第7回都市環境デザイン会議関西
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基調講演

大地が語りかけるもの

―宿る大地とさえぎる大地―

神奈川大学外国語学部教授・民俗学
福田アジオ

1. 開かれた集落

改行マーク日本の集落は周囲を土塁、 石垣、 塀あるいは堀で囲むということが原則としてない。 中世に惣村制が発達した近畿地方平野部において環濠集落と呼ばれる周囲を堀で囲んだ集落がみられる程度である。 環濠集落はしばしば見学の対象になるように、 近畿地方でも多数派ではなく、 珍しい存在である。 日本の集落はその外側を物理的な施設で囲わないことを特色としている。 本来軍事施設から発達したと考えられる城下町でさえ、 城下町の周囲を城壁や堀で囲むということをしない。 これは、 ヨーロッパの都市と大きく異なるばかりか、 同じ東アジアの中国の町とも異なる。 しかも、 この相違は都市だけではなく、 農業集落についても言える。 日本ではどこでも集落の様相を外から窺える。 物理的には閉ざされない開放的な集落景観を形成しているのが日本の集落の特質である。
 日本ではなぜ集落が開放的なのか。 人々はそれを外在的に、 異民族の侵入がなかった島国日本に理由を求めるであろう。 あるいは、 定住性の高い平和な農耕民族であったことが、 外に対する防御施設を設ける考えを発達させなかったと主張する人もいるであろう。 どちらの説も成立しうるが、 しかしもう一つの問題を考えてみなければならない。 すなわち外見は内実を表すということである。 「人は見かけによらない」と言いつつも、 人の姿や形、 あるいは顔つきがその人間の性格や性質あるいは思想や考えと無関係でないことを承認する人は多いであろう。 集落も同様であると考えられる。 集落の周囲に目隠しをせず、 また物理的な防御施設を設けないのは、 その社会の集合的な観念あるいは集合的な記憶を表現している。 それはもちろん侵入してくる外敵がいないことや、 水田稲作に基盤を置く農耕民であったことが深く関係している。 しかし単なる悠久なる昔の記憶に規定されているのではないことは、 今もその景観が再生産されていることからも知ることができる。 集落景観という外見がその社会、 すなわち村落の内部秩序や外への対応を示しているのである。 これは、 近畿地方と関東地方の集落景観の相違を観察すれば了解できる。

改行マーク集落の周囲に物理的施設を設けてその外と区別することは、 集落を自然を完全に支配した人工的居住空間として、 周囲に展開する大地に依存する耕地や山野と全く別の存在として考えることである。 それに対して、 周囲を囲むようなことをしない開放的な集落は、 居住空間と生産空間、 採取空間を断絶させず、 連続性のなかでとらえる観念が基底にあるものと思われる。 大地を人間の必要な限りで編成するというものである。


2. 村落の三つの領域

改行マーク集落は家々が集合し、 その中に生活に必要な様々な共同施設を設け、 全体として日常の生活を送っている空間である。 氏神・鎮守というその社会を守護する神をまつり、 会所・会議所あるいは集会所という集会施設を設け、 消防小屋、 膳椀小屋、 無常小屋、 あるいは出荷場、 精米場などという共同の建物を建て、 火の見櫓、 太鼓櫓、 掲示板などの情報伝達施設を配置している。 伝統的には、 広場という公共空間はないが、 それに相当する機能を果たしてきたのが会所や仏堂の前の空き地であり、 神社や寺院の境内であった。 今では神社も寺院も自ら周囲をブロック塀や石垣で囲い、 閉鎖的な空間になっているが、 神社や寺院にはそれらの施設はなく、 出入り自由な空間であったことは多くの人の記憶にあるはずである。 集落は個別の家や屋敷の集合のみで成立しているのではない。 個別の家・屋敷に加えて多くの共同施設があるところに意味がある。 日本の民俗学の開拓者柳田國男は、 この集落部分のみが本来のムラであったと指摘している。 繰り返しになるが、 ムラは周囲を物理的に囲むということはない。

改行マーク理念的には、 集落の外側に田畑が広がっている。 毎日、 集落から作場道を通って田や畑に出かけて、 生産に従事する。 そこはやはり個別の家の所有に区分されている。 しかし、 田や畑のひとまとまりが一括して所有されていることはまれである。 したがって、 自分の所有する田や畑の周囲に垣根や塀を設置して囲い込んでいる例はほとんどない。 言い換えれば、 日本には農場制はないのである。 田畑、 すなわち耕地もまた開放的である。 各家の所有耕地、 また耕作耕地は各所に散在し、 それぞれの場所では複数の家の耕地が混在しているのが基本的な姿であった。 この特質を分散耕地形状とか零細錯圃制と呼んだ。 田と畑をあわせて民俗的にはノラ(野良)という。 田や畑に作業に行くことをノラに行く、 またその作業をノラ仕事という。 またそのときに着る作業着を野良着という。 あるいは田の畦に座って食べる弁当はノラ弁当という。 したがって、 ムラに対して、 その外側の耕地をノラという言葉で表現してきたことがわかる。 個別的に分割されたノラであるが、 ムラ内の家屋敷ほど私的に支配されていないことは、 様々な慣行によって窺われる。 それに関連して思い出されるのが、 野良犬、 野良猫という表現である。

改行マークノラの外側には樹木が生い茂るヤマ(山)やハラ(原)が展開している。 また海岸地帯であれば、 浜や磯があり、 河川流域であれば河原がある。 これらは人間が1年周期で管理する農業生産の空間ではない。 長い歳月をかけて自然を利用し、 またときには自然を保護して成長させてきた自然の恵みを得る所である。 その行為はいわゆる採取である。 ヤマ、 ハラ、 ハマ、 カワラなどは採取空間と把握できる。 その代表がヤマである。

改行マーク採取空間は私的に分割されている度合いが低い。 典型的には入り会い慣行に示される。 共同で管理し、 様々な共同慣行のもとで各人に必要な樹木や草を伐採し、 あるいは石や砂を採り、 また生き物を捕まえてきた。 この空間は果てしない遠くまでつながっている。 ヤマにはオクヤマがあり、 ハマ、 イソの向うには大海原がある。 それは別の世界であり、 他界である。 ヤマやハラ、 ハマを採取空間としてだけ理解してはならない。 そこは集落からもっとも離れた場所であり、 しかも他界につながる場所である。 人が逃げたり、 隠れたりする空間でもある。 森林は人々を自由にする。 そして、 日常的には遊びの空間でもある。 ヤマやハラあるいはハマで遊ぶことはかつて誰しもが経験したことであった。

改行マーク以上の三つの領域を整理すれば次のようになる。

I ムラ    集落  居住空間
II ノラ    耕地  生産空間
III ヤマ・ハラ 山林  採取空間・籠もり空間

改行マークこれを図にすれば上のような三つの同心円として描けるであろう。


3. 大地と自然、 大地と神

改行マークこの三つの領域は人間が自然の大地を割き取り、 自分たちの生活空間として編成してきた結果であるが、 自然と人間の関係は領域によって異なることが注意される。 中心領域であるムラはもっとも人間の支配の手が入っている。 それに対して外側に行くほど自然が優位に立ち、 人間は自然に依存してそれを活用するとか利用するという立場になる。 しかしいずれにしても人間の関与しない自然は存在しないし、 逆に自然を排除した生活空間は存在しなかった。 集落内の曲がった道は地形に規制されつつ地形を利用して作られ、 直線上の道路よりも人々に暖かみを与えてきた。 自然のように見えるヤマの木々も何回も伐採されるなかで変化してきたものや植林されたものである。 そこに美林という言葉が発生している。 あるがままの自然などは存在しないが、 また完全な人工的生活空間も日本には存在しない。

改行マーク三つの領域は人間と自然の両者のみで成立しているのではない。 そこにはその領域を支配し守る神が存在してきた。 ムラには鎮守・氏神が鎮座して、 集落内の人々の生活を守ってくれる。 それに対して、 ノラにはそれを支配し、 生産を助けてくれる神が想定されてきた。 代表的には田の神である。 また近畿地方にみられる野神もその一つの姿である。 野神は大きな巨木で田と山の境に聳えている。 そして、 ヤマには言うまでもなく山の神がいる。 山の神はヤマで小祠を設けられて祀られ、 その祭祀もある。 領域に対応してそれぞれを管掌する神がいたのであるが、 ムラが集落から耕地や山林原野をも含む存在になるにつれ、 氏神・鎮守の支配権が拡大して、 ノラまで支配するようになり、 田の神は儀礼の場面にのみ登場する存在となった。 山の神は現在なおその存在を誇示しているが、 氏神・鎮守より下位に位置づけられてしまっている。

改行マーク私たちが接する大地が自然そのものではないことを、 領域を支配する神が示している。 人間と自然との関係の中に神が作り出され、 存在し、 その庇護によって暮らしが維持されてきたのである。 しかも神を恐れるが故に自然を征服せず、 自然を利用する、 活用するという発想で対処してきたし、 自然を恐れてきた。 そこには大地に依存する穏やかな関係が形成されていた。 雨上がりの泥んこの道も、 濁った水が勢いよく流れる小川も無意味な存在ではない。


4. 村境の象徴性

改行マーク村落社会がムラ、 ノラ、 ヤマの三つの領域で構成されていることは、 境界がいくつもあることを意味している。 ムラとノラ、 ノラとヤマ、 ヤマとオクヤマあるいは隣接社会との境である。 いずれの境もその境界を物理的な施設で明確に示すことはない。 しかし、 境界が存在しないのではない。 明確に存在している。 殊にムラとノラとの境界は重要な意味を持つ。 村境といえば、 このムラとノラとの境を意味するのが通例である。

改行マーク最初に指摘したように、 日本の集落は周囲を囲わず開放的である。 どこからでも出入り自由な外見をしている。 しかし、 実際には村境が存在し、 そこで外から訪れる危険な存在の侵入を阻止している。 その村境は集落の周辺すべてではなく、 言い換えれば線ではなく、 特定の地点である。 外からの道がいよいよ集落、 すなわちムラに入ろうとする地点に村境は設定される。 したがって、 村境は外からの道の数だけ存在することになる。 一般には2カ所とか3カ所である。 その村境で外からの危険なものの侵入を防ぐために様々な装置が設定されてきた。 大きく分ければ、
 (1)道祖神・地蔵系
    a道祖神
    b地蔵
    cシーサー
 (2)道切り系
    a辻札、
    b勧請吊り、
    c藁蛇、
    d人形
に大別できる。 いずれも呪術的なものであり、 合理主義の立場からは理解に苦しむことであろうが、 今日も各地で行われている。

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新潟県東蒲原郡鹿瀬町夏渡戸
改行マークこれらの装置が村境に設定され、 そこで内外を区別し、 領域を明確にする。 そして外からの危険なものの侵入を防ぎ、 また内部で発生した危険なもの、 穢れたものを外に排除して、 内部を清浄にする自浄作用がみられる。 これは人間にも及ぶ。 危険な人間はかつては村境の外に追放された。 しかし、 村境はムラの領域の末端にあるにもかかわらず、 村の中心として機能する。 村境で人々は歓迎すべき存在を迎え、 また別れを惜しむ存在を見送る。 また阻止したり追放するときも人々は寄り集まる。 したがって、 ムラの内部で屋敷を構えて個別的に暮らしている人々が村境に出てくることで連帯し、 結集するのである。


5. 生活空間の複合性

改行マーク集落はムラと表現されてきた。 そこに人々は個別に屋敷を構えて暮らしてきた。 しかし、 生活が屋敷で完結することは少ない。 これには地方差があるが、 ムラ内に多くの共同の施設、 装置をもち、 村境では内外の区別を明確にして、 内部を安全で便利な安心できる世界にして暮らしている。 そして、 その外側に生産の空間、 採取の空間を配置して、 日々その間を往復しつつ生活してきた。 領域として分けて、 それぞれの意味を区別し、 自然とのかかわりにも程度の差を付け、 自然との相違を有効に活用して暮らしてきたと言える。

改行マーク特定の土地利用に特化した形での生活空間は人々の生活に潤いをもたらさず、 飽きがくる環境となる。 大地の様々な利用方式、 すなわち様々な程度の自然との関係を組み合わせることが暮らしを豊かにしてきた。 完全に囲い込んで、 その中で支配した自然を再現するのではなく、 開かれた景観を形成し、 程度の異なる自然との関係を生活の中に取り込む工夫が日本人の大地とのつきあい方だと言えよう。 借景の思想である。

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