都心居住をめぐって by 鳴海邦碩
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「都心」とはいったいどこを指すのか?

「インナーシティ」と「アウターシティ」

 都心居住というときの都心とはいったいどこを指すのか、 ということははっきりしていません。

そこで、 まず都心とはいったい何だろうかということからお話しいたします。

 皆さんはインナーシティー問題とか、 インナーエリア問題といった言葉を聞いたことがあると思います。

このインナーシティとはいったいどういう地域か考えたことはありますでしょうか。

都心という言葉はインナーシティを日本的に翻訳しているという捉えかたもできるわけです。

そしてインナーシティの反対はアウターシティですから、 大都市圏の中心的な市街地とその外側の市街地というふうに大きく捉えれば良いのではないかと思います。

 このインナーシティ問題が生まれてきた背景には、 ご存知のようにインナーシティから人口がどんどん減っているという認識にあります。

 では反対のアウターシティはいったいどう捉えたらいいかというと、 あまり時間がありませんので独断的に言いますと、 サラリーマン都市だといえると思います。

要するに住まうだけの都市がアウターシティだと思っていただければいいのではないでしょうか。

 皆インナーシティに通勤して働きに来る。

こういうアウターシティと呼ばれる住まうだけの市街地が広大に形成されたのはそう古いことではなく、 むしろ新しい現象です。

 世界中の大都市もこのインナーシティとアウターシティを両方持っています。

わかりやすい見えてくる都市構造だとも言えます。

 ところが大阪に当てはめてこのインナーシティとアウターシティを考えてみますと、 大阪市の全域がこのインナーシティと考えても良いようです。

もちろん厳密な議論をすれば、 大阪市のある部分がインナーシティであるということになりますが、 大阪市全域がインナーシティであって外側が大阪大都市圏のアウターシティであるという大ざっぱな見方でいいのではないかと思います。

 ところが都心居住と言うときに大阪市全域のことを言っているかというと、 そうではありません。

もっと狭い意味で都心と言っているきらいがあります。

「都心」に対する感覚の違い

―イタリア、 ヨーロッパ―
 都心とはいったいどこかと言うとき、 われわれ日本人の感覚とヨーロッパの人の感覚、 あるいはアメリカの人々の感覚とはずいぶん違います。

 たとえば英語で都心を翻訳するとセントラルシティです。

本当の都市の真ん中をイタリアではチェントロチッタと言います。

歴史的に発展してきた都市ではセントラルシティとかチェントロチッタというと、 だいたい歴史的な中心部を指します。

 特にイタリア、 ヨーロッパの中世に生まれた都市でチェントロチッタといえば、 昔の城壁の中を言うわけです。

ですから我々がイタリアに行って、 チェントロチッタに連れていってもらうと、 日本人がもっている都心のイメージとはぜんぜん違うんですね。

歴史的な地区で、 中心となる広場があって、 そういう地区に私たちを連れていってくれるわけです。

「都心」に対する感覚の違い―アメリカ―

 アメリカ流の都心とは何かと言いますと、 シビックセンターです。

アメリカの都市は比較的新しい都市が多いので、 かなり計画的に造ってきています。

そういう意味で市役所とか図書館、 公会堂などが建っているところがアメリカの人々の都心のイメージで、 シビックセンターが都心という意味に近いと思います。

そのシビックセンターの周りに中心的なCBDとも呼ばれる業務地区が広がっています。

この中心業務地区もアメリカ的イメージで言えば都心になるのではないでしょうか。

「都心」に対する感覚の違い―日本―

 大阪で言えば御堂筋の辺りがこのCBDと呼ばれるところですが、 シビックセンターではありません。

大阪市役所はありますが、 もう少し東の方に大阪府庁などの官庁街がまたあるので、 じゃあそちらはいったい何と呼んだらいいのかということもあります。

この歴史的中心地区とかあるいは中心業務地区とかシビックセンターというのは、 我々のイメージする都心とはあまり似合わないのです。

 日本人にとって非常にわかりやすい都心イメージは、 繁華街とか盛り場です。

娯楽の施設が集積する地区で、 多少はオフィスも混じっていることもあるところ、 そういう所を我々は普通都心と考えるのではないでしょうか。

 ヨーロッパの人々の都心あるいはアメリカの人々が言う都心と、 日本人が考えている都心は、 それくらいイメージが違うわけです。

「都心」発生の歴史とその解釈の多層性

 だいたい産業革命が始まる前までに造られていた市街地は、 日本でもヨーロッパでも先程言ったサラリーマン都市ではありません。

自営業や家内工業などが中心であり、 多くの労働者をかかえた大工場やホワイトカラーが働くオフィスビルはありませんでした。

話は少しそれますが、 武家町は一種のサラリーマンの町の原型だと思います。

 そういう近代の産業化が進む前の古い市街地があって、 例えば大阪ですと船場とか島之内があって、 その外側に、 日本で言いますと明治以降に、 いわゆる住商工が混在するマチナカと呼ばれる下町的なエリアがどんどん広がってきたわけです。

 こういう近代初期に拡大してきた市街地は混在地区と呼ばれていました。

大阪でも戦前から都市計画で用途地域を指定していましたが、 古い町を取り囲む比較的いろんな物が混じった地域を指定することができなかったのです。

ですから戦前の都市計画の用途指定地図を見ますと、 江戸時代につくられた市街地を未指定地域がドーナツ状に囲っている感じです。

今は住居地域になっている所もありますが、 主に準工に指定されているのがそういう地域です。

 ですから普通我々が気軽に下町と呼んでいるところは、 古い町の外側をドーナツ状にとり囲んでいるところで、 そこら辺までを都心と呼んだらいいのではないかと思います。

 もちろんまたその外側に昔のサラリーマンが住んだ市街地があるわけですから、 大阪市全体を都心的な地区と呼んでもいいし、 船場、 島之内だけを都心と呼んでもいい。

どれをとってもいいのですが、 今日のテーマである都心居住を考える場合、 都心といってもさまざまであることをまず述べておきたいと思います。

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