集落の周囲に物理的施設を設けてその外と区別することは、 集落を自然を完全に支配した人工的居住空間として、 周囲に展開する大地に依存する耕地や山野と全く別の存在として考えることである。 それに対して、 周囲を囲むようなことをしない開放的な集落は、 居住空間と生産空間、 採取空間を断絶させず、 連続性のなかでとらえる観念が基底にあるものと思われる。 大地を人間の必要な限りで編成するというものである。
理念的には、 集落の外側に田畑が広がっている。 毎日、 集落から作場道を通って田や畑に出かけて、 生産に従事する。 そこはやはり個別の家の所有に区分されている。 しかし、 田や畑のひとまとまりが一括して所有されていることはまれである。 したがって、 自分の所有する田や畑の周囲に垣根や塀を設置して囲い込んでいる例はほとんどない。 言い換えれば、 日本には農場制はないのである。 田畑、 すなわち耕地もまた開放的である。 各家の所有耕地、 また耕作耕地は各所に散在し、 それぞれの場所では複数の家の耕地が混在しているのが基本的な姿であった。 この特質を分散耕地形状とか零細錯圃制と呼んだ。 田と畑をあわせて民俗的にはノラ(野良)という。 田や畑に作業に行くことをノラに行く、 またその作業をノラ仕事という。 またそのときに着る作業着を野良着という。 あるいは田の畦に座って食べる弁当はノラ弁当という。 したがって、 ムラに対して、 その外側の耕地をノラという言葉で表現してきたことがわかる。 個別的に分割されたノラであるが、 ムラ内の家屋敷ほど私的に支配されていないことは、 様々な慣行によって窺われる。 それに関連して思い出されるのが、 野良犬、 野良猫という表現である。
ノラの外側には樹木が生い茂るヤマ(山)やハラ(原)が展開している。 また海岸地帯であれば、 浜や磯があり、 河川流域であれば河原がある。 これらは人間が1年周期で管理する農業生産の空間ではない。 長い歳月をかけて自然を利用し、 またときには自然を保護して成長させてきた自然の恵みを得る所である。 その行為はいわゆる採取である。 ヤマ、 ハラ、 ハマ、 カワラなどは採取空間と把握できる。 その代表がヤマである。
採取空間は私的に分割されている度合いが低い。 典型的には入り会い慣行に示される。 共同で管理し、 様々な共同慣行のもとで各人に必要な樹木や草を伐採し、 あるいは石や砂を採り、 また生き物を捕まえてきた。 この空間は果てしない遠くまでつながっている。 ヤマにはオクヤマがあり、 ハマ、 イソの向うには大海原がある。 それは別の世界であり、 他界である。 ヤマやハラ、 ハマを採取空間としてだけ理解してはならない。 そこは集落からもっとも離れた場所であり、 しかも他界につながる場所である。 人が逃げたり、 隠れたりする空間でもある。 森林は人々を自由にする。 そして、 日常的には遊びの空間でもある。 ヤマやハラあるいはハマで遊ぶことはかつて誰しもが経験したことであった。
以上の三つの領域を整理すれば次のようになる。
I ムラ 集落 居住空間
三つの領域は人間と自然の両者のみで成立しているのではない。 そこにはその領域を支配し守る神が存在してきた。 ムラには鎮守・氏神が鎮座して、 集落内の人々の生活を守ってくれる。 それに対して、 ノラにはそれを支配し、 生産を助けてくれる神が想定されてきた。 代表的には田の神である。 また近畿地方にみられる野神もその一つの姿である。 野神は大きな巨木で田と山の境に聳えている。 そして、 ヤマには言うまでもなく山の神がいる。 山の神はヤマで小祠を設けられて祀られ、 その祭祀もある。 領域に対応してそれぞれを管掌する神がいたのであるが、 ムラが集落から耕地や山林原野をも含む存在になるにつれ、 氏神・鎮守の支配権が拡大して、 ノラまで支配するようになり、 田の神は儀礼の場面にのみ登場する存在となった。 山の神は現在なおその存在を誇示しているが、 氏神・鎮守より下位に位置づけられてしまっている。
私たちが接する大地が自然そのものではないことを、 領域を支配する神が示している。 人間と自然との関係の中に神が作り出され、 存在し、 その庇護によって暮らしが維持されてきたのである。 しかも神を恐れるが故に自然を征服せず、 自然を利用する、 活用するという発想で対処してきたし、 自然を恐れてきた。 そこには大地に依存する穏やかな関係が形成されていた。 雨上がりの泥んこの道も、 濁った水が勢いよく流れる小川も無意味な存在ではない。
基調講演
大地が語りかけるもの
―宿る大地とさえぎる大地―
神奈川大学外国語学部教授・民俗学
福田アジオ1. 開かれた集落
日本ではなぜ集落が開放的なのか。 人々はそれを外在的に、 異民族の侵入がなかった島国日本に理由を求めるであろう。 あるいは、 定住性の高い平和な農耕民族であったことが、 外に対する防御施設を設ける考えを発達させなかったと主張する人もいるであろう。 どちらの説も成立しうるが、 しかしもう一つの問題を考えてみなければならない。 すなわち外見は内実を表すということである。 「人は見かけによらない」と言いつつも、 人の姿や形、 あるいは顔つきがその人間の性格や性質あるいは思想や考えと無関係でないことを承認する人は多いであろう。 集落も同様であると考えられる。 集落の周囲に目隠しをせず、 また物理的な防御施設を設けないのは、 その社会の集合的な観念あるいは集合的な記憶を表現している。 それはもちろん侵入してくる外敵がいないことや、 水田稲作に基盤を置く農耕民であったことが深く関係している。 しかし単なる悠久なる昔の記憶に規定されているのではないことは、 今もその景観が再生産されていることからも知ることができる。 集落景観という外見がその社会、 すなわち村落の内部秩序や外への対応を示しているのである。 これは、 近畿地方と関東地方の集落景観の相違を観察すれば了解できる。
2. 村落の三つの領域
II ノラ 耕地 生産空間
III ヤマ・ハラ 山林 採取空間・籠もり空間
3. 大地と自然、 大地と神
新潟県東蒲原郡鹿瀬町夏渡戸 |
特定の土地利用に特化した形での生活空間は人々の生活に潤いをもたらさず、 飽きがくる環境となる。 大地の様々な利用方式、 すなわち様々な程度の自然との関係を組み合わせることが暮らしを豊かにしてきた。 完全に囲い込んで、 その中で支配した自然を再現するのではなく、 開かれた景観を形成し、 程度の異なる自然との関係を生活の中に取り込む工夫が日本人の大地とのつきあい方だと言えよう。 借景の思想である。
5. 生活空間の複合性
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