私にとっての土木の一面はそういうものであるし、 そういう意味で土木は都市デザインの重要な対象であると考えている。
土木は、 しかし、 拙文の読者にとってはどのような意味をもっているであろうか。
土木技術者・土木専門家(以後ではまとめて土木技術者という)にとっての土木と、 建築や造園・ランドスケープの分野を技術的立脚点とする都市環境デザイナーにとっての土木とは同じものであろうか。
また、 もしかしてある者にとっては、 土木は、 インフラストラクチュアという物的・機能的存在として都市を支えているものというよりは、 土木的組織、 制度、 技術の総体としての、 都市や地域の環境基盤をつくりあげる「体制」であるようにイメージされているかも知れない。
土木は、 そのように、 対する者の立場によって多様な姿で立ち現れる。
そして、 そういう土木に対し、 都市環境デザイナーあるいは土木技術者や行政マンは、 それぞれに立ち向かっていると思われる。
しかし、 それで果たして土木はうまくいっている言えるのであろうか。
土木が社会や経済に果たしている大きな役割、 そして、 それゆえに背負っている大きな制約については措いておくとして、 筆者は、 「環境づくり」という点で否と言わざるを得ない。
環境的・景観的・文化的観点から見て必ずしも「よい土木」がつくられているわけではないし、 「土木づくり」は必然的にまちづくり、 地域づくりに大きな影響をもたらすにも関わらず、 他分野との連携による総合的な土木づくりがなされているとは言い難いところがあるからである。
土木とは何であるか、 をもう一度捉え直す必要があると思う。
筆者は、 キーワード集にも載せている(『環境の系』)のであるが、 「土木づくり」とは、 『環境の中に土木的手段の展開による「構築の系」を築くことによって「機能の系」「自然の系」「空間の系」「風景の系」を造り上げ、 全体として新たなる「環境の系」を構成すること』であると考えている。
土木的手段とは、 土木技術者が関わって、 組織、 制度、 体制や技術を駆使して、 都市・地域・国土などに関して施してきたあらゆる手立てや方策である。
「構築の系」とは、 それによって築かれた一連の土地や構造物であり、 言い換えると、 物理的な存在としての土木の謂いであって、 力学的に合理であるような、 技術成果物としての物体の系である。
系というのは、 言及する対象が個別の要素として単体的、 単一的に存在するするのではなく、 地域的、 機能的につながりをもった存在様態としてあることを意味する。
機能の系は、 構築系がインフラストラクチュアとして環境や社会に対して果たす「役割」や「働き」の系であって、 土木が合目的的、 実用的な事物として働く側面である。
これには、 構築系の直接の働きだけでなく、 それから派生し連関する機能の全てを含む。
自然系は、 人工である構築系とは対極的な概念のように思われるかも知れないが、 実はその一面である。
つまり、 構築は、 その基盤となる自然(風土、 地形)の上あるいは中になされるわけで、 かたちを変えられた自然、 二次的自然をつくる行為でもある。
ここで言う自然の系とは、 したがって、 構築系の「周り」をも含めた広い意味での系である。
また、 構築が人工でありながら自然の形成を目的とすることもあり得るわけで、 そのような構築系の中身は、 自然系と言うことができよう。
構築系としての土木は、 物理的な存在物として3次元空間内に実存在し、 それ自身が空間を構成する。
この空間とは、 人間の生活や行動にとっての場としての空間、 言い換えれば、 生活空間、 行動空間である。
そして、 この空間の働き(人間的機能)や人間的意味、 現象様態などを問題とする。
これが空間の系である。
この捉え方においては、 空間を建築の場合のように内部的空間とに外部的空間と分ける必要はない。
外的に眺めたときに現れる美的現象については、 風景系に含めて考え、 基本的にはこの空間系を全て内部的空間として捉えればよいからである。
土木のこのような側面を強調することによって、 これまでの土木が機能系としてさほど顧慮することの無かった、 そしてそのことが土木を人間から遠いものに追いやる因になったであろう「人間的な機能・意味」の重視を迫ることになるだろう。
風景系とは、 土木の現象的な存在様態に関わる系である。
土木は、 環境オブジェ的に眺められたり、 土木を含む空間が現象的空間として眺められ、 体験されたり、 土木以外との関係において全一的な環境の眺めである景観として見られたりする。
全ての土木は風景系として捉えられなければならない。
こうした、 諸々の系の総合としての環境の系、 あるいは、 そういう諸々の系が構造として働いているような環境の系、 それをつくるのが土木であるという考え方である。
あるいは、 もう少し別の視点、 すなわち、 語源・語意から土木を眺めてみよう。
「土木」の語は、 春秋時代に著された「国語」に見えるという2)(ただし、 残念ながら原典を未だ入手できず確かめ得ていない)から古い。
「築土構木」から来ているとも言われ、 日野3)もその説をとって、 漢の武帝の時代に著された「淮南子(えなんじ)」に見えるとするが、 もっと古くて何の不思議もない。
しかし、 いずれにせよ「土を築き木を構え」という事物的な事柄を指すためにのみ使われたのではなく、 もっと象徴的な意味あいを含んでいると思われる。
土木工学ハンドブック4)では、 「土」「木」の意味と「五行説」から『「ものごとの中心(=土)」と「ものごとの始まり(=木)」という意味を内在し……土木技術は「人と自然の中心にあり、 最先端の学識を駆使して社会基盤施設を計画、 設計、 建設、 維持管理する技術」と理解でき、 civil engineeringの訳語としての妥当性……』としている。
筆者は、 この説(のアンダーライン部)にある程度同意する。
しかし、 『土木技術が人と自然の中心にあり』という考え方、 すなわち、 土木から技術のみを取り出して、 それが生み出すモノや人(技術者)とは切り離された抽象的存在と考え、 それが人と自然の中心にあるという捉え方には同意しがたい。
「建築」の原義が、 ギリシャまで遡れば「建築家architektonのtechne術)」であることを考えれば、 「土木」とは、 土木技術者の技と術の、 成果物をも含めた総体と考えるべきではないか。
土木の実体的側面、 モノの側面をもっと重視すべきであると思う。
というのは、 上記のように抽象的な技術と捉える考え方は、 土木がモノをその実感や肌触り、 現象において捉えようとしない性癖を反映しており、 そして、 そのことが、 土木がこれまでデザインを軽んじてきたことにつながっているのではないか、 と考えるからである。
結局、 筆者は、 「土木」は人と自然にとっての「前提(はじまり)」であり、 「環境」を成す場、 モノの中心である言いたい。
さらには、 「万物をうみ出す充実した力があるもの」「大地、 人の住む所、 国土」としての「土」、 「生命力にあふれたもの」としての「木」を考慮に入れ、 命あるものである人と自然をうみ出し、 生かし続けるもの(大地、 場所、 国土)として、 「土木」を考えたい。
以上のような視点から土木を眺めたとき、 土木は環境そのものであり、 そのデザインは環境デザインそのものであると言える。
そのとき、 土木に、 そして環境デザインの側に、 問題点、 課題は多い。
デザインそのものをどのようにしていけばよいのか、 デザインと土木づくりの体制をどのように再構築すべきであるのか、 環境デザイナーと土木技術者との「協働」の体制をどのように築いていったらよいのか、 その前にそもそも環境デザイナーと土木との間に「共通語」は存在しているのか、 環境デザイナー側はどのような知識と理念をもち、 どのような協力をすべきであるのか、 等々である。
キーワード集の意図は、 都市環境デザイナーがもっているデザイン・ノウハウを、 わかりやすく、 かつ土木デザインに使い得るかたちでまとめ、 表現し、 土木デザイン関係者に提供して、 土木デザインの質の向上に役立ててもらうところにある。
ノウハウを集めるために、 関西以西の都市環境デザイン会議各ブロック会員に次のように依頼した。
『「土木」がつくり出すのは、 構造物(土構造物や擁壁、 橋梁・高架橋、 トンネル、 河川護岸・水制・ダム・水門・海岸構造物などの水際構造物、 塔・タンク・サイロなど)、 社会基盤となる施設(道路、 河川、 鉄道・軌道、 空港、 港湾、 エネルギー施設、 海岸・海洋、 造成・改良土地、 植生・植栽・造園、 情報・通信施設など)、 空間・環境における社会基盤システム(国土・地域・都市に関わる計画、 運用・制御システムなど)と、 多岐にわたります。
これらのデザインが、 「環境デザイン」と密接に関わり、 環境、 景観の質を基本的なところで決定づけてしまうことは、 皆様が日頃「都市環境デザイン」を考え、 実践する中で、 感じておられることと思います。
そして、 「土木デザイン」に対し、 「こうあれかし」「こうすればよい」「こんなことをするからいけない」といったことをお考えのことと存じます。
それらは、 都市環境デザイン(あるいはデザインそのもの)の立場から得られた土木デザインのノウハウと言えましょう。
それらをわかりやすいかたちで土木デザインの関係者に提供できれば、 貴重な情報として用いられ、 土木デザインの向上に役立ち、 ひいては環境全体の質の向上につながることと存じます』と。
寄せられたノウハウ(キーワード)は、 計90編であった。
編集(章立て)のために、 ノウハウの中身や主題を端的に示すキーワードを整えて(これが無いものが多かったので、 編集担当者が苦労したところである)分類した。
これもそう簡単にはいかず、 どこに入れるか迷うものも多かったが、 ともかくもどれかに分類した上で、 その内容を表すラベルをつけた。
これが章の標題である。
これを眺めると、 期せずして都市環境デザイン会議の会員の土木および土木デザインに対する認識のありよう、 すなわち、 何に着目すべきか、 何をテーマとすべきか、 何を対象とすべきか、 などを示すものとなっていた。
そして、 それらは、 筆者が前節で示した土木に対する考え方を裏付けるものとであるとも言える。
以下に簡単に考察してみよう。
まずは、 「土木のデザイン理念」であるが、 土木デザインに対する全般的あるいは土木デザインの本質的なあり方、 考え方を表すものである。
次に、 土木を取り巻く周辺や土木のあり方を規定する要因と土木との関わりを示すキーワード群を、 土木を取り巻く環境、 土木を規定するもの(条件)の関係における土木という意味をこめて「〜の中の土木」とした。
それらは、 「自然の中の土木」「時間の中の土木」「地域の中の土木」「人の中の土木」「風景の中の土木」である。
これらは、 土木がどのようなもの、 こととの関わりを大切にすべきかについての都市環境デザイナーの視点からの認識を示していると考えられる。
「土木空間の構成」は、 土木(どちらかといえば個々の、 単体としての土木)が他の環境構成要素とどのように関係し、 全体として、 あるまとまりをもった空間あるいは環境を構成すべきか、 その技法を示す。
関係のデザインの重視、 単体としての土木だけでなく、 それを要素とする空間づくり、 環境づくりを重視すべきことを示唆していよう。
これに対して「土木の造形」は、 あるまとまりをもった単体としての土木そのものに着目し、 その造形の理念や考え方、 技法を示すものである。
「土木をつくる素材」は、 空間やかたちに明確な性格を与える素材について述べる。
他に分類されたものでもいくつかが素材に触れており、 この重要性が広く認識されていることがわかる。
具体の土木については、 「河川、 橋、 公園」「道路、 オープンスペース」が見出された。
そこで、 2節以下では、 筆者の考えるデザインの4要素別に筆者の考えるところを示し、 それとともに、 キーワードの各々について、 極めて簡単にではあるがレビューする。
そのためにここでは、 この要素について述べたい。
「デザイン」を「広辞苑」で見ると『意匠計画。
生活に必要な製品を製作するにあたり、 その材質・機能・技術および美的造形性などの諸要素と、 生産・消費面からの各種の要求を検討・調整する総合的造形計画。
』となっている。
要するに、 意匠計画であり、 造形計画である。
ここから、 「計画」についてはひとまず措いておくとして、 「意」「匠」「造」「形」の語を抜き出すと、 このそれぞれがデザインの要素となっている。
これらデザインの4要素を考える上で、 フェノロサが日本絵画の品評ポイントとして挙げた「意匠」「知識」「技量」の三つの概念5)は都合がよく、 デザインを考える上で示唆するところが大きいので、 それらを用いながら説明をしよう。
まず、 「意」は、 「意図」「意向」「意趣」「意想」であり、 フェノロサの言う「意匠」である。
要するに、 「理念」や「コンセプト」である。
ところで、 designという語の芸術に関する意味は、 16世紀イタリア語のdisegnoに生じ、 フランス語を通じて英語に入ったとされる6)。
この語が最初に使われたのはもっと以前に遡るが、 ルネサンス美学の主要概念として、 「意図」「想(イデア)」および「デッサン」、 「構想かつデッサン」を意味した7)。
この「意図」「想(イデア)」「構想」が「意」に相当する。
デザインは、 語源的にも「意」を含んでいるのである。
「匠」は、 フェノロサの言う「知識」に相当し、 造形的工夫、 造形上の技法である。
デザイン・モチーフと言い換えてもよいだろう。
デザイン・ノウハウとして重要な部分と言える。
「形」は、 デザインを「形づくること」であり、 そこにはフェノロサの言う「技量」が必要である。
また、 デザインの結果そのもの、 デザインの結果としての形、 「技量」の成果物をも意味すると考えてよい。
別の言葉で言えば、 前出の「デッサン」である。
「造」は、 そのようなデザインを行う「行為そのもの」、 デザイン全体の「プロセス」、 デザインに関わる組織やシステム、 体制の一切である。
念のため記しておくが、 フェノロサは、 「意匠」「知識」「技量」の一体性、 そしてそれぞれの美の優位性についても述べている8)が、 これらはそのままデザインにも当てはまる。
すなわち、 デザインにおける「意」「匠」「形」は一体で分離できないし、 「意」の美、 「匠」の美、 「形」の美と並べた場合、 それぞれ前者は後者に対して優位性を有する。
この点も示唆するところは大きいと言えよう。