住宅タイプで構成された、 新しいタイプのニュータウンである。
USAとは同じにはならないにせよ、 例えば、 「自然共生型のニュータウン」が構想されつつある。
もうひとつは、 リゾート開発である。
「ふるさとリゾート」など、 農業や自然との共存を目指した新しい生活空間の形成が叫ばれている一方で、 都会の賑わいがそのまま移動したようなリゾート開発が構想されている。
仮に新しいタイプのニュータウンが開発されるにせよ、 これまでの住宅開発がそうであったような、 「甘えの開発」はゆるされない。
自ら、 自然と共生できる空間の仕組みが、 考え出されなければならない。
また、 都会の賑わいがそのまま移動したようなリゾート開発に問題があるとすれば、 どのようなレクリエーション開発が目指されなければならないのだろうか。
深い自然への理解を前提とした、 「お花見」に代る、 新しい自然の楽しみ方とはいったいどんなものなのだろうか。
今、 農村もまた変りつつある。
都市と農村には環境的な違いは確かにあるが、 人々の生活様式や価値観にはもはや都市も農村も区別がないのではないだろうか。
農村に都市的な生活要素がしだいに浸透することを、 わたしは「見えない都市化」と呼んでいる。
物理的に都市がどんどん広がるのではない、 生活のなかの都市化である。
農業を巡る状況の変化も、 環境に確かに反映してくる。
農村もまた、 新たな方向を模索しているのである。
ジャングルである都市に対して、 農村は極めて整然としていて、 すばらしい環境を構成しているというのである。
こうした整然として、 美しい農村の環境が今、 さまざまな面から危機に頻しているように思う。
農村は今、 かって経験しなかったような変化にさらされている。
新しい農村ないし田園環境のあり方は、 どこに求めることができるのだろうか。
土地利用的な観点から、 自然と人間とがどのように共存すべきかについて考察するうえで、 いくつかの視点を設定することができる。
参考までに、 以下に紹介しておこう。
〈新しく市街地を開発するにあたっては、 その土地自然の均衡を保持した開発をしていくことが求められる。
より危険性の高い土地自然を“埋め込む”のではなく緑地空間として活かしていく「まちづくり」が望まれる。
〉
〈土地は使い込むものである。
都市には都市の、 農村には農村の、 それぞれの使い込み方のよさがある。
このような使い込み方を考えるのが土地利用計画の目的であろう。
〉
〈人為的諸力が都市活動の質・量が大きくなればそれだけ、 それに見合う田園・自然のパートナーが必要である。
〉
こうした関係による存在様態には、 〈意志:ゾレン〉としてのあり方と、 〈存在:ザイン〉としてのあり方がまずあげられよう。
このような区分は明快でわかりやすいが、 現実には、 実態としての、 もしくは進行形としての存在様態がある。
つまり地域における都市的形態のあり方に対応して考えられなければならない。
すなわち、 大都市、 地方中核都市、 地方中小都市、 農山漁村、 それも中心的な地域なのか周辺部なのかによって異なろう。
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